04 オトナの事情

「友達ができたと思ったのに!」


 そして降車扉を開いたトリスは、走行中の馬車からためらいもなく飛び降りた。驚いたユウリスとライラが慌てて手を伸ばすが、この指先はかすりもしない。


 二人の心配をよそに、赤毛の少女は華麗な身のこなしで草原に着地した。


「ニイチャンもライラも、大っ嫌いだ!」


「私は関係ありません、悪いのはユウリス様です!」


 ライラの訴えも虚しく、トリスはぷいっと顔を背けてしまう。


「アタシ、うしろの馬車に乗せてもらうから!」


 そう言い残して、トリスは宣言した通りにうしろの馬車に乗り込んでいった。残されたユウリスに、ライラからの恨みがましい視線が突き刺さる。


「トリスが怒ったのは、ユウリス様のせいです」


「そうだとして、俺にどうしろと?」


「わかりませんよ……ちゃんとしたお友達ができたのなんて、私だってはじめてなんですから」


 ぎゅっと拳を握りしめたライラは、そのまま馬車のすみに座り込んでしまった。二人の少女から背を向けられてしまったユウリスは、立つ瀬がない。


 すると御者台ぎょしゃだいの小窓が開き、ヤーバンが陽気な顔を覗かせた。


「ノドンスが見えてきましたよ。よろしければ、いっしょに景色をご覧になりませんか?」


「ああ、そうだな……ライラ、行くか?」


 しかしユウリスが声をかけても、ライラは膝に顔をうずめたまま返事もしなかった。


「気が変わったら来るといい」


 少女の扱いには慣れておらず、そっとしておく以外の選択肢は思い浮かばない。さらにユウリスは、もう一つ心にひっかかりを抱いていた。この成り行きに任せて伝えるのは、いささか薄情かもしれない――そう思いながらも、彼は告白する。


「ライラ、もう一つ言っていなかったことがある」


 背中を丸めている彼女に、ためらいながら呼びかける。


 そしてユウリスは、今度こそ真実だけを告げた。


「昔、グィネヴァの命を救ったことがある。君の両親は、あの女の命令で処刑されたと聞いた。俺が謝罪するようなことではないだろうが、それでも言わせてほしい」


 もし自分がグィネヴァを助けていなければと、こんな考えは傲慢かもしれないが。


「黙っていて、すまなかった」


 しかし、やはり答えは返らない。


 首を横に振ったユウリスは、御者台につながる戸を開いた。内開きの狭い扉を抜けると、立派な座席が目に入る。


「ほんとうに王が乗るような馬車だな」


 御者台は二段になっており、それぞれ三人掛けの広さがある。一段目には手綱たづなを握る御者と、二名の傭兵ようへいが座っていた。


 向かい風の勢いが強く、ユウリスの髪がぶわっと流される。後部座席を占有していたヤーバンが、トントン、と自身のかたわらを叩いた。


「ジョン殿、こちらへ。ああ、扉は閉めてくださいね」


「ずいぶんと早く走る。揺れが少ないから、のんびり歩いているのかと思っていた」


「揺れが少ないのは、荷車の下にバネを仕込んでいるからですよ」


「バネ?」


「衝撃を圧縮して和らげる、螺旋状らせんじょうの金属です。ダグザで発明されたばかりの代物ですが、いかんせん加工に手間がかかりすぎる。一般に流通するのは、もう少し先になるでしょう」


「なるほど、馬車が速いのにも秘密があるのか?」


「この商隊は、二十頭の馬を引き連れています。いずれもオェングス産のアルバス・ブレッド、最高の駿馬しゅんめです。休憩のたびに車を引く馬を代えているので、常に全速力が出せるというわけですな。私ほど早い商人は、他にいないでしょう」


「たいした自信だ」


 ユウリスは促されるまま御者台に腰かけると、日の高さに目を細めた。太陽も西に傾いてはいるが、まだ夕暮れには早い。


「ノドンスに着くのは夕方ころだと思っていたが、もう少し早くなりそうか」


 視線の先に広がるのは、市街地を囲う荘厳そうごんな白い壁――白亜の都ノドンスだ。許しの門と呼ばれる巨大な鉄の扉が、街の玄関口となっている。


 そこでユウリスは、ハッと気づいた。


「しまった、トリスには身分を証明できるものがない」


「おや、それでは許しの門で足止めをくらいますな。どうされるおつもりだったのです?」


「いや、なにも考えていなかった」


「それでしたら商人の特権を使いましょう。たいした手間ではないので、これは≪ケルピー≫退治の報酬と思ってくださって構いません」


「だが許しの門は、衆目の監視下にある。不正はできないだろう?」


「ええ、ですから商人の特権は見えないところで使います。ジョン殿、許しの門の両脇にある監視塔が見えますか?」


 許しの門を挟む、二つの塔――その頂上で、二本の旗が風にあおられている。


 黒地に灰色の糸で縫われているのはヌアザの国章である銀の義手と剣。

 白地に青い糸で縫われているのは、ダーナ神教の象徴である女神ダヌの横顔だ。


「あの旗がある塔の下には、関係者用の通用口があります。税関が免除されるわけではありませんが、多少のわがままは利くでしょう」


 ヌアザの旗が掲げられた塔を管理するのは王室直轄の宮庁きゅうちょう

 ダーナ神教の旗が掲げられた塔を管理するのは教会直轄の聖庁せいちょうだ。


 そこでヤーバンが、早馬に乗った部下を呼びつけた。


「許しの門で先に手続きをしてきなさい。ゼルマン司教の名を出して構いません」


 大層な名前がついてはいるが、許しの門はいわゆる税関だ。


 ヤーバンが手際よく手配を済ませた分だけ、ノドンスに入るまでの待ち時間は短縮される。ユウリスは「さすがに手慣れているな」と感心しながら、周囲の景色に視線を巡らせた。


「ここは……大王街道だいおうかいどうか」


 ヤーバンの商隊が進む大王街道は、七王国最大規模の主要道路だ。


 東に進めば豊穣国ブリギット、南に向かえば聖王国ダグザ、そして進行方向の北には神聖国ヌアザの首都ノドンスがある。数えきれないほどの馬車や旅人が行き交っており、道幅も広い。


 しかしユウリスは、道順がおかしいことに気がついた。


「コッカーサンド平原から、どうやって大王街道に出た? そのまま教外区につながっているはずだろう」


「じつは早い段階から、街道を外れて野原を突っ切りました。馬車も通れる秘密の近道を使い、大王街道に出たというわけです」


「急ぎの旅だったのか?」


「夕方の時間帯に教外区を通ると、閉門時間を見越した物乞ものごいがウヨウヨと寄ってきますからな。あれに捕まっては、今日中にノドンスへ入ることは叶いませんよ」


 ノドンスを囲う壁の外側には教外区、あるいは第二都市とも呼ばれる集落が広がっている。そこに身を寄せ合う信徒たちは首都の居住権を持たず、さらに貧者が多い。日暮れと共に許しの門は閉じてしまうため、急ごうとする旅人の足を物乞いが止めることもままある。


 ユウリスは「なるほど」と苦笑して、改めてヤーバンに礼を告げた。


「とにかく助かった。特に子どもたちは長旅で疲れていたから、馬車で休ませてくれたのはありがたい」


「お役に立てたようでなによりです。ノドンスには私が経営している旅籠屋はたごやがあります。部屋を手配いたしますので、今夜はそちらでお休みください」


「いや、そこまで世話になる気はない。バルトロエル公園の辺りで下ろしてくれ」


「おや、すでにご予定が?」


「正直に言うが、至れり尽くせりで気味が悪い。俺に恩があると言ったな、どういうことだ?」


 するとヤーバンは「しっかりなさっている」と朗らかに笑うと、ちらりと小窓から馬車の中に視線を送った。


「ですが二人のお嬢さんには、ゆっくりと考える時間が必要なように思えますな」


「俺たちの話が聞こえていたのか?」


「まさか。自分が密談に使う馬車を、外から聞き耳を立てられるような仕様にはいたしません。私も子育てには苦労したので、なんとなくわかるというだけです。ただ意地を張って、ああしてすねているのではないでしょう。もっと自分をわかってほしいという、子どもの主張のように思えますな」


「かんちがいしているようだが、あの二人は俺の娘じゃない」


「血縁という意味ではそうであっても、実際の関係は似たようなものでは?」


「勘弁してくれ。まだ顔を合わせてから一ヶ月も経っていない」


「絆を深めるのに時間が必要だという考えは認めますが、時間だけでは永遠に埋まらないものもあります。人の結びつきというのは、奇跡のようなものでしょうな。一目惚れにしかり。運命を感じる瞬間は、誰にでも等しく起こりえる」


 意味ありげな視線を返してくる商人に、ユウリスは苦虫をつぶしたような顔でうめいた。


「ヌアザに着けば、あの二人とは別れる」


「たとえ離れ離れになるのだとしても、それを別れと呼ぶかどうかは人それぞれでは?」


 やがて大王街道の端々で露店が目につくようになると、そこはもう教外区だ。


 しかしコッカーサンド平原から続くような小街道とちがい、この辺りでは物乞いや押し売りが禁止されている。ヌアザの僧兵も巡回しているが、露天市場を実質的に取り仕切っているのは商人連合だ。違反者を取り締まるために傭兵を雇っており、それが治安維持に大きく貢献している。


 ここからヤーバンの動きも、次第に慌ただしくなりはじめた。矢継ぎ早に部下へ指示を飛ばし、馬車が商人の旗を掲げて連帯を示す。


「さあ、いよいよノドンスに近づいてまいりました。我々は聖庁の通用口から入ります」


 しばらくすると、首が痛くなるほどの高さを誇る鉄門に辿り着いた。


 すでに入都待ちの長い行列が伸びており、本来ならば順番を待ってから手続きに挑まなければならない。しかしヤーバンの商隊は並ぶことなく、税関職員の誘導で別の道へ通された。


 監視塔の脇に、壁の内側に続く通路がある。


「我々が運ぶ商品には生ものもありますからな。多少のお布施と理由があれば、融通は利くものです」


 旅人ではなく、ヌアザに物資を運び入れる教会関係者という扱いらしい。


 人気のない道路に響いていた蹄と車輪の音は、やがてこぢんまりとした詰所の前で鳴りやんだ。許しの門とはちがうが、ヤーバンの言ったとおり税関手続きを免れるわけではないらしい。荷物を検めようと、職員たちが続々と姿を見せる。


 そこに、ひときわ大きな声が響き渡った。


「我が友よ!」


 詰所の奥から現れたのは、装飾きらびやかな白い広袖の礼装に、赤い法衣を重ね着した壮年の男だった。頭に大きな司教冠しきょうかんを被っていることから、司教であることが窺える。


 彼は大きく手を広げると、満面の笑みで声を張り上げた。


「ヤーバン・クス! 無事に戻ってなによりだ」


「これはゼルマン司教、まさかお出迎えいただけるとは……」

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