第2話 雌伏
陽光に照らせば、銀の鱗がキラキラ輝くアルジェントは、すらりとした肢体をくねらせ、蒼い瞳を細めてこちらをじっと見ている。美しく凛々しく格好いい。ため息が出る。
「いいなあ」
俺の横ではノエルが羨ましそうに、俺の腕に掴まるアルジェントに見とれていた。それも俺の気分を高揚させる。
俺と父が家に着いたのは、日が昇ろうと言う時間だった。母とノエルが玄関前で待っていた。
母は何となくこうなると分かっていたらしい雰囲気だが、ノエルにとっては寝耳に水で、近くで見る竜の姿に朝から大興奮で「いいなあいいなあ」と連発している。触りたそうに手を伸ばすが、アルジェントはノエルが手を伸ばすと、嫌そうに身体を震わせるので、ノエルは未だに触れずにいた。
「それくらいにして、朝食にしましょう」
母が蒸かした芋と具のほとんど無いスープを、テーブルにドンッと置く。それでハタと気付いた。竜とは何を食べるのだろう。
「父さん、竜は何を食べるの?」
親竜と仲良さそうにしていた父だ。竜が何を食べるかぐらい知っているだろう。すると父はしばし視線を室内に巡らせると、
「土でも食わせていろ」
ととんでもない事を口走る。思わず開いた口が塞がらなかった。と母が父の頭を平手で叩いた。
「何バカな事言ってるのよ」
やはり父なりのジョークだったようだ。ホッと胸を撫で下ろすが、
「土なんて柔らかいもの食べさせても強くなれないわ! 岩よ! 岩を食べさせましょう!」
ジョークじゃなかった。もっとひどい。
「岩はまだ早いだろ。今は土で十分だ」
「お兄ちゃん、竜さんお芋食べてる」
俺が両親の言い合いに気を取られている間に、アルジェントは俺の腕からテーブルに飛び移り、芋を美味しそうに食べていた。
なんだ。普通に人間と同じものを食べるんじゃないか。そう思っていたら、アルジェントの食欲は留まらず、芋が載せられていた皿まで食べ始めたではないか。俺は慌ててアルジェントをテーブルから引き離す。このままではテーブルまで食べてしまいそうだったからだ。
「父さんどうしよう?」
「だから土を食べさせろと言っただろ。竜は雑食だ。目に写る全てを食べ尽くすぞ」
父のその言葉に俺とノエルはあわあわと土間の土をかき集め、山盛りになった土の前にアルジェントを座らせる。するとアルジェントは当然のようにその土を食べ始めた。
「本当に土食べてるね」
「そうだな」
竜は雑食で、何でも食べ尽くす怪獣である。その事が心から分かった出来事だった。
アルジェントと契約を結んだ翌日から、俺には日課が加わった。剣術だ。
父は薪の一つをナイフで削り、二本の木剣を造り、俺と父は薬草採りの空き時間に、二人でその木剣を振るうのが日課となったのだ。
何故かと父に尋ねると、竜狩りは竜と共に危険な土地に行く事が少なくないらしい。なので武術は必修だとの話だ。
父の剣術はかなり様になっていて、薬草採りが振るう剣とは、素人目にも到底思えなかったが、その話を父に振ると、はぐらかされるのだった。
アルジェントと契約してから、俺は村に下りられなくなった。まだ幼いアルジェントは好事家に狙われるとの父の判断だ。俺がもっと強ければアルジェントを護る事も出来るだろうが、まだ俺にそんな技量はなく、アルジェントと一緒に拐われるのがオチだと父に言い付けられた。少なくとも父に勝てるようになるまで、俺は山奥の山小屋から出られないらしい。
鍛えなければならない。俺は父とノエルが村に下りている間、ひたすら父の手製の木剣を振るった。アルジェントが遊んで欲しそうに俺の周りをうろちょろするので、俺はアルジェントから逃げるように山小屋の周囲を走り回り、姿が見えなくなった所で木剣を振るう。こんな事が出来るのも、アルジェントと契約して、身体能力が向上したからだ。それでも父には敵わないが。
それともう一つ日課が増えた。母から前から習っていた読み書き計算に加え、魔法の基礎を教わるようになったのだ。
竜狩りともなると魔法の一つも出来なければ笑われるらしい。人間が魔法を使うには、普通は倒した魔物から獲得した魔核を消費して魔法を使うらしいが、竜狩りは竜と契約の鎖で繋がっている。なので竜の魔核でそれを補えるらしい。成程、竜狩りが魔法を使えなければ笑われる訳だ。
走っては木剣を振るい、薬草を摘んでは魔法を覚える。そんな日々は五年続いた。父を倒そうと躍起になって木剣を振るっていたが、この五年、父に木剣が届いた事は一度もない。魔法も使って良いと言われたので、ファイア・アローやアイス・アロー、ウインド・カッターにアース・ニードルまで使ってみたが、父にかすり傷一つ付けられなかった。
俺はいったいどれ程弱いのだろうか。心が折れそうになるが、その度にアルジェントとノエルが頑張れと応援してくれたのでなんとか踏み留まれていた。
そしてそれは父と稽古をするようになって六年目の初夏だった。
その日はやけに蒸し暑く、正眼に相対する父も俺も汗を流していた。
「アース・ニードル!」
父に向けて片手をかざすと、父を中心に周り土が盛り上がり、父に向かって幾本もの鋭い爪を立てる。
「はっ」
しかしそれは涼しい顔の父の木剣一閃によって容易く破壊されてしまった。だがそれは時間稼ぎだ。アルジェントとの契約と魔法による身体能力向上、更に
が、父はそれが来ると分かっていたかのようにこれを横に避けた。狙っていたのはその動きだ。
「グリーン・バインド!」
俺は直近に覚えた新魔法を繰り出す。魔法によって父の動いた先の草たちが、父の足に絡み付き、父の動きを封じる。
少し苛ついた父が力任せにそれらを引き千切る間に、俺は上段から木剣を振り下ろした。
ガキンと言う木剣同士がぶつかり合う高い音が森に響く。父は俺の上段からの攻撃を受けきったのだ。木剣は。
父の頬にすうっと切れ目が入った。俺が木剣に纏わせていたウインド・カッターが発動したのだ。父は己の切れた頬をなぞり微笑んだ。
「ふん、少しはやるようになったじゃないか」
俺はこの六年で一番のガッツポーズをしていた。アルジェントもノエルも大喜びで俺に抱き付いてくる。と言うかアルジェント大きくなり過ぎだよ。
あの小さかったアルジェントは、この六年で俺の身長を軽く超し、俺の三倍は大きくなっていた。もう俺を乗せて大空を飛び回れる程だ。だが俺はまだアルジェントに乗っていない。父から下山の許可を貰った時、初めて乗ろうと決めていたからだ。
「いや、乗れば良いだろ」
夕食でその事を父に伝えると、簡単に返されてしまった。俺の今までの我慢をなんだと思っているんだ。
「あと、もう下山して良いぞ」
だから簡単にそう言う事を言わないで欲しい。って、
「いいの?」
「ああ。まあ、俺ほどではないが、それなりに強くなったからな。それにブレイドももう十五になるしな」
十五になると何かあるのだろうか? そう首を傾げていると、母が奥の部屋から手紙を持ってきた。
「これは?」
封蝋がされているし、宛先はウチではなく王立ネビュラ魔剣学院となっている。
「王都にある、魔法と武術を学べる学校だ。そこへの紹介状だ」
「魔法と武術を学べる学校? 紹介状?」
もう意味が分からず、首が右に行ったり左に行ったり忙しい。学校が沢山の子供が集まって勉強を教わる場所らしき事は母に習った。ので母の方に視線を向けると、
「昔、父さんと母さんはここで魔法や武術を学んだのよ」
との答え。つまりまだ弱いんだから、そのネビュラ魔剣学院とやらでもっと鍛え直してこいと言う訳か。
「分かりました」
俺がそう言って手紙を受け取ると、
「出発は明日の朝だ」
とは父の答え。は? 急過ぎるんですけど。父はいつも唐突で困る。
俺はその夜、急いで身仕度を済ませると早々にベッドに潜り込んだのだった。しかし色々あって中々寝付けずに、その夜は明け方までベッドの中でうろうろしていた。
「シャキッとしろ!」
玄関前で眠気まなこで目を擦る俺に、父から檄が飛ぶ。そう言われてもなあ。いきなり人生が変わって翌日である。気持ちとか色々追い付いていない。
「先ずはウーヌム村に行って、竜狩りの組合所でアルジェントの登録を済ませるんだ。それが終わったら東の王都だ。分かったな」
「分かりました」
両頬を叩かれ諭されて、俺の目はシャキッとする。
「それじゃ行ってくるね」
「元気でね」
「お兄ちゃん、王都のお土産よろしく」
「ふん」
家族それぞれの気持ちの入った激励を受け、俺は初めてアルジェントに飛び乗った。
高い。最初の感想はそれだ。竜に乗っただけで視線が高くなる。一瞬不安感を覚えるが、アルジェントとの契約の鎖がその事を直ぐに払拭してくれた。そして高揚感が沸き起こる。
「アルジェント」
アルジェントの名を呼べば、それで全て察したように、アルジェントは両翼を広げ、脚から炎を噴き出して大空へと飛び出していった。
ギュンと加速しながらアルジェントは雲を突き抜け、あっという間に遥か上空へと俺を運んでくれた。下を見ると、我が家と我が家族が蟻のように小さくなっていて、辺りを見渡せば、ぐるりと一面遮るものは何もない。青と白で満たされていた。ちょっと先にウーヌム村が見て取れ、その遥か先に恐らく王都であろうものが見渡せる。
頬に当たる風が気持ち良く、アルジェントと一体になって飛ぶ空は、わくわくが止まらない。俺はずうっとこうしていたい気分でしばらく大空を駆けていた。
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