104bit 溯上

 糸と英美里は廊下の壁に背中をくっつけて、隣同士で並んでいた。


 「ごめんね英美里ちゃん、私考えごとしちゃってて……」


 「ううん、こっちもぼーっとしてて前見てなかったから」


 英美里は口もとを手のひらで隠しながらあくびをした。


 「英美里ちゃん、目にクマが……」


 「あぁ……、実は昨日あまり寝れてなくて」


 「動画の撮影?」


 「いや、昨日は……ほら」


 「……イクラちゃんのこと?」


 英美里は無言で首を縦に振った。


 「私、イクラちゃんが怒鳴り声を上げたときに気づいたの。 紙の本も電子書籍も共存できるんじゃないかっていう自分の答えは、中立的な立場に見せかけた、どっちつかずの答えだったんだなって。 無難で……ずるいだけだった」


 英美里のくぐもった口調は後悔をにじませていた。


 「そう……かな……。 英美里ちゃんの答えには私も納得していたし、決して適当だとか卑怯ひきょうだとかは思わないよ。 けど、イクラちゃんには刺さらなかった。 それで、私もなんでなんだろうってずっと考えてた。 もしかしたら、イクラちゃんにしか当てはまらない別解があるんじゃないか……とか」


 吹奏楽部の練習であろう管楽器の間延びした音が遠くの方で響いている。


 その音色に共鳴するかのように、廊下を叩く足音が不規則なリズムを奏でていた。


 「ところで、英美里ちゃんは家に帰るんじゃなかったの? 玄関へと続く階段はあっちだから、英美里ちゃん、進行方向が逆じゃない?」


 ふたりの目の前を、人々は川の流れのように通り過ぎていく。


 みな、つま先の向きは同じだった。


 「ひとりで図書室に寄ってみようと思って。 図書室には紙の本がたくさんあるから、何か手がかりを掴めたりしないかなと思って……」


 「でも、すでに約束の期限は過ぎちゃったし、もう……」


 糸は語尾をにごした。


 それは、英美里に現実を突きつけることに躊躇ためらいを覚えたためだった。


 糸はもう、現実を受け入れようとしていた。


 なのに。


 「昨日、イクラちゃんが振り向きざまに見せた表情は、とてもかなしそうだった。 私を陰で応援してくれているイクラちゃんを、あのまま見過ごすことなんてできない。 たとえ手遅れであっても、ただの自己満足でしかなくても、私は見つけたいよ。 イクラちゃんが願っている、たったひとつの答えを」


 英美里の声はみなぎっていた。


 やつれた表情にそぐわない、それほどに。


 英美里ちゃんはまだ諦めていない。


 なら、自分は……。


 自分は、どうしたいのか。


 糸の心の奥底に沈んでいた感情が、再びふつふつとき起こる。


 「ねぇ、私も図書室に付いていっていい?」


 気づけば糸はそう言っていた。

 

 英美里は微笑んでから、こくりと頷いた。


 ふたりは図書室へと続く裏階段を目指す。


 川の流れに、さからうように。

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