72bit 四限の定理


 窓ぎわの席に座る英美里は青い空にたゆたう雲を眺めながら、うつらうつらとしていた。


 頭の中ではお昼に何を購買で買って食べようかと考えてしまっている。


 英美里の心は完全に緩みきっていた。


 「平方完成をすることによって二次関数のグラフが書けるようになるから……」


 糸たちと別れてひとり教室に入ったとき、周囲から好奇の眼差しがドッと押し寄せてくるのを肌で感じた。


 嫌なことを言われるかもしれない。


 嫌なことをされるかもしれない。


 漠然とした不安が次から次へと思い浮かんだ。


 しかし、どうやらそれらは杞憂きゆうに過ぎなかったらしい。


 高校生の興味は移ろいやすいのか、時間が経つにつれて周囲から感じた視線はだんだんと気にならなくなり、四限目になるころには自分が不登校であったことを忘れさせるほどに、私はクラスと同化していた。


 「じゃあ、教科書に載っている問1と問2の二次式を平方完成してみて……」


 後端の席であったため、クラスメイトの顔をあまり観察できていない。


 ポジションによっては人陰ひとかげに隠れて姿がまったく確認できない生徒もいた。


 高校で知っている人といえばMANIACの三人くらいで、それぞれが違うクラスだから、クラスの中に知り合いはいないはずだった。


 少し寂しい気もするけれど……。


 「じゃあ、問1の答えを……こしょう」


 こしょう……珍しい苗字の人もいたもんだ……。


 こ、古匠?!


 英美里は大声が出そうになるのをギリギリで抑え、立ち上がった一人の生徒をまじまじと見た。


 まっすぐに背筋の伸びた立ち姿は、間違いなく律本人であった。


 なるほど、座っていたときは別の生徒の陰に隠れてわからなかったんだ。


 英美里は律の立ち位置をみて納得する。


 「正解だ古匠、さすがだな」


 クタクタになった教科書を持った先生が教室内を見渡した。


 「次に問2の答えを……お、西村」


 わ、私が当てられた?!


 律さんもいる前で、恥ずかしい答えは言えない。


 しっかり正解しないと!!


 「はい! 1467年応仁の乱ですっ!!」


 「西村……今は数学の時間だぞ?」

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