115bit 眠るのも忘れちゃうくらい


 「本まぐろ……サバ読みじゃなく……?」


 バンッッ!


 糸が首を傾けた瞬間、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。


 「いた! えみりりー! 会いたかったぁ!」


 「イ、イクラちゃん?!」


 部屋に入るやいなや、井倉は英美里の席へと突き進んでいく。


 少し遅れて佐門も姿を現した。


 「えみりりの最新動画、言うなれば神回だったよね! まさか『Mermaid Lullaby』を歌ってくれるなんて、感謝感激雨あられだよ!」


 「う、うん、私も聴きながら……感動した……」


 英美里はどぎまぎしながらもえみりりの大ファンになりきる。


 「ちょうどいいところに……。 イクラちゃん、ついさっきIkuraグループが新サービスの記者会見を開いていたんだけど、本まぐろって?」


 糸はそれとなく井倉に訊いてみた。


 「ああ、本まぐろはサバ読みと同じだよ。 違うのは名前だけ」


 「ん? 違うのは名前だけ? どうして?」


 「Ikuraグループのサービス名は、基本的に私が決めていたんだよ。 だけど電子書籍サービスだけは決めてなくて。 そしたらサバ読みって名前になってた。 サバ読みだよ? なんか如何いかにも売上とかを改竄かいざんしそうじゃない? だから発表する直前で私の案に変更したの。 もう、ネーミングセンスがよろしくないんだから、パパったら」


 素で出てしまった井倉のひと言を、彼女がみすみす見逃すはずもなく。


 「あれれ? イクラちゃんって、パパっ娘だったの? いがい〜」


 雛乃のからかいに、井倉の全身が急沸騰する。


 「うがー! うるさい荒井雛乃!!」


 井倉はプンスカプンスカと怒った。


 「で、でもなんで本まぐろ? あ、本だけに?」


 糸が井倉を落ち着かせようと必死に話題を振る。


 「それもあるけど、それだけじゃない。 まぐろはその習性上、ずっと眠らずに海を泳ぎ続けるらしい。 だから、眠るのも忘れちゃうくらい夢中になって物語を読んでほしいという切なる思いが込められている。 うんうん、我ながら上出来だ」


 「皮肉なものね。 この間まで忘れることに恐れをなしていたお嬢さんが、今は忘れることを願うなんて」


 「なー! 目黒真衣まで私を茶化して!!」


 ありゃりゃ、せっかく機嫌を取り戻せたと思ったのに。


 でも、イクラちゃんは怒っているのに、なんだか楽しそうだった。


 きっとイクラちゃんは、電子書籍と真摯しんしに向き合うと決めたのだろう。


 毅然きぜんとした態度の井倉をみて、糸はそっと胸をなでおろした。


 

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