03 ビッグ一座

 縄で繋がれたモームの群れが、街道をのんびりと闊歩かっぽしている。野盗や怪物の襲撃を警戒しているのか、傭兵たちの姿も見えた。ウシ科の家畜は気の抜けた声で鳴くものだから、誰もが欠伸を噛み殺している。


 そうでなくとも春のような暖かい陽気だ。青い空に雲はなく、鳥のさえずりが心を休ませる。


 あるいは、そうでない者もいるようだが。


「マジ、クソババア」


 旅立ちから二十日目の昼――ドロシーが発した一言で、馬車の空気が凍りついた。暴言を向けられたウルカが、容赦なく鉄拳を振るう。レイン家の次女が頬をらして泣き叫んでも、闇祓いの女傑じょけつは意にも介さない。


 さすがにエドガーも擁護できず、オスロットのいる御者ぎょしゃ席に逃亡した。


 昼寝をしていたサヤが目を擦って、ユウリスの膝で目覚める。


「おにいちゃん、またけんか?」


「うーん、今日はドロシーがわがまま言って、ウルカに殴られた」


「じゃあ、いってくるね……ドロシーおねえちゃん、なかないで?」


 サヤは不安定な馬車でも難なく立ち上がり、泣き喚くドロシーに寄り添った。代わりにウルカがユウリスの傍まで移動して、苦虫を潰したような表情で手をひらひらと振る。


「お前以外を殴っても、あんまりすっきりしないな」


「わあ、光栄だね」


「どうした、心だけじゃなくて頭もやられたか?」


「嫌味だよ。それよりバレスに寄るのは、どうしても駄目なの?」


「すでに街道を逸れて、旧道を二日も進んでいる。フォースラヴィルは目と鼻の先だ。いまさら戻れるか」


 神聖国ヌアザの国境に近くに、バレスという交易都市ある。


 西にダーナ神教の総本山であるヌアザの首都ノドンス、南に七王国最大の規模を誇る聖王国ダグザの首都ルアド・ロエサ――それぞれに繋がる街道の中継点として、ブリギットでは二番目に大きな街だ。


「だからって、なにも殴ることないのに」


「気のせいでなければ、私はクソババア呼ばわりされたぞ」


「気のせいじゃなければ、ウルカは大人で、ドロシーは十二歳」


「私が悪いと?」


 そうじゃないけど、と弁明するユウリスに対して、ウルカの眼差しは険しい。とにかく彼女は、オスロットとドロシー――この二人との相性が悪いらしく、鬱憤うっぷんは限界を超えていた。顔を合わせれば嫌味の応酬がはじまり、その衝突は一度や二度ではない。


「ウルカって人付き合い下手だよね」


「忌み子が言うのか?」


「あ、その喧嘩買うよ」


 この程度は軽口の範疇だが、サヤは心配そうな顔をする。肩を竦めたユウリスは、なんでもないよ、と笑いかけて腰を浮かせた。


 前方の御者席に身体をのばし、オスロットの肩を叩く。


手綱たづなを代わるよ」


「ふざけるな。あの詐欺さぎ女とドロシーお嬢様が怒鳴りあう声が聞こえたぞ。私は絶対に戻らんからな!」


「サヤ、まだ眠そうだから。次はオスロットが抱いてあげて?」


 サヤをだしに使うのは気が引けるが、ユウリスの提案は効果覿面だ。髭に隠れた口元を緩ませ、オスロットが咳払いをした。それならば仕方がない、と御者が役目を放棄する。


 そして手綱は少年の手に委ねられた。


「嘘だったら今日こそ承知せんぞ!」


「眠いかどうかは、サヤ次第だよ。ほら、早く退いて」


 首尾よく御者席を獲得したユウリスは、外の空気を杯一杯に吸い込んだ。背後では早速、嫌味を口にするウルカと高圧的なオスロットの舌戦がはじまっている。


 傍らに座るエドガーは苦笑して、首を柔らかく左右に振った。


「ウルカさんって、もっと落ち着いた人なんだと思っていたよ。ユウリスはよく、あんな人の弟子になろうと思ったね」


「ああ、それ絶対、ウルカに聞こえてるよ。彼女は地獄耳だか――痛っ。ほらね。ていうか、いまの俺?」


 車内から投げられた硬い物が後頭部を直撃して、ユウリスが不満そうに顔をしかめた。


 ごめん、とエドガーは謝罪しながらも、その表情は楽しげだ。彼はポケットからクッキーの包みを取りだすと、最後の一枚を半分に分けた。義兄弟きょうだい揃って口に放り込んだ焼き菓子は、ずいぶんと乾いている。


「エドガー、すごいしけってる」


「まあ、ブリギットから持ってきたお菓子だからね。安心して、かびが生えている部分は先に落としておいたから」


「本気?」


「どうかな。でもバレスに行けば、新しいクッキーが買えたのは事実だよ」


「そんなにバレスへ行きたかったの?」


「ドロシーみたいに朝から晩まで喚く勇気はないけどね。ノドンスやルアド・ロエサは家賃が高いって理由で、バレスを拠点にしている芸術家は多いんだ。そういう場所には見習いの若手も集まるから、弟子の募集も手広くやっている。僕とドロシーはコネがないからね、いまのうちに繋がりを作っておきたいんだよ」


 母であるグレースに頼めば、いくらでも紹介はしてもらえるだろう。しかし双子は夢を追いかけるために、公爵家の人脈を頼るつもりはない。あくまで自分の力で道を切り開きたいというエドガーに、ユウリスは感心した。


「すごいな、そんな風に考えていたんだ。じゃあ、あとで俺からもウルカに話してみるよ。帰りに少し遠回りをして、バレルに寄ってもらえるように」


「殴られても僕を恨まない?」


 軽口を叩き合う二人の耳に、新しい車輪と馬のひづめの音が届いた。


 視線を横に向けると、大きな馬車が並び、ユウリスたちに速度を合わせていた。


 御者台に座る男は、浅黒い肌の若い男だ。黒い眼球は大きく、薄紅の唇が弧を描いて白い歯を見せる。


「やあ、ボクはラポリ・クス。耳が良いのが取り柄なんだ。キミたちの話、ばっちり聞こえたよ。芸術に興味があるんだってね。ボクが教えてあげるよ。なんでも聞いて?」


 突然の申し出に、ユウリスとエドガーはぎこちなく顔を見合わせた。


 黒い肌は砂漠を越えた先、南のモルフェッサ地方に見られる人種だ。大陸南部は七王国の領土ではないため、口さがない人は未開拓地の野蛮人とも呼ぶ。貿易に秀でたブリギットでも、白人以外を目にする機会は少ない。


 少年二人の驚きを敏感に感じ取り、ラポリは手綱を握ったまま優雅にお辞儀をした。


「そんなに怖がらなくて平気だよ。ほら、ボクはなんていうか、ひょうきんだから。ちなみに白人の皮を剥いで食べたりはしない。この噂を流した奴、絶対に性格悪いよね」


 ラポリは表情豊かで、話をするたびに唇や目元がよく動くような男だった。それが面白くて、ユウリスとエドガーがたまらずに吹きだす。


 二人はすぐに非礼を詫びると、改めて挨拶を交わした。


 しかしレインの名を聞いて、今度は彼が仰天する。


「え、レインって、公爵家の子供? じゃあ、黒髪のキミは忌み子のユウリス? あとで握手して!」


「え、自分で言うのもなんですけど、忌み子なんて触りたくないんじゃ……?」


「なんでさ⁉︎ 酒場に行くたびに自慢できるじゃないか。可愛い女の子と、合法的にお近づきになれるよ! キミに悪戯しちゃうのは、この手が忌み子の呪いにかかったからなんだよって言いながら肩を抱ける!」


「すみません、握手はなしで」


「またもやなんでさ⁉︎」


 どうやら嫌味や冗談ではないようで、握手を拒否されたラポリは本気で悲しそうに眉尻を下げた。しかしユウリスも口説き文句で悪名が広がるのは避けたいので、譲歩は不可能だ。


 やがて道の具合が悪くなりはじめた。車輪が土のくぼみや石に躓いて、車体が大きく揺れる。運動神経の悪いエドガーは、御者席のふちを掴んで唇を震わせた。


「これはなかなかの悪路だね。街道のようにとは言わないけれど、観光地なんだからもっと道を整備すればいいのに。ラポリさんは、どうしてフォースラヴィルに?」


「巡業だよ。ボクと荷車の仲間たちは、ビッグ一座っていう劇団なんだ。普段は七王国をまわっているんだよ。でも年に一度、この時期はフォースラヴィルで舞台をする。キミたち、妖精の泉にまつわる伝説を知っているかい?」


 顔を見合わせて頷いた二人を、ラポリは一夜限りの公演に招待した。


「妖精が力を失う紅い満月の夜、湖のほとりで劇をするんだ。魔除けや無病息災を祈願きがんする、由緒ある公演なんだよ。この馬車はビッグ一座の準備部隊。乗っているボクと同じ役者のダイアナと、美術のテリー、大道具のアムサン。まずは四人だけで準備をする。他の仲間はあとから合流。でも、けっこう暇な時間が多くてね。それでキミたちに声をかけたってわけ」


 ようやく得心したエドガーは、肩越しに馬車のなかを覗いた。


 ドロシーはサヤの膝に顔を埋めて、不貞寝している。しかしビッグ一座と知り合えたと聞けば、きっと元気になるに違いない。


 表情を和ませた双子の片割れは、改めてラポリに顔を向けた。


「僕は絵描きを目指しています。妹のドロシーは役者。僕らに色々と教えてくれますか?」


「やった、そうこなくっちゃね。ボクは劇団で主役も張れる大看板おおかんばんなんだ。きっと妹さんは大女優なれるよ。エドガー君には、テリーを紹介する。ちょっと気難しいけど、良い奴だよ」


 そこで不意に、二台の馬車が歩みを止める。


 フォースラヴィルへ続く道の途中、川を渡るための橋が崩れていた。怪物の仕業により復興作業中、と手前の看板には記されている。


 思わず顔に手を当てたユウリスは、重い溜息をついた。


「最悪だ。ここまで来て通れないなんて。しかも全然、修繕されている気配がない」


 川幅は広く、水流は早い。


 ウルカとオスロット、ビッグ一座の人間も続々と馬車から降りて様子を窺うが、馬車の通過は困難だという結論に達した。


 どうしようと悩むユウリスに、ラポリが陽気な声で助け舟を出す。


「心配いらないよ。少し道を逸れれば、馬でも渡れる浅瀬があるんだ。ボクらは道を知っているから、案内するよ。時間は少し掛かるけど、確実にフォースラヴィルに着ける」


 モルフェッサ系のラポリを目にしたオスロットは当初、あからさまに不快感を示した。少年たちと同じように、七王国に所属していない南部人は野蛮で恐ろしい人種だという差別意識が根づいている。しかし他にあてがあるわけでもなく、サヤにたしなめられた警部補は渋々とビッグ一座の先導を受け入れた。


 しかし今度はウルカが川辺に佇んだまま、いつまでたっても動かない。彼女は肩越しに振り向き、ユウリスに降車を命じた。


「仕事だ、ユウリス。私たちは道沿いに進むぞ。怪物がいるなら退治して、ついでにフォースラヴィルの連中から謝礼をもらう」


「でも俺、闇祓いの作法は使えないよ?」


「囮にくらいはなるだろう。それに破邪の力も、窮地きゅうちに陥れば復活するかもしれない。つべこべ言うな、さっさと行くぞ!」


 げんなりとしたユウリスの腕を喜々として掴んだウルカは、強引に川の向こうへ渡った。破邪の力で強化した身体能力を用いれば、少年ひとりを抱えて跳躍するのは容易い。


 寂しそうに手を振るサヤと舌を伸ばすドロシーに背を向け、闇祓いの師弟は街道の先に足をのばした。


「でもウルカ、どうして怪物が人間の橋を壊すんだろう?」


「良い着眼点だな。そう言われてみるとおかしい」


「え、もしかして、なにかべつの目的があって俺を連れだしたとか?」


「そんなまどろっこしい手は使わない。怪物がいないなら、ただの歩き損だ」


「うわ、勘弁してよ……」


 がっくりと肩を落とした弟子の尻を、ウルカは反射的に蹴り上げた。ないがしろにされているようで、師匠としては面白くない。


 渋面で尻をさすったユウリスは、周囲の景色に視線を巡らせた。


 フォースラヴィル地方はブリギット領の北西に位置しており、北部と中部を隔てるミネルヴァ山脈も近い。澄み渡る青空の下、雄大な稜線りょうせんが肉眼ではっきりと確認できる。


「ミネルヴァの峰が近いと、やっぱり寒いな。さっきまで暖かかったのが嘘みたい。ウルカは北の生まれだから、やっぱり慣れているの?」


「いや、寒いのも暑いのも苦手だ」


「ウルカらしい」


 ときおり突風が吹きつけて、ユウリスの黒い毛皮と青いストールが翻る。ウルカの外套は、不思議となびかない。


 一帯は原野で、木々の影には動物の気配もある。


 悪路も相変わらずで、ブリギット市周辺の舗装された道とは大違いだ。


「ユウリス、フォースラヴィルは避暑地としても有名な場所だと言っていたな。他に情報はあるか?」


「けっこう新しい村らしいよ。他は知らない」


 肩を竦めたユウリスは、首を横に振った。あるいは夏の宿は予約が取れないほど賑わうらしいが、この情報は必要ないだろう。


 思案気に悪路へ視線を寄せたウルカは、まるで通行を阻むような道のくぼみを指差した。


「この辺りの凸凹おうとつは、どれも人為的に掘られている。見ろ、穴の深さは違うが角度が一定だ。十能じゅうのうでも使って、誰かが土をほじくり返したんだろう」


「待って。じゃあ、さっきの橋も?」


「怪物が人間の橋を壊す理由はない。お前の言う通りだ、ユウリス。これだから辺境の村は嫌いだ。フォースラヴィル、嫌な予感しかしない」


「つまり誰かが意図的にフォースラヴィルから人を遠ざけようとしているってこと?」


「他になんだと思う?」


「盗賊に占拠されているとか?」


「それなら大当たりだな。きっとお宝をごっそりと溜め込んでいる」


 冗談めかすウルカを、ユウリスは不謹慎だと睨みつけた。


 やがて視界の向こうに、建物の輪郭が浮かび上がる。色鮮やかな三角屋根の母屋が並ぶ、こぢんまりとした集落――フォースラヴィルだ。


 村の向こうには広大な森が広がっており、その奥には遥かなる霊峰れいほうミネルヴァの威容がそびえている。


「村が見えてきたよ、ウルカ。遠目には、変な感じもしないね」


「盗賊は、お前が言い出した妄想だ。本当に村が襲われたりしているときには、煙突から普通とは違う煙を昇らせる。橋や道の件は気になるが、ひとまず問題はないだろう」


 道沿いに小川が現れ、その流路は村に隣り合う大きな湖に繋がっていた。太陽のきらめきを反射した水面に、魚の泳ぐ姿が透き通る美しい景色だ。


 フォースラヴィルは害獣除けの簡易な柵に囲まれてはいるが、入り口の門は開かれていた。


 オスロットと劇団の馬車は、まだ到着していない。


 村の手前で立ち止まったウルカは、住民たちが平和に行き交う様子を見て胸を撫で下ろした。


「見た感じ、異常はなさそうだな」


「なんだ、やっぱりウルカも盗賊を疑っていたんじゃないか」


「違う、私が警戒していたのは伝染病だ。観光地が外の人間を排除する理由が、他に思いつかなかった」


「伝染病って、黒血病こっけつびょうみたいな?」


 ユウリスが真っ先に思い浮かべたのは、二十年ほど前に流行していた伝染病だ。血液が黒く凝固して、数日で死に到る様子から黒血病と名づけられている。


 それだけじゃない、とウルカは首を横に振った。


「大昔には、人間が怪物に変わるウンディゴ病。ねずみを媒介しとして感染し、高熱を発症する鼠熱。身体が石化するバジリスク症候群やコカトリス疾患しっかん。自然災害ほど頻発はしないが、人間の歴史は疫病と隣り合わせだ。一度でも起きれば大勢の命が失われる」


「でも黒血病は治療法が確立されて、いまはみんなが免疫を持っているんだよね?」


「そうだが、例えばウンディゴ病や鼠熱が再発しても、以前の治療薬が同じ効果をもたらしてくれるとは限らない。マライアの受け売りだが、病も生物だ。成長し、進化を続ける」


 ユウリスは生唾を飲み込んで、表情を強張らせた。最後の伝染病として知られている黒血病は、大陸の人口を三割も減らしたと聞いている。


 教科書の暗記項目くらいにしか考えていなかった疫病の恐ろしさに、少年は思わず身震いした。


「もし伝染病だったら、どうなるの?」

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