03 子どもの主張

「あの商人の馬車に乗るという話だったな。そこで俺の話をしよう。ついでに着替えも。俺とトリスはびしょ濡れだ」


 褐色肌かっしょくはだの商人は、ヤーバンと名乗った。


 南国ルーの古都モルフェッサを拠点に活動している貿易商ぼうえきしょうだという。彼は気前よくユウリスたちに着替えを提供し、さらにいちばん上等な馬車を惜しみなく提供した。


 四頭の白馬に引かれる車はコーチと呼ばれており、内装も広くゆったりとしている。椅子はなく、土足厳禁。床に敷かれているのは、ふかふかの絨毯じゅうたんだ。


 その柔らかさは、貴族の出身であるライラも驚くほどだった。


「こんな雲のような絨毯があるなんて、夢みたいです。それに馬車の揺れがまったくありません」


 まったくと言うほどではないが、「たしかにな」とユウリスも頷いた。床がずいぶんと底上げされているので、構造に秘密があるのかもしれない。


 それでもふざけたトリスが跳びはねると、さすがの高級馬車もぐらりと揺らいだ。


 すると御者台のヤーバンが、小窓を開いて朗らかに笑いかけてきた。


「元気なお嬢さんですね。しかしあまり暴れると馬が驚いてしまうので、ほどほどにお願いします。なにか不便がありましたら、なんなりとお声がけください」


 馬車に乗り込む前――ユウリスたちが内々の話をするというと、ヤーバンは率先して御者台に移ってくれた。怪物退治の報酬である金貨十枚もとどこおりなく、すでに支払われている。


 そつのない彼の態度に、しかしユウリスは警戒心を抱いていた。


 昨今、各国の領地を治める貴族たちは、ほぼ例外なく資金繰りに苦労している。


 半分は道楽と浪費癖による自業自得だが、残りは豊かさの追求が原因だ。大陸史における最後の大戦であった六王戦役が集結し、もうすぐ三十年が過ぎようとしている。


 平和が続き、衣食住の安定を得た民衆は、次に技術や生産性の向上を求めるようになっていた。


 そのかいもあって、人々の生活水準は飛躍の一途いっとを辿っている。


 例えば十年前、紙は高級品だった。しかし現在、庶民のあいだでも新聞や本は当たり前のように読まれている。


 利便性の向上は為政者たちの投資と英断による成果ともいえるが、それを影で支えてきたのが商人連合だ。


 貴族に金を貸し付け、技術者を紹介し、利回りを駆使して自分たちの事業を拡大する――特殊な政治体制にある妖精公国オグマを除けば、七王国内で商人連合を敵に回そうとする者は皆無だろう。


 さ晴らしのように有力者の首をねると言われている聖王国ダグザのグィネヴァ王妃ですらも、商人には手を出さない。


 ユウリスの疑念を肌で感じたのか、ヤーバンはにんまりと笑って首を横に振った。


「もちろん、商人は損得勘定で動く生き物です。自分の損になることはいたしません」


「闇祓いのジョンに恩を売れば、商人のヤーバンは得をするのか?」


「まさにジョン殿がおっしゃる通りです。我々は合理的に仕事をしますが、揺るがぬ信条もあります。それが、恩。商人は信用第一。貸し借りは忘れない」


 意味深なヤーバンの言葉に、ユウリスは不愉快そうに顔をしかめた。彼がなにを言わんとしているのか、まったく理解できない。


「今回のことで、俺に貸しを作っていると?」


「逆ですよ、ユウリ――いえ、ジョン殿。いま私は、貴方様に借りを返しているというわけですな。さあ、こちらの話はあとでよろしいでしょう。お嬢さんたちが、首を長くしてお待ちのようですよ?」


 そう告げて、ヤーバンは御者台の小窓を閉めた。


 ユウリスからすれば、商人も測量協会の人間と変わらない。腹の底が読めず、関わるとたいがい予期せぬ騒動に巻き込まれる。


「黙って≪ケルピー≫を退治しておくべきだったか?」


 終わってしまったことをとやかく言ってもしかたがない――ユウリスが嘆息交じりに正面を向くと、商人の言った通り、二人の少女が前のめりに待ち構えていた。


 話を聞きたくてうずうずしているトリスの肩を、ライラがたしなめるように抱いている。


 過去へつながる扉を叩くのは、彼女たちの声だった。


「ユウリス様、そろそろお話を」


「約束破んなよ、ニイチャン!」


 まばらな蹄と、車輪が土を削る音が聞こえる。そこに混じる優しい鳥の声に耳を澄ませば、記憶を辿る旅も苦ではないかもしれない――ユウリスは頷いて、ゆっくりと唇を開いた。


 かすかに震える吐息と共に、記憶と記録に、かすかな欺瞞ぎまんを乗せて紡ぐ。


「ここからずっと東に、ブリギットという国がある。その領土を治めるのは、レイン公爵家。これから話すのは、十年前にブリギットで起きた出来事だ。そのとき俺はユウリス・レインと名乗っていた」


 ユウリス・レインは、公爵家の長男だった。


 しかし妾の子であり、嫡男とは認められていない。世間知らずのトリスが、さっそく意味がわからないと首をかしげる。そんな友人に「あとで教えてあげますから」とライラがささやくのを、ユウリスは好ましそうに見つめた。


 この二人は、ほんとうに良い友人関係だと思う。


「俺は出自に問題があったせいで、街で忌み子と呼ばれていた。不吉の象徴。女神ダヌの敵。呪われた子ども。いろいろ言われてきたが、それでもレイン家の子どもとして、なに不自由なく暮らしていたと思う」


 そんな日々が終わりを告げたのが、十年前。


 突如として怪物の侵攻がはじまり、ブリギットの首都は炎に包まれた。そして伝承に伝わる邪竜が復活し、街は半壊――英雄たちの活躍によって人々は守られたが、その爪痕はいまもえていないという。


「一連の出来事は、邪竜事変と呼ばれている。そして怪物侵攻の原因となったのが、俺だ。み子のユウリス・レインは、生まれながらに闇の存在を呼び寄せる不吉な力を持っていたらしい。最後は勇者キーリィ・ガブリフが邪竜の討滅とうめつを成し遂げ、俺のことも救ってくれた」


 しかし勇者は、怪物との戦いで命を落としてしまった。


 さらに邪竜事変の被害者は十数万人にも上り、これは四十年以上前にブリギットを襲った大洪水以来の悲劇と言われている。


「英雄の死と邪竜の復活。両方のきっかけになった俺は、罪を償うべきだった。しかし≪ゲイザー≫は、七王国の法で裁けないという決まりがある。俺の身柄は一時的にヌアザの預かりとなり、教会法で沙汰を待つ身になった」


 そして裁判の結果は、無罪。事件を引き起こしたのは生まれついての不吉な力であり、ユウリス自身ではない――それが教会の判断だった。


「だが身近な者を亡くした者たちの無念は、いつまでも晴れないだろう。熱心なダーナ神教の信徒たちの中には、いまだに俺の罪を追及する声も多い。だからユウリスというのは、呪われた名前なんだ。あれから十年が経って、当時の記憶は薄れつつあるのかもしれない。それでも黒髪のユウリス・レインと聞けば、多くの者が不吉の象徴として思い出す」


 黒髪の忌み子、あるいは邪竜の後継者とも呼ばれる自分の名を、ユウリスは忌諱していた。だから自らを戒めるように、偽名を使う。聖典に登場する十三聖人の中で、裏切り者と呼ばれるジュダの名を騙るのは、それが理由だった。


「これが、俺の隠しごとだ。これ以上の詳しい事情は、教会と交わした誓約によって話すことができない。二人とも、わかってもらえたか?」


 しかしユウリスの話を聞き終えた二人の少女は、そろって不満そうな顔をした。


「いいえ、ユウリス様。私は、ちっともわかりません」


「アタシも、だいたいイミフメー。あと、話が長すぎ」


 そこで鼻息を荒くしたトリスが、勢いよく身を乗りだした。狭い車内で、すばしっこい彼女に勝る者はいない。


 あっさりと背後を取られたユウリスは、赤毛の少女に絞め上げられた。


「おい、やめろ、約束通りに話しただろう!?」


「そうだけどさ、けっきょくニイチャンは悪くないってことじゃんか! 名前って、大切なんだぞ! そんな理由で、自分の名前を変えたりするなよ!」


「君は、俺をニイチャンとしか呼ばないだろう」


「そう呼ばせてんのはニイチャンじゃんか!」


 弁明の言葉を探そうとするユウリスだが、次第に本気で息が苦しくなってきた。トリスの腕を叩いて窮状きゅうじょうを訴えるが、力が弱まる気配はない。ここぞとばかりに不満を爆発させた赤毛の少女は、容赦なくつばを飛ばし続けた。


「いい名前じゃん、ユウリス! 自分がイヤじゃないなら、堂々としろよな! それでゴチャゴチャ言う奴がいたら、アタシがぶっ飛ばしてやる!」


 ユウリスの顔色が、とうとう青くなりはじめた。


 その様子を見守るライラも、口を挟もうとする様子は微塵みじんもない。やがてトリスは自分の力加減を誤っていたことに気がつくと、腕の力を緩めてペロッと舌を伸ばした。


「あ、いっけね、強すぎた? ごめん、ニイチャン。生きてる?」


「げほ、げほ、うえ、おえ……なんて馬鹿力だ。どういうきたえかたをしている?」


「へへへ、すごいでしょ。でもアタシが強いんじゃなくて、ニイチャンが弱いんじゃない?」


 そんなわけあるか、と胸中で毒づいたユウリスは、次にライラを睨みつけた。


「助けてくれてもよかったんじゃないか?」


「ユウリス様、どうかお忘れなきように――女神ダヌは、誠実なる者に加護と祝福を与えます。ですが仲間に対して隠しごとをするような人には、逆にいまのような天罰がくだるのです」


「隠しごと?」


 口元に垂れてきたよだれを手の甲で拭いながら、ユウリスは肩を竦めた。なんのことかわからないと言わんばかりの態度をとる彼に、ライラの瞳からすっと色が消える。


「なるほど、あくまでシラを切るつもりなのですね」


「言ったはずだ、これ以上は教会との約束で話せない。ほかに、どんな秘めごとがあると?」


「忌み子のユウリスと邪竜事変の話なら、私も耳にしたことがありました」


「なるほど、やはり君は最初から知っていたか」


「ええ、いまユウリス様がお話しくださったような内容には及びませんが、ほんの噂程度に」


 しかしライラは、邪竜事変の噂について早い段階から疑問を覚えていた。


 見習いの修道女たちが忌み子のユウリスについて話をしていると、なぜかシスターから叱られる。熟練の修道女たちは、こう言って若者たちをたしなめていた。


「ユウリス・レインは被害者です。女神ダヌの御許みもとで裁定が下り、幼い少年に罪はないと認められました。彼を悪く言うような、醜い心を持ってはいけません」


 これをライラは、おかしいと感じていた。


「魔神バロールの使者とまで呼ばれた少年を、なぜ教会は庇いだてするのか――私は、ずっと疑問でした」


「俺は教会の裁判で無罪になっている。それを批判すれば、ダーナ神教の威信にかかわるからだろう」


「見くびらないでください。修道女になったとはいえ、私も元は貴族の家に生まれた子です。それが教会の面子を守るための見栄なのか、なにか重大な秘密を隠すための嘘なのかくらいは、空気でわかります」


 では真実がなにかと問われても、ライラには答えは出せない。


 しかし邪竜の後継者と呼ばれていたユウリスと直に会い、共に旅をして、彼女には確信したことがある。


「失礼ながらユウリス様は、とても不器用な方だと思います」


「薬の調合を教えたとき、君の手際にケチをつけたことをまだ怒っているのか?」


「それはそれですが、いまは関係ありません。私とはじめてお会いしたときにも、トリスが死んでいる可能性を考えて慮ってくださいました」


「え、ニイチャン、アタシのこと勝手に殺したのかよ!」


「トリス、いま私が話しています」


 瞬きもせずに注意するライラに、トリスが「怖っ」と震えて後じさる。彼女は気にした様子もなく、ユウリスに視線を戻した。


「あのとき、ヒュドラーの解毒剤が間に合うかは賭けだったでしょう。死を覚悟していた私に、あなたはただ話しかけてくださいました。これからのことを、明日のことを……けっして上手な励まし方ではありませんでしたが、あれが生きる気力になったのは事実です」


「つまり、なにが言いたい?」


「ほかにもユウリス様は、仕事に関係のないトリスの面倒もきちんと見てくださっています。あなたは不器用ですが、とても誠実です。いくら裁判で無罪になったと言っても、ご自分に非があることから逃げるような方ではないでしょう」


「ずいぶんと買い被られているようだが、君の勘ちがいだ」


「そうでしょうか。ここまでの道中も、怪物に襲われている旅人をなんども助けていたではないですか。その中でも謝礼を要求したのは、ほんの一握り。める者からは取っても、ひんする相手には慈悲を与える、すばらしい行いです。そんなあなたを知っているからこそ、どうしてもいまのお話が真実だと思えません。もしユウリス様が、多くの犠牲を生んだ邪竜事変の原因だったとしたら、なにかほかに事情があるのではないですか?」


「俺は怪物狩りの闇祓いだ。仕事をしてかてを得るが、べつに金儲けが目的じゃない。なぜ、そこまで俺にこだわる?」


 なにげなく質問したユウリスだが、その言葉はライラの琴線に触れた。思わずといった勢いで前のめりになった彼女が、早口にまくしたてる。


「だって、変じゃないですか! 正しい行いをした人は、正しく報われるべきなんです! そうじゃない世界はおかしいんです! 私がユウリス様が正しいことをする方だと思うから、だから――」


 唐突に声を荒らげた彼女の迫力に圧倒され、ユウリスとライラは固まっていた。面食らった二人の様子に気づき、ライラが恥じ入るように視線をさまよわせる。


「と、とにかく、やっぱりおかしいと思います。少なくともあなたは、自分の非から逃げるような方ではありません。コソコソと名を偽ったりしている時点で、怪しいのは確定です!」


「君の勝手な理想を押しつけられても困る」


「そんな言いかた!」


 そこで不意に、「あのさ、二人とも!」とトリスが声を上げた。


 普段は活発な赤毛の少女が冴えない顔つきになり、言い争う二人を見る。


 そんな友人の様子は意に介さず、ライラは不満そうに唇を尖らせた。


「もう、トリスったら。あとちょっとでユウリス様の隠しごとが暴けそうだったのに」


「それなんだけど、どういうこと?」


 絨毯の上に立ったトリスは、怒っているような、哀しいような、複雑な表情でユウリスを見据えた。


「アタシ、考えるのとか苦手だから、よくわかんないけどさ……つまり、さっきの話ってウソなの?」


 少女の純粋な想いに晒されたユウリスは、思わず言葉に窮した。


 先ほどライラに返していたような軽口が、うまく出てこない。


 その態度を肯定と受け取ったトリスは、ひどく裏切られたような気持ちになった。


「ニイチャン、本気でアタシにウソついたのか?」


 気がつくと目に涙がにじんで、胸がぎゅっと締めつけられるように痛くなる。それはトリスにとってはじめての感情で、たった一人の身内であった祖父が死んだときよりも悲しいものだった。


「なんだよ、それ……アタシ、本気でニイチャンのこと心配してたのに、なんでウソなんかつくんだよ!」


「トリス、これには事情が――」


「だから!」


 ユウリスの声を遮って、トリスは叫んだ。


「その理由を言ってくれなきゃ、なにもわかんないだろ! ウソつかれたら、アタシはなにもできないじゃんか!」


 唖然あぜんとするユウリスをにらみつけて、トリスは頬にこぼれた熱いたぎりを手の甲でぬぐった。


「友達ができたと思ったのに!」

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