第15話 腹への打撃

「すみません。こんな時間に」


 俺は意識を失ったサラリーを抱えて街の薬屋まで来ていた。


「いいんです。命を救えたんですから」


 年老いた医師曰く、意識こそ失ってはいたが命に別状はないようだ。

 現に、今は穏やかな表情で眠っているのがわかる。


「ありがとうございます。では、俺はもういきますね」


「少々お待ちを。何か事情があるのでしょう? サラリー様が目を覚ましましたら、あなたのことは伝えたほうがよろしいでしょうか?」


 俺のような無名が血濡れたSランク冒険者を運んできたので、何か事情があると察してくれたようだ。


「……いえ。秘匿していてほしいです」


 少し悩んだが、俺とサラリーは他人だ。

 一度縁が切れた人間が再び共に歩を進めることはないのだ。


「かしこまりました。お気をつけてお帰りください」


「はい」


 屋敷へ帰ろうと薬屋を後にすると、外には曇った銀のような薄白い明るみが広がっていた。


 今日は昼まで寝て、そこからクエストだな。







 のんびりと屋敷へ帰る頃には、すでに外は明るくなっていた。



「あれ? タケルさん、どこに行ってたの?」


 ひっそりと屋敷へ入ると、アンが朝食の準備をしていた。


「ちょっと出かけていたんだ」


「……ふーん。シフォンが心配してたよ? タケルさんが疲れてたーって」


 アンはフライパンを振りながらシフォンの真似をした。


「今日からはクエストに行けそうだ。昼頃に起こしてくれると助かる」


「まあ、いいけど。あんまり無理しないでね?」


 アンは料理する手を止めて言った。


「なんだ? 急にしおらしくならないでくれ。むず痒い」


「ひ、ひどい! 私だって心配したんだよ!? あっ! 焦げちゃった!」


 料理なんて気にも留めずに俺のことを睨んでいたせいで、料理が焦げてしまったようだ。


「ありがとな。アンの料理は焦げても美味いから大丈夫だ」


「ぇ、ぇ? あ、ありがと……。って、もう行くの!?」


 部屋へ向かった俺の背後からアンの騒がしい声が聞こえてきた。


「おやすみ」


 アンは料理を中断すると、俺の部屋の前までばたばたと走ってきた。


「あ……おやすみな——」


 俺は全身の汚れが酷く、全身に細かい傷が複数できていたが、すぐにでも眠りたかったので勢いよくドアを閉め、流れるようにベッドへ飛び込んで目を閉じた。


 部屋の外からアンが何かを言っているが、もう俺は睡魔に抗うことができない。

 俺は先の見えない穴に落ちるように、スッと深い眠りに至った。










「……っごふぅッ!」


 俺はまだまだ深い闇に囚われていたのに、腹部に強い衝撃を感じて目が覚めてしまった。


「ア、アン。タケルさんが苦しそうですよ!?」


「いいのいいの! まだ起こす時間じゃないし、もうちょっとしたら起こせば良いよ!」


 目を閉じて耳を澄ませると、なにやら二人の話し声が聞こえる。

 

 俺は昼前なのに無理やり起こされたというわけか。


「……! アン。僕、先に外で待ってるね。お大事に……」


 俺は状況を把握したので目を開いて視線を動かすと、たまたまシフォンと目があったが、シフォンは冷や汗をかきながら焦った様子で部屋から出ていってしまった。


「え? どういうこと? シフォンもやろうよー」


 アンは俺の鳩尾辺りに全体重を乗せるように膝立ちをしており、俺を苦しめることに夢中で俺が起きていることには気付いていないようだ。


「しょうがないなぁ。じゃあ、もっと強……く。おはよう! タケルさん! 私ももう行——」


「——逃すか。頭蓋骨が陥没するまでグリグリしてやる」


 アンは俺が起きていることに途中で気付き、誤魔化そうとしたがもう手遅れだ。


「ぃ、いやぁぁぁ! 頭が瓢箪ひょうたんみたくなっちゃうから! ごめんなさい! ごめんなさい!」


「……よし。起きるか」


 俺は脱力したアンを横に放り出して、部屋を後にした。






 昼過ぎに屋敷を出発し、俺たちはクエストを受けるためにギルドに足を運んでいた。


「うぅ。まだ頭がズキズキする……」


 アンは側頭部を押さえながら言った。


「今回は完全にアンが悪いと思いますよ?」


「だって、タケルさんが寝る前に意地悪してきたから……」


 アンは左隣を歩く俺のことをジト目で睨んでいた。


「悪かったな。ギルドに着いたから切り替えろよ」


 数日前まで閑散としていたはずのギルドは、これまでに類を見ないくらい騒がしくなっていた。

 多分ミノタウロスの件だろうな。


「みんな楽しそうにお酒を飲んでますね」


「どうしたんだろうね? 受付さん! 何かあったの?」


 ギルド内の冒険者は、まだ昼間だと言うのに楽しそうに酒を飲み交わしていた。


「これですよ! これ! サラリー様がミノタウロスを単独で討伐したんですよ! 今朝ミノタウロスの出現地にギルドから派遣された調査団が確認しに行ったら、全身が焼け焦げたミノタウロスの死体があったみたいです! しかも、これまでに発見された個体の中でも最大らしいですよ! それに動態と首が鋭利な刃で切り離されてたみたいです!」


 受付嬢は興奮を隠せない様子で、『号外』と書かれた紙を指差しながら言った。


 やっぱりこの話か。


「えー!? 凄いです……! けど、また一歩遠くに行っちゃいました……」


 シフォンは嬉しい反面、複雑な気持ちだろうな。


「タケルさん! 討伐は厳しいとか言ってたけど余裕だったじゃん! サラリー様を甘く見過ぎだよ!」


「そうだな。サラリー……様はよくやったと思うよ」


 軽傷とはいえ、あのミノタウロスに魔法だけでダメージを与えたんだ。

 それも単独で。凄いことだろう。


「ぶー。なんか偉そうだね! ね、シフォン」


「まるで知り合いみたいな言い方です!」


 シフォンは天然っぽいのに鋭いな。


「よし。クエストに行くか。今日はこれだ」


 俺はボロが出る前に話を逸らし、パッと掲示板からクエストを選択した。


 後ろからはやんややんやと二人の声が聞こえてきたが、俺は素知らぬフリで乗り切った。










「今回のクエストは難しいですか?」


「ああ。ここを道なりに進むとでかい湖があるんだが、今回はそこに棲むモンスターを討伐する」


「ビッグアリゲーター……? 危険なモンスターなの?」


 アンはクエスト用紙を見ながら疑問に満ちた声で言った。

 俺たちが討伐するモンスターは、巨大な口から所狭しと生えている鋭利な牙が特徴の、Dランククエストのビッグアリゲーターだ。

 

「そうだな。ただ、今回はシフォンのためのクエストになるな」


「僕?」


「ああ。ほら見えてきたぞ。シフォンには普段の詠唱を激しく動きながら行うことに慣れてほしい」


 そうこうしているうちに目の前には巨大な湖が広がっていた。

 湖と言っても決して綺麗なものではなく、やや茶色く濁っている。


 俺は到着するなり地面に落ちていた拳サイズの石を湖に投げ入れた。

 

「なにしてるの?」


 アンは不思議そうに見ていたが、すぐに分かる。


「まあ、見てろ。シフォン、魔法の準備をしておけ」


 石を投げ入れてから三十秒ほどたった頃だった。

 湖の表面が僅かだが蠢き、ビッグアリゲーターが現れることを知らせた。


「全然出てこないね……。ここには生息していないのかもね」


 アンは湖に背を向けて、やれやれというような顔で言ったが、その判断は早計だ。


「ア、アン。う、後ろ……」


 シフォンは声を震わせながら、アンの後ろに指を差した。


「後ろ? なにもいな——ぁ、ぁぁ……!」


 ビッグアリゲーターは水音一つ立てることなく、湖の奥深くから距離を縮めていたのだ。

 そして、アンが油断した隙を見計らって水面から静かに顔を出した。


「シフォン、撃て! アンは後ろに下がっていろ」


 声にならない声を上げたアンはこくこくと頷くと、見たことのないスピードで遥か後方まで走っていった。


「は、はい! 雷槍サンダースピア!」


 ビッグアリゲーターはシフォンの雷槍を鼻先に受けたが、全く怯むことなく口を大きく開き、俺たちを喰らおうとしてきた。


「攻撃を避けながら詠唱を続けろ! 湖に沿って走れ!」


 俺は右周りに、シフォンは左周りに湖に沿って走り、攻撃を回避した。


「わ、わかりました! 雷の槍よ。我が身を以て顕現せよ! 雷槍サンダースピア!」


 ビッグアリゲーターは凶暴な牙を俺に突き立てながら、四メートルはある尻尾で背後にいるシフォンを狙っていたが、シフォンは詠唱を行いながらも回避し、魔法を撃ち込むことに成功していた。

 普段は無詠唱で雷槍を撃つシフォンだが、動きながらなので詠唱をしないと難しいようだ。


「グルァァァァッ!」


 しかし全身が硬い鱗で覆われており、思うようにダメージが入らない。

 加えて、戦闘をしながらの詠唱なので、上手く魔力を込められていないのかもしれない。


 ビッグアリゲーターは先にシフォンを喰らうべきだと判断したのか、百八十度の方向転換をすると、俺とは真反対の位置で立ち竦むシフォンに狙いを定めて大きく口を開いた。


「シフォン! 避けてッ!」


 いつの間にか湖の近くまで来ていたアンが声を掛けるが、シフォンは一歩も動けない。

 恐怖で全身が震えているのがわかる。


 ここまでか……。

 もう少しダメージを与えられると思ったんだが。


「縮地!」


 シフォンとビッグアリゲーターの距離が残り二メートルというところで、


 ビッグアリゲーターの頭部を目掛けて軽く刀を数回振り、首を切り落とした。


「大丈夫か?」


 俺は刀を鞘に収め、シフォンに声をかけた


「……はぁぁ」


 シフォンはビッグアリゲータの生首の横で、大きく息を吐きながら尻もちをついた。


「シフォーン! よがっだぁ。いぎででよがっだよぉ! ダゲルざん! ありがどー!」


「……死ぬかと思いました」


 アンは泣き叫びながら、未だ放心状態のシフォンに抱きついていた。


「すまないな。少し助けるのが遅れた」


「いえ……いい経験になりました。タケルさんがいなかったら死んでいたので……」


「俺は討伐完了部位を取ってるから、落ち着いたら教えてくれ」


 

 それから数分後にアンとシフォンが落ち着きを取り戻したので、俺たちはゆったりとした足取りでギルドへ帰ったのだった。

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