第12話 言ったろ? 利害の一致だってな

 三日間続く収穫祭も終わり、リトベルの街にはいつもの日常が戻りつつあった。

 メイン会場となっていたリナス広場からは露店が消え、通りのあちらこちらに散らばるゴミや飾りの一部が収穫祭の名残をひっそりと落としている。


 恋人探しのイベント「花探し」以降一歩も外に出なかったルシェラは、祭りが終わった三日後に再び歴史地区を訪れていた。

 とは言っても目的地はあの会場ではなく、緩い坂道を登り切った先にあるフォルセリア神殿だ。本の入った紙袋を片手に、幼馴染みの姿を探して神殿内を迷子のようにさまよい歩いていた。


 大聖堂から通じる左右の回廊は奥の中庭に繋がっており、その先は書庫や資料室などがある別棟へと続いている。別棟の二階は神官長など位を持つ者の個室があり、一般公開されているのは別棟の一階までだ。


 セイルと約束しているわけではなかったが、ここに来れば会えるだろうと楽観視していたルシェラは、一般公開されている場所を既に二回は回っている。三週目を回る元気はなく、少し休憩しようと中庭のベンチに腰掛けると秋の少し肌寒い風が髪を揺らして吹き抜けていった。


「君は、もしかしてセイル君を探しているんじゃないのかい?」


 目を閉じて秋風の音を聴いていると、突然背後から少し威圧的な男の声が紛れ込んだ。慌てて目を開けると、すぐそばに白髪交じりの髪をひとつに結んだ背の高い初老の男が立っている。顔に刻まれた皺からもある程度の年齢である事は分かるが、纏う雰囲気は少しの衰えも感じさせず、背筋をすっと伸ばして立つその姿勢だけでも気品のようなものが感じられた。


「え……っと、その」


 悪いことなど何もしていないのに、何だか見つめられるだけで萎縮してしまう。そういう雰囲気が男にはあった。


「いや、さっきからあちこちで見かけるとは思っていたんだが、何となく君に見覚えがあるような気がしてね。以前セイル君と一緒にいるところを見たことがあったと思い出したんだ。君はメイヴェン古書店の店主だろう?」

「あ、はい。そうです」

「神官たちもよく君の店を利用しているからね。そうだ、君の店に『ヴィーンログ歴史書』は置いているだろうか?」


 ヴィーンログはリトベルと同じ、聖女フォルセリアを崇める聖女信仰の国だ。長く栄えた国の歴史を学ぶため神官たちも良く読む本のひとつで、当然ルシェラの古書店にもいろんな種類のものが幾つか置いてある。


「良ければ今度、その本を持ってきては貰えないだろうか? 忙しい身で、なかなかそちらに伺うことが難しくてね」

「それは……構いませんが、どちらに届ければ宜しいでしょうか?」

「これは失礼した。私はベルトール。神官長補佐をしている。いつもは別棟の二階にある部屋にいることが多いから、君でも入れるよう通行証を渡しておこう」


 そう言ってベルトールが取り出したのは羽根の刻印がされた銀色のプレートで、首から提げられるように細い革紐が付けられていた。よく見るとプレートの裏側にベルトールの名前が彫られている。


「ありがとうございます。ヴィーンログ歴史書は在庫もありますから、明日にはお届けできるかと思います」

「そうか。助かるよ。いきなり話しかけてすまないね。セイル君に用事だったんだろう?」

「借りていた本を返そうと思って……。でも約束なしに来てしまったので、また今度日を改めます」

「良ければ私から返しておこうか?」

「えっ! そ、そんな……大丈夫です! また明日来ますし、その時にでも会えたら自分で返しますから」

「遠慮しなくてもいいんだがね。まぁ、君がそう言うのなら無理強いはすまい。では明日、宜しく頼むよ」


 厳しさを感じる顔に僅かな微笑を浮かべて、ベルトールが紺色のマントを翻して踵を返す。そのまま廊下を歩いて行く後ろ姿にさえ威厳を感じ、彼の姿が完全に見えなくなるまでルシェラは少しも気を緩めることが出来なかった。


「……何か、めちゃくちゃ緊張したわ」


 ルシェラにとって神官と言ったら幼馴染みのセイルが真っ先に浮かぶのだが、本来はベルトールのような厳格が服を着たような人物像が当てはまるのだろう。しかも神官長補佐という、普段ならば滅多に話す機会もないだろう地位の人物だ。緊張のあまり粗相しなかっただろうかと胸をよぎった不安は、けれど神殿を出る頃にはすっかり忘れ去られてしまった。

 思いがけず得た顧客。しかも相手は神官長補佐。このままお得意様になってくれればと淡い期待を抱きつつ、ルシェラは足早に帰途についたのだった。



 ***



 店に戻り、ベルトールに渡すための本を見繕っていると来客を告げるベルが鳴った。奥の本棚から顔を覗かせると、古書店には似つかわしくない雰囲気の男が扉の前に突っ立っているのが見える。

 流行なのか分からない、所々破れたシャツ。首には見たこともない生き物をモチーフにしたシルバーのネックレスを、腕にはジャラジャラとした金属の腕輪を纏めて嵌めており、赤毛を掻き上げた指には大きな髑髏の指輪が不気味に光っている。


 人を見た目で判断してはいけない。そう思ってはいても、男の醸し出す近寄りがたい雰囲気に、さすがのルシェラも店主の立場を忘れて居留守を使おうかと悩んだほどだ。

 けれどもどこか既視感のあるその顔を見ている内にバッチリと目が合ってしまい、知らぬふりも出来なくなったルシェラは渋々と本棚の影から出て来ざるを得なくなってしまった。


「ルシェラ=メイヴェン。お前だろ? 聖女の末裔ってのは」

「……っ、あなた! パーティで会った……」


 花探しのパーティで、執拗に匂いを嗅いできた赤毛の男。パーティでは場を弁えていたのかスーツ姿だった男が、今はガラの悪い不良のような出で立ちでルシェラを不躾に見下ろしている。その口元が僅かに緩み、男の顔に嘲笑の色が浮かんだ。


「月葬の死神が惚れ込んでる女にしては……色気が足りねぇな」

「余計なお世話よ! 大体あなた、この間から一体何なの? ここは人間専用なんだから、用事がないなら出て行ってちょうだい」

「悪魔相手に肝が据わってんな。まぁ、アイツの庇護下にいるんなら多少の無理も構やしねぇか」


 自然と脳裏にレヴィリウスの姿が浮かび上がり、理由もないのにルシェラの胸がちくりと痛む。

 あのパーティ以降、もう五日も顔を合わせていない。今までは会わない時の方が多かったのに、なぜこんなにも急に心細くなっているのだろう。

 あの夜、部屋には入らず去って行ったレヴィリウス。別れ際に見た痛みを堪える切ない顔が、いつまでも頭の隅にこびり付いて離れない。


「……あなた……レヴィンの知り合い、なの?」

「二日前からな。今は協力関係にある。あぁ、その証拠に――ほらよ。アイツからの手紙、預かってるぜ」


 手渡された白い封筒には金色の封蝋が押されている。レヴィリウスを連想させる三日月の封蝋を開くと、美しい文字で綴られた一枚の紙が折りたたまれて入っていた。


『愛しいルシェラ』


 書き出しの言葉を見た瞬間、耳元で囁かれたような気がして胸が鳴る。


『まずは、あの夜に君を危険な目に遭わせてしまった件について心からの謝罪を』


 そう始まった手紙にはレヴィリウスが暫くリトベルへは来ないこと、代わりに赤毛の悪魔ケイヴィスを護衛に付けることが美しい文字で綴られていた。ケイヴィスだけでは心配なので、ネフィをリトベルへ喚んで欲しいとも書かれている。手紙の端にはネフィを模したのだろうか、黒猫の絵が小さく描かれていた。


 どうやらこの絵に指を置いて名を呼べば、ネフィがリトベルこちら側へ来られるようになるらしい。ルシェラにとっては得体の知れない赤毛の男――ケイヴィスと二人きりになるよりは、使い魔でも見知った者がいる方がまだ安心できる。

 悩む間もなくルシェラは印に指を置き、一呼吸置いてからネフィを喚んだ。


「ひゃっほーい。ついに来たぜ、リトベルー!!」


 手紙からぼふんと煙が上がり、その中から一匹の黒猫が飛び出した。そのままルシェラの肩に飛び乗ったネフィが、小さな頭を頬にすり寄せてゴロゴロと喉を鳴らしている。


「喚んでくれてありがとな。ケイヴィスには変なことされなかったか?」

「うん、平気。ネフィが来たって事は、やっぱりレヴィンの知り合いだって言うのは本当なのね」


 僅かに残る疑惑の視線の先、赤毛の悪魔ケイヴィスは棚から抜き取った本をつまらなさそうに捲っている。


「知り合いっつーか、利害の一致ってトコだな。アイツはレヴィンが狩るシャドウの珠――力の残滓ざんしを喰らって楽に力を手に入れたいだけだ」

「ネフィが食べてる、あれ?」

「そうだ。俺様レベルになれば、珠の一つや二つ食べても力は変わらねぇけど、アイツはまだ生まれて間もない悪魔だからな。一つ食べるだけでも能力はぐんと上がるだろうよ」

「他の悪魔に力を与えて大丈夫なの? レヴィンはどうしてそんなこと……」


 生まれたばかりの悪魔でも、シャドウの珠を食べ続ければいずれ脅威になることは明らかだろう。レヴィリウスが彼に負けるとは思えないが、それでも不安を完全に拭い去ることは出来ない。


「言ったろ? 利害の一致だってな」


 肩に乗ったままのネフィが、少し身を屈めてルシェラを覗き込んだ。思ったよりも間近に重なった金色の瞳が、意味深にくるりと光る。


「シャドウのいないリトベルに、レヴィンは来られないだろ? ケイヴィスはダークベルの鎖に繋がれていないからな。自由に行き来できるアイツに、今はお前を守って貰う」

「シャドウがいない間も、護衛が必要なの?」

「レヴィンが必要以上にお前に構っちまうから、他の悪魔も気付き始めてる。ケイヴィスがいい証拠だ」


 話を振られ、ケイヴィスが「興味ない」と言いたげに軽く肩を竦めた。


「でもそれって……私がレヴィンと再契約を結べば、きっと丸く収まる話……なんでしょう?」

「そうだな。……けど、お前は迷ってるんだろ? まぁ、確かにアイツの愛情表現は胡散臭いからな」


 迷っている。確かにそうだと、ルシェラは思う。

 レヴィリウスの言動に、ルシェラを大事に思う気持ちがあることは十分に分かるのだ。その思いが、「聖女」と「ルシェラ」のどちらに向いているのか分からないから、もう一歩が踏み出せない。

 ルシェラの思いは、もう無視出来ないくらいにレヴィリウスへ向いているというのに。


「今はアイツも自己嫌悪中だ。これに懲りて、少しは自分の思いの伝え方を見直せばいいんだよ。ちょっとお前に押し付けてばかりだったからな」

「……ネフィ」

「でもよ」


 躊躇いがちにルシェラを見つめたネフィが、まるで懺悔のように呟いた。


「アイツはアイツで必死なんだ。お前を思う気持ちに嘘はないから、それだけは分かってやってくれ」


 分かっているつもりなのに、ルシェラは素直に頷くことが出来ず、ただ唇を噛み締めるだけだった。

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