間話 彼女の独白


 リリアフレアは目覚めた時、全く知らない場所にいた。


 否、知っていたのだが、あまりの変わりように気づけなかったのだ。


 そこはイス平原、ニール運河のほとり。


 絶望で埋め尽くされた焦土が続き、美しい花々は一片も残らず駆逐されていた。

 豊富な山の恵みをもたらす川の流れも、汚泥のように濁り、生き物の気配を感じることができなかった。



 そしてもう一つ。



 人だ、人がいるのだ。

 しかも自分の上に覆い被さっている。


 焦ってどかそうとするけど、重くて動かなかった。

 何より、先ほどからピクリともしないのだ。


 リリアフレアは、恐る恐る声をかける。


 「………あの………よけてもらえませんか?」


 返事はないが、背中は上下していたので、生きているのは間違いないと思う。

 

 手がかりを求めて顔を見ると、見覚えがあった。

 練兵場で出会い、傷つけるところだった、謎の男性。


 なぜこんなところにいるのだろうか。

 

 いや、考えてわかるはずもない、無駄だ、やめよう。

 努めて、意識を切り替えることにした。


 そんなことよりだ、身体が痺れてきた。

 身体の半分程度がぬかるみにはまっているようで、身体中スブ濡れだった。

 早く抜け出さないと……

 

 泥の中は思うように身動きが取れず、結構な時間をもがいていたと思う。

 最後の最後と決めて、力を振り絞り、身体をひねって匍匐前進し、やっとこさ抜け出すことができた。



 でもそこでやっと、初めて気づいたのだ。

 一糸纏わぬ自分の姿に。



 リリアフレアは思わず声を失った。

 最初は、この男に復讐目的で乱暴され、それがあまりにショックで自分は記憶をなくしているのかと思った。

 それか自分は今、たちの悪い夢を見ているだけなんだと。


 だけど男の方を見やると、何故かローブらしきものを羽織らずに、身体の下に置いていたのだ。

 いや、リリアフレアが脱出する前は、彼女の上にかかっていたとも考えられる。


 這いずり出す前は男の下にいたのだから、そう考えるのが一番しっくりくるような気がした。

 何より、襲っている途中で失神してしまうなんて、マヌケ過ぎる。


 何のためにこんなことをしたんだろう?

 全ての現象が突然すぎて、思考が追いつかない。

 よくわからないけど、とりあえず今はローブと履物だけ借りておくことにした。



 ……………………


 

 辺りを歩き回っていると、他にも人がいた。

 溶けた鎧を身に纏い、全身丸焦げの姿で立っているのだ。

 よく見るとこの鎧の男が立っている場所の辺りから広がるように、大地が焼け焦げている。



 今なおくすぶる火の粉を見たリリアフレアは、ここで初めて一つの可能性へと思い至った。

 もしかして私が起こしてしまったことなのではないかと。



ーーーーー


 リリアフレアは、生まれて間もなく母ソフィを亡くした。


 理由は、焼死。

 ソフィは、胎内の我が子が強大なエネルギーを持っているだろうことを予感していた。

 そして来たる出産で、それは起こったのだ。


 身を焦がすような熱。

 受け止めるには、ソフィの魔力はあまりに小さ過ぎた。


 「この子には絶対に知らさないで……お願い………」


 自らの死を悟ったソフィは最後の気力を振り絞り、たった一言、それだけ残した。

 人の命は、こんなにも容易く失われてしまうものなのだ。


 その後すぐに魔導学園サルミリオスより、高名な魔法使い数名が呼ばれ、リリアフレアの幼い身体に強力な魔力を持って封印が施された。

 それが、生後数日の間の出来事。

 


 そして、その事実をリリアフレアが知ったのは、3歳を過ぎた辺りのことだった。

 母の願いは届くことはなかったのだ。



 「……自分の母を殺してしまうなんて、呪いよ」

 「怖いわよねぇ、だけど隔離しているうちはまだ安心できるわね」


 

 自室からこっそりと抜け出して庭で一人遊んでいるとき、そんな声が聞こえた。

 世話係をしている人たちがこそこそと噂していたのだ。

 

 最初は何かの聞き間違いかと思った。

 だけど、度々噂をする世話係の様子を見聞きした。

 次第にそれは、自分のことを言っているのではないかという疑念に変わり、あるときそれが確信に変わったのだ。



 「お母様が死んじゃったのは私のせいだったんだ」



 悲しくて悲しくて、涙が出た。

 人はこんなにも涙を流すことができるのだと、初めて知った。

 身体が枯れてしまうかと思うくらい、溢れ出て止まらなかった。


 お城に飾ってある絵画でしか見たことのない母。

 絵画の中で優しく微笑みかけてくれる母。



 自分のせいで……自分のせいで、二度と会えなくなってしまった。


 

 この事実を小さな子どもが背負うには、あまりに荷が重すぎた。

 そしてこれが原因で、一度目の魔力暴走を引き起こすこととなったのだ。



 ……………………



 気づけば辺りに火の手が上がっている。

 濃煙の中、自分を取り囲むようにして、大人たちが立っているのだ。


 その原因がリリアフレア本人にあることは、幼いながらも感覚的にわかった。


 またしても、自分のせいで、たくさんの誰かが傷つけてしまったのだと……



ーーーーー


 そして今日、リリアフレアにとっての最悪が再び訪れることになった。

 時が経つにつれ、それは実感を伴って、自分を襲ってくるのだ。

 


 母を亡くした理由。

 人を傷つけた事実。


 それらを遠ざけるために、人に優しくした。

 いい人になれば、自分の犯した過ちが帳消しとは言わずとも、許されるような気がしたから。

 

 泣くのをやめた。

 誰かを傷つけることで自分が苦しんでしまわないようにするために。


 努力をした。

 自分の力を理解し、押さえつけ、人に気づかれないようにするために。



 頭の中にいるのは、自分本意な、醜い姿の自分だけだった。



 だからこれは、起こるべくして起こったことなのだ。

 

 練兵場で、知らない誰かを傷つけそうになったことも。

 そして直後、騒動の責任を全てその人に押し付けようとしたことも。


 望まない自分の姿にショックを受け、あっさりと『力』に主導権を明け渡したのだ。

 その結果がこれ。



 私の失敗の責を負うのは、いつも、自分じゃない誰かだった。



 心が張り裂けてしまいそうだった。

 こんな時でさえ、まだ自分を心配している自分に腹が立った。



 そうして絶望の中、呆然と立ち尽くすしかなかった。

 自分のこれまでの選択が、たった今、焦土と化した平原を生み出したのだから。



 それからどれくらいの時が経っただろう。

 グランス率いる騎士団のみんなが現れ、騒ぎを終息させていく。

 こうしてリリアフレアは、今は遠くに見える王城へと戻ることになった。



ーーーーー


 リリアフレアは、城に戻り身体を清めると、自分の姿に驚いた。


 髪が……赤い、赤いのだ。それもかなり鮮烈な赤だった。

 日に当たると透けるような輝きを放つ、緋色。

 

 染めた筈はないのに、元の黒髪から色が全く変わってしまっていた。

 しかもその長さもかなり伸びてる。


 リリアフレアの身体の変化は、それだけではなかった。


 背も驚くほどに伸びていたのだ。

 城に帰ってくると、どこか目線の高さがおかしいような気がしていた。

 まさかとは思いつつも、自室の棚の上の方にやすやすと手が届いた時点で確信した。


 起こしてしまったことの代償なのだろうか。

 だけど、ある意味でリリアフレアにとっては好都合だった。

 そして一つの考えに思い至る。


 「この姿なら、城を出て外で生きていても気付かれることもないかもしれない」

 

 こうして彼女は決断した。

 この騒動が終息した暁に、城を抜け出すという決意を。



 ……………………



 王国騎士団副団長グランスより、一つの仕事を授かった。


 「アルム殿の看病をお願いできませんか?

  こちらも人手が足りなく……もしよければですが……」


 アルム、つまり私に覆いかぶさっていた男の看病を言い渡された。

 話を聞けば、私を救ってくれたのは団長のオルフレッドと、このアルムという男だそうなのだ。


 しかもこのアルムという人は、国とは全く関係もない、部外者だという。

 驚いたし、なぜ赤の他人の私を助けたのか、疑問しかなかった。


 実感は湧かないけど、何はともあれ、命の恩人であることは間違いないのだろう。


 「……はい」

 

 断るわけにはいかない。

 むしろそれくらいの罪滅ぼしは当然のことだと思っていた。

 それで許されるとも思ってはいないけれど。



 アルムのいる部屋まで案内してもらい、そこから先は任されてしまった。

 部屋の寝具の上では今だ眠り続ける彼の姿がある。


 汚れがかなりひどい……

 

 まずは掃除から始めることにした。



 ……………………



 翌日のお昼、彼は目を覚ました。


 替えの布と水を取りに行き、部屋に戻る途中、部屋の中から大声で人を呼ぶ声が聞こえのだ。


 「すみませーん、誰かいませんかー?」 


 あまりに突然のことだったので、心臓が止まるかと思うくらい驚いた。

 よくよく考えれば、人が目覚めるのも眠りから覚めるのも突然なのは当たり前のことで、そこまで驚くことでもなかったのだけれど。


 どんな顔をして会えばいいのか、わからなかった。

 眠っているときは全くもって平気だったのに。

 早く目覚めてほしいと思ってたけど、綺麗な寝顔を眺めているのも嫌ではなかった。


 追撃でさらに大きな声で呼ぶ声が聞こえる。

 部屋の前でいつまでも立っているだけという訳にはいかないだろう。



 意を決して中に入ると、アルムは身体を起こしてこちらを見ていた。



 緊張した。

 また悪意に満ちた表情を向けられるのが怖かった。

 こんなときも自分を守ろうとしてしまう心の弱さが憎かった。


 だけど彼からの第一声は……


 「ええっと……どうも」


 ただそれだけだった。

 とまいどいこそあれど、悪意の欠片も感じない。


 おかしいような、嬉しいような、気まずいような、苦いような、言いようもない感情がない交ぜになって言葉が出てこない。

 だけど、この人に、一番初めに伝えたい、そう決めていたことがあった。


 「こっこの度は、本当に本当にご迷惑をおかけしてしまって……」


 謝りたかった。でも声は上手くでなかった。

 謝らせてもらえるのがありがたかった。

 


 すぐ泣く人はずるい、そう思っていたのに涙が溢れて止まらなかった。

 こんなに泣かれたら、彼も迷惑だろうし、責めることもしづらいだろう。

 申し訳なくて、恥ずかしくて、顔も見れなかった。


 だけどアルムは、


 「えーっと……顔を上げてください。あなたが無事でよかったです」


 責める様子も見せず、私の身を案じてさえみせたのだ。


 話はそれだけだった。

 いや話ですらない、ただの謝罪と返事。


 本心かどうかはわからない。

 だけどそれだけでリリアフレアは救われたような気がしていた。



 そのあとのことだ。

 


 もうダメかと思われたオルフレッドのことも、アルムは難なく救ってみせたのだ。

 オルフレッドは私に普通に接してくれる数少ない一人だった。

 彼を救うために力になれたのは純粋に嬉しかった。

 アルムはその後、褒めてくれた。


 自分より人のことを第一に考えることのできる、この人アルムのようになれれば、この人アルムのことをもっと知りたいと思った。



 それからは毎日、アルムの部屋に通っていた。



 もちろん看病のためだったけど、次第にそれだけが理由ではなくなっていた。


 ときおり申し訳なさそうにする彼を見ると、心の優しい人だと思った。


 助けたことを何とでもないと言い切り、恩返しの代わりに彼が求めたのは、名前を教えてほしいというお願いただそれだけだった。


 リハビリのための付き添いで城内を一緒に歩いた。

 いつもこちらを楽しませようと、たくさんの話をしてくれた。



 リリアフレアの心の中を占めるアルムの割合がどんどん増えていった。

 だからこそ、これ以上甘える訳にはいかないと思っていた。



 ……………………



 その日の夜、誰に何も言わずに去るつもりだった。

 アルムの看病はもう必要なくなったからだ。



 だけど、そんなことは全て見越したようにアルムが来たのだった。



 どんな危険が待ち受けていようとも、もう迷いはなかった。

 

 彼に迷惑をかけるかもしれない、だけど彼と一緒なら変われる気がした。


 他力本願ではダメだ、自分自身が変わるんだ。


 きっかけはもらった、何もかも貰いっぱなしだった。


 堂々とこの人アルムに隣に立つ、そのための努力なら惜しむつもりはなかった。



 そして今日からは素直に生きよう。



 リリアフレアはそう決心したのであった。



  

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