第63話 私情と葛藤
「フェルイドだと? やつは確か十五年前にも姿を現したような……」
ジェームズさんは目の前の悪魔について何か知っているような口ぶりだった。
その言葉を捕捉するようにゴードンさんが口を開く。
「十五年前。悪魔フェルイドは多くの人間を惨殺し、颯爽と姿を消した。王都の人々の間では【悲劇の夜】の呼ばれ、今もなお深い傷となって人々の記憶に刻まれている」
聞いたことがある。【悲劇の夜】は、たった一晩で数千人もの命が奪われた悪夢の日だと。
「まさか正体がフェルイドだったとはね……。油断は許されなさそうだよ」
ジェームズさんの言葉に皆が頷いた。
その瞬間。突如として戦闘は始まる。
「——貴様ァッ!」
領主様は腰に差した剣を抜き払い、フェルイドに全力で振り下ろした。
「実に愚か。歳を食っているのに血気盛んな人間だ」
フェルイドは領主様の剣を鋭利な爪で受け止めると、余裕そうな口ぶりで呟いた。
ドンッと空気が震え、辺りにはピリリとした緊張感が立ち込める。
「貴様はッ! 儂の手で屠らねばならん!」
しかし、領主様は止まらない
俺を含めた全員が驚きで立ち止まる中、領主様はその強靭な肉体を駆使した重たい一撃をフェルイドに叩き込もうと、長年の経験で培ったであろう多彩な攻撃を繰り出していく。
「ギニトさん、落ち着いてください! 無鉄砲に敵に突っ込むのは危険です!」
突如として我を失ってしまった領主様に向かってジェームズさんが声を掛けるが、領主様が静止する気配はない。
俺にも全く理解できていなかった。
あれほど冷静で義を重んじる領主様が、フェルイドの姿を見た瞬間に血相を変えたのだ。
その表情や言葉の荒さからは、想像もできないほどの私怨を感じる。
「愚直な人間よ。すぐにその命を終わらせてやろう」
フェルイドは鍔迫り合いを繰り広げながら、ニタリと口角を上げた。
同時に真っ赤な目が妖しく光り、邪悪な魔力を全身に纏い始めた。
「やってみろ! 今の儂はあの時とは違う!」
フェルイドが何をするのかがわからない以上、一歩引くべきなのだろう。
しかし、領主様は感情に任せて強気な言葉を吐いた。
そして一歩、また一歩と足を進めていき、フェルイドの爪を自身の剣で押し除けていく。
ギリリと剣と爪が擦り合う甲高い音が周囲に響き、フェルイドが劣勢かに思えたが、その表情からは人数差をも容易にひっくり返してしまいそうな確かな余裕を感じた。
全員が息を呑んだ、その時だった。
フェルイドは高速でバックステップを踏んで領主様との距離をとると、右の掌を領主様に向けて口角を上げた。
「ならば死ね……! 呪いの
同時に右の掌から紅蓮の光を纏った小さな球体を飛ばした。
これはまずい。何の魔法かはわからないが、とにかくまずい。そうわかるほど、ソレが持つ力は強大だった。
まともに喰らえばおそらく……死ぬ。
完全に我を失っている領主様がそれを見極めることができるとは思えなかった。
「パパァッ!」
俺の隣にいるルークが叫んだ。
普段の上品さは一切ない。心からの叫び声だった。
俺が”斬るしかない”そう思った刹那。
領主様ことを庇うようにして、全身に鎧を纏った大男がそこに立ち塞がる。
「——お前の好きにはさせない」
「グゥッ、やるではないか」
ゴードンさんはフェルイドの腹を目掛けて横薙ぎに大剣を振るった。
しかし、フェルイドは直前で腹に魔力を纏わせたため、ほんの最小限のダメージしか与えられていない。
「ゴードン、儂の邪魔をするな」
「そのお願いは聞けません」
ゴードンさんは領主様の言葉を一蹴した。
「三人とも、もう少し後ろにいてくれ。あいつはかなり厄介そうだ」
ゴードンさんに続くようにして、ジェームズさんも一歩前に出る。
俺とルーク、そして魔法使いのカナタさんは、ジェームズさんの言葉の通りにフェルイドの姿を見据えながら後ろに下がった。
「お前は儂の事情を知っているはずだ。邪魔をしないでくれ!」
「ギニトさん。これは命のやりとりです。引退したとはいえ長年冒険者として活動をしてきたあなたなら私情を持ち込むのがいかに危険かわかるはずです!」
ジェームズさんの叫びはもっともだ。
冒険者稼業というのは一歩間違えばそこで命が刈られてしまうものだ。
自身のことを優先したならばパーティーは簡単に滅びてしまう。
「ルーク、顔色が悪いぞ? 大丈夫か?」
「……いえ、少し気が立ってしまいまして……」
それにしても領主様の私情か……。このルークの表情や態度からして、【悲劇の夜】が二人に関係していることは間違いなさそうだ。
だからこそ、領主様はこの討伐に乗り気だったし、ルークもパーティーへの同行を懇願していた。
前衛の二人は領主様の乱れた心をうまくコントロールしながら戦わなければいけない。
かくいう俺とカナタさんもいつもとは違うルークのことを見張っていなければならない。
余裕そうなフェルイドと険しい顔立ちの三人が対峙することで、この場にはえも言えぬ静寂が訪れる。
「……ねぇ。君は、この勝負、どうなると思う?」
その時。
前衛の三人と同程度の実力があるであろう魔法使いの女性——カナタさんは、小さな声で俺に聞いてきた。
小柄な体格のカナタさんは、俺のことをそのおっとりとした紫色の瞳で見上げてくる。
「このままいけば一人以上は確実に死にます」
現時点で死ぬ可能性が高いのは領主様。次点でルーク。
フェルイドが誰をターゲットにするかにもよるが、カナタさんも狙われたら間違いなく危ない。
「だよね」
「ですが、それはこのままいけばの話です」
「どういうこと?」
完全な無口だと思っていたカナタさんが意外にも食い気味に聞いてくる。
「俺がいれば負けませんよ」
「え?」
カナタさんが素っ頓狂な声を出したが、これは紛れもない真実だ。
だからこそ、俺は迷っていた。
前衛の三人と睨み合いながらも嫌な笑みを浮かべる悪魔——フェルイドを倒すかどうか。
というのも領主様やルークが抱える私情とやらに俺が首を突っ込んでもいいのかわからないからだ。
命の危険がすぐそこにあるとはいえ、彼らは助けを求めていない。むしろ率先して行動しているくらいだ。
つまりなにが言いたいかというと、これは彼らの戦いであり、俺が入る余地はないということだ。
「一先ずは見守りましょう。こいつ——ルークのことは俺が見ておきます」
「うん、その方がいい。彼、辛そうだから」
ルークは歯を食いしばりながら拳を握りしめており、その様子から必死に自我を保とうとしていることが伝わってきた。
「——フェルイド様が貴様ら三人の相手をしてやる。適当にかかってこい」
フェルイドの確かな余裕を孕んだ挑発的な一言により、ゴードンさんが大剣を地面に突き刺して、最前線に躍り出た。
「……俺がやろう」
いよいよ戦いが始まる。
まずは様子見ということで、ゴードンさんが相手をするようだ。
相手の力量は先ほどの前哨戦である程度は理解したが、まだまだ手札を引き出す必要がある。
ゴードンさんは、そんな危険な役割を率先して引き受けてくれたようだ。
今は大人しく見守っているとしよう。
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