205bit 天使の微笑み


 ここは……、どこ……?


 ぼんやりとした意識の中で最初に気づいたのは、全身を包むやわらかい感触だった。


 何だろう……、とってもフカフカで……、雲の上に乗っているみたいな……。


 その次に気づいたのは、自分の体勢が横になっているということ。


 とりあえず……、起きてみよう……。


 眉も目もとろんとちからが抜けた状態で、糸は上体じょうたいを起こした。


 すると、いきなりまばゆい光が目に直撃し、思わずまぶたをきゅっと閉じてしまう。


 口を小さく開けたまま目をこすり、もう一度まぶたを開くと。


 視界いっぱいに広がっていたのは、どこまでも青くわたった空だった。


 あれ……、もしかして私……。


 空を飛んでいるの……?


 あぁ……、そっか……。


 私はもう……、生きて……。


 「やっとお目覚めかい? ちんちくりん」


 あれ、声がする……、いったい誰だろう……。


 糸はまだゆるみきっている顔を横に向けた。


 誰かが……、椅子に座っている……。


 綺麗きれいな金色の髪……。


 ああ……、きっと天使だ……。


 天使がむかえにきて……。


 って、天使は今何と言った……?


 「誰がちんちくりんだぁーっ!!」


 この瞬間に、糸はやっとめることができた。


 フカフカの感触の正体は大きなベッドだったし、空を飛んでいると錯覚さっかくした景色は窓ガラス越しだった。


 そして、椅子に腰かけている天使は必死に笑いをこらえている。


 「いやはや、元気そうでなにより。 それにしても、大場糸のきょとん顔といったら。 やっぱりからかい甲斐がいがあるよねぇ」


 井倉は手を口もとにあてて、今にも吹き出しそうになっていた。


 まるで、仕掛けたドッキリが大成功したようにご満悦まんえつの様子である。


 「ここって……、イクラちゃんの部屋?」


 「いかにも。 どうだい、超高層マンションの最上階から見える景色は? 天国みたい、って思わなかった?」


 「おおお、思ってないよ!!」


 「ふーん、本当かなぁぁ」


 井倉はニヤニヤしながら糸を見つめた。


 糸は咄嗟とっさに視線をずらしてごまかす。


 「でも、なんで私がイクラちゃんの部屋なんかに?」


 「え、まさか覚えていないわけないよね? 昨日、吹雪の中でひとりベンチにいたことを。 私が偶然そこを通りがかって、車に乗せて、電話を貸して」


 ああ、そうだった。


 昨日は私の誕生日で、私の誕生日会をMANIACでやるつもりで。


 でも、いつの間にか外を彷徨さまよっていて。


 すごく悲しい気持ちでいっぱいで。


 「って今日は何月何日?!」


 糸は大慌おおあわてで井倉に尋ねた。


 「何月何日って、そりゃ1月27日……。 ああ、事情はえみりりから全部聞いたよ。 まぁ、正直半信半疑なところはあるんだけど、とりあえず運命は変わったってことでいいんじゃないかな」


 井倉はさらりといいのけた。


 「そっか……。 昨日、急に外へ飛び出しちゃったりして、三人には迷惑かけちゃった……」


 「寒空の下、休むことなくずーーーっと大場糸をさがしまわっていたみたいだぞ。 私がえみりりに連絡していなかったらどうなっていたことやら」


 「うぅ……」


 「あ、ちなみに三人も、こことは別の部屋でとまっているんだ。 大場糸が目覚めたこと、三人に伝えてくるよ」


 井倉は椅子から立ち上がり、まっすぐドアへと歩いていく。


 糸はその可憐かれんな動きを目で追うことしかできなかった。


 「でもさ」


 ドアノブをつかむ寸前、井倉がくるりと身体を反転させ、糸の方を向く。


 「大場糸は、素敵な友だちと出会えたんだね」


 井倉は屈託くったくのない笑顔でそう言った。


 その微笑ほほえみは、糸の心をとくんと響かせる。


 「……うん。 私もそう思うよ。 ありがとう、イクラちゃん」


 糸もまた、自然とやわらかな笑顔になっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る