第67話 終焉……

「老剣士よ。所詮はその程度か? もっと我を楽しませてみろ!」


「まだまだァッ!」


 挑発的なフェルイドの言葉に、領主様は尚も攻撃を続けていくが、その剣はフェルイドの体に小さな傷すらつけることができないでいた。


「フハハッ! 甘い、甘すぎる! それが本気なのだとしたら片腹痛いわ!」


 フェルイドが本気を出したことで戦況は一気に逆転していた。

 人型の時よりもさらに尖り、鋭く伸びた爪に加えて、薄銀色に光る刺々しい竜の尻尾とツノと牙。

 領主様は防御行動に力を注ぐことしかできず、完全に劣勢に立たされていた。


抉下砕剣けっかさいけん!」


 領主様は意を決して、一瞬でフェルイドとの間合いを詰めて、下から抉るようにして剣を振るった。

 

「——効かぬわ!」


 渾身のスキル。そう言わんばかりに放たれた斬撃はフェルイドの股の間から頭頂部にかけて一直線に引き裂くかに思えたが、フェルイドはあっさりと回避すると、太く逞しい剛腕で剣を受け止めた。

 同時に金属が擦り減るような甲高い音ともに火花が散り、その周囲には轟々と風が吹き荒れる。


「グググッッ!」


 必死に攻撃を捌いている領主様の体には、フェルイドにつけられた大小様々な数々の傷。

 領主様は既に満身創痍。出血量も多く、剣を握る手も弱々しい。

 フェルイドとの力の差は歴然。

 遊びに付き合わされているに過ぎない状態だった。


「どう足掻いても我に勝つことはできないぞ。もう既に分かっているだろう?」


 苦しげな声を上げながら鍔迫り合いを続ける領主様に対して、フェルイドはまだまだ余力を残しているような声色だった。


「儂は……貴様なぞに負けていられんのだッ!」


 領主様の全身から噴き出る汗が地面にポツポツと落ちていく。

 今も全身に鈍く感じるであろう想像も絶する痛みに耐えて、何とか強気な言葉を発する。


「いい威勢ではないか! では、本当の絶望を教えてやろう! 八岐業火やまたのごうか!」


 フェルイドは数メートルほど後退すると同時に、これまでに見たことのない速さで魔力を練り上げて、無数の巨大な火柱を出現させた。

 メラメラと燃え上がる炎は周囲の草木を一瞬で消し炭に変えるとともに、まるで自我を持っているかのようにウネウネと動き回っていた。


「この魔法は……?」


 その魔法を俺は見たことがなかった。

 上級でも中級でも、ましてや初級でもない火属性の魔法だということを理解はしたが、その規模や込められた魔力の量からして上級のさらにその上だということが分かる。


「……やっぱり、おかしいと思った」


 カナタさんが天まで登る複数の火柱を見ながら呟いた。

 魔法使いとしてトップに君臨する彼女だからこそ、フェルイドが魔法を使わないという情報に信憑性がないことに気がついていたのだろう。


「フハハッ! 貴様らに天災級てんさいきゅうの魔法を防ぐ術はなかろう!」


 天災級、上級のさらにその上か?

 俺がこれまで見てきた魔法とは何から何まで桁が違う。


 しかし、こちらには通用するかは不明だが秘策がある。


「セシリア。今そっちに行くからな……」


 領主様は完全に脱力し、地面に剣を落とした。

 片膝をついて悔しそうに地面に目を落とす。


「パパ……」


「諦めるのは、まだ、早いよ」

 

 すっかり諦めムードになり、無数の火柱を眺めることしかできない領主様とルークの言葉を力強く否定したのは、ジェームズさん曰く秘策をもっているというカナタさんだった。


「では、どうしますか?」


 俺は鞘に手を掛け、火柱を見上げた。

 魔法は発生源を断ち切れば消える——今回で言えば、フェルイドを魔法を使えない状態にすることで、自然と魔法は消える。


 そのことを踏まえて、俺が単身で乗り込んでも良かったのだが、天災級という未知の魔法を見せつけられた以上、無闇矢鱈な行動はできなくなってしまったので、どこか自信ありげなカナタさんに任せることにした。


「……半分、お願い」


 この規模の魔法に対抗できる魔法……そんなものが存在するのだろうか。


「半分ですか?」


「だって、君、強いんでしょ?」


 カナタさんは俺の返事を聞く前に目を瞑り、静かに魔力を練り始めた。

 さすがSランクといったところか、先程までのおっとりとした雰囲気が一変していた。


「半分……か」


 それが何を意味するのかはわからないが、本職——魔法使いに命令された以上、それが正しい答えなのだろう。


 俺は燃え盛る炎の先で微笑を浮かべるフェルイドを見た。


「——遺言は済んだか? 紅蓮の業火に焼かれて眠れッ!」


 フェルイドが腕を大きく振ると、天まで伸びる複数の火柱が合体し、二つの巨大な炎になった。


 規模は倍以上になり、領主様のみならず、俺たち全員を焼き尽くすことが可能なほどになっていた。


 二つの巨大な炎は間隔を開けて順に俺たちを目掛けて攻撃を始めた。

 一つ目で痛ぶり、二つ目でとどめ。

 何とも悪魔らしい残酷な思考が見え透けている攻撃だ。


「……斬ればいいのか?」


 半分とはそういうことなのだろうか?


 カナタさんはこうなることを読んでいたのか?

 火柱の一つ一つの威力は大したことないので、フェルイドの性格を考慮すると、確実に仕留められる、かつ残虐な攻撃をしてくると踏んだのかもしれない。


 つまり半分ということは——。


「——縮地ッ!」


 俺は上空から勢いよく迫りくる二つの巨大な炎のうちの一つを目掛けて、地面を蹴り、跳躍すると同時に鞘に手を掛けた。


「フハハッ! いくら足掻いても無残に死ぬだけだ!」


「一閃」


 そして眼前で轟々と燃え盛る炎に向かって、刀を高速で縦横無尽に振った。

 風を巻き起こし、強引に炎を散らしていく。

 火の粉の一つでさえ残さぬように。次の炎が差し迫るその時まで。


「——終わりだ」


 俺は地面に着地するとともに刀を横薙ぎに振るい、最後に残りカスのような炎を無に還す。

 そして、刀を静かに鞘へ収めて、フェルイドの様子を伺う。


「バカが! 次の炎が差し迫っていることを忘れるな!」


「し、師匠! し、死んでしまいますっ!」


 ルークが尻餅をついて後退る。

 一つ目の炎を消し終えてから僅か数秒足らずにして、眼前には二つ目の炎が差し迫っていた。

 

「カナタさん。後は任せます」


 俺は前方で膝をつく領主様を回収し、カナタさんに声を掛けた。


「うん。後は任せて」


「さあ、足掻け! 苦しめ! 我に無抵抗の叫びを聞かせろ!」


「……どうする気だ」


 今から炎への対抗として水魔法を発動してももう遅いだろう。

 かといって、この規模の魔法から逃げ出すことはできない。俺が連れて逃げることは可能だが、精々二人まで。全員の命は救えない。

 残り数秒で炎が俺たちに直撃する。

 カナタさんはどうするんだ?


「——魔法反射リフレクト


 カナタさんは両の掌を炎に目掛けて突き出すと、聞いたこともない魔法を発動させた。

 その瞬間。俺たちのことを守るように、目の前に直径十メートルほどの透明なバリアが出現する。


「き、貴様ァ! その魔法は!?」


 カナタさんが唱えたのはおそらく特殊魔法だろう。詳しい情報は定かではないが、カナタさんは

 フェルイドが驚くのも無理もない事象が目の前で起きていた。


 まさか魔法を反射するとは……。


「た、助かったぁ……」


「凄いな……っと、カナタさん? 平気ですか?」


 炎は威力を増してフェルイドの方へ向かっていくが、魔法の障壁が消失した途端、カナタさんが体をふらつかせた。

 この規模の魔法を反射するのに魔力を酷使したせいだ。

 魔法を使うという情報がないのに彼女のことを招集したのは、こういう万が一に備えてなのだろう。


「うん……」


「ルーク。カナタさんにありったけのポーションを飲ませてやってくれ」


「は、はい! え、えっと……ど、どうぞ!」


「ありがと」


 俺はルークにカナタさんを預けて、フェルイドの様子を伺った。


「グッ……ガァァァァァァ……ッッッ!!」


 フェルイドは突然の反撃になす術もなく、自身の魔法に焼かれていた。

 炎の中に目を凝らすと、十メートル超の黒竜——フェルイドの影が見える。

 頭を抱え、地団駄を踏み、「どうしてこうなった」と言わんばかりのやるせない鈍い悲鳴をあげている。


 やがて炎が収まり、周囲が途端に静寂に包まれた。

 フェルイドの気配は微弱だが確かに感じる。

 まだ辛うじて生きている証拠だ。


 自慢の再生能力が追いついていないのか、その場に苦しげに佇むばかりでピクリとも動かない。


「領主様、次で最後です。ご自身の手でケリをつけてください」


「……任せろ」


 何様だと言われるような言葉だが、俺は領主様自身の手で仇を取ってほしかった。


 領主様は震える体をごまかすようによろよろと立ち上がり剣を取ると、痛みに悶えるフェルイドのもとへゆっくりと歩いて行った。


「グ……ガガガッ……ァァ……クソ……が……!」


 フェルイドは当初のような覇気はなく、見るからに弱っていた。

 自身の魔法で焦げた体からはぷすぷすと煙をあがり、鋭かった眼光は虚ろになっている。


「——セシリア。やっと……やっと君が報われる……!」


 領主様の手によってフェルイドの首が静かに斬り落とされた。

 同時に領主様は膝をつき、崩れるようにその場に倒れた。


 これで全てが終わったかに思えた。

 しかし——。


「——おかしい」


 最後の最後まで油断をすることがなかった俺だからこそ、今目の前で起きた不可解な出来事に気がついた。


 フェルイドの気配が消えるタイミングがほんの僅かに早かったのだ。

 本来は死と同時に消えるはずが、死ぬ前——つまり首を斬り落とされる前に消えたのだ。


「気配が向かった先は、王都……?」

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