03 色塗り横丁

 交易都市バレスは広大で、地区を跨ごうとすれば鐘が一つ変わる。


 特に富裕層の住む南地区と低所得層が住む東地区の境は建物が入り組んでおり、不慣れな者が抜けられるものではなかった。土地勘のない者は、必然的に中央区を経由して馬車で移動するのが近道となる。その例に漏れない二人の闇祓いは、車中でペーターから得た情報を共有した。


 ウルカが思案気に、鼻先を指でこする。


「命を落とすのがイエヴァという娘なら、一応の筋は通るな。不義の子だろうと血縁者であれば、バンシーが嘆いても不思議じゃない。屋敷の全員に泣き声が聞こえた理由も、それで説明がつく」


「だが、侍女のルッカが死んだ謎は解けていない」


「あの夫人が見落としているだけで、血縁という可能性もあるだろう。実際、家系図には載っていないイエヴァも見逃されていた」


 貴族の世界において、隠し子というのは珍しくもない。片方の親からは認知もされずに、庶民の子として暮らしているという事例は多々ある。それでもユウリスはどこか納得がいかない様子で、手慰てなぐさみのように馬車の窓を拳で叩いた。


「バンシーと話すことはできないのか?」


「無理だ。バンシーの嘆きが血縁者にしか届かないように、その姿も一族にしか見えない。特別な霊薬を使えば接触はできるだろうが、ここに辿り着く前にどこかのお人好しが消費した」


「墓地の件をまだ根にもっているのか。放っておけないだろう、襲われていたんだ」


「助けを求めてくるのが女だと、すぐに格好をつけたがる」


「誰が相手でも同じことをした」


「幽鬼退治に貴重な霊薬を消費したのは、マルガリタの入れ知恵だろう? あいつの役に立たない講義に付き合ったかと思えば、今度はパーヴァルの女に同情か。忙しい奴だ」


「まだマルガリタの実験に付き合ったのを怒っているのか、しつこいぞ」


「あの女には注意しろと言ったのに、お前が聞かないからだ」


「彼女も≪ゲイザー≫だ。クラウもいたし、べつになにもない」


「そうだな、私の留守中はクラウがお前のお守りをしてくれる。なにがジュダだ。偽名を名乗って、また女の気を引くつもりか?」


「自分に男っ気がないからって、俺に八つ当たりはやめてくれ」


「いま、なんと言った?」


「先に自分の発言をかえりみろよ」


 一触即発の空気を察したわけではないだろうが――「お客さん、着きましたよ」と馬車の御者ぎょしゃが声をかけてきた。色塗り横丁と呼ばれているだけあって、馬車の外に広がる壁は色とりどりの染料に塗りつぶされている。


 ユウリスは代金の支払いを済ませると、呆れた調子で扉を開けた。


「日が落ちる前に終わらせよう。さっきは悪かった、ウルカ。今夜の食事はおごる」


「お前はそうやって、すぐに話を終わらせようとする。たまには本気でぶつかってきたらどうだ?」


「冗談だろう、バンシーに泣かれるのは御免ごめんだ」


 ユウリスは冗談めかしてやり過ごそうとするが、ウルカは最後まで不満げなままだった。


「本当に可愛げがなくなった」


 二人が訪れた地域は低所得層が住む区画だが、貧民窟ひんみんくつのような暗さはない。住民は活き活きとしており、子供もそこかしこで走り回っている。通りかかった女に尋ねると、イエヴァの居場所はすぐに見つかった。他の家と同じく、外壁が奇抜な色で塗られた縦長の住居だ。


 ユウリスが戸を叩く。


「すまない、少しいいだろうか?」


「はい、どなたですか?」


 ユウリスたちの訪問に応じたのは、やつれた金髪の少女――イエヴァは急な来客に驚きながらも、快く二人を招き入れた。


「闇祓いなんて初めて見たわ。さあ、そちらにお座りなって、異邦のお客さま。なんだか夢みたい。おじいちゃんは仕事で留守なの。わたし、お茶をうまくれられるかしら」


 家の中は質素だが、最低限の家具は揃っている。バレスの東地区では水道設備が整っておらず、台所には大きな水がめが置かれていた。お茶の用意をしようとしたイエヴァを、ユウリスが先んじて止めた。


 少女の顔色は悪く、袖のほつれた麻の服から伸びる手は枯れ枝のように細い。


「もてなしは必要ない。急に訪問したんだ、構わないでくれ。だが君は、もう少し警戒したほうがいい。自称闇祓いなんて、どう考えても怪しいだろう」


「ふふ、自分で怪しいなんて、可笑おかしい。でも、見ての通りなにもないの。盗まれて困るような物もないし、わたしみたいな病気の女の子なんて襲いたくもないでしょう?」


「いや、やっぱり気をつけたほうがいい。いまは少し疲れているみたいだが、将来はすごい美人になりそう――だッ!?」


 他愛のない会話のつもりだったが、横に座るウルカにわき腹を思いっきり突かれた。ユウリスが身体を折り曲げて苦悶くもんあえぐ様子に、イエヴァは思わずふきだしてしまう。しかし可愛らしいさえずりは、すぐに激しいせきに変わった。


「ごほ、ごほ、ごめんなさい、ごほ。今日は、少し調子が良いと思ったのに」


 ユウリスはわき腹をさすりながら席を立つと、水を用意して彼女に差し出した。ウルカは腰のポーチを確認するが、あいにくと病気に効くような薬草は持ち合わせがない。


 落ち着くまでの間、イエヴァは何度も「ごめんなさい」と繰り返していた。


「生まれつき、肺が悪いの。息が苦しくなってしまって、たまにしゃべれなくなるくらい。お外を思いっきり走ってみたいなんて夢、笑われてしまうかしら?」


「いや、すてきな夢だと思う。俺はユウリス、彼女はウルカ。さっきも名乗ったが、ディアン・ケヒトの闇祓いだ」


 イエヴァは咳が治まると、目を輝かせて身を乗りだした。


 これは質問攻めの雰囲気だな、と二人の闇祓いは同時に察するが、どちらもいさめようとはしない。子供は苦手だと公言してはばからないウルカは適当に相槌あいづちを打つのにてっし、少女の好奇心はユウリスが受け止めた。


「ディアン・ケヒト! 聞いたこともない街だわ。それはどこにあるの? 七王国のなかに?」


「ディアン・ケヒトは、西の果てにある女神の聖域だ。国に属してはいない。俺たち≪ゲイザー≫が拠点として利用している」


「≪ゲイザー≫? さきほどは闇祓いと名乗っていらしたでしょう?」


「女神に選ばれた闇祓いを、≪ゲイザー≫と呼ぶんだ。その証に、俺たちはダヌ神に自分の分身を捧げている。ほら、明るい場所でも影がない」


「まあ、え、本当、本当だわ! 影がないなんて信じられない? どうして女神さまは影を欲しがるのかしら?」


「すまない、それは闇祓いのおきてで明かすことはできない。そうだな、代わりに影に潜む怪物の話をしよう。少し怖い話だが、構わないか?」


「ええ、もちろん! ぜひ、聞かせてほしいわ!」


 どんな質問にも真摯しんしに答えようとするユウリスに、イエヴァはたちまち魅了された。たまに旅人と話す機会があっても、子供だからと侮られてしまい、相手にされないことが多い。しかし彼は、大人に話すのと同じように接してくれる。それはまるで自分が立派な淑女しゅくじょにでもなったような気分で、とても心地よかった。


「それで、影の怪物を鏡に映してどうしたの?」


「鏡を剣で突き刺した。どこにでも現れる虚像は厄介だが、それ故に本体も曖昧あいまいだ。鏡に映ろうと、影は影。怪物は、死んだ」


「呪われた家はどうなったの? ご家族は?」


「もう住みたくないと言うから、ウルカが格安で買い取った」


「じゃあ、いまはウルカさんが住んでいるの?」


「いや、転売して大儲けだ。怪物よりも、彼女の商売根性のほうがよっぽど怖い」


 イエヴァが目に涙を浮かべて大笑いするなか、ユウリスはかたわらに座る師から足を踏まれて悶絶もんぜつした。そこに鳴り響く、教会の鐘。まだ日は高いが、遊びにきたわけではない。


 そろそろ本題に移ろうと、ウルカが注意を引くようにコツコツとテーブルを叩いた。


「そういうわけで、私たちは怪物狩りの専門家だ。ここに来たのも、雑談のためじゃない」


「ええ、そうね。ごめんなさい、楽しくてつい引き留めてしまったわ。わたしでお力になれるなら、なんでも聞いてくださいな」


 ウルカは軽くうなずくと、泣きわめく妖精の声について問いかけた。バンシーという名前を出さなかった師の配慮に、ユウリスが柔らかく笑む。死を予兆する嘆きなどと聞いたら、病弱な少女は不安がってしまうかもしれない。なんだかんだと彼女は、子供に気を遣っている。


 そしてペーターが予想した通り、イエヴァは首を横に振った。


「ごめんなさい、なんのことだかわからないわ。そんな恐ろしい泣き声なんて、ぜんぜん聞いたことがないもの」

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