第21話 開戦
その日は、両陣営で朝から煮炊きをする煙が活発だった。
オウラは緊張した顔で告げる。
「いよいよ戦が始まりますな」
伝令がやって来る。
「二時間後に戦闘を開始します。御準備を」
戦いの準備はできていた。
二時間後、混沌王国もケルス聖王国も四角い方円の陣形を取った。
兵力では混沌王が有利。兵の練度ではケルス聖王国が有利。戦場から少し離れた場所には、緑の王の騎馬隊が縦に長い長蛇の陣形で控えていた。
緑の王は混沌王の部隊の側面か後方より突撃してくる展開は見えていた。けれども、伝令からの事前情報では、緑の王が敵になったとの報告はなかった。
ハルトの部隊は前列のアンデッド部隊の右後ろだった。
中央に配備されれば逃げられない。だが、配置された位置なら右側を通って後退できた。
進軍を命じる魔法弾が上がる。
アンデッド部隊が前進を始める。敵の歩兵も前進を開始した。
歩兵とアンデッド部隊がぶつかり合い、矢と魔法が両軍入り乱れて飛び交う。
アンデッドは朝が弱く、人間は朝に強い。どんどんアンデッド兵たちが蹴散らされていく。
ハルトたちの前に敵の戦士の一団が躍り出てくる。ハルトは伸ばした影で戦士たちを貫きながら戦う。ベルやオウラも魔法で果敢に戦った。
ハルトたち部隊は善戦した。だが、周りの味方が弱かった。
味方の傭兵や混沌王の正規兵はアンデッドよりは強い。されど、練度と士気の高いケルス聖王国の兵士に後れを取る。
ハルトたちは敵に囲まれないように、後退しながら戦う。だが、ハルトたちが下がるより早く他の部隊が負けて行く。戦場で敵に包囲されない対応がやっとだった。
混沌王の陣営に動きがあった。天空に直径二十mの巨大召喚用魔法陣が、いくつも展開される。
だが、召喚による増援を予期していたのか、ケルス聖王国からは白色の魔法が飛び、魔法陣が次々消えていく。
それでも、消されなった魔法陣から龍、巨人、大悪魔が召喚される。
混沌王の軍勢が押し返すかに見えた。
ここで緑の王の騎馬隊が動いた。騎馬隊は混沌王の側面を突くべく、やってきた。
魔術師により槍の壁が生成され、騎馬隊の突撃を阻む。
混沌王の部隊は召喚した重量級モンスターを前面に配備し直す。
敵を攻撃しつつ、側面からの突撃を魔法の壁で防いでいた。
ハルトはオウラとはぐれた。
近くに重量級モンスターが見えるので、前線に近い場所にいると悟った。
どうする? 進むべきか、退くべきか。
合図では、全軍に前に出るように促す花火がしきりに上がっていた。
混沌王には負けてほしい。だが、混沌王が勝った時の展開を考えると、撤退はあまりしたくはない。
もう、何十人と敵は殺した。だが、敵は後から後から押し寄せるように出てくる。
背後に気配を感じた。影で斬ろうとして、千年財団のエンブレムが目に入る。
咄嗟に影での攻撃を中止する。相手はベルだった。
「ハルト様。撤退してください。オウラ様の指示です」
まだ勝敗は付いていないように見えた。だが、オウラの指示なら、従ったほうがいい。
「ベル、僕の襟前に入ってくれ」
ベルは真剣な顔でハルトの襟前に入った。
ハルトは平べったい影になった。
影になったハルトは影から影へとジャンプするように後方に素早く移動する。
味方の部隊を追い越して後方まで撤退する。
人気がなくなったところで、ハルトは姿を現す。
ベルがハルトに飛行の魔法を掛ける。ついで、姿を消す魔法を掛けてから空を飛ぶ。
空を飛んで移動していると、緑の王の騎馬隊の姿が見えた。
緑の王の騎馬隊は槍の壁を迂回していた。騎馬隊は混沌王の部隊の後方を突きに来ていた。
「後方にも槍の壁を展開できれば、騎馬隊は防げる。だが、右側面と後方に壁を出現させれば、空でも飛べないかぎり、逃げるのは難しいな」
「モンスター召喚用の魔法陣をもっと展開できれば、結果は違いました。混沌王の軍勢は力及ばずです」
遠くで大きな光の柱が天から地に向かって立った。
「あれは、何だ?」
「ケルス聖王国の戦争用魔法の審判の柱です」
あれに巻き込まれていたら、ただでは済まなかった。
脱出はちょうどよいタイミングだと、感謝した。
ベルの魔法が続く限り、空を飛ぶ。
夜になり、安心だと思えるところに来たので野宿する。
夜が明けると、金を払い農家から食事を買う。
農夫は不安そうな顔で訊く。
「戦争、どうなったんだい? 負けちまったのかい?」
当然の不安だな。この農家も緑の王の騎馬隊が来たら略奪に遭う。土地があるだけに、すぐに逃げる決断ができないんだろうな。
「最後まで見たわけではないですが、押され気味でした」
わずかだけ希望を滲ませて、詳細は省いた。
不安なら逃げればいい。逃げるのが怖いなら残ればいい。決断するのは農夫の役目だ。
迷宮都市への帰り道、ベルが不安な顔で訊く。
「戦争に負けてしまいましたね。でも、負けて本当によかったのでしょうか。国内は、これで緑の王やケルス聖王国に
ベルは心優しいんだな。だが、優しさは弱さの裏返し。いつも良いほうに転がるとは限らない。
「今からの逆転はないよ。負けるほうに懸けたんだから、後戻りはできない」
ベルと二人の帰り道、ベルが真剣な顔で訊く。
「ハルト様にお尋ねしたい話があります。王冠の呪いが解けた後の話です」
ベルも気になるか、呪われた王冠の行方が。無理もない、
混沌王が再び手にする。ケルス聖王国が手にする。誰かの別人の手に渡る。あるいは、王冠が消えてなくなる。
どのケースを想定するかで世界は変わる。
だが、ハルトには関係ない話だった。
「呪いが解けた時には僕はいない。それでも良ければ聞くよ」
ベルは躊躇いがちに語った。
「全能なる王冠は私が貰ってもいいでしょうか?」
次の全能なる王冠の所有者になりたいのか。
大それた野望とは思わない。誰しも、人を押しのけても、傷付けても欲しいものはある。
ハルトは正直に教えた。
「島津にも伝えたが、僕が居なくなった後の展開に僕は関知できない。欲しければ取りに行っていいよ。取れるかどうか、わからないけど」
ベルは顔を輝かしてハルトの答えを喜ぶ。
「そうですか。貰ってもいいんですね」
ベルが全能な王冠の所有者にはなれないと思っていた。ベルの性格は穏やかで控えめ。どちらも生きていていく上では美徳。だが、全能なる王冠の争奪戦には不向きな性格だった。
「一応、聞くけど何のために欲しいの?」
ベルはちょっぴり悲しそうな顔で語る。
「種族の悲願です。私たちは体が小さく、力も弱い。そのため、苦しい思いを何度もしました」
全能なる王冠の力を使えば、種族自体の能力の底上げも可能。だが、ハルトは良い気がしなかった。
もっと自分の願いのために、全能なる王冠は使うべきだ。他人のためになんて、使うべきじゃない。
ハルトはベルの願いを
本心を偽り、穏やかな口調で尋ねる。
「ベルの主張はわかるよ。種族をもっと強くしたいんだね?」
「そうです。もう、何があっても泣かないほどに、妖精族を強くしたい」
ベルの願いはますます叶わないだろうと思った。ベルの望む強さは、力とか魔力の問題ではない。
力も魔力も、この残酷な世界ではある段階を過ぎると通用しない。より強い敵に遭った時に、ポキリと折れる。だが、ベルにはわかっていない。
力や魔力を超えた強さは、信念や理想に宿る。他人に信念を持たせたり、理想を持たせたりするには、自分がより強くなければならない。
人を導く実力も覚悟もベルにはない。
「叶うといいね――としか言えないけど。競争は厳しいよ」
当たり障りのない優しい言葉を懸ける。
ハルトはベルに幻滅した。だが、どうでもよかった。要はベルが王冠の呪いを解くとこまで役に立てばいいのだ。その後は知らない。
ベルは元気よく発言した。
「種族の願いを私は叶えます。私がやり遂げるんです」
迷宮都市の門は開いていた。門から中に入る。
街の空気は不安に満ちていた。だが、慌てると危険だと、誰もが思っているような雰囲気だった。
「ハルト様、予想したより静かですね」
「慌てて逃げ出すほうが危険だと、わかっているんだろう」
市民は迷宮都市に財産を持つ者だ。逃げ出そうにも、財産が惜しくて逃げ出せない。だが、危険時に金を捨てられない奴から死んで行くのも、また戦争だ。
屋敷に戻ると、島津が出迎えてくれた。
島津が渋面を浮かべて訊く。
「お帰りなさいませ、ハルト様。して、戦はどうなりました?」
「最後まで見ませんでした。ですが、混沌王の敗北が濃厚です。オウラや霜村はどうしています? 帰ってきましたか?」
他の幹部たちの安否が気になった。
島津はあまり心配していなかった。
「いいえ、まだ、お戻りになっておりません。オウラ殿や霜村なら、大丈夫かと思われます」
霜村は大丈夫そうだ。だが、オウラが無事かどうかが、気になった。
オウラは千年財団の一切を取り仕切っていた。ここでオウラを失うのは痛い。オウラがいなければ詰めを誤る可能性があった。
ばたばたと騒いでも、皆に迷惑になる。ハルトはとりあえず風呂に入り休む。
翌朝、朝食が終わるとオウラが姿を現した。オウラは元気だった。
「ハルト様がご無事で、何より。このオウラ、安堵しました」
オウラが遅くなったのは、何か理由があるのだと思った。
手ぶらでオウラが戦場から帰って来るわけがない。
「遅かったようだが、危険を冒した分の収穫は何かあったのか」
オウラは澄ました顔で告げる。
「できるだけ長く戦を見たかったゆえに、時間が掛かりました」
オウラが帰ってきたので、負けは確実だと思った。だが、大事な情報なので確認しておく。
「混沌王の軍勢の背後から緑の王の騎馬隊が迫るところまでは見た。混沌王が負けたと推察するが、どうだった?」
「混沌王の軍勢は槍の壁を背後に出現させて、騎馬隊の攻撃を防ぎました。ですが、ここで、ケルン聖王国の戦争魔法の審判の柱が炸裂しました」
「かなり強力な魔法だったな」
威力は遠目に確認しだけだが、審判の柱で多くの人間が亡くなったと予想ができた。
オウラは静かに見てきた様を語る。
「混沌王も事前に予想していたのでしょう。ですが、強力な召喚魔術と長大な槍の壁を築いたせいで、混沌王の軍勢には魔力が不足していました。審判の柱で混沌王の軍勢は瓦解しました」
混沌王は負けた。ハルトにとっては都合がよかった。
オウラの希望していた通りの展開だ。流れは僕に来ているのか。
安堵するのは早いかな。ここからは、混沌王が負けすぎるとまた問題だ。ケルン聖王国に僕の望まない形とやらで呪いを解かれても困る。
「それで、血は充分に流れたのか。戦の勝ち負けより、流れた血のほうが大事だ。ダンジョン最下層の封印が解けないと、意味がないぞ」
オウラは畏まって答える。
「後で人をやって調べないといけません。ですが、充分に血は流れたと思います」
順調か。でも「順調な時ほど人は落とし穴に落ちる」のダンジョンの諺もある。
「混沌王が負けた。血も流れた。流れはこちらにある。だが、気になるのは世を照らす者の動きだ」
「注意を払いましょう。戦争で手薄になった隙に、迷宮都市に入り込んでいるでしょうからな」
街に出る。敗残兵が次々と迷宮都市に帰って来る光景が見えた。
兵は疲れ、傷ついていた。街の寺院は賑わう。
寺院は兵士の傷を手当していた。だが、追いつかない状況だった。
冒険者ギルドに行く。一旗揚げようと思って出て行った冒険者は多かった。
半分は帰らぬ人となり、半分は傷付き帰ってきていた。
冒険者が口々に険しい顔で噂する。
「ケルス聖王国がここまで強いとは、思わなかった」
緑の王の介入があったとはいえ、ケルス聖王国の練度も士気も高かった。戦争に参加したハルトだからわかった。
単なる歩兵でも昨日まで百姓だった連中とは思えなかった。
商店を見て歩く。買い占めによる品切れは、なかった。されど、どれもこれも品物は値上がりしていた。とくに、食料品や飲料、医薬品の値上がりが大きかった。
混沌王国には、まだ正規兵十万が残っていた。徴発すれば、さらにもう十万人は集まる。
だが、総勢二十万人といっても、広い混沌王国の各地に散らばっている。これを編制し、迷宮都市に送るには、当然に時間が掛かる。
では、ケルス聖王国が有利かといえば、そうとも判断できない。迷宮都市には三重の城壁がある。この三重の城壁は、戦争で破られた過去は一度もなかった。
敗残兵に守備隊を入れば充分に守れる規模だった。時間が経てば援軍がやってくる。
援軍が来れば、ケルス聖王国を打ち破れる可能性は十分にあった。
だが、ここで不穏な噂が流れる。
ケルス聖王国が混沌王国を取り囲む諸国と同盟を結んだ。
混沌王国の新興貴族に蜂起の陰がある。
時は正に戦国時代に突入するのではないか、と噂された。
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