第7話 憤怒王
転移門から出ると、灰色の石畳の部屋だった。部屋からは四方に通路が伸びている。
部屋と通路の天井には薄ぼんやりと魔法の明かりが灯っていた。暗くはない。
ハルトとオウラは真の暗闇でもなければ見通せる。少々暗くても問題はなかった。
「憤怒の石室か。怒りに囚われた人間は石になり、壁に閉じ込められるエリアだったな」
オウラが理知的な顔で説明する。
「怒りは恐怖と対で生物に備わった基本的な感情。消すのは容易ではありません。もっとも、このエリアでは憤怒と呼べるほどの怒りではないと、反応しませんが」
ハルトは人間ではない。だが、感情は備わっている。
憤怒か。果たして、そこまで強い感情を僕は抱いた過去があるだろうか。
「過去にない」と「これからもない」は別の話。ハルトは気を引き締める
「人の感情を操ろうとした時、怒らせるのが最も簡単。用心に越したことはないな」
オウラも同意する。
「さようでございます。人を怒らせる術は、憤怒の石室の支配者も、よく知っているでしょう。では、スワンの捜索を開始しましょう」
オウラが魔法を唱えた。オウラが自信のある顔で告げる。
「こちらから、それらしき反応があります。通路の南側ですな」
「南か。愛渕が死んでいたのは北。前回と逆方向だな」
オウラを従えて、石の通路を歩き出す。
通路の途中から空気に赤い煙が混じっていた。通路の北側にはない仕掛けだった。
「これは、毒の空気か?」
毒でも問題なかった。ハルトはほとんどの毒に耐性がある。
マンティコアであるオウラも毒に強かった。
僕らには問題ない罠に見える。でも、果たして本当に問題ないのだろうか。
ダンジョンでの慢心は容易に死を招く。使い古された冒険者の諺が頭を過ぎった。
オウラが魔法を唱える。
「人間の感情を高ぶらせる働きがある毒ガスです。おそらく、入り込んだ人間を怒り易くさせるための仕掛けでしょう。見え透いた仕掛けを」
「罠はわかる。だが、こうもわかり易い仕掛けを、するだろうか? 冒険者の店には防毒マスクも売っているぞ」
「さて、支配者が何を考えているやら。どうしますか、ハルト様? 防毒マスクを買いに戻りますか」
オウラの言葉に軽い苛立ちを覚える。されど、思い直す。
毒ガスの影響かな? なら、毒ガスはけっこう強力かもしれない。
「オウラさえ何ともないなら、進もう」
口にしてから、思う。今の言葉は少々、当てつけがましい。
オウラはそのまま赤い空気が漂う空間にすたすたと歩いて行った。
憎らしい奴だと、軽く思いつつも、後を
そのあと、狂暴化した大きな豹や、動く人肉植物と戦闘した。
迷宮に囚われて襲ってくる冒険者や盗賊はいなかった。
前回も来た時もそうだったが、人間は配備されていないんだな。
ハルトが出るまでもなく、オウラの魔法で簡単に片が付いた。
四つの部屋を通り過ぎる。五つ目の部屋は五十㎡と割と小さい部屋だった。
ただ、部屋の出入口以外は鏡張りで、地面に拭き取られた血痕があった。
部屋に入ると、鍵が掛かる。鏡が不気味な色を放ち始めた。
ハルトは鏡からモンスターの出現を予期した。だが、モンスターは現れない。
次に罠が飛んで来るのかと用心した。でも、何も飛んでこない。床も抜けない。
少しすると、キーンの音がする。されど、異変は何も感じない。
ただ、オウラを見ると、オウラは苦しそうだった。
何かが起きている。このままでは、オウラが怒りに囚われ襲ってくる。
ハルトはオウラの頭に手を置き、声を掛ける。
「大丈夫だよ。僕が従いている。何も恐れることはないんだよ」
オウラに呪いの力を流し込む。絶対支配の呪い。
使用者に絶対の忠誠を誓わせる。反抗をすれば死ぬほどの苦痛を与える呪いだった。
オウラの顔が苦痛に歪んだ。
やはり、オウラの心の中に僕に対する怒りが浮かんでいたか。オウラはこの鏡の部屋のわけのわからない力に囚われている。
軽くその場で足踏みをする。
ハルトから黒い影が広まり、部屋全体を満たしていく。
ハルトの影に覆われた部屋は真っ暗になった。
暗闇の中でオウラに尋ねる。
「どうだい、オウラ? これで、少しは落ち着いたかい?」
オウラの苦し気な声が聞こえる。
「お手を煩わせて申し訳ありません。このオウラ、少々毒ガスを吸ったといえ、ハルト様に対して怒りを抱いてしまいました」
ハルトは別に気にしない。この世に生まれた者で怒りを知らない者は少ない。
「いいんだよ。オウラ。オウラが教えてくれただろう、怒りは生物に備わった基本的な感情だと。僕はオウラの怒りを許そう。それに、オウラは僕の家族だ」
「もったいなきお言葉です、ハルト様」
ハルトが影を引っ込めた時には、鏡の発光は止んでいた。耳ざわりな音も消えていた。
オウラが疲れた顔で部屋をうろうろする。オウラは部屋の隅で立ち止まった。
「この床の下に、隠し扉がございます。おそらく、階下に通じるダスト・シュートでしょう。スワンはゴミ捨て場にいます」
「ゴミ捨て場か。あまりよい場所じゃないな」
汚い場所が嫌いとの理由もある。だが、問題は別の点にあった。
スワンが死んで灰になって、他人の灰と混ざっていた場合だ。
灰のより分けは、ほぼ不可能である。
混合した灰を蘇生に掛ける。すると、蘇生可能な分量がある灰から一人ずつ蘇生する。
そうなると、何人目でスワンが蘇生するかわからない。
最悪、十数人が蘇生したが、スワンだけ失敗する事態が有り得た。
「黄金の夢を見たと思ったら、とんだ、
オウラがしたり顔で説教する。
「宝籤は外れがあるから、当選金額が高額なのです。外れない宝籤は、宝籤ではありません」
「そういう考えもあるか。なら、当選発表を見に行こう」
部屋の隅のダスト・シュートを開ける。下までは五m。
階下にはゴミはなく、簡単に降りられそうだった。
下に降りる。上と同じく五十㎡の石室だった。扉は四方向にある。
扉の上にはそれぞれプレートがある。
『コレクション』『お気に入り』『焼却施設』『ゴミ』とあった。
オウラが部屋の中央でくるくると回る。
「スワンの気配ですが、『お気に入り』の扉の向こうですな」
「ゴミに分類されているのも嫌だけど、支配者のお気に入りも面倒だな。戦闘があるかもしれない」
「では、諦めて帰りますか?」
「いいや、スワンを回収しがてら、挨拶もしておこう」
『お気に入り』のプレートが掛かっている扉には、鍵が掛かっていた。
オウラが開錠の魔法を試みる。だが開かなった。
「残念ながら特殊な鍵が必要なですな」
「どれ、貸して見ろ。僕が開ける」
ハルトは扉の前に立つ。影を伸ばして鍵穴に差し入れる。
鍵穴の中のシリンダーをガチャガチャと触る。
すると、シリンダーが内部で勝手に動いて揃った。
がちゃんと開いた音がする。
オウラは畏まって褒める。
「お見事ですな、ハルト様。ハルト様には盗賊の才能がありますね」
「いいや、この鍵は自ら開いた。どうやら、ここの支配者は、お気に入りを自慢したいらしい。それとも、僕もお気に入りに加えるつもりかもしれないな」
オウラが軽口を叩く。
「お目が高い――と評価して、よろしいのでしょうか?」
「よくないよ。僕は誰のものでもない。誰のものにもならない。孤独を気取っているだけの、誰にも相手にされない哀れな道化さ」
ハルトは扉を開く。
中は直方体の部屋だった。部屋の高さは十m、横二十五m、縦が十五m。
部屋の奥には高さが八m、直径八mの灰の山があった。
ハルトとオウラが部屋に入る。灰の山は頭の大きな赤ん坊の姿をとった。
赤ん坊の体からは灰になった人間がキノコのように生えていた。
赤ん坊が子供の声で話す。
「僕は憤怒王。お前がハルトだな。不穏の沼の焦燥王やロード・キャメロンが騒いでいたぞ。面白い奴が迷宮都市に現れた、ってな」
ハルトは敏感に憤怒王以外の存在の視線に気付いた。
ここの空間に最低でも、もう一人いるな。だが、姿は見えない。
ハルトは視線にあえて気付かない振りをした。
「名を覚えてもらって、光栄です。質問が二つあります。一つ目の質問です。スワンはどこです?」
憤怒王は踏ん反り返って答える。
「そんな男の名は知らないぞ。知っていても教えないぞ」
「では、もう一つ。呪われた王冠はどこにあるんです?」
「呪われた王冠なんて存在しない。それより僕と遊べ」
憤怒王は巨体を揺らして近づいてきた、
オウラが刃の嵐で、ハルトがエネルギー球体で攻撃する。
見えない刃が憤怒王を切り裂く。エネルギー球体が憤怒王の頭を吹き飛ばす。
だが、憤怒王は灰の塊。攻撃を受けた傍から元に戻っていく。
ゆっくりと歩みを進めながら、憤怒王は余裕の表情で語る。
「無駄だぞ。僕には魔法も武器も効かない。この灰の体は無敵だ」
オウラが走り込んで、爪の一撃を浴びせる。
だが、体の一部が欠けただけ。欠けた憤怒王の体は、すぐに再生する。
この手の怪物は、体のどこかに核がありそうなものだけど。
憤怒王が笑う。
「どこかに弱点があると考えるだろう。無駄だぞ。そんなものはない」
オウラが竜巻の魔法を唱えた。鋭い鎌鼬を伴う竜巻が発生する。
灰は部屋中にばらばらになった。だが、核らしき物体は見当たらなかった。
映像を逆再生したように、憤怒王の体は元に戻る。笑って叫ぶ。
「憤怒の心に囚われろ。怒りに身を焼かれて、石の壁になるがいい」
憤怒王は濃密な赤いガスを吐いた。ものの十秒で視界が真っ赤になる。
巨体での肉弾戦なしで、いきなり毒ガス攻撃?
疑問に思った。とはいっても、あまり考えている時間はなさそうだった。
オウラの唸り越えが聞こえてきた。空を切ってオウラが飛び掛かってきた。
怒りに燃えるオウラの目が見える。オウラの顎を掴んで引き離そうとする。
だが、オウラの力は強く、段々牙が迫ってくる
麻痺の力を顎に撃ち込んだ。されど、オウラは止まらない。
オウラごときが、素で僕の力に抵抗できるわけがない。これは、幻術の一種か。
腹を蹴り上げてオウラを投げ飛ばす。
いや、違う。単純な幻術ではない。
ハルトはオウラを殺すかどうか迷った。迷いが隙になる。
立ち上がったが、オウラによる首筋への一撃を許した。
オウラはさらに尻尾の毒針で、何度もハルトを突いた。
首が半ば千切れそうになりながら、ハルトはオウラを抱きしめた。
抱擁からの、呪いの力。ばきばきとオウラの全身の骨が折れた。
オウラは痙攣して床に横たわっていた。
ハルトは捥げかかった首を左手で押さえる。
憤怒王の笑い声が、わんわんと右の耳の傍で響く。
「ははは、やった。やったぞ。君は家族と呼んだオウラを殺した。いや、違う。ハルトは最初から、オウラを家族とは思っちゃいなかったんだ。オウラはハルトのペットだったんだ」
なぜだか、怒りが浮かばなかった。ハルトは冷めていた。
憤怒王は間違った内容を指摘している。オウラはペットではない。間違いなく家族だ。
だが、ハルトは家族である兄にも、父にも、母にも、親愛の情を持っていなかった。
家族の形は色々ある。温もりのない家族の形が、ハルトの心を憤怒から守った。
皮肉。愛がないゆえに、怒りが生じない。情がないゆえに、理解した憤怒王の正体。
ハルトは空いている右手から影を伸ばす。音のした右耳の鼓膜を、ぶち抜いた。
がはっと、憤怒王の苦し気な呻きが聞こえた。
憤怒王は狼狽えて尋ねる。憤怒王の言葉が直接に脳内に響いた。
「なぜだ? なぜ、僕の正体がわかった?」
憤怒王には、やはり核が存在した。だが、それは小さく砂粒四粒ほどの大きさ。
憤怒王は自らの小さい体を分散して部屋のどこかに隠していた。
ハルトが感じた憤怒王以外の視線。あれこそが本物の憤怒王の視線だった。
憤怒王は大きな部屋に隠れる砂粒。ゆえに、通常の方法では攻撃を浴びる状況にはない。
「あの馬鹿でかい体で肉弾戦を挑んでこなかったから、変だと思いました。また、用心深いわりに傲慢なところがあったでしょう。そんな小さな奴がどこに潜むか考えただけですよ」
攻撃時に、小さな憤怒王は相手の耳の内側に張り付き安全を確保する。
同時に耳から脳への魔法の信号を撃ち込む。
そうやって、憤怒王は対象の精神に怒りを呼び起こし、操作する。
怒りに駆られた冒険者は同士討ちして仲間を殺す。
最後に残った冒険者は憤怒王を恨む。
憤怒の心に駆られた冒険者は、迷宮の力により石になる。
これが憤怒王の戦い方だった。
憤怒王は悔しさや滲ませて語る。
「まあいい。今回は僕の負けだ。僕は殺されても復活する。呪われた王冠がある限りね。僕たちは不滅だ」
憤怒王の声は気配と共に消えた。
何だ。やはり、あるんだな、この迷宮都市のどこかに、呪われた王冠が。
ハルトは小さな収穫を得た。
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