09 カリブルヌスの勇者

「わたくしの勝ちですわ」


 破邪の波動を、ハルバードの一振りが消し去った。


 とうとう力尽きたユウリスの体から、霊力の粒子が無残についえる。ひざをつく闇祓いにも容赦はせず、メドラウトは滑るように肉薄し、戦斧を一閃した。苦し紛れに突きあげた彼の剣が、無残に砕け散る。


「ユウリス・レイン、覚悟!」


「まだだ、ニイチャン!」


 酷薄な姫騎士の台詞に、トリスの怒号が覆いかぶさる。ライラの制止を振り切り、彼女は選定の祭壇を駆け上がった。


 その光景を映したメドラウトの瞳が、烈火の如く燃え上がる。


「小娘ッ‼」


 声に暴力が宿るとすれば、まさにこの一喝いっかつであろう――その怒号に晒されたトリスが、びくっと体をすくませた。メドラウトは憤激を隠そうともせず、雄々しく床を蹴った。


 ハルバードをかかげ、選定の台座をめがけて疾駆しっくする。


「それは星の後継者を定める、神聖なる試しの剣! 興味本位で、おいそれと手を伸ばしていいものではありませんわ!」


「なんだよ、カンコウキャクも試せるんだろ!?」


「それはそれ、これはこれですわ!」


 とっさにユウリスは、折れた剣の刃先を拾い上げた。刃が手に食い込むのも構わず、力強く握りしめる。脳裏をよぎるのは、まだなにも知らない少年だったころの自分。その遠い記憶。


 空から降り注いだ剣に手を伸ばした瞬間の、熱い気持ち。


 高鳴るばかりだった鼓動。


 あのときの自分を、トリスに重ねる。


「トリス!」


 呼びかけながらユウリスは、砕けた刃先をメドラウトに投擲とうてきした。わずかな霊力を込めて放たれた、剣の欠片かけら――しかし円卓の騎士は、これを歯牙にも欠けない。飛来する切っ先に振り返ることもなく、ハルバードの柄で弾き飛ばす。


 その動作が生んだわずかな時間の隙間を、ライラが駆けた。足を止めたトリスの手を取り、一息に祭壇を登りきる。


「およしなさい!」


 メドラウトが宙に身を躍らせ、戦斧せんとうを振り上げた。しかし、その凶刃からトリスを庇うように踏みだしたライラが、勇ましく両手を広げる。


「トリスは、私が守ります!」


 さらに、ユウリスが叫ぶ。


「行け、トリス!」


 そして二人の友に背中を押されたトリスは、選定の剣に手をかけた。


 刹那。


 どくん、と二つの脈動が響き合う。


 それは岩に突き刺さった選定の剣から。

 それは剣の柄を握りしめた少女の胸から。


 共振する二つの鼓動、重なる息遣い。


 錆びた剣が台座から引き抜かれ、トリスの勇猛な声が轟く。


「うわああああああああああああああああああああああああああああ‼」


 ライラを押しのけ、トリスが前に踏みだした。


 頭上から襲いくるハルバードの刃に、選定の剣が交わり――錆びた刀身が、光を放つ。溢れる魔力の奔流ほんりゅうに、メドラウトの身体が押し返された。


 ぜるような衝撃に晒され、円卓の騎士が膝をつく。


「まさか、選定の勇者を、あんな、こむす……お子様が!?」


 激情から理性を取り戻したメドラウトだが、目の前の光景はいまだに信じがたい。


 選定の剣からあふれる魔力は際限を知らず、暴れ狂う光の奔流がコールブランド大聖堂の天井を貫く。その余波はすさまじく、女神ダヌを象ったステンドグラスが弾けるように砕け散った。


 屋根の木材と色鮮やかな硝子がらすの破片が、雨のように降り注ぐ。


「すっげえ……」


 自らの手から生まれる神秘の輝きを、トリスは呆けたように眺めていた。


 いまもなお増大する白い炎は、蒼穹の彼方に昇る――その制御は、けして容易くはない。彼女は顔をしかめ、ライラとユウリスへ交互に視線を送った。


「なあ、ライラ、ニイチャン。これ、どうやったら止まるんだ?」


「なっ!?」

「えっ?」


 ぎょっと顔をこわばらせた二人は、同時にメドラウトを見た。急に水を向けられた円卓の騎士が、戸惑うように目を泳がせる。


「ちょっ、そんなの知りませんわ! 有史以来、誰も抜いたことがない剣ですのよ!?」


「ねー、ねー、これヤバイヤバイ、ヤバイって!」


 悠長に顔を見合わせている三人に、トリスが危急を訴えた。


 魔力の胎動が大気に波及し、コールブランド大聖堂が鳴動する。その余波は天を伝って周囲に波及し、煽られるようにノドンス市街の鐘が一斉に鳴りはじめた。


 荘厳な音色の合奏が、白亜の都に響き渡る。


 それを聞いたメドラウトは、大きく息を吐いてハルバードを構えた。


「おそらく眠っていた魔力が急に目覚めて、暴走をはじめたのでしょう。構いませんわ、お子様――いえ、選定の勇者よ。その溢れる力、わたくしにぶつけなさい!」


「はあ!? いや、いくら残念ネーチャンでも死んじゃうって!」


「わたくしの心配など、百年、千年、万年早いですわ! さっさとなさい! そのまま放置すれば、被害はコールブランド大聖堂だけでは済まなくてよ!」


 トリスが息を呑み、ユウリスに視線を送る。ほかに手はないのか――そう言わんばかりの少女に、彼は首を縦に振った。


「トリス、やれ。こうなったのは、その女のせいだ。それに性格破綻者であっても、円卓の騎士にはちがいない。どうとでも切り抜けるだろう」


「ちょっとユウリス・レイン。あなた、最初とずいぶん態度がちがうんじゃなくて!?」


 メドラウトが抗議の声を上げるあいだにも、選定の剣から放たれる光芒は増していく。その力の大きさは、すでに人が扱う武器の範疇を越えていた。


 振り下ろす動作すらままならず、トリスが顔をこわばらせる。


「ちょっと待って、アタシ、こんなのムリムリムリ!」


 首を左右に振って混乱するトリスの肩に、そっとライラが手をかけた。


「落ち着いて、トリス。魔力の流れは、たしかにあなたとカリブルヌスを巡っています。大丈夫、心のあるがままに――この光は、私が導きます」


 ノドンス中の教会の鐘が幾重にも鳴り響く中、メドラウトは呆然と石碑の一節をそらんじていた。はるかな時代に刻まれた伝説が、まさに目の前で再現されている。


 その事実に、彼女は感動を隠せない。


「誓約の鐘を奏でし者。汝、創世の神秘、黄昏たそがれの先をけ……そういうことですの?」


 ライラの意識が、トリスの精神につながる。


「トリス!」

「ライラ!」


 心と声を重ね合った二人の少女が、荒ぶる魔力を支配する。牙を剥く嵐のような輝きの奔流が、カリブルヌスの刀身に収束――洗練された光の剣を前に、メドラウトは伝承の成就を見た。


「選定の勇者と、導きの聖女」


 トリスが選定の剣を振り抜き、閃光が奔る。


 刀身から伸びる光の筋は、空間を断ち、距離を超え、空気を爆ぜ、純粋な破壊の力となって放たれた。迫りくる輝きの奔流を前に、メドラウトが高らかに吼える。


星刻起動オーダー霊装招来アイギス!」


 刹那、メドラウトの首から下を灰色の焔が覆う。猛るような揺らめきは収束し、やがて金属の光沢を得た。彼女の肉体を、顕現した灰色の鎧――アイギスが包み込む。


 女神の使徒たる威容をまとった円卓の姫騎士が、ハルバードを大きく振りかぶった。


神意執行しんいしっこう円卓聖伐えんたくせいばつ――!」


 くすんだ色の甲冑に、神々の紋章が浮かび上がる。白くきらめく刻印からみなぎる魔力のたぎりは、人智を超えて邪悪を討つという神々の焔。その奇跡を宿したハルバードが、カリブルヌスの光芒と正面から撃ち合った。


 伝承に語られる二つの力が拮抗し、コールブランド大聖堂が鳴動する。


 そこでユウリスは、ぎょっと目を剥いた。


「メドラウト!」


「わかっていますわ! というかこれ、あなたのせいですから!」


 戦斧にはしる深い亀裂を目にしたメドラウトは、奥歯を噛みしめた。ユウリスは剣を折られたが、ハルバードも相応の痛手を被っていたらしい。


 彼女は鼻から豪快に息を吐くと、腹の底から雄叫びを響かせた。


「わたくしはメドラウト! 円卓にあって最強の騎士! 誉れ高き薔薇ばらの乙女! 聖装せいそうに選ばれし女神の使徒! 強くて、美人で、性格も最高なんですわあああああああああああああああ!」


 選定の剣から注がれた威圧を気合いで跳ね除け、メドラウトが鮮烈に踏み込んだ。ハルバードの刃が砕けると同時に、カリブルヌスの光芒を真っ二つに叩き割る。


 その瞬間、ユウリス、トリス、ライラが同時に叫んだ。


「おい!」

「げっ!」

「まあ!」


 ハルバードの一撃によって、カリブルヌスの光芒は大幅に削がれた。しかし二つに引き裂かれた閃光の軌跡は、なおも途切れない。左右に分かれた魔力の奔流が、メドラウトの両脇を過ぎていく。


「しくじりましたわ!」


 二筋の光線が向かう先は、コールブランド大聖堂の正面玄関。このまま突き抜ければ、被害は自然公園と市街地に及ぶ――その軌道に、二つの人影が佇んでいた。


 片方は、初老の大柄な男。


「神意執行、円卓聖伐――」


 その身を覆う灰色の鎧に浮かび上がるのは、メドラウトと同じ神々の紋章。額から頬にかけて刻まれた深い十字傷を歪めた彼は、憤怒の表情で銀の大剣を高々と掲げた。そして祝福された白い焔を刃に宿し、カリブルヌスの閃光を一太刀で叩き伏せる。


おのが名はグワルマフイ。円卓の騎士にして“沈まぬたか”。宿滅しゅくめつの刃たるガラティンにかげり無しッ‼」


 もう一人は、みやび綺羅きらを纏った小柄な少女。


「――花鳥風月――

 ――tedium――

 ――  ――」


 絹のように流れるのは、肩ほどまで伸びた萌黄色もえぎいろの髪。華美なすそと袖がひるがえり、白いドレスの少女が舞う。宝石を散りばめた飾りが揺れ動き、響き奏でるは甘美な音色。薄紅の唇が妖艶ようえんに頬笑み、手にした扇に魔力の胎動が息衝く。彼女のか細い腕が、流麗に一閃した。


「きゃふふふふふ、児戯じぎじゃのう。わらわは踊り足りぬぞ」


 魔術の輝きを帯びた扇が、鮮やかにカリブルヌスの軌跡を打ち砕く。少女は軽い足取りで、前へ踏み出した。その視線は、選定の剣に選ばれた二人――トリスとライラに注がれている。


 その行く手に、メドラウトが立ちふさがった。


「姫様」


「おぬしも姫であろう、ウェディグ家のメドラウトよ。だがヌアザに忠義を尽くすのであれば、邪魔だてするでない。わらわは、あの者たちに用がある」


 メドラウトの手を潜り抜け、少女は選定の台座に辿り着いた。力を出し尽くしたカリブルヌスに錆びはなく、銀の刀身がきらめいている。


 呆然とするトリスとライラに、彼女は目を細めて名乗りを上げた。


「わらわの名は、エウラリア。ヌアザを統べるネミディア家の娘。いわゆる、お姫様じゃ!」


 薄緑の髪を揺らしたヌアザの姫が、跳びはねるように石段を駆け上がる。そしてトリスが握るカリブルヌスを一瞥すると、エウラリアは常盤色ときわいろの瞳をライラに注いだ。


「選定の勇者、導きの聖女と共に、伝承とならん。其は、未来の王と黄金竜、永久のつがいなり――そこの石碑に刻まれた一節じゃ。カリブルヌスを抜いた赤毛の小娘が選定の勇者であるなら、その力を共に御したおぬしが導きの聖女かのう?」


「おい、オマエ!」


「私は……」


「じゃが、それは筋が通らぬ」


 トリスとライラの言葉を遮り、エウラリアは悠然と紡いだ。


「カリブルヌスの聖女は、すでにわらわと決まっておるからのう。聖女が二人とは、なんともおかしな事態じゃ。きゃふふふふふ!」


 三人の少女が言葉を交わす姿を遠目に眺めながら、ユウリスは重い身体を持ち上げた。グワルマフイに重い拳骨をくらってうずくまっているメドラウトに、ため息交じりで問いかける。


「これは、どういう状況だ?」


「まずい展開ですわ。選定の勇者に寄り添う聖女は、ヌアザの王族と決まっておりますの」


「つまり?」


「一人の勇者に、二人の聖女――ヌアザはじまって以来の、大事件ですわ」


 実際、これは大きな騒動に発展した。


 コールブランド大聖堂一帯は封鎖。教会関係者すら追い出され、代わりに集った面々は重鎮ばかりだ。


 教会側からは、ゼルマン司教を含んだ四人の司教。さらに聖庁の管理職が数名。

 王室側からは、ヌアザを統べるネミディア国王ときさき。さらに宮庁の大臣が数名。


 ほかにも円卓の騎士が続々と現れ、先ほどからメドラウトが泣くほど叱られている。


 選定の台座ではトリスとライラ、エウラリアがなにやらコソコソと密談を交わしていた。


 そして台座から引き抜かれた剣は、なぜかユウリスの手にある。


「なんで俺が……」

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