103bit 空色の瞳


 否応なく、教室にも夏はやってくる。


 「夏期休暇中、くれぐれも水難事故に注意してください。 川や海、プールなどのレジャーに行く際は、安全管理を怠らず体調に気をつけながら楽しみましょう。 また、夏期講習についてですが……」


 担任の先生は、今週の木曜日から始まる夏休みの心構えを教壇の前から訴えかけていた。


 にもかかわらず、糸はスマホの画面を見つめっぱなし。


 もちろんだからといって怒られたりはしない。


 教室内の誰もがスマホをいじっているのだから。


 印刷紙削減のため、今やほとんどのプリントはデータのまま各生徒のスマホに共有されている。


 スマホを持っていない生徒には個別に端末が貸し出されるらしいが、周りに借りている人はいなかった。


 「参加したい教科と時間帯を選び、別途用意されているアンケートフォームに入力して提出してください。 アンケートフォームのアクセス方法は……」


 糸はスマホを机上に置き、両手で頬杖をついた。


 先生の言葉は糸の耳まで届かずに宙を舞う。


 糸は完全にうわそらだった。


 別の答えを導くことができていれば、あんな顔を見ずに済んだだろうか。


 だとしたら、その答えとは一体何だろうか。


 「アンケートの提出だけ忘れないようにしてください。 それでは、ホームルームを終わります。 日直さん、号令をお願いします」


 一斉に椅子が鳴く。


 終わりを告げた後のクラスメイトは、紐をほどいたように散らばった。

 

 談笑する者、ロッカーからほうきを取り出す者……。


 糸は俯きながらまっすぐ教室を出た。


 やっぱり、まだどこかに心残りがある。


 でも、もう考えたってどうしようもないこと。


 それはわかっていた。


 糸はトボトボとした足取りで廊下を進む。


 すると、すれ違った人のカバンが糸の肩と軽くぶつかった。


 「ごめんなさい」

 「ごめんなさい」


 糸は咄嗟に謝り、顔を上げる。


 視線の先には見覚えのあるパーカ姿。


 糸とぶつかった相手は英美里だった。


 廊下の窓の景色が糸と英美里に感染うつる。


 ふたりの瞳は、同じうつろ色をしていた。

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