5%の後悔

荒瀬 悠人

第1話

「知ってるか?ジントニックで、バーテンの腕は試されるんだよ」

 どこで覚えたのか、彼は今日もそう言ってジントニックを美味しそうに飲んでいる。


 ここのBARは古いビルの最上階にあり、店内はカウンターのみの作りとなっていて、10人ほどで満席になってしまう。隠れ家的な雰囲気もあり、店の窓から街を見渡せるのもこの場所ならではの贅沢だ。

 バーテンダーの腕も確かで、安い値段で客のオーダーに合わせたカクテルを提供してくれる。

 彼がこのBARに私を連れてきて、早三年になる。

 私たちは学生の頃からとても仲が良かった。

 彼は女遊びが激しく、いつも違う女性を連れて歩いていて、それを見る度に私の心は苦しくなった。

 ただこの街で無邪気に羽ばたく楽しそうな彼を、私のか細い手で引き止める事なんて出来なかった。

 このBARで酔い潰れるまで飲む彼の夢の中に、私の残り香だけでも漂わせることが出来れば、それでよかった。


 最初は大学在学中に訪れていた私たちも卒業し、社会人として忙しい毎日を送っているが、たまに彼から呼び出され、このBARで一緒に飲んでいる。

 彼は今日も少し古びたテーラードジャケットを羽織って、最近の出来事を大袈裟な素振りで面白おかしく話しながらジントニックをぐいぐいと呑んだ。

 ゆっくり一口一口味わって飲む私とではペースも飲む物も全然違う。

 実は彼の好きなジントニックも私はあまり好きではない。飲んだ後に残る甘さがそこまで好きになれない。モヒートの方が私好みだ。


 今日も楽しく飲んでいると、彼は不意に前髪をばさばさと掻いた後、目を細め、微笑みながら私を見た。

 どうしよう。この人、かなり酔っ払ってきてる。この仕草が彼が酔っ払った時の合図だ。

 目を細めて私を見る仕草に色気を感じて、耳まで熱くなる。彼を直視することが出来ない。

 私はごまかす様に、頼んだばかりのグラスホッパーを眺めた。

「なあ、お前さ、今彼氏とかいんの?」

「いないよ、うるさいなあ」

 「30歳まで独身だったら、俺が結婚してやる」

 不意をつかれ、動くことが出来なかった。酔っ払っていても嬉しかったから。


「ちょっと化粧治してくるね」

 そう言って私は逃げるように、その場を後にした。

 分かってる、彼の冗談だって。それでもこの溢れる気持ちを止めることが出来なかった。

 ねぇ、知ってる?髪を切ったことに気付いてもらえる事がどれほど幸せか。

 あなたが褒めてくれた事が嬉しくて、このブレスレットを会う度にいつも身につけてきていること。

 そして私が溺れてしまうくらい、あなたの事が好きだってことを。

 酔った勢いでもいい、もしもあなたがいつも遊んでいる女性たちのように、私を抱いてくれたなら、私の体は淫らな音をたてて、崩れ落ちてしまえる。

 だけどあなたは私に触れることすらしなかった。

 さっきの冗談も、明日になればあなたは忘れてるでしょう。

 私の想いが届かなくとも、この言葉さえあれば生きていけると思った。


 数年後、私は別の男性と婚約が決まり、彼からBARに呼び出された。

 あの日以来、私は彼を避けるようになっていた。何かと託けて彼からの誘いを断っていたので、一緒に飲むのは本当に久しぶりだった。

 本当は今日も断ろうかと悩んでいたが、折角私を婚約祝いで誘ってくれたのに、無下にする事は出来なかった。

 最初は上手く話せるか不安だったけど、会ってみると今までの時間が嘘だったかのように自然に振る舞う事ができ、二人で他愛も無い会話で盛り上がっていた。

 すると、彼はふざけて言った。


「なんで結婚しちゃったの?30歳まで待ってろよ」


 この人ずるい。覚えてたんだ。

 ねえ、私が本気にしたらどうするの?

 あなたに嘘でも「好きだ」と言われたら、私は今すぐ何もかもを捨てて、あなたの胸に飛び込んでいくのに。

 あなたとの思い出が私の全てだった。


 春の風と共に、本をめくる繊細な手が好きだった。

 夏の空が似合う、無邪気な笑顔が好きだった。

 秋を楽しむ、子供のような瞳が好きだった。

 冬になると、頬を赤くして、夢を語るあなたの声が何よりも大好きだった。


 今でもあなたに見つめられると私の体は燃えるように熱くなる。


 でも私に指輪をはめるのはあなたじゃない。今までありがとう。

 最後にもう一度だけあなたの好きなジントニックを飲んでみたけど、やっぱり口の中に残る甘さが、好きになれなかった。

 さようなら、私がこのBARに来ることは二度と無い。


 私からBARの誘いを断られる度に、ジントニック一杯分の後悔をしてね。

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5%の後悔 荒瀬 悠人 @arase_yuto

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