89bit なんで彼女がここにいるの?


 「いったい誰なんだ、馴れ馴れしい」


 「私? 私は荒井雛乃だよ、これからよろしくイクラちゃん!」


 「こういうタイプは扱いに困る……」


 井倉は雛乃に頭を撫でられながら渋い顔をした。


 「あ、英美里ちゃんだ! やっほー」


 雛乃の視線の先には、見慣れた白いパーカを着た英美里が立っていた。


 まだ状況を飲み込めていないせいか英美里は目を泳がせている。


 「なんで彼女がここにいるの……?」


 真衣が井倉を見つけたときの反応とまったく同じ反応を、今度は井倉がしていた。


 「えみりりだ! まさか本物に出会えるなんて! 私すっっごくファンなんです!!」


 さきほどまでの居丈高いたけだかな態度とは打って変わり、井倉は椅子から立ち上がって英美里のいる場所へ凄まじい勢いで向かった。


 「え、えっとぉ、そのぉ、私はぁ……」


 いきなりの展開に英美里はテンパって呂律が回っていない。


 「まず握手してください! 次にサインください! それからツーショット撮ってください!」


 英美里に詰め寄った井倉は目を輝かせながら懇願する。 


 「イクラちゃん、ストップストップ。 その子はえみりりじゃないよ」


 伸ばした右手をパーにしながら雛乃が言った。


 「えっ? どこからどう見てもえみりりだと思うけど」


 「英美里ちゃんもえみりりの大ファンで、容姿も最大限まで寄せているんだよ。 ね?」


 雛乃は英美里に目で合図を送った。


 「え、えっとぉ……」


 「そっかぁ。 残念……。 でも、かなり似ている。 名前は英美里、だっけ?」


 「うん、西村英美里」


 「声までそっくり……。 あ、私は井倉っていうの。 これからよろしくね、えみりり」


 「う、うん。 よろしく……?」


 「えみりりじゃないけど、似すぎだからえみりりって呼ぶね。 私は最近えみりりのファンになったんだけど、とにかく歌声が心地良くてね、ずっと聴いていたくなっちゃう。 心を込めて歌っているのがひしひしと伝わってきて、曲の持つ景色を鮮明に思い浮かべられるのも魅力のひとつだし、そうそうこの間えみりりが歌っていた『月の光』は特に感動しちゃって……」


 目を閉じながら興奮冷めやらぬ様子で語り続ける井倉の隙をみて、英美里は雛乃のいる場所へこっそりと移動した。


 「雛乃ちゃん、なぜ嘘を……」


 「英美里ちゃん、見るからに困っていたし、助けようと思ったのが理由の半分」


 「うん、たしかに助かったかも……ありがとう雛乃ちゃん。 ちなみにもう半分の理由は……?」


 「面白くなるかなー、と思って。 頑張って演技してね、えみりりの大ファン役」


 面倒なことになってしまった……。


 英美里はパーカのフードを被りたい衝動に駆られた。

 

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