こはるちゃん、生まれる

 冬の日の朝のことです。昨晩に雨が降ったせいで空気は冷たく張り詰めていましたが、空気は澄み渡って外はぴかぴかのお天気でした。

 大橋円佳さんというそれはそれはすてきな女性に、陣痛がやってきました。彼女は急いでタクシーを呼んで、自分で病院へ行きました。すぐに助産師のお姉さんが円佳さんをあたたかいお部屋に案内し、そこで出産をすることになりました。

 赤ちゃんはなかなか出てきませんでした。そのために円佳さんはとても苦しい気持ちでしたが、彼女は決意のかたい人間でもあったので、ずっと「産んでやる」と病棟に響き渡るような大声で叫んでいました。ちょっと、怪獣みたいな声でした。

 しばらくすると、旦那さんの大橋優太さんが病院にかけつけてきました。しかし円佳さんは優太さんを部屋に入れることを許しませんでした。優太さんはそれはそれはすてきな男性でしたが、心配性かつ気の弱い人間であることを円佳さんは知っていて、血まみれの自分の姿を見たら彼が倒れるだろうと、冷静に判断したのです。実際、優太さんは部屋の前で待っているだけなのに号泣していました。

八割くらいは円佳さんが心配な気持ち、残りの二割は怪獣みたいな声が怖い気持ちだったのです。

 円佳さんは苦しい中で色んなことを思い返していました。こんなに辛いことってあったっけ、と考えていたのです。身体的な辛さなら、間違いなく今回が一番でしたが、精神的な辛さなら、円佳さんはもっと辛いことをたくさん経験していました。大学生の時付き合っていた男が友達と浮気をしていたこと。酔っ払った会社の上司に服を脱げと言われ、従わなかったら翌日から会社の皆から無視されるようになったこと。気に入らないことがあると手が出る継母の元で育ったこと。円佳さんは気がつくと泣いていました。

 体が痛いから泣いているのか、辛いことを思い出したから泣いているのか、本人にも分かりませんでしたが、大声で泣きながらいきんでいました。すると、赤ちゃんがひょっこり顔を出したのです。円佳さんに負けないくらい大声で泣きながら、赤ちゃんは外に出てきました。

 円佳さんは今度はうれしくて泣きました。「ずっと待ってたよ」と赤ちゃんに言いました。そのあと、まだ号泣している優太さんが部屋に入ってきました。優太さんは「ありがとう」と円佳さんとこはるちゃんに何度も言って、助産師さんにも「ありがとう」と何度も言いました。

 外はぴかぴかのお天気で、あたたかい空気でした。小春日和の日に生まれた女の子を、ふたりは「こはる」と名付けました。

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ひとりぼっちの女の子 湖白千冬 @koshiromao

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