第61話 JKアイドルさんは暇人を想う。04


 クリスマス当日は、桜咲が願ったように雪が降っていた。

 今はまだ夕方なのに、駅も、街も、いつもは人気の無い通り道だって、カップルで溢れている。

 そんな中、俺は一人マフラーの中で鼻呼吸しながら、寂しさを紛らすためにスマホに入っている桜咲の歌声を聞いていた。


 駅に着いて、改札を通ると目の前にあった看板に目が留まる。


『ラズベリーホイップ〜クリスマスLIVE〜』


 桜咲も写っている広告を前にして、俺は鼓動が早まった。

 ダメだ、まだ緊張する時じゃ無いだろ。

 俺は飴を一つ口に入れて自分を落ち着かせる。


「……よし」


 そして、ホームに行くとちょうどその時到着した電車に乗り込む。

 クリスマスなだけあって人の数は凄かった。

 俺もその集団の一部となり、電車に揺られる。


 今日のミッションは3つある。

 事前に、桜咲宅には電話をしておき、話の流れで蜜さんの料理を俺が手伝うことになった。

 これでまず、一つ目のミッションはクリアだ。


 二つ目は一成さんと蜜さんのセクハラから逃れること。


 そして最後は……。


 桜咲と二人きりになって、俺の方から……。


 よし、行ける。

 俺がこの日のためにどれだけシミュレーションしてきたと思ってんだ。

 成功しなきゃ報われないだろ。


 目的の駅に着くと満員の電車から抜け出し、駅から出る。

 そして、そこから数分の距離にある桜咲宅に向かった。


 その時。


「あら、閑原さん」


 後ろから蜜さんの声が聞こえる。

 振り返ると、買い物袋を手に持った蜜さんがいた。


「あ、今日はすみません。家族の団欒に俺みたいのがお邪魔しちゃって」

「いえいえ、閑原さんだってもう家族みたいなものですから」

「あ、買い物袋持ちます」

「ありがとうございます」


 蜜さんが重そうに持っていた買い物袋を受け取り、俺は両手で持ちながら二人並んで歩き出す。

 蜜さんは相変わらず着物姿だった。


「菜子も、朝出る前から閑原さんとクリスマスを過ごせることをとても楽しみにしていましたよ」

「そうですか……。お、俺も、同じです」

「……二人は、とても仲が良いのですね。あの子の母親としては嬉しい限りです」


 蜜さんはその美しい笑顔を見せながら、不意に俺の脇腹を指で突いた。


「それで、菜子とはどこまで行きましたか? もう、色々と致しているのかしら?」


 含み笑いを浮かべる蜜さん。


「し、してないです! な、菜子さんとは健全な関係を」

「そんなこと言ってー、実は"こう"なんですよねぇ」


 蜜さんは右手の指で円を作り、左手の人差し指をそこに入れ……って。


「や、やめてください! 俺たちはそんなこと」

「今時の高校生なんですからこれくらいしてるのかと」

「へ、変なこと言わないでください!」

「あれぇ? でも菜子の方は、時々自室で閑原さんの名前を叫びながら…………」

「さ、叫びながら何ですか⁈」

「……これ以上はプライバシーに関わりますね」

「ちょっと! 続きを」

「あ、もう着きましたよ」


 気になる……いや、とりあえず今はそれを忘れろ。

 俺が今から入る場所は幸せに繋がる戦場なのだから。

 道中でさっそくセクハラまがいの行為を受けてしまったが、これは無かったことにしよう。


 俺は桜咲家という戦場に足を踏み入れた。


 ✳︎✳︎


 割烹着の蜜さんとエプロンをかけた俺は、キッチンで料理を始めた。

 全部を作るのは大変なので、ケーキとフライドチキンは一成さんが仕事帰りに買ってくるらしく、今回作るのはサラダとスープ、そしてメインのターキーだ。


 俺が隣で一緒に作りながら、案外手際良く、スープとサラダは作り終わった。


「七面鳥の解凍もそろそろ頃合いだと思いますので、中身を作っちゃいましょうか」


 ここまでは完璧。

 どうあがいてもメシマズにはならないはず。


「えーっと中身は……人参、セロリ、玉ねぎに冷凍ピラフ。あとはりんごなんかも入れましょうか」


 七面鳥に入れる具材は結構大雑把で、家庭ごとに違うし、こんな感じでいいよな。

 というか、作り方からメシマズ要素があるのかと思ってたけど、案外普通に作って、


「あとはプロテインと、プロテインとプロテインと、プロテイン」


「…………え?」


 目の前に並ぶ様々な種類のプロテイン。

 超高級なあのプロテインも有れば、少し安めのプロテインまで……いや、そうじゃない。


「……あの、このプロテインは何ですか?」

「私がいつも使う隠し味です」

「…………っ」


 俺は完全にメシマズの要因を見誤っていた。

 メシマズに"プロテイン"は基本だと言うのに。


「あの、じゃあさっき作ったポタージュスープにも」

「はいもちろん!」


 …………沸騰した鍋の周りに粉状の何かがこべりついている。


「私が独自に混ぜ合わせたプロテインを使ってるんです」


 この人、頭いかれてるんじゃないのか。


「私も芸能活動をしていた時があったのですが、その時に必要な筋肉や栄養をつけるにはこれが一番いいかなって思って……。あ、菜子にもしっかりと教えましたので」


 …………完敗だ。

 俺の将来もこのプロテインによって支配されようとしている。


「あぁ、スープにはもう少しプロテインを入れたほうがいいですね」


 蜜さんはドバドバとその粉を入れ、混ぜ合わせる。

 こうやって見た目には出来るだけ現れないようにプロテインを入れていたというのか。


 その時、俺は嬉しくもないけど、勘が冴え渡った。


「まさか! このクルトン!」


 俺はサラダに鏤められたクルトンを一つ摘む。


「はい! 私が作った特製『プロテインクルトン』です。あ、その料理に乗ってるチーズもプロテインと調合させて」


 プロテインでこんなの作れないだろ。

 食用ノリとかでくっつけて固めたのか?

 ……あぁ、もう頭がおかしくなりそうだ。

 俺は夢を見ているのか?


「プロテイン〜、プロテイン〜」


 七面鳥の具材を切り分けながらプロテインが入ったボールにその具材を詰め込んで、蜜さんは混ぜ始めた。

 俺はどこで間違えたというんだ。

 ここで調理した時間は、まるでお母さんとの優しい時間のように思えていたのに。


 今となっては……。


「解凍した七面鳥の中に入れるのは閑原さんにお願いしてもいいですか?」

「は、はい」


 俺は言われるがまま、七面鳥の中におどろおどろしい具材を詰め込み、オーブンへと運ぶ。

 これを焼いて何が出来るか、俺には想像が出来なかった。


「完成が楽しみですね、閑原さん」


 悪魔の笑み。

 俺は……負けた、この日のためにクリスマス料理の練習をして、蜜さんの間違いを指摘しようと思っていたのに。

 間違っていたのは、料理の手順でも、調味料のバランスでもなかった。

 ……プロテイン。


「あ、あの……閑原さんと、この前お風呂で鉢合わせたときに閑原さんのアレを見てしまったのですが……」

「は、はぁ……その節はすみませんでした」

「いえいえ、とても妄想が捗りましたから。あ、アレが一成さんの中に……アー!」


 隙あればセクハラ……。

 もうだめだ、俺のライフはもう0。


「ただいまー」


 一成さんの声がして、俺はさらに震える。

 スーツの上着を脱ぎながら、一成さんは買ってきたケーキとフライドチキンをリビングの大きな机の上に置いて、キッチンに入ってきた。


「お帰りなさい、一成さん」

「お、お邪魔してます……」

「おや、閑原くん! 君も蜜と一緒に料理を作ってくれたのかい?」

「は、はい」


 一成さんは安堵の笑みを浮かべながら、俺の肩を叩く。

 嬉しそうな顔だ。

 多分一成さんは俺があのプロテインを止めたと思い込んでいる。

 地獄が待っているというのに。


「どうだ、閑原くん。わたしは今とても機嫌がいい。そっちで肩でも揉んでやろう」

「キャーッ」


 蜜さんは突然歓喜する。

 そして小声で「"いちこう"とか俺得すぎる」と言っていた。

 完全にキャラ崩壊している。


「あの、俺は」

「いいからいいから」


 俺はリビングの椅子に座らされて、テレビで流れる桜咲のクリスマスライブを見ながら、一成さんに肩を揉まれる。

 キッチンから舐めるようないやらしい視線を感じながら、俺はずっと震えていた。


 歌って踊る桜咲の姿を見ながら、俺は心の中で泣いた。

 助けてくれ、桜咲。


 ✳︎✳︎


「さぁ、ご飯にしましょう」


 大きな食卓に並ぶ料理たち。


 一成さんは万遍の笑みで、その料理を見渡していた。

 体育祭ではあれだけ複雑な顔をしていたというのに。

 今の一成さんからは、全くその感情が見受けられない。

 俺がいたから安心だと思い込んでいる。


「じゃあ、いただきまー……す」


 一成さんがスープを口にした刹那、一成さんの瞳は大きく開かれた。


「菜子も頑張ってるわね」


 一成さんは、桜咲のライブに夢中の蜜さんの隣で、斜め前に座る俺の顔を見て、さっきとは真逆の顔を浮かべた。


「……閑原、くん。うそ、だろ」


 その言葉を最後に、一成さんの目から光が失われた。

 そして、まるでロボットのように無心で料理を食べ始める。


「あら一成さん、美味しいからってそんなにがっついたらダメですよー」

「…………」

「い、一成さん……」


 俺は驚愕する。

 あの時の俺もこうなっていたのか。

 記憶が飛んでいたのもこういうことか。

 この料理を食べたら最後、正気に戻るまで、記憶が飛んでしまう。


「さぁ、閑原さんも食べてください」


 俺は喉仏を鳴らす。

 く、食うのか、これを。


「さぁさぁ」


 俺はスプーンでポタージュスープを掬って、口に入れる。

 そしてその瞬間……。

 ブラウン管テレビの電源が切れた時のように目の前の景色がプツンと消えていった。


 ✳︎✳︎


「閑原くん、閑原くんっ」


 気がついたら薄暗いリビングで、さっきの場所に座ったままだった。

 俺を呼ぶ声が目の前から聞こえて、その方を見ると、先程までテレビに映っていた少女の面影が……って、桜咲?

 先程まで蜜さんが座っていた目の前の席に、桜咲が座っていた。


「もお! 私が帰ってきたのに、お父さんと閑原くんは食べ過ぎで寝ちゃってるし」


 俺の斜め前の席では一成さんが机に突っ伏していた。


「私の分まで食べちゃうなんてひどいよー!」

「……い、今何時だ?」

「へ? 11時、かな。もう遅いし、今日は泊まって行きなよ」

「……あ、あぁ」


 俺はスマホを取り出し、道子さんに友達の家でクリスマスパーティーのついでに泊まって行くと伝えた。


「私のライブ、観ててくれたんでしょ?」

「うん」


 ちょっとだけだが。


「あ、ライブで着たサンタコス、借りてきたんだー」

「サンタコス?」

「ライブの最後で着てたでしょ?」


 最後というか、途中しか見れなかった俺が知る由もないが、とりあえず俺は頷いておいた。

 桜咲は、隣の部屋に行って、数分後にそのサンタの衣装を身に纏ってきた。

 どこにでもあるサンタの衣装だが、桜咲が着るとマスコット味が増すというか、普通に可愛い。


「どう? メリークリスマース、なんちゃって」

「……か、可愛い」

「えへへ、照れるにゃあ〜、もうっ」


 桜咲はデレデレしながら、俺に頭を擦り付けてくる。

 俺は彼女の髪を撫でながら、最後のミッションのことを思い出した。


「桜咲、ちょっと外に出て、雪を見ないか?」

「え? うん。じゃあわたしはあったかい格好に着替えてくるから先に行ってて」

「分かった」


 俺が最後にすべきこと……。


 俺はポケットの中のアレを確認して、先に外へ出た。


 ✳︎✳︎

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