09 デュラハンの裁定

「ペーター・ウィットフォードは怪物に殺された。だが、そこに駆けつけたのはディアン・ケヒトの闇祓やみばらい。ロベルタ伯爵夫人はくしゃくふじんに迫る牙を蒼き剣で弾き飛ばし、返す刃で邪悪なる存在の心臓を一突きだ。これより語るは奇々怪々ききかいかい。伯爵家を襲った悲劇と闇祓いの物語!」


 バレス市の広場に響き渡るのは、吟遊詩人ぎんゆうしじんの声と弦楽器の音色。その傍らをフード姿で通り過ぎながら、ユウリスはわずかに首を傾げた。


 詩はこれからはじまるようだが、開始前から結末を口にしているのが解せない。聴衆は、先に答えを知っても楽しめるのだろうか。最近の大衆文化はよくわからないが、あれよあれよという間に老若男女が集まってくるのを見る限り、そういうものなのかもしれない。


「せいぜい俺の物語で金をもうけてくれ」


 日差しは強いが、北の霊峰ミネルヴァから吹く風は冷たく、温かさは感じない。ペーターの死から三日が経過し、ウィットフォード家は未だに慌ただしい雰囲気に包まれていた。昨日までは現場検証のために警察が出入りしており、今日に至っては葬儀の手配に追われているらしい。それでもユウリスが呼び鈴を鳴らすと、少し待たされたあと、ロベルタ伯爵夫人が自ら出迎えに現れた。


「伯爵夫人」


「ごきげんよう、ユウリス殿。あら、お一人なのですね。ウルカ殿は?」


「カルフ家の呼びだしに応じた。最近は、ダグザの周辺で怪物絡みの変事が多い」


「闇祓いにも、稼ぎ時というものでしょうか。ですが、不埒ふらちな輩が多いのは事実でしょう。今朝、ペーターに魔術の品を売った呪い師が逮捕されました。ダグザからの密入国者で、許可のないはぐれ者と聞いています」


「許可のある奴なら、異端審問官の怖さを十分にわかっているはずだ。わざわざ貴族の子弟してい相手に、あくどい商売をすることはないだろう」


 屋敷の中に案内されたユウリスは、彼女の横顔をそっと盗み見た。ペーターが命を落とした当日こそ憔悴しきっていたが、いまは目に生気が戻っている。最初に依頼を受けた応接室で、ロベルタ伯爵夫人は丁寧に腰を折った。


「ディアン・ケヒトの闇祓い。≪ゲイザー≫のユウリス殿。貴方の尽力に感謝します」


「素直に受け取りかねるな。けっきょく、どこまでが貴女の計画だったんだ?」


 伯爵夫人はうれいに満ちた色で瞳を揺らした。躊躇ためらいがちに開かれた唇は、しかし侍女がお茶を運んできたことによってつぐまれてしまう。紅茶とクッキーが配膳された卓を挟んで、ユウリスと彼女はソファに腰を沈めた。


「ここにくる途中、何人もの吟遊詩人の歌っているのを聞いた。それはこんな内容だ――ペーターは地下に潜む怪物に殺され、息子を助けようとした貴女も襲われてしまう。しかし行きずりの闇祓いが割って入り、怪物を討って事件は解決。めでたしめでたし」


「まあ、ずいぶんとひどい歌ですこと」


「偽の情報を流して、真実を捻じ曲げたな。警察も買収したのか?」


「当事者である黒髪の闇祓いは、やんごとなき理由で証言台に立つことはできないと判断しました。代わりにわたくしが警察に対応したまでのことです」


「だが、実際にペーターを殺したのは貴女だ」


「わたくしに息子殺しの罪をつぐなえと?」


「状況を考えれば罰を受けることはないだろうが、それでも正しくあることはできる」


「これがウィットフォード家の正しさなのです。結果が同じなら、より良い未来につながる方法を取るべきでしょう。夫は、もう長くありません。たった一人の跡取りを失ったあげく、当主まで身罷みまかるような事態になれば、伯爵家の威信が損なわれてしまいます」


「家の株を保ち続けるために、ペーターの死も利用するのか」


「家名に泥を塗った息子も、これで少しは役に立ったということです」


「伯爵夫人」


「部外者が口を挟むことではありません。それとも国中をあざむいた十年前の出来事は正しかったと?」


 ユウリスは反論しかけるが、けっきょくは情けなく口を閉ざした。過去の話を持ちだされると、返す言葉がない。場を仕切り直すように紅茶を飲んで、気分を落ち着ける。しかしすっきりとした茶葉の香りが鼻腔を抜けても、思考が晴れることはなかった。


「俺は交渉や腹芸が苦手だ」


「自覚していたとしても、それは口にだすものではありませんよ。特に、こういう場ではきもに銘じるべきでしょう」


「忠告痛み入るが、長居をする気もない。最初の質問を繰り返そう。どこまでが貴女の計画だったんだ?」


「計画というほどのものではありません。ただコンスタンス・マギニスが夫の隠し子であることは、最初から承知していました。母親のルッカが亡くなったあと、夫がわたくしに打ち明けたのです」


「伯爵が、自分で浮気を白状した?」


「ルッカが命を落としたことで、コンスタンスの身を案じたのでしょう。ヌアザに出生証明があると聞いたわたくしは、すぐにそれを取り寄せる手配をしました。先のことはともかく、事実関係は把握しておかねばなりません」


「それをペーターは、自分の立場が脅かされると勘違いして……いや、まさか彼の考えは当たっていたのか?」


「自分のお腹を痛めて産んだ子と、夫の不義から産まれた子を同列に扱うとお思いですか? それこそ忌み子と呼ばれてきた者からすれば、身に染みた話では?」


「ごまかしかたが上手いな。家のためにペーターを殺したと言ったが、それができたのはコニーという保険があったからじゃないのか?」


「あら、腹芸は苦手とおっしゃるわりに、なかなかやりますね」


 今度は彼女が紅茶を口に運ぶ番だった。その表情に、後悔の色はない。ほんのわずかににじんだ哀愁も、軽い吐息に混じって消えていった。


「コンスタンスを、正式に当家の子として迎えることにしました。ソラフ・マギニスも逮捕されましたし、あの子には他に身寄りがありません。これは当然の帰結でしょう」


「俺に言い訳をする必要はない」


「貴方は、女性に対する配慮が足りていないようですね」


「驚いたな、ウルカにも同じことを言われる。てっきり彼女がおかしいのだと思っていた」


 軽口のつもりはなく、本心からの言葉だったが――ロベルタ伯爵夫人は、思わずといった様子で吹きだした。納得がいかないとばかりにユウリスは両手を広げるが、彼女は首を横に振るばかりだ。


「ですが、子供の扱いは上手いようですね。コンスタンスはもちろん、イエヴァもずいぶんと貴方に良い印象をもっているようでした」


「イエヴァとも話したのか?」


「彼女も、養子として当家で引き取ります。ウィットフォードの家でコンスタンスが孤立しないために、イエヴァはうってつけでしょう。病の治療を条件に、彼女の祖父も納得してくれました」


「二日前に顔を合わせたが、なにも言っていなかった」


「話を取りまとめたのは、昨晩のことです」


「伯爵が生き長らえているうちに、打てる手は打っておくということか」


「そう捉えていただいても差し支えありません」


「貴女のことだ、コニーに家督を継がせることも選択肢の一つとして以前から考えていたんだろう。それなのに、なぜ最初から俺たちに真実を明かさなかった?」


 彼女がコンスタンスの存在を最初から知り得ていたのであれば、事件の見方は大きく変わる。ロベルタ伯爵夫人は顔色一つ変えず、淡々と紡いだ。


「当然、コンスタンスが狙われている可能性は考慮していました。最初から事情をお伝えしなかった理由はいくつかありますが、貴族の見栄とでもお考えください」


「ほかにも疑問が残る。ルッカが死んだ原因についても、貴女なら最初から見当がついていたはずだ。バンシーの嘆きにしろ、答えがわかっているなら闇祓いを召喚する必要はなかっただろう?」


「貴方が思うほど、わたくしは事情に精通していたわけではありません。ルッカ・マギニスについても疑いこそあれ、バンシーが関われば話は別です。結果として助けていただいたとはいえ、貴方たちは得体の知れない闇祓い。包み隠さず明かすには少々、繊細せんさいが過ぎる問題でした」


「たしかにペーターの企みを、貴女は知らなかった。この顛末てんまつは、いくつかの偶然が重なった結果だろう。その上で尋ねたい。もし息子が善人で、爵位に相応しい人間だったとしたら、貴女はコニーを見殺しにしていたのか?」


「それは水掛け論でしょう。ユウリス殿は正しさを説かれますが、わたくしは道を踏み外したつもりなどありません。この意味は、ご理解いただけますか?」


「ああ、わかるさ。貴女のような人間とは、永遠に平行線だ」


 伯爵夫人はかすかに笑う気配を見せたが、その口元はティーカップに隠れてしまう。軽く息を吐きながら、彼女はうれうように目を細めた。


「ただ、一つ気がかりがあります」


「安心しろ、この件を口外するつもりはない。ウルカも口止め料を要求するほど節操なしじゃない、と思う。たぶんな」


「それは結構。ですが、気がかりは別にあります。あれから、バンシーの泣く声が聞こえなくなりました」


 バンシー。


 家人が生涯を終えるとき、泣き声を上げる死を司る異形の女。

 今回の騒動においては、すべての発端ほったんともいえる存在だ。

 嘆きの前兆とも呼ばれる家憑き妖精は、ウィットフォード家から姿を消した。


 その理由を、ユウリスは知っていた。


「それについて、一つ話しておくことがある。ペーターが命を落とした夜のことだ。あのあとウルカの元へ戻ろうとした俺は、この屋敷の庭でバンシーを見た」


「バンシーを?」


 ロベルタ伯爵夫人が驚くのも当然だ。

 本来、バンシーは家人の前にしか姿を見せない。


 それを承知しているユウリスも、「ああ」と信じられないような面もちで頷いた。


「俺の前に現れたのは、バンシー自身の意図だろう。なんの意味があるのかはわからなかったが……」


 それでもユウリスは、たしかにバンシーを見た。


 緑のキルトと灰色のマントを羽織った、老婆。長くほつれた黒髪で顔が覆われており、目は見えない。ただひび割れた唇がかすかに動いたが、あいにくと声は聞こえなかった。


「彼女がなにを伝えたかったのか、俺にはわからない。こちらから近づこうとすると、どこからか馬車の音が聞こえてきた」


 最初に届いたのは荒々しい蹄と、豪快な車輪の音だった。


 同時に視界がかすむほどの強い風が吹き、闇に大きな輪郭が浮かんだ。まるで夜を渡るようにして現れたのは、棺桶を引きずった戦車だった。その御者台に乗っていたのが、大きな鎌をかかげた黒い甲冑の首なし騎士――≪デュラハン≫だ。


「最初は、俺が狙われているのかと思った。死すべきコニーを救ったのだから、≪デュラハン≫の標的になっても不思議じゃない。だが、そうではなかった」


 ≪デュラハン≫の戦車は、バンシーの背後で停まった。


 ユウリスは以前、≪ジェイド≫と呼ばれる首なしの騎士と戦ったことがある。その怪物は首から上がどこにもなかったが、≪デュラハン≫の頭は脇に抱えられていた。


「≪デュラハン≫は笑った」


 高らかにわらった。死を悼み、嘲笑い、賞賛する、おぞましい声だ。そして≪デュラハン≫が鎌を大きく振り上げると、バンシーは受け入れるように首を伸ばした。


「俺は、とっさに剣を抜こうとした。だがバンシーは……」


 救いを拒絶するように、バンシーは首を横に振った。ほつれた髪の隙間から覗いた目は、最後までウィットフォード家を見つめていたように思える。刹那、首なし騎士の大鎌が夜を裂き、家憑き妖精の頭部が芝生に転げ落ちた。


「戦車を下りた≪デュラハン≫は、バンシーの亡骸を棺に納めた。体も首も、両方だ。そして来たときと同じように、闇の彼方へ消え去った」


「ですが伝承によると≪デュラハン≫が現れるのは本来、死すべきだった者の命を刈り取るためでは?」


 バンシーの予言を覆そうとした場合、首なし騎士が現れる。そして死の約束を果たすため、死すべきだった者に襲いかかってくる――というのが、≪デュラハン≫の伝承だ。


「だがウルカによると、≪デュラハン≫は最後までコニーの前に現れなかったらしい」


 そのまま思案気に目を細めるユウリスの姿に、ロベルタ伯爵夫人は落ち着かない様子で指先をこすらせた。また、いずれ凶事に見舞われるのではないかという恐怖は拭えない。


 そんな彼女の不安を察して、闇祓いの青年は首を左右に振った。


「バンシーが消えた以上、≪デュラハン≫だけが単独で現れることはない。少なくとも、この件に関しては終わったと考えていいだろう」


「バンシーが予言したのは、けっきょくペーターの死だったのでしょうか?」


「それについてはいろいろと可能性を模索してみたが、俺たちにも答えはだせなかった。バンシーの嘆きは、命を落とす当人には聞こえないという制約がある。そしてコニーには、妖精の泣く声が聞こえていなかった」


「ええ、そうでしょう。逆にペーターは、バンシーの声を耳にしていたはずです」


「これまでの経緯を鑑みると、最初の嘆かれたのはコニーの死で間違いないだろう」


「ですが、ペーターが死にしました。わたくしが殺したのです」


「そして反対に、死を予言されたコニーは助かった。貴女はあの夜、バンシーの嘆きを聞いたと言っていたな?」


「ええ、あの子の死に際に――これまででもっともおぞましく悲しい、バンシーの泣く声を」


 それはペーターの死を悼む、バンシーの嘆きだったのだろうか。あるいは、なにか別の意味があったのかもしれない。


 しかしすべての答えを知る妖精は、もう消えてしまった。


「妖精の予言については、ディアン・ケヒトでも研究が進んでいない。だが魔女を例に挙げれば、未来予知というのは精度が曖昧あいまいだ。終わってから、つじつま合わせをすることも珍しくはない。貴女がペーターを殺したことで、コニーが救われたとも考えられる」


 そこまで口にしたユウリスは、ふと思いつきを口にした。


「まさか……バンシーは、コニーを助けたのか?」

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