第2話 神様は何もしてくれない

 迷宮都市には運命神を祭る寺院がある。

 運命神はこの大陸ではマイナーな神様だ。だが、迷宮都市では一番寺院が大きかった。


 寺院は旧市街にあるものの、十万㎡と貴族の屋敷並みに広い。

 寺院の入口には、文字が書いてある。


『不運を嘆く全ての者よ、嘆くなかれ。不運こそは幸運の入口なり。幸運を有難がる全ての者よ、用心せよ。幸運は不運の入口なり』


 ユウトは寺院の受付に行く。

 寺院の受付には灰色の神官服を着た若い僧侶がいた。


 僧侶はオウラを一瞥するが、別に嫌な顔をしなかった。


 もう、魔獣を気にしていては仕事にならないところまで街の変化は来ている、か。

僧侶は澄ました顔で、事務的に告げる。


「治療ですか? それとも呪いを解きに来ましたか? または、鑑定ですか? 寄付はここでも受け付けております。ですが、埋葬と礼拝は別の窓口になります」


「用件は簡単です。呪いを解いて商売をしたい。その場合、いくらか寺院に納める必要は、ありますか?」


 僧侶はつんとした顔で教えてくれた。


「当寺院では正式には冒険者による解呪を認めておりません。ただ、規制しても取り締まりようがないので、野放し状態です」


「つまり、解呪に失敗して呪われたとします。呪われたら正規の料金を払って呪いを解くしかないんですね」


「そうです、と教えたい。ですが、解呪に失敗して呪われた場合でも、非正規で呪いを解こうとする人が多い。結果、どうにもならないほどひどくなってから来る人もいます」


「わかりました。ありがとう。これは些少ですが、寄付です」

 ハルトは金貨を一枚、渡した。僧侶が寄付を記帳する間に尋ねる。


「ところで、呪われた王冠についての情報が欲しいんです。どこに行ったら手に入りますかね?」


 僧侶はにこやかな顔で告げる。


「呪われた王冠? あれは御伽噺ですよ。魔術師ギルドも存在を否定しています。私たちの教義からも外れる。どうしてもお探しなら、吟遊詩人にでも訊いてください」


 やはり存在を否定するか。

 呪われた王冠は手にする者に栄光をもたらす。効果は複数の国を統べる覇王になる願いすら叶えてくれる、と伝えられるマジック・アイテムだった。


 だが、本物を見た人間はいない。

 ハルトは街の入口にある転移門の付近に行く。


 転移門付近にはパーティを組まない冒険者がたむろしていた。

 転移門から帰って来る冒険者を見るたびに、若い冒険者がパーティに声を懸ける。


「治療ありますよ。安くしておきますよ」

「鑑定するよ。現物での支払いOKですよ」

「呪いを解くよ。寺院の半額だよ」


 見れば、若い冒険者は売り込むのに必死だった。

 だが、年配の冒険者たちは遠巻きに見ているだけで、声掛けに参加していなかった。


 帰ってきた冒険者を観察する。

 年配の冒険者は、声掛けをしなくても、客が来ていた。


 なるほど、世の中はよくできている。若い冒険者は金がない。だから、技を安売りする若い冒険者に仕事を依頼する。ベテラン勢は金がある。だから、少し高くても腕の立つ冒険者の客になっているわけか。


 オウラがハルトをにやにやしながら見ていた。

 オウラの奴、僕がどっちに行くか知りたがっているな。


 転移門から十六くらいの若い女性冒険者が姿を現した。

 若い冒険者が客引きとして声を懸けしようとした。


 だが、逆に若い女性冒険者が声を張り上げる。

「誰か出張をお願い。仲間がアンデッドになりかけているの」


 女性冒険者が声を張り上げると、若い冒険者の声が止んだ。

 女性冒険者は声を振り、絞りすがる。


「お願いです。誰か助けてください」

 だが、誰も名乗りを上げようとしなかった。


 アンデッド化も呪いの一種だった。だが、完全にアンデッドになった人間は通常の手段では救えない。


 一般的にできる方策は、鎮魂の祈りで天国へ送るだけ。鎮魂で昇天した魂は、もう戻らない。それゆえ、アンデッド化の向こうには確実な死があるだけだった。


 オウラがこっそり耳打ちする。

「ハルト様、あの女性から金木犀の香りがします」


 ダンジョンに潜る冒険者は香水を付けない。付けるとすれば事情がある。

 ハルトには事情が分かっていた。


 アンデッド化しつつあるのは、あの女性冒険者のほうだな。

 人間の意識を残したまま徐々にアンデッド化していく呪いが、この世に存在する。


 女性冒険者はすでに高位アンデッドの手に掛かって死んでいる。女性冒険者は嘘の記憶を植え付けられており、必死なのだ。


 残酷な手段を採る者がいたものだな。

 ハルトは冷静だった。また、女性を助ける気もなかった。ハルトのような考え方を悪とするなら、ハルトは悪でよかった。


 この世は無慈悲に溢れている。力なき者が死んで行くのが世の中で、全てを助けるなぞ神でも不可能なのだ。だから、寺院は金銭と徳で線引きして救う人を決めている。


「僕でよければ力になりましょう」

 助ける気はない。だが、女性冒険者を生きる屍に変えた存在には用があった。


 ハルトは静かに思う。女性冒険者を使って愚かな善人を釣り上げんとするのは自由だ。だが、時に釣竿に舟よりでかい魚が掛かり舟が沈む事態も、ままあると知れ。


女性冒険者は必死の形相で頼む。

「ありがとう。お願い、私と来て」


 女性冒険者はハルトの持っている技能も職業も確認しなかった。

 また、明らかに初心者用の刺繍があるローブを着ている状況にも無頓着だった。


 ああ、これは完全に黒だな、とハルトは悟った。

 女性は半ばハルトの手を強引に引くと、転移門を潜った。


 出た先は高さが八m、広さが千㎡はある薄暗い大広間だった。

 女性冒険者が希望のこもった声で叫ぶ。


「みんな、助けを連れて来たわよ」

 女性冒険者の声に反応して、奥から三十以上の人影が現れる。


 全員が冒険者の恰好をしていた。

 だが、肌は青白く、体は痩せている。目は赤く爛々と輝いていた。


 オウラが後からやってきて冷静に告げる。


「レッサー・バンパイアが三十五ですな。これは、私が対処するなら、骨が折れますな」


「いいよ。僕がやるよ」

 レッサー・バンパイアたちが、ゆっくりと歩いてくる。


 女性冒険者がハルトの手を引く。

「早く、早く、仲間を助けてよ」


 女性冒険者の首筋には歯型があった。女性冒険者の目も今は爛々と赤い。

 ハルトは片手で女性冒険者を目隠しする。


 どさり、女性冒険者が倒れて痙攣して動かなくなった。

 オウラは飛び上がり、ハルトから距離を取った。


 レッサー・バンパイアたちが一斉に魔法攻撃をする。三十五の炎の玉が飛んできた。


 ハルトは火に包まれた。身を焼くような熱さ。だが、ハルトは火に焼かれない。

 ローブも焼けない。ハルトは火に包まれながら前進する。


 レッサー・バンパイアが長い爪を伸ばして引き裂きに来る。

 また、あるレッサー・バンパイアは噛み付きにくる。


 だが、ハルトには傷一つ付けられない。

 ハルトがレッサー・バンパイアを掴む。レッサー・バンパイアは途端に灰になる。


 飛び掛かってくるレッサー・バンパイアを次々と掴む。

 レッサ―・バンパイアは、炎に飛び込む羽虫のように次々と灰になっていった。


 三十五体のレッサーバンパイアがいたが、三分かからずに灰になった。

 部屋の奥から拍手が聞こえてきた。


 視線を向ければ、黒いドレスを着た、長い金髪の女性が立っていた。

 女性の目は赤いが、白い肌には艶がある。女性は気品に満ちていた。


 レッサー・バンパイアたちを作り出した。バンパイア・ロードだった。

 バンパイア・ロードは微笑み、名乗った。


「私の名はキャメロン・アイビス。仲間は私をロード・キャメロンと呼ぶわ。手荒な歓迎をして、御免なさない」


「僕はハルト・クロウ。後ろにいるのがオウラ。歓迎してくれるなら嬉しい。聞きたい情報があります」


 キャメロンは気怠い調子で、つまらなさそうに訊く。


「ここで、何人の冒険者が亡くなったのか、とか、つまらない内容は訊かないでね。そんな面白くもない情報は覚えていないから」


「迷宮都市のどこに、呪われた王冠があるんですか?」


 キャメロンは悠然とした態度で答える。

「そんなもの、ないわ。あれは御伽噺よ」


「残念だが、呪われた王冠は存在します。僕がこの世に存在することが証明です」


 キャメロンの表情が曇る。


「まさか、ハルトは歪な者なの。だとしたら、おかしいわ。ハルトはこっち側の存在のはず」


 また、つまらない観念論か。

 ハルトは飽き飽きしながら怒った。


「こっちとか、どっちとか、そんな些事はどうでもいいんですよ」


 キャメロンが扇を出して口許を隠す。


「些事、ハルトにとって些事。でも、私たちには重要な話よ。でも、これで、冒険者で遊ぶしかなかった退屈なお茶会の催し物に花が咲くわ。退屈、何よりも私が嫌いな言葉」


 キャメロンの姿が真黒になって靄のように消えた。


「今日はこの辺でお別れよ。仲間たちに知らせないと、面白い玩具ができた、ってね」


 ハルトはキャメロンを追わなかった。

 キャメロンには伝えてもらわなければならない。


 迷宮都市に住む実力者たちにハルトの存在を。

 キャメロンがいなくなると部屋に転移門が現れた。


 転移門を潜ると街の入口だった。

 若い冒険者が、おっかなびっくり声を掛けてくる。


「なあ、どうだった。あの子の仲間は救えたのか?」

「なぜ、そんな情報を聞きたがるんです?」


 若い冒険者は驚いた。


「あんた、知らないのか? 最近、救援要請を受けた冒険者が何人も消えているんだぜ」


 ああ、それで、誰も名乗りを上げなかったのか。


「でも、僕は帰ってきましたよ。まあ、強いて言えば、神様は何もしてくれない、ですかね」


 ハルトはそれだけ教えると、オウラとダンジョンの入り口を後にした。

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