05 ヤーバンの助言
「これはゼルマン司教、まさかお出迎えいただけるとは……」
馬車を下りたヤーバンは、ゼルマン司教と固い握手を交わした。
「
「なあに、友として当然のこと。貴殿の旅路に
「ならば良き旅となったのはゼルマン司教のおかげでしょうな。母神ダヌのご加護にも感謝せねばなりません」
商人と教会関係者は、金と利権でつながっている。それを
神聖国ヌアザの根幹を支えるダーナ神教は、利益の一部を公共事業に還元することで、不満の種を巧みに刈り取っていた。
「それでフィンディアス市はいかがだったかな?」
「ええ、商談も首尾よくまとまり、言うことはありませんな。そういえば、ちょうどモィ・トゥラの馬上槍試合を観る機会があったのですが、あれの迫力がすごいのなんのと!」
「ほお、それは是非、ゆっくりと話を聞きたいものだ。どうかな、ヤーバン殿。今夜は我が家に招待しよう」
「ご配慮痛み入ります。それでは倉庫へ荷物を預けたら、すぐに伺いましょう」
「おお、そうか。今日はラルウェン産のモーム肉とキアンの塩が手に入った。楽しみにしておいてくれ」
そこでゼルマンの視線が、御者台のユウリスに向いた。
「ところでヤーバン殿、珍しくお連れの方がいるようだが?」
「彼はディアン・ケヒトの
「ほお、≪ゲイザー≫とは……」
するとゼルマンは口元を歪めると、ユウリスの座る御者台へ歩み寄った。黒髪の闇祓いに向ける眼差しは、好奇心と
彼はバサリと法衣を鳴らし、恭しく礼をとった。
「お初にお目にかかる、ディアン・ケヒトのジョン。私はケルヴィス・ゼルマン。ようこそ、ノドンスへ。誇り高き闇祓いに、星刻の加護がありますように」
ユウリスもしかたなく馬車を降りると、同じように礼を返した。普段ならおざなりな返事で済ませるところだが、今回はヤーバンの
「ゼルマン司教、星刻の導きがありますように。それと、ジョンというのは偽名だ。ほんとうの名はユウリス。貴方が知っているかどうかはわからないが、俺は邪竜の後継者として知られている。余計な騒ぎを起こさないよう、素性を偽っていた。ヤーバン、隠していたことを謝罪する」
しかしヤーバンが反応を見せるより早く、ゼルマンは大げさなそぶりで後じさった。
「なんと、では、貴殿が、あのユウリス・レインか! これは驚いた!」
ゼルマンは両手を広げながら顔をしかめた。ずれてもいない司教冠に何度も手を触れているが、そんなそぶりの一つ一つが芝居がかっている。
そこでユウリスは、ふと奇妙な既視感に襲われた。
「失礼だが、どこかで会ったか?」
「ん? 顔を合わせたのは、これがはじめてだと思うが――だがユウリス・レインの名を知らぬ教会関係者など、このノドンスにはいるまい」
「いまは、ただのユウリスだ」
適当に応えながら、ユウリスは目を細めた。
このゼルマンという男とは、どこかで会ったことがあるように思える。しかし初対面という言葉に嘘は感じられない。気のせいだろうか。可能性があるとすれば、かつてヌアザで受けた裁判のときだろう。
そこで気を利かせたヤーバンが、やんわりと二人のあいだに割って入った。
「申し訳ない、ゼルマン司教。そろそろ行かねば、お邪魔するのが遅くなってしまいます」
「おお、そうだな。では、最後に一つだけ――ユウリス・レイン、貴殿は誰に招かれてノドンスへ?」
「いや、誰の招待も受けていない。仕事で修道女を送り届けにきた。用が終われば、すぐにディアン・ケヒトへ帰る」
「では貴殿もヤーバン殿と共に、ぜひ我が家へ」
「いや、≪ゲイザー≫は権力に属さない」
「ただ旅の話を聞かせてほしいだけだと言っても?」
「お茶を飲むだけであろうと、必要のない接触はしない主義だ」
「それが誰であってもかね?」
「司教の誘いを蹴って、他の誰におもねると思う?」
「よろしい。だがノドンスで困ったことがあれば、この私を頼るといい。きっと力になろう。ではヤーバン殿、のちほどお待ちしておりますぞ」
そう言い残してゼルマン司教が去ると、ほどなくして夕刻の鐘が木霊した。気がつくと空は茜色に染まり、職員たちの様子も慌ただしくなる。許しの門では並ばずに済んだが、けっきょく市街地に入るころには日が沈みかけていた。
真っ赤に染まる白塗りの街を、馬車が進む。
再び御者台に乗り込んだユウリスは、かたわらのヤーバンに問いかけた。
「さっきのゼルマン司教というのは?」
「教会内では、改宗派の長とも言われておりますな。来年、アロイス
「ああ、噂で聞いた。任期満了だろう?」
「そうなると次の教皇は誰かという話題になりますな」
「なるほど、ゼルマン司教が次期教皇の有力候補というわけか」
「次の教皇は、
「票固めには金がかかるわけだ?」
「そうでなければ、わざわざ通用口で商人を出迎えはしないでしょう」
ヤーバンは片目をつむって、白い歯を見せた。
商人側は資金提供と引き換えに、次期教皇とのつながりや利権に食いつくことができる。彼は「これも商売です」と、飄々と言ってのけた。ノドンスのような大都市では、この程度の駆け引きなど日常茶飯事だという。
それを聞いたユウリスは、呆れたように肩をすくめた。
「息子と同じで、いい役者じゃないか」
「おや、子育てには苦労したと言いましたが、息子だと明かしましたかな?」
「さっきゼルマン司教が口走っていた。ヤーバン・クス、わざと家名を明かさなかったな?」
「ははははは、バレてしまいましたか。その様子では、息子のことも覚えてくださっているようですな」
「ラポリは元気にしているか?」
「家には帰ってきませんが、便りを読む限りでは相変わらずのようです」
ヤーバンの息子――ラポリ・クスは、ビッグ一座という劇団の俳優だった。ユウリスが会ったのは一度きりだが、それでも忘れることはない。
あの陽気な男には、義理の妹と弟がずいぶんと世話になった。
「恩があるのは、むしろ俺のほうだ」
「いいえ、人狼に殺されかけた息子を助けてくれたのは、闇祓いのユウリス・レインだと聞きました。それから勇敢な少女サヤ、絵描きのエドガー・レイン、将来有望な女優ドロシー・レイン。ブリギットの子どもたちは皆、英雄だった――いつも息子は、そう自慢げに話していますよ」
「女性が集まる店で?」
「まあ、そういうところもあるかもしれませんな。ともかく家族は宝です。その命を救ってもらった恩は、返しきれるものではありません」
ユウリスの手を取ったヤーバンは、なんども謝意を重ねた。
「ユウリス殿のおかげで、ラポリの未来があるのです。それなのにまったく、あの放浪息子ときたら方々で危ない目にあっても、まったく懲りる様子がありません。しかもいまだに独身です。モテようとして空回りしている様子が、もう痛々しくていたたまれない……」
「ほんとうに相変わらずなんだな」
なつかしさとこそばゆさで、ユウリスは胸を締めつけられた。
ラポリは現在、劇団の座長を務めているという。ヤーバンは「家業に興味を示さない息子には困っています」とぼやきながらも、どこか誇らしげだった。
「よければ、いつか息子の舞台を観てやってください」
「ああ、もちろんだ。また会えるのを楽しみにしていると、そう伝えておいてくれ。ヤーバン、この辺りでいい」
ユウリスは、ノドンスの中心街で馬車を下りた。
すでに辺りは暗く、街の灯りも落ちている。日中は聖歌隊の野外公演や屋台で賑わっているバルトロエル公園にも、ほとんど人の気配はなかった。やがてライラとトリスも姿を見せるが、ふくれっ面で口を利こうとする気配はない。
そんな二人に、ヤーバンが呼びかけた。
「お嬢さんがた、少しよろしいかな?」
商人と少女たちがなにを話していたのか、ユウリスの耳には届かなかった。ライラの表情が和らいだのを見る限り、悪い内容ではなさそうだ。ただトリスは相変わらず、唇を尖らせている。
ヤーバンは、すぐに二人を解放した。
「それではユウリス殿、ライラ殿、トリス殿、お会いできて光栄でした。我々は、ここで失礼します」
ヤーバンは別れ際、すでに宿の手配が住んでいることを告げた。
「旅籠屋には話を通してあります。ノドンスの夜は早い。この時間から宿を探すのはたいへんでしょうから、是非ご利用ください」
けっきょくユウリスたちは、ヤーバンの厚意に甘えることになった。
実際、人通りすらほとんどなく、宿のあてもない。目当ての旅籠屋は、中央街の一等地に建っていた。貴族の豪邸を改修した建物らしく、庭の手入れも行き届いている。
広大な敷地に面食らった二人の少女は、不機嫌さも忘れてはしゃぎだした。
「ら、ライラ、ここなんだ、お城ってやつか?」
「私も、こんな
ヤーバンは、二つの部屋を手配してくれていた。
一部屋はユウリスの分で、少女二人は同室だ。
それぞれの部屋へ入る前に、三人は誰からともなく立ち止まった。それぞれがなにかを言いかけるが、うまい言葉が出てこないでいる。
やがてライラが「あの」と声を発した。
「先ほどは、すみませんでした」
金髪の修道女が、ユウリスに向き直る。逸る気持ちを抑えるように、なんども呼吸を整えている。ライラは勇気を振り絞って、仲直りの一歩を踏み出した。
「さっき、ヤーバンさんに言われました。子どもは、大人に甘えていいそうです。でも自分が大人になるためには、相手の立場になって考えることも必要だって」
「そんな話をしていたのか。まったく、至れり尽くせりだな」
「なんでもかんでも知りたないなんて、子どものようなことを言ってしまって……」
瞳を揺らすライラのかたわらで、今度はトリスが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「アタシは、悪いなんてこれっぽっちも思ってないからな。ウソついたニイチャンが悪い」
「もう、トリスったら! 私がせっかく――」
「だってよ!」
言い争いをはじめる二人に、ユウリスが「二人とも」と声をかけた。するとライラとトリスが、示し合わせたように黙り込む。
「急に静かになったな……いつもとちがう」
顔をしかめるユウリスに、ライラとトリスは視線を交わしてさえずった。
「だって、それは……」
「とにかく、ニイチャンが悪い」
二人が待っていたものは、最初から一つしかない。それを理解したユウリスは、真摯に紡いだ。
「さっきは、俺が悪かった。話せないなら話せないで、そう伝えるべきだったと思う。二人の信頼を踏みにじるような真似をした。ほんとうにすまない」
「…………」
「…………」
返事もなく黙り込む少女二人に、ユウリスは慌てて付け加えた。
「い、以上だ」
「え、それだけですか?」
「なんだよ、ほんとうのこと話してくれないのかよ!」
「改めて言うが、俺の事情は理由があって明かせない。それで納得してくれ」
複雑な事情に二人を巻き込みたくないというのがユウリスの本音だったが――この発言は、ライラとトリスの怒りを呼び戻した。
「この期に及んでまだ秘密にするつもりなんて、見損ないました!」
「うわ、ニイチャン、そんなんだから友達いないんだよ」
「二人とも、俺を友達だと思ってくれていたんじゃないのか?」
「それは、これからの態度次第です」
「うんうん、そうカンタンにアタシの友達になれると思うなよ!」
「待て、そもそもなんで俺が選ばれる側なんだ」
「ユウリス様、まさか、そこから説明しないといけないのでしょうか……」
「ねえ、ニイチャン、それよりアタシ、ハラへった」
「食事は部屋に運んでもらえるらしいから、勝手に頼むといい」
「ユウリス様、食事はみんなで食べましょう。それからトリス、ハラではなく、お腹と言うんです」
「え、ライラしらねーの? ハラってお腹のことなんだぜ」
「おい、二人とも、あまり廊下で騒ぐな。他の客が見ている」
「じゃあ、とりあえずユウリス様のお部屋に行きましょうか」
「もうメンドーだし、みんなここで寝ればよくない?」
「待て、ライラ、トリス……なんだか、俺が想像していた展開とちがう」
ユウリスが戸惑っているあいだに、ライラとトリスは部屋の中へ飛び込んでしまった。騒がしい兄妹だとでも思われたのか、ほかの宿泊客からは生温かい視線が注がれる。
誰も黒髪を気味悪がらなかったのは、少女たちが見せる元気な姿のおかげだろうか。
「まったく……」
「ユウリス様、ここの寝台、すごく大きいです! これなら三人で寝られますよ!」
「ニイチャン、ハラへった!」
それから食事のあいだも、就寝前も明るい声が絶えることはなく――こうして、三人の夜は更けていった。
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