第26話 もう一つの王冠の片割れ

 翌日、霜村とオウラがハルトの部屋にやってきた。

 霜村が芳しくない表情で語る。


「王冠のもう片方が混沌王の妻の中にあるって情報は、以前に報告したよな」

 大事な情報なので覚えていた。


「報告は聞いている。また、混沌王の妻は魔術的な力で守られているとも聞いた。混沌王の妻の顔は覚えられないのだろう? 何か進展があったか?」


「混沌王の城には愛渕が潜入している」

「中々に優秀ですね」


「愛渕からの報告によれば、コリーンなる女性が、混沌王の妻の部屋から出てくるところを目撃したそうだ」


 混沌王の妻が冒険者ギルドの受付見習いと友達とは考えづらい。混沌王にしても、大事な王冠の片割れを持つ妻を、外に遊びに出しはしないだろう。


 混沌王はエドワードだ。エドワードの妻ともなれば昔からいる。

 つまり、コリーンが混沌王の妻の親類縁者の可能性も薄い。


「混沌王の妻とコリーンとは接点がない。気まぐれに、冒険者の話でも聞きたくなった混沌王の妻が、部屋にコリーンを呼んだ。コリーンがたまたま部屋に入った――の状況ではないのか?」


 霜村の表情は渋い。

「状況を簡単に説明する。部屋には混沌王の妻しかいなかった。部屋からコリーンが出て来た。だが、あとの部屋を愛渕が確認すると、部屋には誰もいなかった」


 理屈では混沌王の妻がコリーンになる。


 愛渕は熟練の忍者だ。見逃しはないと思う。だから、霜村もコリーンが混沌王の妻であると疑ったのであろう。


「混沌王の妻が隠し部屋に移動した。あるいは、瞬間移動の魔法で混沌王の妻だけ消えたって状況はないですか?」


 重要な情報なので確認しておく。


「魔術的防御がある部屋なんだ。転移の魔法では外からも内からも入れない。また、愛渕が調べたが、隠し部屋はないそうだ。窓にもきちんと鍵が掛かっていた」


「密室に混沌王の妻が一人でいた。部屋からコリーンが一人だけ出て行って、確認すると、誰もいなかったわけですか。理論的には混沌王の妻がコリーンですね」


 霜村が真剣な顔で報告を続ける。


「コリーンの動向を調べた。すると、奇妙な情報を掴んだ。コリーンは時々、街にある隠し通路から城に出入りしている。これも間違いない」


 正面から城に入るなら、冒険者ギルドの仕事の線もある。隠し通路から行くとなると、少々妙でもあった。


 冒険者ギルドとお城のとの関係を隠す必要は別にない。


「コリーンが忍者か盗賊で、混沌王の密偵として働いている。それで、定期的に城に報告に行っている、とは考えられませんか?」


 霜村が苦い顔で、否定的な意見を述べる。

「コリーンが現場で情報収集に当たっている忍者だとする。報告の度に、一々自分の足で城に行っていたら、間抜けだ。たいがいは情報を運ぶ中継ぎの忍者がいる」


 コリーンには何か秘密があるようだ。だが、本当に混沌王の妻なのだろうか?

 どうも、疑わしい。


「コリーンに、それとなく城に行く事情を聞いてみたらどうです?」


 霜村が困った顔で教えてくれた。

「何人か冒険者に扮した密偵が情報を聞き出そうとした。だが、今のところは無駄に終わっている。コリーンは、あれでなかなかガードが堅い」


 秘密があれば知りたくもなる。だが、どうでもいい秘密の場合もある。

 とはいっても、現状では怪しいなら調べなければならない。


 霜村がやりたくない顔で進言する。

「どうしても、秘密を知りたいなら、もっと手荒い方法も採れる」


「どんな、方法ですか」

「ここにコリーンを攫ってきて、拷問でも魔術でも使って吐かせればいい」


 コリーンを拷問する選択肢は現時点ではなかった。

 コリーンが混沌王の妻なら、簡単には吐かないように何か細工がしてある。


 それに、混沌王にはハルトがまだ王冠の片割れの在り処に気付いていないと思わせたほうが都合はいい。


 王冠の片割れは最後に手にしてもいい。


「コリーンを攫ってくるのは最後の手段です。ですが、調査はしなければなりません。もし、コリーンが混沌王の妻でなければ、最後の最後で、千年財団が追い詰められます」


 オウラが静かに提案する。


「ハルト様、どうでしょう? ハルト様のお力で、アイリーンの中に王冠の気配がないかどうか、確かめられませんか?」


「宝石の力も集まって来ている。王冠が元に戻りたがっているのなら。何か感じるものもあるかもしれない。いいだろう。やってみよう」


 適当に五点の武器を袋に詰めると、霜村と一緒に屋敷を出た。

 霜村は忍者の恰好ではなく、軽装の戦士の恰好をしていた。


 街の中を歩く市中の人の声が聞こえてくる。誰しも戦争を気にしていた。

 みんな将来が不安なんだな。何もせずに不安だ、不安だと愚痴っても、現状は変わらないのに。


 霜村が軽い感じでハルトに尋ねる。

「ハルトの旦那はこの戦争はどっちが勝つと思います?」


 ハルトは正直に心境を語る。

「興味ないな。戦争が終わる前に片が付く。僕は無に帰ります」


 霜村は否定的に感想を口にする。


「王様になりたい、って望みはわかる。だが、俺にはどうも、無に帰る素晴らしさがわからねえ。そんなにいいもんですかね、何もかもなくなるって状況は?」


 何度となく誰からも聞かれる問い。でも、ハルトは意見を変えない。


「他人には理解されない願いだかですね。でも、僕が無になれば、死に損ないのアンデッドたちも恩恵として消えますよ」


 霜村が市中を見渡し、のほほんと語る。

「アンデッドたちは嫌いだ。だが、俺は今のままの世界で充分に良い気がしますね」


 ハルトは軽く冗談を口にした。


「世を照らす者や、ケルス聖王国に寝返らないでくださいよ。霜村が裏切ったら、情報が筒抜けになります」


 霜村がふっと笑う。

「裏切りは絶対にしませんよ。何せ俺は全能なる王冠で国王にしてもらう予定ですからね」


「霜村は国王に、僕は無に、それでいいでしょう。僕は綺麗さっぱりなくなって、苦しみも悲しみもない世界に行きます」


 霜村はやんわりとハルトの意見を否定する。


「ハルトの旦那。こういっちゃ悪いが、ハルトの旦那の感情は現実からの逃げでしょう。世の中は苦しいことも、楽しいこともあるから、面白いんですよ」


 霜村の考えは理解できる。霜村の持論のほうが一般的だ。だが、一般が常に人を幸せにするとは思えない。


「僕が歪な者のせいかもしれない。無へ突き進む以外のことで、世の中を楽しいと思った経験は一度もないよ」


 霜村は軽い調子で諭す。

「どこかにあるかもしれませんよ。友と語らい、恋に花を咲かせ、栄華を楽しむって状況が」


「僕にはないものだし。不要なものですよ。もっとも、他人の楽しみを否定する気は一切ありません。羨む気もありません。ただ、そこにあって無を望むのが、僕です」


 霜村は肩を竦めて、ハルトの説得を諦めた。

「これは、いくら話しても平行線だな」


 冒険者ギルドに到着し、コリーンを探す。

 コリーンは品物鑑定窓口で、アシスタントをやっていた。


 霜村が武器を持って受付に行く。

「ちょいと、こいつを見てくれ」と霜村が鑑定窓口の受付と話す。


 ハルトは霜村と受付職員が話している間に、コリーンに話し掛ける。

「僕の名はハルト。きみ、可愛いね。名前は何て言うの?」


 コリーンは微笑んで告げる。

「名前はコリーンよ。でも、なんぱは間に合っているわ」


「そんな冷たいこと言わないでさあ。このあと、休憩時間に食事でも、どう?」

 ハルトはコリーンの手を取ろうとする。だが、コリーンがさっと躱す。


 ここで霜村が金貨を一枚、カウンターに自然に零した。

 コリーンが金貨を拾をうとした。ハルトも金貨に手を伸ばす。


 ばちっと、静電気に似た痛みが走る。思わずハルトは手を引っ込めた。

 コリーンも手を引っ込める。コリーンが膨れっ面で語る。


「静電気。空気が乾燥してくると、これがあるから、嫌だわ」


 コリーンにも痛みが走ったか。

 静電気に似た痛みには覚えがあった。ハルトを拒絶する聖なる力だ。


 コリーンには、呪われた力を弾く聖なる力が宿っている。

 ハルトは苦笑いして相槌を打つ。


「本当に静電気って、嫌になるよね」

 ハルトはコリーンと距離を取ると、呪いの視線を軽くコリーンに向ける。


 ハルトの目が痛んだ。コリーンの内に宿る力が、ハルトの呪いを拒絶していた。

 コリーンが怒った顔で意見する。


「もう、そんな目で見たって、食事に行きません。私は、これでも忙しいんです」

「御免、悪かったよ。またの機会にするよ」


 ハルトは会話を切り上げた。霜村も鑑定された武器を二点売って金に換える。

 屋敷に戻って、オウラと霜村に報告する。


「コリーンは怪しい。僕の呪われた力を弾いた。あれは光の神の恩恵だろう」


 オウラが澄ました顔で告げる。

「つまり、コリーンが聖なる王冠の片割れを体の内に持っている、と?」


「可能性は高い。だが、もう少し情報が欲しい」


 霜村が冴えない顔で告げる。

「やはり、コリーンを攫うのか?」


「いいや、コリーンは、僕のもう一つの体の持ち主と知り合いだった。コリーンの知り合いの体を使って、情報を引き出す」


 ハルトは聖なる力を使える体に魂を移して、屋敷を出る。

 冒険者ギルドに行って、コリーンに声を懸ける。


「大事な話がある。いつでもいい、時間を取ってほしい」


 コリーンは膨れっ面で拒絶する。

「前に会った時は急に冷たくしておいて、今度は急な話って何よ?」


 はっきりと目に力を入れて語った。

「大事な話、かつ秘密にしたい話だ。この機会を逃すと、お互いが不幸になる」


 コリーンにも決意が伝わったのか、真摯な表情で応じる。

「わかったわ。そこまで言うなら、聞いてあげるわ。夕方まで待って」


「夕方にまた来る」

 夕方より少し前にオウラを連れて、冒険者の酒場に行く。


「オウラには頼みがある。コリーンと会話をした後だ。コリーンの記憶から今日の出来事を封印してほしい。できるか?」


 オウラは澄ました顔で請け負った。

「記憶を消すのではなく、封印するのですか? 少々難しいですが、やってみましょう」


「ならば、頼むよ。重要な仕事だ」

 待っていると、仕事を終えたコリーンがやって来る。


 コリーンが渋い顔で要求する。

「さあ、話してもらいましょうか、大事な話ってやつを」


「まず、場所を替えよう」

 冒険者ギルドの密談部屋を借りる。


 コリーン、オウラ、ハルトだけになる。

 オウラが部屋を調べる。


「盗聴の類は、心配ないです。話を進めてください」


 ハルトはコリーンに打ち明けた。

「前にも教えたが、僕は君の知っているハルトじゃない。この体は借りている」


 コリーンは不信感も露わに訊く。

「ハルトが別人なんて、本当なの? 何か証拠はあるの?」


「証拠を求められても困る。だが、僕は、君が知るハルトなら知っていて当然の情報を知らない。別のハルトだからな」


 コリーンは真剣な顔で頼んだ。

「そんな! なら、ハルトを返して」


 コリーンと体の持ち主のハルトの関係は知らない。

 だが、ここは最大限に利用させてもらう。


 ハルトは身を少し乗り出して提案する。

「この体を返してもいい。だが、条件がある。君の身の上について二、三、質問をしたい」


 コリーンが強張った顔で承諾する。

「いいわ。ハルトを返してくれるなら、答えるわ」


「君は城に出入りしているな? 理由は何だ?」


 コリーンの顔が青ざめる。

「それは、答えられないわ」


 ハルトは席を立つ。

「なら、取引はなしだ」


 コリーンは真剣な顔で引き止めた。


「待って、話すわ。お城にはお母さんが捕まっているの。私が冒険者ギルドから持ち出した情報を持って行かないと、お母さんが殺されるの」


 理解できない話だった。アイリーンが混沌王に捕まる理由がわからない。それに、冒険者ギルドの情報が欲しいなら、もっと優秀な密偵を使えばいい。


「アイリーンが捕まっているだって? 本当か?」

 コリーンはハルトの言葉に驚いた。


「母さんを知っているの?」

「僕はこう見えても少々長く生きている」


 アイリーン、コリーン、混沌王の妻、いったいどこで何が繋がっているんだ?

 だが、現状では、コリーンに良い顔をしておく必要があった。


「ならアイリーンを助けるのに協力しよう。迷宮都市から逃がす手筈も付ける。だから、コリーンも僕に協力してくれ」


 コリーンの顔が強張る。

「何をさせようって言うの?」


「それは、その時が来たら話す。今日はこれぐらいでいい」

 ハルトは握手しようと手を差し出す。


 コリーンは不審感も露わにハルトの手を握る。

 静電気のような抵抗は発生しなかった。代わりに温もりをコリーンから感じる。


 やはり、コリーンの中には、王冠の片割れがあるな。コリーンは現在の混沌王の妻だ。


 コリーンがハルトの手を見て懐かしむ。

「温かくて優しい。本当のハルトの手みたい」


 ハルトはオウラを見る。オウラが起き上がる。

 オウラがコリーンに視線を合わせる。オウラの瞳が怪しく光る。


 コリーンの目が、とろんとなる。

 オウラが何かをごにょごにょと、コリーンに囁く。


 コリーンは立ち上がると、ふらふらと部屋を出て行った。

 ハルトはオウラと一緒に屋敷に戻ると、霜村を呼ぶ。


「霜村、コリーンが今の混沌王の妻と同一人物なのは間違いない」


 霜村はハルトの報告に喜んだ。

「俺の内偵が成功したようだな。それで、これからどうする?」


「コリーンには母親のアイリーンがいる。コリーンの話ではアイリーンが混沌王に人質に取られていると聞いた」


 霜村は思案する。

「なら、コリーンに言うことを聞かせるにはアイリーンを助ける必要があるな。わかった。アイリーンの居場所を探そう」


 オウラが冷静な顔で訊く。

「王冠の片割れの回収はいつにします?」


「コリーンはたいてい冒険者ギルドにいる。だがら、回収は最後でいい。協力も、もう一つのハルトの体を餌に使えば簡単だろう」


「全ての宝石を集めたらコリーンから王冠の片割れをいただく。王冠を完成させて、ダンジョン最下層に行くのですな?」


「そうだ。オウラの言う通りだ。今は残りの力ある宝石の回収に力を入れよう」

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