第27話 母来たる

 何事もなく十日が経過する。アイリーンの消息は掴めず、残りの宝石の情報も掴めない。


 街の内と外では、ケルス聖王国と混沌王国軍が睨み合いを続けていた。

 ハルトは屋敷の庭で新たな力の使い方を模索していた。


 もう一つの体に魂の全てを入れるのではなく、一部だけを入れて動かす。鍛錬の結果は出ていた。ハルトは意識を二つにわけ、同時に二つの体を操れた。


 渋い顔をした島津がやって来る。


「ハルト様。ハルト様の母上を名乗る、スカーレットなる女性が来ています。お会いになられますか?」


 前回、父のレオンが来た時は敵として来たからな。屋敷を預かる島津としては、あまり会わせたくないか。


 だが、スカーレットは闇の者と契約した者である。レオンの時のよりは危険性は薄いと思った。それにスカーレットとは、無に帰る前に一度は話しておきたい。


 親孝行というわけでないが、産んでくれた恩がある。


「父に次いで、母が来ましたか。会いましょう。島津も同席してください。あと、オウラにも同席するように伝えてください」


 島津は真剣な表情で尋ねる。

「今回は忍者を天井や床に潜ませますか?」


「忍者は要らないです。前回、無駄だとわかりました。それに、母が私の知る母だと、被害だけが増えます」


 ハルトは一度、部屋に戻って着替える。面会場所となっている板の間に向かった。


 部屋の襖を開ける。板の間には女性が座っていた。女性はハルトの知る母親のスカーレットそっくりだった。スカーレットは黒髪の女性で肩まで黒い髪を伸ばし、紫のリボンで結んでいる。


 顔は丸顔で、灰色の目はぱっちりと大きい。目の下には濃いめのアイシャドウを引いている。


 スカーレットは紫のローブを着て、隣に鍔の広い紫の三角帽子を置いていた。

 仄かに漂う甘い薬草の香り。全身から滲む闇の者の気配。母さんそのものだな。だけど、父さんの件があったからな、用心は必要か。


 スカーレットの後ろには、刀が届く位置に島津がいる。スカーレットから一mの距離を空けてハルトは座った。


 ハルトの横にはオウラもいるので、暗殺は不可能に思えた。

 スカーレットは気怠い微笑みを浮かべていた。


「ハルト、少し見ない間に、良い男になったわね。ハルトから強い闇の力を感じるわ」


 ここまでは、いつも母さんだ、素っ気なさも、やる気のなさも、昔のままだ。


「しばらく会いませんでしたが、母さんも元気そうで何よりです。それで、今日、訪ねて来たご用件は、何です? 戦争中に来るのだから、大事な用なんでしょう?」


 スカーレットは持っていたバッグの中から布を取り出す。布を開くと、紫色の宝石があった。


「ハルトが捜していると思って、持ってきたわ。王冠に嵌まっていた、呪われた力よ」


 一見すると本物だな。どこで手に入れたんだろう。

「宝石を売りに来たんですか?」


 スカーレットは陰鬱な笑みを浮かべる。

「いいえ、これは、ただで上げるわ。王冠の呪いを解くのに必要でしょう」


 スカーレットは必要な物は言えば、たいてい買ってくれた。だが、誕生日も含めて、自発的にハルトに物を贈ってくれた過去はない。


 母さんからのプレゼント、今まで貰った記憶がないな。

「実の母の言葉を疑うようで恐縮ですが、ただ、とは怪しいですね」


 スカーレットは気を悪くした様子はなかった。


「普通は、疑うわよね。贈り物には何か意味が込められているもの、とね。これは、私の守護者である闇の者の話よ。闇の者は二つに割れたわ」


 闇の者は現在のところ、ハルトを除くと、ごく一部を除いて王冠の呪いを解く動きはない。


 だが、スカーレットの言葉は。ここに来て状況が変化した事態を意味する。

 スカーレットは軽い調子で言葉を続ける。


「王冠の呪いを維持しようとする者と、解かんとする者よ」

 僕と同じく呪いを解かんとする者が出たか。


 だが、目的はちょっと違うんだろうな。僕は呪いを解くまでが目的。他の闇の者は、全能の王冠を戻すのが目的だな。


「全能なる王冠が戻ってくれば、始まりの樹に力が復活します。王冠の再生に加担して、王冠を封印した経緯をなかったことにしたい。都合がいいですね」


 スカーレットは知的な顔で説明する。


「光の神も闇の神も、全能なる王冠の復活を恐れているわ。だから、離反する勢力が出てきているのよ。ケルス聖王国の連中の裏にいる光の神も離反勢力よ」


「光があれば、闇もある。お母さまの後ろにいる闇の神も、全能なる王冠の再生に協力したいのですね」


 スカーレットは機嫌よく語る。

「そうよ。だから、この呪われた力を持ってきたわ」


 母さんが嘘を吐いている素振りはない。これは、貰っても問題なさそうかな。

「わかりました。なら遠慮なくいただきましょう」


 ハルトが手を伸ばし、宝石を受け取る。

 手の中で宝石が溶ける。ぽかぽかとした温かい感覚が、ハルトの体に染み入ってくる。


「間違いない。これぞ呪われた力です。ありがとうございます。これでまた、一歩、僕の願いに近付きました」


 スカーレットは寂しそうな顔をした。滅多に見せない表情だった。


「不思議なものねえ。親としては息子の願いに向かって行くたびに、段々と遠くに行くのがわかる。最後に消えてなくなるのに、見送ろうとしている」


 母さんの願いは母さんの願い。僕の願いは僕の願い。変える気はない。

だが、一応、尋ねる。


「お母さんも、僕が消える展開を止めさせたいと思っているのですか」


 スカーレットは素っ気なく発言する。

「ハルトは男ですもの。行きたい道を行ったらいいわ。子供の行きたい道を見守るのが親ですもの」


 スカーレットはハルトが消える事態に関して悲しみを抱いてはいなかった。

 母さんらしくて、いいや。


「最後に一つ聞きます。お母さんは僕が王冠の呪いを解き、全能なる王冠が現れたら欲しいですか?」


 スカーレットの願いを全能なる王冠に叶えさせる気はなかった。だが、スカーレットにどうしても叶えたい願いがあるのか知りたかった。息子ならではの興味だ。


 スカーレットは冷たく言い放つ。


「要らないわ。全能なる王冠は全能ではない。あれは壮大な舞台装置に過ぎない。脚本家の書いた台本からは逸脱はできない」


 母さんは全能なる王冠について何か知っているのか。気になった。

「どういう意味ですか?」


「消えていくハルトは、知らなくていい話よ」


 指摘されれば母の言う通りだ。だが、脚本家とは始まりの樹を指しているのだろうか。ならば、問題ない。だが、始まりの樹の後ろにまだ何かいるとなると、誰だ。この世界はいったい誰が動かしている。


 気にはなるが、母が教えたくないのであれば、尋ねても答えは得られない。

「教えたくないのであれば、訊かないでおきます」


 スカーレットは立ち上がる。

「用が済んだから長居は無用ね。昔の友人にも会ってきたし、転移魔法で帰るわ」


 スカーレットの昔の友人が気になった。

「お母様の友人が、この迷宮都市に住んでいたとは、初めて聞きましたね。誰です、それは?」


 スカーレットは微笑み、告げる。

「ダリアよ。私の古い友人にして、新しい友人よ」


 ダリアか。僕が前世でミルドラダス王だった時に愛した女性と同じ名だな。偶然かな。


「では、庭までお送りしましょう」

 スカーレットが庭に出て魔法を唱える。


 魔法陣が地面に描かれる。魔法陣から黒い光が立ち上る。

 スカーレットが魔法陣に入ろうとする。大きな剣が現れてスカーレットを襲った。


 スカーレットは咄嗟に後ろに飛ぼうとした。だが間に合わなかった。スカーレットは大きな傷を負った。


 オウラが緊迫した声で叫ぶ。

「ハルト様お気を下され、何かが来ます」


 魔法陣から、身長二mの黒い甲冑を来た戦士が現れる。

 戦士の後ろから、大きな角を生やし、剣を持った灰色の悪魔が二体、現れる。


「曲者だ、出会え、出会え」


 島津が叫ぶと警護の兵が駆けつけて来る。また、魔法陣から灰色の悪魔より一回り小さい赤い悪魔が次々と出て来る。


 屋敷の庭は戦場になった。灰色悪魔は島津とオウラに向かってゆく。

 赤い悪魔は警護の兵と戦う。ハルトの相手は黒い戦士になった。


 ハルトは影を伸ばして攻撃する。

 だが、戦士の大剣はハルトの影をやすやすと斬り割いた。


 戦士がハルトとの距離を詰めてくる。

 呪いの視線を浴びせて相打ちを狙う。だが、視線の力が弾かれるのを感じた。


 こいつは厄介だ。ハルトは呪いの視線を解除した。

 呪われた力を目と脳に集中させる。思考の加速化。


 ハルトの視界にある物の動きが、ゆっくりになる。

 ここで、呪われた力を血に巡らせ、心臓に一気に送り込む。


 心臓を早く動かし、動きも加速させる。ハルトの戦士の一撃を掻い潜る。

 ハルトは腕に力を込めて手刀で戦士の心臓を突こうとした。


 ぶつん、見えない何かがハルトの手首を刎ねた。すかさず、ハルトは距離を取る。

 ハルトは血を自在に操る。血で切断された手を引き寄せる。手首に繋げる。


 戦士もむやみに斬りかかると危険と思ったのか、距離を取った。

 戦士はハルトの回避からの攻撃を予想していなかった。


 ハルトには戦士の見えない攻撃を予想できなかった。

 互いに相手には理解できない攻撃と防御手段があると知った。


 まずいな。見えない攻撃は、呪われた力でガードできない。次に首を狙われたら、対処しきれないぞ。


 戦士も呪われた力を持っていた。それも、ハルトと同等クラスの強い力だった。

 ならば、聖なる力で決着を付ける。


 ハルトは魂の一部を分離させて屋敷の地下に飛ばす。


 屋敷地の地下に眠る、もう一つの体を呼び起こした。ハルトはもう一つの体を庭が見える場所にまで走らせる。


 戦士は剣の構えをゆっくり上段に構えた。戦士は慎重にハルトに迫ってくる。戦士が踏み込んで剣を振る。剣の軌道が見えた。


 避けられると思った。だが、脚に鋭い痛みを感じる。両膝を見えない刃で切断された。


 動きを停められたハルトを大剣が襲う。右拳で剣の刃を思いっきり叩いた。

 刃は軌道を逸れた。だが、脚を失ったハルトは地面に転がる。


 両足を失ったので、次の攻撃は躱せない。戦士が大股で歩み寄る。戦士がハルトに止めを刺そうと剣を振り上げる。


 もう一つの体が視界に戦士を捉えた。戦士の顔にビームを照射する。

 戦士のバイザーが飛んだ。兜の下には髑髏の顔があった。髑髏の双眸をハルトの呪われた視線が捉える。


 直接に目を覗くと、呪われた視線は効果をあげた。

 ハルトに大剣が振り下ろされる。ハルトは大剣の攻撃を甘んじて受ける。ハルトは真っ二つになる。


 戦士は鎧の下で体が真っ二つになったのか、動きを停めた。

 ハルトは魂が冥府に吸い込まれるそうになる。慌てて、もう一つの体の中に魂を退避させる。ハルトは同時に二体の体を操作する利点を理解した。


 両方操っていると、もう片方が死んで冥府に引き込まれそうになっても退避できるんだな。これは便利だ。


 戦場を確認すれば、島津が灰色の悪魔を片付けていた。オウラは魔法陣を消すところだった。赤色悪魔は警備の兵にあらかた討ち取られていた。


 ハルトはまず自分の壊れた体の元に行く。体は脚を斬られ、真っ二つで血だらけと無残なものだった。ハルトは治癒魔法を元の体に掛けると、体は繋がり、再生した。最後に魂を戻す。


 オウラが心配した顔で寄ってくる。

「ご無事でしたか、ハルト様。先ほどの戦いは、ひやりとしましたぞ」


「何とか勝ったよ。それで母さんは?」

 島津がスカーレットの体を抱きかかえ、首を横に振る。


「そうか、死んだか」

 オウラが気を利かせて告げる。


「さっそく、蘇生の準備をします」

「よろしく頼むよ」


 ハルトにはスカーレットが蘇生しない予感があった。

 さようなら、母さん、最期にプレゼントをありがとう。


 三日後、沈んだ顔のオウラが来る。

「申し訳ありません。お母上様の蘇生に失敗しました」


 オウラを責める気は毛頭なかった。

「蘇生に失敗したか。尽力してくれて、ありがとう」


 オウラが頭を下げて尋ねる。

「葬儀などは、いかがされますか?」


「しなくていい。闇の神に身を捧げた母だ。今頃、魂は闇の神の元だろう」

「わかりました。なら、冒険者用の共同墓地に墓碑銘だけ刻んでおきます」


 人は生き、死んで、また戻ってくる。母は、それでいい。母は僕と違うのだから。

 母の死の報告を聞いたその日は、ハルトの気は沈んだ。だが、母との思い出は薄い。


 また、自分本位な母だったので、それほど思い入れはなかった。

 翌日からハルトはまた、無になる日々を思い描く。


 母が亡くなった日の三日後、霜村がオウラと共に報告にやって来る。


「ハルトの旦那。アイリーンなる女性は城にいない。それだけじゃない。コリーンはアイリーンだった可能性がある」


「つまり、コリーンは混沌王と同様に、ずっと若返りを繰り返していたのか」


 オウラが知的な顔で語る。


「いつから若返りを繰り返しているのかは、わかりません。ですが、ここは迷宮都市。若返りの薬など、いくらでも手に入ります」


 霜村が懐から一枚の絵を取り出す。


「顔を覚えられない魔法が掛かっている混沌王の妻だ。だが、どうにか顔を描き写す仕事に成功した。これが、コリーンのお城での顔だ」


 顔には見覚えがあった。顔は若き日のダリアだった。


「コリーンはダリアなのか。城の外では名前を変え、記憶を偽り、コリーンになっていたのか」


 混沌王はエドワードだ。ダリアはエドワードが起こした謀反の最大の協力者。二つに分かれた王冠を両方とも持っていても不思議ではない。


「なるほど、ダリアが混沌王の妻として振舞っていたのなら、王冠の片割れを持っていた経緯は理解できる。だが、果たしてダリアは王冠の片割れを渡してくれるだろうか」


 半分を寄越してくれたので、もう半分も渡してくれるかもしれない。だが、ミルドラダス王を裏切った最大の謀反人なので、最後でまた裏切るかもしれない。


 ダリアよ、ダリア。いったい何を考えて王冠を護る?

 ハルトが考え込んでいると、オウラが澄ました顔で探る。


「先にハルト様が倒された戦士ですが、残っていた記憶の残滓から判明した情報があります。悪魔たちの主は、コリーンを狙っていました」


「悪魔がコリーンを狙う動機があるとすれば、王冠の片割れか。やはり、アイリーンは存在せず、コリーンは若返りを繰り返すダリアなのか」

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