105bit 図書室を泳ぐ魚


 「これは……いったい……」


 糸は異様な光景を前に、開いた口がふさがらなかった。


 隣にいる英美里も愕然がくぜんとしている。


 ふたりは図書室のすぐ近くまで到着していたが、そこで立ち止まったままだった。


 いや、立ち止まらざるを得なかった。


 原因は、開いた図書室の扉から絶え間なく往来している人々の行列。


 そして、図書室を出る人は、もれなく本を何冊も積み重ねて持っていた。


 「あれ、ふたりともどうしたの?」


 行列からぴょんと飛び出して糸と英美里に近づいたのは雛乃だった。


 雛乃も例外にたがわず、うずだかく積立てられた本を胸で支えながら持っている。


 「雛乃ちゃん、これは何の騒ぎ……?」


 「あれ? 教室でアナウンスされなかったの? 夏休みが始まるまでに図書室の本をすべて外に運搬しなきゃいけないから、今、図書室は閉鎖中だよ。 私も図書委員になったばっかりにこんな辛い目に遭わされて……」


 そっか、雛乃ちゃんは図書委員だっけ。


 トホホと肩を落としている雛乃を見て糸は思い出した。


 それにしても……。


 「何のために……?」


 「夏休み明けから、タブレット端末の電子書籍を使用するからさ。 図書室内の本は二十台のタブレット端末に完全収納される。 これで複数人が同じ本を借りれるし、半永久的に汚れないから管理の手間も省ける。 利便性もあがって、図書委員の仕事はガクンと減るんだよ」


 「そんな……」


 糸はまだ雛乃の言葉を信じきれていなかった。


 小学生の頃から慣れ親しんでいた本の部屋が、跡形もなく解体されていく。


 「まぁ、何ていうのかな……、私もそこまで紙の本に思い入れはないけど、一瞬……一瞬だけ寂しいなって感じるよ。 どうしてなのかな、中身は全くおんなじで、ただ形だけが変わるだけなのに」


 雛乃は手に持っている厚みも大きさもバラバラの本たちを見つめながら呟いた。


 それっきり、三人とも黙り込んでしまった。


 巨大水槽にぽっかりと穴が開き、そこから魚がなく逃げていくように、図書室から本が運び出される。


 本が泳ぎ着く場所は、果たして。


 「あの本、麻里亜ちゃんが読んでいた本だ……」


 運ばれる本のかたまりに埋もれていた一冊を、英美里は目で追っていた。


 「あれって、私が初めて挑戦した小説……」


 糸もまた、自分の記憶の断片に残っていた本を見つけていた。


 中学生の時、活字だけで数百ページを超えるあの小説を、辞書を引きながら何か月もかけて読みきった覚えがある。


 その小説が、ゆっくり、ゆっくりと遠ざかっていく。


 糸は無意識に手を伸ばしていた。


 なんだろう、この気持ちは。


 雛乃ちゃんは『寂しい』って表現していて、たしかにその通りで。


 でも、なんで寂しくなるのだろう。


 なんで、こんなにも哀しい気持ちになるのだろう。


 まさか……。


 次の瞬間、糸と英美里の目が合った。


 「わかったかもしれない」


 ふたりの声がピタリと重なった。


 「それで、この答え合わせをするためには」


 「情報が必要だよね」


 英美里と糸はテレパシーで繋がったかのように話をまとめていく。


 「えっ? わかったって何のこと? 情報が必要??」


 一方の雛乃はふたりの言動に皆目見当を付けられず、目を右往左往に動かしていた。


 「英美里ちゃん、私にいい考えがあるの。 付いてきてくれる?」


 「うん!」


 「ねえってばぁ! どういうことー?!」


 雛乃があたふたしている間に、糸と英美里は廊下を走って行ってしまった。


 「荒井さーん、早くその本持ってきてー」


 「あ、はーい! すぐ行きますー!」


 別の図書委員にうながされた雛乃は、後ろ髪を引かれながらもふたりとは別方向に歩みを進めるしかなかった。

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