第十六話 逃亡者
その日の朝も彼女はやって来た。
家政婦さんか?と思うほどマメで、着替えやら、身体を拭うための布なんかをせっせと運んでくれるのだ。
さすがに王女様を召使うのもよくないだろうと思っていたけれど、中々断りきれずにいた。
「ここ最近ありがとうございます。
……だけど、もう大丈夫です! この通り元気になりましたから!!」
「………………ご迷惑でしたか……?」
悲しそうな
失礼な話だが、意外なことに、彼女はとても綺麗だった。
緋色の髪に黄金色の澄んだ瞳、白磁のように透き通る肌、うつむいたりせずに堂々とあるけば誰もが振り返る容姿だろう。
…………キノコ頭なんとか思ってて本当にすみませんでした。
だからそんな人が身の回りの世話をすると非常に落ち着かないのだ。
助けた事実を盾にコキ使っているみたいだし、周囲からどう思われているかを考えると、気が気じゃなかった。
王女様が得体の知れぬ男に献身的に尽くし部屋にまで通っている、なんて他の者に思われたら……それがましてや国王の耳にでも入れば、ただじゃ済まされないのでは…………
悪い想像ばかりが膨らんでくる。
そんな俺の逡巡する姿を見て、申し訳なさそうに彼女が口を開いた。
「……お気を遣わせてしまってすみません……やっぱり私……」
「いやいや違うんですよ、私のような得たいの知れない男の世話を、それも一国の王女様にさせるなんて、恐れ多くてですね……」
「……いえ、アルム様は私の命の恩人ですから、それくらい当然なんです。
それにこれくらいじゃ到底、私にしていただいたことのお返しになりません」
この人いい子過ぎないか。
王族なんて我儘でボンボンで性格悪そうなイメージがあったけど、どうしたらこんなにも驕りのない立派で綺麗な人間に育つのだろうか。
……ん?、ってあれ?
ここで重大な事実に気づいてしまった。
俺、この人の名前知らない。向こうは知ってるのに……
悟られないように、ごく自然な形で聞き出すことにした。
「そんな、恩返しなんてとんでもないです。
それじゃあ……せめてお名前だけでも教えてもらえませんか?」
我ながらうまく返せたのではないだろうか。
早いとこ気づけてよかった……こういうことは時間が経てば経つほど聞きづらくなるものなのだ。
俺の言葉に、彼女も「ああ!」と思うところがあったようで、慌てて頭を下げた。
「名乗りもせずに……すみません。
キザイス王国第二王女、リリアフレアと申します」
「いえ、こちらこそ申し遅れました。
もうご存知のようですが、アルムと申します」
一緒にいる機会が結構あったのに、今更二人して名乗り合うのが何だか滑稽のような気がして、ちょっと笑ってしまった。
リリアフレアも同じことを考えていたのか、その顔に初めて笑みが溢れる。
ここで初めて、俺もリリアフレアも、お互いへの緊張とか気後れなんかがなくなって、ようやく打ち解けたような、そんな気がした。
ーーーーー
夕刻の食事会まで少し時間があったのでリハビリがてら、リリアに城内を案内してもらうことになった。
王や親衛隊からはそのような愛称で呼ばれているらしく、俺にも気軽に呼んでほしいとのことだった。
「リリア様は、魔法が使えるんですか?」
「アルム様ほどではないですが、幼い頃から教育を受けてきました」
リリアの授かった天与は、生まれて間も無い頃に一度だけ暴走しかけたらしい。
まだリリアが幼かったため大事にはならなかったそうなのだが、それ以来魔力の操作を中心に学んできたそうだった。
天与の封印も、その頃に施されたのだろう。
練兵場での訓練は、親衛隊の中でも年齢が近く特に信頼していたクレアとクリム(赤髪と短髪)との初めての合同訓練だったそうだ。
やっと上手くいった!と思った魔法で人を殺めそうになり、ましてやその責を咄嗟に俺へと向けてしまった自分が許せなかったんだとか。
そんなことをひたすら考えていたら意識が遠くなり、目を覚ますと惨劇の起きた後だった、とのことだ。
周りのみんなに迷惑を掛けたことを今なお憂う姿は、なんだか気の毒だった。
「形あるものはいつか壊れますから……壊れたら直せばいいんですよ。
それにみんな無事だし、怒っている人なんて一人もいませんよ」
一応フォローしたつもりだけど、乗り越えるのは彼女次第だ。
俺があんまりでしゃばるのは、何だか違う気がした。
その後二人並んで歩いていると、廊下の曲がり角でばったりとオルフレッドに出くわした。
「あれ、アルム、もう体は平気なの?」
「いや、それはこっちのセリフだろ。
お前こそ、もう動き回ってていいのか?」
昨日まで生死の境を彷徨っていたと到底思えない生命力。
この男はほんとうに化け物じみている。
「グランスがうるさくてさー、寝てても退屈なだけだし。
それに稽古を1日抜かせば取り戻すのに時間がかかるからね」
そりゃあれだけ強くなるわけだ。
俺も見習わないといけないかもしれない。
「グランスさんにあんまり迷惑かけるなよ」
「ははは、考えておくよ」
オルフレッドは何かを察知したのか「リリア様、アルム!それじゃあまた」と言い残し、急ぎ足でその場を去っていった。
ちょっと間を置いて、オルフレッドの後を追うように、グランスが現れた。
「アルム殿、体の調子はいかがですか?」
「俺はもう大丈夫です。オルフレッドを探しているなら、あっちに行きましたよ」
「よくわかりましたね、ほんと少し目を離すとあの人は……」
そこからオルフレッドに対する愚痴がはじまった。
いやグランスさん、早く探しに行かなくていいんですか……
「いやかたじけない……それではこれにて。リリア様もご健勝でなによりです」
たくさん話せて満足したようで、一つお辞儀をすると「ではまた」と去っていった。
団長よりもよっぽど騎士らしいというかなんというか……
そして
「アルム様は、もうあの二人と打ち解けているんですね」
「ええ、いやまあ、何ででしょうかね」
類は友を呼ぶ、問題児への保護者の付き添い、そんなところな気がした。
……………
城は思ったより広くて、かなりの時間を潰すことができた。
約束の時刻も迫ってきたところで、
「アルム様、私はこれで。色んなお話を聞くことができて、とても楽しかったです」
「こちらこそ付き合っていただいて、ありがとうございました。それでは」
この頃になるとリリアもかなり打ち解けてくれたようで、笑顔もかなり増えていた気がする。
俺は支度のために、リリアと別れた。
一度部屋に戻り用意してもらっていた替えの服に着替えてから会場へと向かった。
入口にはすでに、グランス、オルフレッドの姿があって、後は王が来るのを待っているとのことだった。
意外なことに、食事会といっても非公式なものらしく、メンバーはそれで全員らしい。
まあこれだけの騒ぎと被害の後に宴会なんぞできるはずもないか。
程なくして会場の扉が開かれ、近衛兵が中から現れると、俺とオルフレッドとグランスの三人だけを通す。
中ではすでに王は座していて、案内されるがままに俺も座った。
豪勢な料理が円卓に並ぶ。
それを見届けると近衛兵は出入口付近に待機し、部屋の中は俺を含めて6人だけとなった。
ただの食事会ではない、重苦しい空気感で、何かが起こる予感しかなかった。
張り詰めた空気を割くように口を開いたのは、王であった。
「此度は我が娘の命を救ってくれたこと、感謝の意を述べたい。
王ではなく、一人の父として、本当にかたじけない」
信じられないことに、一国の王が頭を下げたのだ。
そんなことは通常してはならないし、ありえない。
だけど、その姿には一本気を感じざるを得なかった。
王の気迫にすっかり飲まれてしまって、言葉がでない。
それも束の間、さらに王が続ける。
「ここには信のおける者だけに集まってもらった。
……して御主らに折り入って頼みたいことがあるのだ」
そこから長い話がはじまった。
貴族連中との話の中で、リリアの王位継承権の剥奪が実質決定されつつあること。
一部の派閥の中で、リリアを利用した魔導実験を画策する者がいること。
今回の損害に対する補填を口実に、国の実権を握らんとするものがいること。
これを機に国の体制が揺るがされるような事態に発展すれば、それこそ他国から攻め入られる可能性もあるとのことだった。
豊穣な土地、魔法都市サルミリオスの隣国でもあり、他種族の交わる交易路としての価値が高いこの国を狙うものは数多くいるだろう。
今のところ、そのようなきな臭い動きは表立ってはみられていないが、それも時間の問題だろうとのことだった。
それから本題に入る。
それは…………
「どうか娘を連れて逃げてはくれないだろうか。
あり得ぬ申し出ということはわかっている。だが……」
リリアの国外逃亡の幇助。
そんなことが許されるのだろうか。
俺ならまだしも、オルフレッドとグランスは、キザイス王国騎士団団長・副団長の地位にいる。
それを行ったとなれば、二度と国に帰ることすら叶わないのだろう。
だけど……
「いいですよ」
「私でお力になれることであれば」
二人は即答した。
王のためなら、その子女のためならば、築きあげた地位すらも一瞬で捨てることができるのだ。
本当の騎士道とは何か、それが見えた気がした。
しかしこの二人は、今じゃこの国では知らぬ者がいないほどの名声を得ている。
それにいざ騒ぎが起きたとき、この二人のどちらでも欠けてしまえば、騎士団すらも分裂してしまう可能性があった。
今回の役割に不向きであることは火を見るより明らかだ。
「三つ、条件があります」
俺が口を開いたことに、その場の全員が驚いたようだった。
本来ならば部外者であるところ、成り行きでここにいるだけだし、それも当然だろうとは思った。
だけどある種の期待をしていたから、俺を招いたのかもしれない。
でもまあ結局のところ、そんな思惑はどうだっていいのだ。
せっかく助けた命が、せっかく仲良くなれたリリアが危険だというなら、また救ってあげたい。
理由はそれだけで十分だった。
「聞こう」
「はい。
一つが、リリアフレア様の意志を尊重すること。
私は、両親を探すために、旅をしており、時には危険なこともあります。
この騒動から抜け出せても、その安全は必ずしも保障できません。
それでも彼女にその気があるなら、今夜中に私が連れていきましょう」
「うむ」
王は一つ頷き、俺の考えを肯定してくれたようだった。
「続けます。
二つ目は、生活の援助です。
恥ずかしながら、私には十分なお金がありません。
私は良いですが、彼女のためにも当面生活できるだけの援助は必要です」
「急ぎ用意させよう」
これも問題なさそうだった。
「最後です。
彼女には王族としての地位も名も捨ててもらうことになります。
俺と一緒であれば、ともに平民としてに生きることになります。
これも勿論、彼女の意志を尊重した上で決まることですが」
王は閉口して考える。
暫しの沈黙があったが、それも当然のことだろう。
それはもう、公式的に自分の娘ではなくなるということだったから。
だけどこの王は、何が大切か、常にそれを明確にしてきたのだ。
それを考えれば、もう答えは決まっているはずだった。
「王に条件をつけるなど、とんでもない小僧よの。
わかった……我が娘を、リリアを……どうかよろしく頼む」
その一言で十分だった。
後は本人の気持ちを確かめるだけだ。
長い話の末、折角のご馳走もすっかり冷め切ってしまっていた。
ーーーーー
計画はすぐに実行された。
オルフレッド、グランスの案内のもとリリアの部屋まで行くと、まるであの場で話を聞いていたかのように、すでに荷物をまとめていた。
元々、一人でも出て行く覚悟を決めていたのかもしれない。
リリアはそういう子だった。
突然の来訪者に驚いていたようだったが、すぐに俺の話を聞いてくれた。
即答だった。
「アルム様、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく。それじゃあ行こうか」
……………………
その日の晩、王城を抜け出す二人の姿があった。
従者も馬も連れず、誰の目にも触れず、歩を進めて行く。
西へ西へと進む二つの影は、夜の闇に吸い込まれ、掻き消えていったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます