05 嘆きの真相

「たしか、その夜はなんだか寝つけなくて、布団のなかでボーっとしていたと思う。そしたら外から、急に耳が痛くなるような叫び声が聞こえて、すごくびっくりした。おそるおそる窓を覗いたら、変な女の人が立っていたの。それから毎晩、同じことが続いた。お父さんとお母さんを呼んだけど、ぜんぜんダメ。その女は、二人には見えていないし、声も聞こえなかったの」


 コニーは身振り手振りを交え、恐ろしい体験談を語って聞かせた。イエヴァは固唾かたずんで身を乗りだし、ユウリスも真剣な面持ちで耳を傾けている。屋内には三人のみで、ウルカの姿はない。子供の世話は苦手だという彼女は、ミルクとクッキーを買いに市場へ出かけた。


「で、その女が現れてから十日目に、お母さんが死んだってわけ。ウィットフォード伯爵はくしゃくのお屋敷で働いていたんだけど、階段から落ちたんだって」


 亡くなった女性の名は、ルッカ・マギニスだという。母親の死を口にしたコニー、少しだけ口をつぐんだ。それでも沈黙は短く、彼女は続ける。


「神父さまに聞いたのだけど、あの怪物はバンシーっていうんだよね。お母さんが死ぬから、あたしに泣き声を聞かせたのかな?」


 話し終えると、コニーは少しだけ寂しそうに肩をすくめた。その姿を労わるように、イエヴァがそっと寄り添う。ユウリスは礼を告げると、まずは窓の外に現れたという女の姿について尋ねた。返ってきた答えは予想通りで、その容姿はバンシー以外に考えられない。


 そしてもう一つ、奇妙なひっかかりがあった。


「君の父親には、バンシーの姿と声が認識できなかった?」


「うん、そう。だから神父さまも、もしかしたらバンシーじゃないかもって。ねえ、闇祓いさん。あたしが見たのは、なんだったの?」


「それをこれから調べる。バンシーの鳴き声を、最近になって聞いたりは?」


「聞いてないよ、あれが最初で最後」


 間違いない――そう、ユウリスは確信した。


 ルッカの死を嘆いたバンシーの声を、コニーは耳にしている。

 そして今回の予兆が聞こえていないということは、次に死ぬのは彼女だ。


「念のために、君の住所も教えてくれるか?」


「え、夜這よばいいとかしない?」


「そのつもりがあるなら、寝室の窓は鍵を開けておいてくれ」


 この台詞で顔を真っ赤にしたのはイエヴァだった。そんな親友をからかいながら、楽しそうに肩を揺らすコニー。仲睦なかむつまじい二人の様子を横目に、ユウリスは思考の海に意識を沈めた。ここまでの情報で、おおよそ事件の全貌は掴めたような気がする。しかし答えは直感に留まり、まだ言語化には及ばない。


「バンシーは家憑いえつき妖精だ。もちろん複数が同時に存在することもありえる。だが状況から考えて、コニーが目撃したのはウィットフォード家のバンシーで間違いない。伯爵家、家憑き妖精、ルッカ・マギニス、イエヴァ、コニー……」


 あと少し、あと半歩踏み込めば、答えに辿り着く――そこで不意に、玄関の戸が開いた。ミルクのびん菓子かしの入った包みを抱えたウルカが、不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「クッキーを買うために中央区まで歩いてやったぞ。さぞかし有益な情報を持っているんだろうな?」


「ありがとう、ウルカさん。コニーも、お礼を言って」


「あたしは情報提供者なんだけどね。ま、ありがとう。でもクッキーなら、広場にベスおばさんのお店があったでしょ?」


「喫茶店のバジールまで出向いた。友人からマフィンが美味いと聞いたから、ついでに買ってきてやったというわけだ」


 それを聞いたユウリスが、頬杖をついて悪戯いたずっぽく頬笑ほおえんだ。


「アナスタシアさんか?」


「他にも友人はいる」


「でも、アナスタシアさんだろ?」


「まあ、彼女だ」


 二人の闇祓いが誰の話をしているのかはわからないが、クッキーを待ちかねていたコニーは颯爽さっそうと席を立った。


「お茶はあたしが準備するから、イエヴァは座ってて」


「でも、コニーだってお客さまなのに」


「これくらい平気だよ。イエヴァは気を遣いすぎ。いいから、休んでなって」


 勝手知ったる他人の家といった様子で、コニーはお茶会の準備をはじめた。「いい友人だ」と呟くユウリスに、イエヴァも静かに首肯しゅこうする。しかし意気揚々と皿を手に取った少女は、手を滑らせて盛大に皿を割った。


「え、あ、ご、ごめん!」


 割れた陶器とうきの破片を片付けようとして、慌てて屈み込むコニー。そうして伸ばされた少女の手首を、ウルカが掴んだ。闇祓やみばらいの女傑じょけつが、有無を言わさぬ迫力で詰め寄る。


「先ほどから、お前の様子が気になっていた。場合によっては手遅れになる。正直に言え、元から身体が不自由なのか?」


「え、あ、ちがう。最近、なんか、手とか足とかしびれる感じがするだけ」


「他には?」


「えと、わかんない。たまに物が遠く見えたり、近く見えたりすることはあるけど……ほんと、ちょっと調子が悪いだけだよ」


 黙って成り行きを見守っていたユウリスが、「ウルカ」と声をかけた。師が抱いている危機感の正体はわからないが、同じように気づいたことがある。コニーはボタンを掛け違えていた。他にも出会い頭に転びかけたり、ほうきも満足に握れない様子だったりと、小さな違和感がいくつもある。


「どうこうことだ?」


「おそらく水銀中毒だ。まだ呂律ろれつはおかしくないし、普通に歩けてはいるから中期症状といったところだろう。だが早めに医者を手配したほうがいい」


「コニーが毒を盛られている?」


 怪訝けげんそうに眉をひそめたユウリスだが、そこでハッと目を見開いた。頭のなかでバラバラだった事件の欠片かけらが、かっちりとみ合う音がする。


「そういうことか」


「ユウリス?」


 ウルカの問いかけを片手で制し、ユウリスはコニーの前に屈み込んだ。駆け寄ってきたイエヴァに肩を抱かれ、不安そうに瞳を揺らす金髪の少女。先ほどまでの活発な色が失われているのは、皿を落としたせいばかりではないだろう。彼女自身も、毒を盛った人物に心当たりがあるのかもしれない。


「コニー、大事なことを聞く。君自身や、亡くなったお母さんにも関わることだ。最近、食事はどうしている?」


「お、お父さんが作ってくれてる。お母さんが死んでから、ずっとそう」


「他に口にした料理や食べ物は?」


「なにも、ない。ねえ、闇祓いさん、それどういうこと? なんでそんなこと聞くの? それじゃ、まるでお父さんが……」


「まだ確証はない。安心しろ、君のことは俺たちが守る。だが、いまは話している時間も惜しい。真相を突き止めるために、すぐにでも動かなければならない。ここでおとなしく、イエヴァと待っていられるか?」


 イエヴァが寄り添ってくれたおかげで、コニーも次第に落ち着きを取り戻した。


「よくわかんないけど、他にどうしようもなさそう。信じるよ、闇祓いさん。イエヴァに優しくしてくれたしね。それに……ううん、やっぱりなんでもない」


 なにかを察したかのようなそぶりを見せながら、コニーは自宅の住所をユウリスに伝えた。


「ねえ、闇祓いさん。あたし、もう残っている家族はお父さんしかいないんだ」


「俺たちは警察でもなければ、人殺しでもない。闇を祓う者――≪ゲイザー≫だ。その流儀に従って、やれるだけのことをやる」


 そう告げて、ユウリスとウルカは外に出た。


 すでに日は傾きはじめ、白いカラスが茜色の空を飛んでいる。バレスの色塗り横丁は、昼も夜も顔を変えない。人の営みが巡る、にぎやかな景色。勤め人が家路につき、家にはランプの明かりが灯る。


「ユウリス、もったいぶるな。コニーに毒を盛ったのは、あの子の父親か?」


「ああ、だが本当の父親じゃない。おそらくコニーは、ルッカとウィットフォード伯爵の間に産まれた不義ふぎの子だ」


「ルッカ・マギニスと、あの老いぼれ伯爵が不倫関係だった?」


「驚くことはないだろう、パーヴァルと寝ていた女だ」


「お前も、たいがい口が悪いな」


「それは師匠に似たんだ。バンシーがウィットフォード家の血縁にしか反応しない以上、夫人側の不貞ではないだろう。毒殺する意味がある血筋と考えると、伯爵本人の子供としか考えられない」


 ルッカは伯爵の愛人になり、小金でも稼いでいたのか。あるいは子をはらみ、産み落としたということは、二人の間には愛情があったのかもしれない。行き交う人の波を抜けて、真っすぐにコニーの家を目指す。


 屋台から漂う串焼きの甘辛い香りに後ろ髪を引かれながら、ウルカはため息を吐いた。


「なるほど、私にもわかってきたぞ。つまり伯爵との間に子供を産んだルッカを、バンシーはウィットフォードの家族とみなしたということだな?」


「ああ、だからルッカが亡くなるさい、伯爵の血縁者であるコニーにもバンシーの嘆きが届いた」


「逆にウィットフォード家とは無関係だったコニーの父親と、死を迎えるルッカ当人はバンシーの泣く声を聞けなかったというわけか」


「ただ、一つ疑問も残る。いくら伯爵の子を孕んだとはいえ、正式に家名を名乗ることも許されないルッカを、バンシーは家族と見なすだろうか?」


「貴族ともなれば、女遊びは珍しくもない。妾や落とし子のためにバンシーが泣いていたら、キリがないだろうな。だが実際、いまの説明が一番しっくりとくるのもたしかだ。とはいえ、こうなると別の気がかりが生まれる」


「ペーターか」


「そう、あのいけすかない坊ちゃんは、私たちに嘘を教えたことになる」


 ペーター・ウィットフォード――次期伯爵。

 ユウリスは苦虫を潰したような顔で、「ああ」と頷いた。


「ひとまずイエヴァは無関係と見て間違いない。ウィットフォードの血縁ではないから、バンシーの嘆きが聞こえなくても当然だ。身寄りがないのをいいことに、ペーターが利用したんだろう」


「コニーを毒殺しようとしていたところに、私たちが来ると知って慌てたのだろうな。伯爵夫人を真実から遠ざけるために、時間稼ぎとしてイエヴァに白羽の矢を立てた――そんなところだろう」


 同時に闇祓い二人の目を、ルッカから遠ざける役目も果たされた。コニーが家に訪ねてこなければ、もっと後手にまわっていた可能性もある。


 ユウリスは眉間に深い皺を刻むと、うめくように続けた。


「問題は、偽の情報を流してまでコニーを始末しようとした理由だ」


「時期的に見て、家督相続かとくそうぞくが関わっているのは間違いないな。だが、ユウリス。仮にコニーの存在が明るみになったとしても、妾腹しょうふくの子に爵位しゃくいを奪われる心配はないんだろう?」


「普通はそうだろうが、ペーター・ウィットフォードの場合はどうかな。母親に見放され、使用人にも嫌われていれば、疑心暗鬼ぎしんあんきになってもおかしくはない」


「なるほど、うとましい妾腹の子を毒殺するのも、その父親と共謀きょうぼうすれば簡単というわけか」


 そうこうしている間に、目的の家が見えてきた。マギニス邸には明かりがついており、窓辺には動く影も見える。


「それでユウリス、どっちがやる?」


「俺だ。ウルカに任せると、話を聞き終わる前に警察を呼ばれる」


「べつに構わないが、お行儀よくできるのか?」


「ノックはするさ」


 軽やかに返して、ユウリスはマギニス家の戸を叩いた。


 すると中から大きなゲップが聞こえ、「誰だ」と荒々しい声が返る。闇祓いの師弟は顔を見合わせると、二人同時に扉を蹴りつけた。金具が弾け、吹き飛んだ戸板が屋内に埃を立てる。


 二人を出迎えたのは、酒を手にした状態で目を丸くしている髭面の中年男だった。


「ご、強盗か?」


「いいや、俺たちは闇祓いだ」

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