04 イエヴァとコニー
「ごめんなさい、なんのことだかわからないわ。そんな恐ろしい泣き声なんて、ぜんぜん聞いたことがないもの」
役に立てなかったと思い込み、イエヴァは
ユウリスが確認するように、質問を重ねる。
「ぜんぜん聞いたことがない? 本当に?」
「ええ、だって、そんなに恐ろしい声なら絶対に覚えているわ」
「例えばひと月前には?」
「いいえ、夜に女の人が泣いていたら覚えているはずよ。わたし、なにかに狙われているの?」
その問いには否定もできないが、肯定もできない。
ユウリスは席を立つと、ウルカを外に促した。
「ウルカ、少し外へ」
「ああ、おそらく考えていることは同じだ」
不安そうに表情を曇らせるイエヴァを待たせたまま、闇祓いの師弟は玄関の戸を開いて外へ出た。春にしては日差しが強いが、吹く風は冷たい。
ユウリスは壁際に寄り、眉間にしわを寄せた。
「もしイエヴァが伯爵の隠し子だとしたら、バンシーの嘆きは彼女に向けられたものだ」
「ああ、だが、そうなるとおかしい」
イエヴァは「そんな恐ろしい泣き声なんて、ぜんぜん聞いたことがないもの」と、たしかにそう言った。今回、死を迎えるのが彼女だというのなら筋は通る。バンシーの嘆きは、命を落とす予定の当人には聞こえない。だがバンシーは二度、泣いている。
ウルカは腕を組み、状況を整理した。
「使用人のルッカが死んだときにも、バンシーは泣いた。ウィットフォード家の人間は、確実に声を聞いている。もしイエヴァが伯爵家の血筋なら、その嘆きを聞いていないというのは筋が通らない」
「そうなると残る可能性は二つ。イエヴァはウィットフォード家とは無関係で、ペーターが嘘をついている。あるいはルッカの死をバンシーが予言したのと同じように、なんらかの異常事態が起こっているか?」
「いや、少なくとも後者は考えられない。バンシーの予言は正確だ」
なにかを思いついたように目を細めたウルカは、そのまま落ち着きなく周囲を歩きまわりはじめた。
「少し考える。時間をくれ」
手持ち
「ウルカ」
「任せる」
そっけない彼女の返事に軽く肩をすくめて、ユウリスは呼吸を整えた。体内を巡る霊力に呼びかけ、力を発現する。
「
静かに唱えると、外套に隠れたユウリスの片腕が青い光を放った。
≪ゲイザー≫に宿る破邪の力が、不可視の波動となって広がる。音もなく反響する、見えざる波。霊力による探知術式だ。周囲の建物や家具、人間や動物、その位置や形が手に取るようにわかる――闇祓いの秘儀。覗き込まなくても、どんな背格好の人物が、どんな姿勢で潜んでいるのかを正確に把握できる。
当然、自分たちを窺う視線の持ち主も容易に見つけだせた。
「子供……イエヴァの友人か?」
そう口にしたとたん、物陰から金髪の少女が飛びだした。年はイエヴァと同じくらいだが、活発で勇ましい。
「やった、倒した――って、あわわわわ!」
彼女は足元がおぼつかない様子で、そのままユウリスの胸に飛び込んできた。
「残念ながら致命傷には程遠い。それより足をひねったりしていないか?」
彼女が転ばないように肩を抱きながら、ユウリスは苦笑した。少女は服のボタンもかけ違えており、性根がそそっかしいのかもしれない。
「いきなり見ず知らずの人間に襲いかかるものじゃない。俺の腰に、剣があるのが見えるだろう。武器を持っている人間に、中途半端な攻撃は逆効果だ。反撃されて、斬り殺される危険もある」
「う、うるさい、イエヴァになにするつもりよ! 強盗、それとも体が目当て!?」
「まともな反応だ。友達なら、イエヴァにも警戒心を持つように伝えてやれ」
話題にしたからというわけではないだろうが、そこでイエヴァが窓から顔を覗かせた。すぐに箒を手にした少女に気づくと、驚いたように声を上げる。
「コニー、どうしたの?」
「イエヴァ、無事でよかった。家の仕事が終わったから、遊びに来たの。そしたら怪しい二人組が家の前でうろうろしてるから、やっつけてやろうと思って」
「もう、せっかちなんだから。怪しくなんかないのよ、コニー。この二人は正義の闇祓いなんだから」
「怪しいよ、だって髪が黒いもん!」
それを聞いたウルカが、鼻で笑った。からかうように黒髪をいじろうとしてくる師の手を払いのけ、ユウリスも頬を引きつらせる。
コニーと呼ばれた少女は不服そうに唇を尖らせたまま、箒を下ろした。
「なんで正義の味方がイエヴァの家から出てくるの?」
コニーは問いかけながら、箒を地面に落とした。緊張しているのか、その手は小刻みに震えている。
ユウリスは軽く肩をすくめると、緩く首を振った。
「そんなに怯えるな。正義の味方じゃないが、人さらいでもない」
「お、怯えてない。怖がりなんかじゃないんだから!」
「ああ、友達を助けるために立ち向かってきた
ユウリスは腰を屈めて、箒を拾い上げた。警戒心をあらわにしたままの彼女に差し出すが、受け取ると同時に再び手からこぼれてしまう。コニーの手は
「どこか悪いのか? 見せろ」
「へ、平気だから! ねえ、イエヴァ、本当にこの人たちなんなの?」
「怪物の泣き声について調査しているんですって。それを聞きにわざわざ……あ、そういえばコニーって」
なにかに気づいたようなイエヴァだが、その声はしりすぼみに消えてしまった。どこか冴えない少女の表情に、ユウリスが眉を寄せる。友人の気づかいを察したコニーが、なんでもないという風に白い歯を見せた。
「ちょっとイエヴァ、大丈夫だって。あたし、もう立ち直っているから。怪物の泣き声ね。うん、ちょうど冬の終わりくらいに聞いたよ。あの頃は毎晩、怪物の声に悩まされていたから」
冬の終わりといえば、ちょうどひと月前にあたる。ウィットフォード家にバンシーが現れた頃だ。地面に片膝をついたユウリスは、コニーに目線を合わせて問いかけた。
「コニー、君の姓と名を正確に教えてくれ」
「な、なに、急に? ええと、コニーは愛称。本名は、コンスタンス。コンスタンス・マギニス。それがなに?」
ユウリスは答えず、傍らのウルカを見上げた。
マギニスという姓は、記憶に新しい。死んだ使用人の名前は、ルッカ・マギニス。目の前の少女は、その縁者に間違いないようだった。なにか事件に進展があったのだと察したイエヴァが、扉を開いて一同を再び家に招き入れる。
「とりあえず、中にどうぞ。コニー、お話を聞いても平気? つらくない?」
「ぜんぜん。イエヴァが優しくしてくれるから、元気なんてありすぎるくらい。ああ、でも、どうしようかな。こっちの条件を呑んでくれたら、話してあげてもいいけど」
きょとんとする闇祓いの師弟に対し、両手を腰に当てたコニーは情報提供の見返りを要求した。
「ミルクとクッキーを用意して! あたしと、イエヴァのぶん。そしたら話してあげる」
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