04 フォースラヴィル

「もし伝染病だったら、どうなるの?」


「基本的には隔離かくりだ。村単位で外界から切り離して、他に感染するのを防ぐ。その間に治療法が見つかれば御の字、無理でも犠牲は最小限で済むという寸法だ」


「そんな……感染した人たちを見捨てて、疫病を封じ込めるなんて!」


「差別を助長するとして広く知られてはいないが、こういう辺鄙な村は伝染病の隔離場所としても使われていた。必要以上に高い塀や溝で囲まれた集落には、そういう歴史が隠されていている場合が多い」


「間違って旅人が迷い込んだりしないように?」


「いや、狂った感染者が外に逃げ出さないようにだ」


「……なら、フォースラヴィルは違うみたい。柵も簡単に通り抜けられる」


 暗い話から頭を切り替えるように、ユウリスは努めて明るく声をのばした。


 しかし改めて村に視線を向けると、奇妙な違和感もある。外観から察するに、ほとんどの建物が宿や飲食店、土産物屋などの商店だ。従業員たちの帰る家が見当たらない。店舗が住居も兼ねているのだろうかと首を傾げていると、ようやく二台の馬車が到着した。


 手綱はオスロットが握っており、隣に座るサヤが大きく手を振っている。


「おにいちゃん!」


「サヤ、お疲れ様。そっちは大丈夫だった?」


「なんにもないよ。ドロシーおねえちゃんとエドガーおにいちゃんは、おひるねしてる!」


 迂回路でも怪物との遭遇はなかったようで、どうやら退屈な道のりだったらしい。ラポリたちビッグ一座が先にフォースラヴィルへ入り、オスロットの馬車も続く。


 徒歩で追随する闇祓いの師弟は、そこで奇妙な視線に気付いた。


 ユウリスたちに向けられる村人たちの眼差しが、どこか冷たくよそよそしい。黒髪の忌み子が原因というわけではないようで、排他的な空気はオスロットやサヤにも向けられている。


 目を細めたウルカは、小さく舌打ちした。


「避暑地に冬の客が珍しいというわけではなさそうだな。さっきの橋や道の件といい、この村にはなにかあるぞ。お前と関わると面倒事ばかりだ」


「忌み子のユウリス・レインが厄介事を持ち込まなくなったら、髪が金髪になるかもね。でも残念ながら黒いままだよ。ウルカ、怪物の仕業だと思う?」


「さあな。だが少し後悔している。あの騒がしい双子の片割れを尊重して、バレスでのんびりするべきだったかもしれない」


 オスロットは『風見鶏かざみどりの丸焼き亭』という看板の前で馬車を停めた。食堂のような名前だが、外観は宿屋だ。


 ドロシーとエドガーは相変わらず熟睡しているらしく、降りてくる気配はない。歩き疲れたウルカは、サヤと入れ替わりに御者台に座って手綱を預かった。


「宿の手続きが済んだら呼んでくれ。私も昼寝したい」


 欠伸を噛み殺す師に苦笑して、ユウリスとサヤ、オスロットの三人は宿屋の敷居を跨いだ。受付に中年の男性が佇んでいる。茶色の髪はオェングス系で、ブリギットとヌアザの国境付近では珍しい。


「あなたは……」


 彼はユウリスを目にするなり、ぎこちない仕草で手を広げた。


「ああ、よ、ようこそ、フォースラヴィルへ。ユウリス・レイン様ご一行ですね。本当に黒髪だ、すごい。自分は宿の主人チャドェン・リコス。ええと、ようこそフォースラヴィルへ!」


 本人は気付いていないようだが、同じ台詞を繰り返している。あからさまにうろたえている様子に、オスロットが顔をしかめて詰め寄った。


「なんだ、おどおどしおって! 男ならしゃきっとせんか! まあいい、我々は長旅で疲れている。さっさと部屋に案内してくれ。それから昼飯だ。朝食の腸詰肉ちょうづめにくは焦げて食えたもんじゃなかった!」


 今朝の食事当番はユウリスだが、焦がした犯人はべつにいる。


「あれは……」


 空腹に耐えかねたウルカが直火で腸詰肉を炙り、見事に焦がしてしまったのだ。失敗作をオスロットの皿に押し付けたのも彼女だが、なぜかユウリスが恨まれている。


 とばっちりに溜息を吐く少年の手を、サヤが優しく握った。


「おにいちゃん。みずうみで、いっぱいあそぼうね!」


「そうだね。まだ寒くて水遊びはできないけど、釣りや散歩をしよう」


「あの、お客様。その件で少々お話が――」


 少年少女の会話に申し訳なそうな様子で割り込んだチャドェンは、引きつった笑みを浮かべた。


「申し訳ありませんが、宿泊はできません。全部屋、雨漏りしておりまして。とても大切なお客様に満足頂ける状況ではないのです」


 そう説明する宿の主人に、オスロットがくわっと目を見開いた。額に青筋を浮かべた警部補が、怒りに任せて唾を飛ばす。


「部屋ぜんぶ、雨漏りだと? そんな馬鹿な話があってたまるか! このユウリス・レインは憎たらしい忌み子だが、公爵家の人間だぞ。しかも手配をしたのは公妃こうひ様だ。馬鹿にしておるのか!」


 思わずサヤが耳を塞ぐような大声に、チャドェンが怯えた表情で後じさる。彼は降参するとばかりに両手を掲げると、丁寧に謝罪をした上で和解案を提示した。


「お怒りはごもっともです。こちらの落ち度なので、補償をします。バレスはご存知でしょう。フォースラヴィルとは比べ物にならない、とても大きな街です。繁華街の真ん中にある、最高級の旅籠屋はたごやを手配します。もちろん宿泊料はこちらで負担いたしますので、どうかご容赦いただけませんか?」


 しかしユウリスの目当ては妖精の泉だ。闇祓いの力を取り戻すために、わざわざフォースラヴィルまで足を伸ばしてきた。破格の条件だが、おいそれと呑むわけにはいかない。


 湖で遊べないとわかって、サヤは残念そうに俯いた。そんな少女の悲しみを、オスロットは見逃さない。


「ふざけるな、なにがなんでもここに泊まらせてもらうぞ! 雨漏りくらいなら私が直してやる。工具と材木を持ってこい。小さい女の子が長旅で疲れておるんだ、早くせんか!」


 しかしチャドェンは、困ったように視線をさまよわせたまま一向に動く気配をみせない。さすがにおかしいと気がついたオスロットが再び詰め寄ると、宿の主人は観念して事情を明かした。


「村の人たちから、余所者を村に入れるなと圧力がかかっているのです。自分は引っ越してきて日が浅く、事情は教えてもらえません」


「なんじゃい、そのわけのわからん話は! 観光地が余所者を遠ざけてどうする!」


「オスロット、俺にも少し話しをさせて。チャドェンさん、ここに来る途中に壊れた橋を見ました。それと怪物に注意を促す看板も。でも本当は、そんなものいないんじゃないですか?」


 ユウリスは橋や悪路が、人為的に破壊された可能性に言及した。


 しかしチャドェンは言葉を濁すばかりで、明確な答えは返さない。どういうことだと顔をしかめるオスロットと、いまいち事情が呑みこめていないサヤ――そこに、まったく新しい第三者の声が波紋を広げる。


人狼じんろうの仕業だよ」


 受付に繋がる廊下から、サヤと同年代くらいの少年が姿を現した。チャドェンが慌てて駆け寄り、子供を奥に押し戻そうとする。


「ボック、おかしなことを言うんじゃない。ほら、大人しくしているんだ!」


「だって父ちゃん、みんなが話しているのを聞いたんだ。怪物がモームを襲うから、よその人を近づけちゃいけない、観光地の印象が悪くなるって。人狼の伝説は本当だった!」


 人狼の伝説と聞いたユウリスは、仲間に怪物狩りの専門家がいることを伝えた。目を輝かせるボックとは対照的に、チャドェンは困ったように眉を下げるばかりだ。


 宿屋の主人は受付の横に置かれた棚を指差した。土産物として、狼男の人形や敷物が売られている。


「この村には昔から、人狼の伝説があるんです。もちろん、ただの御伽噺ですよ。いまじゃこんな風に、観光客向けの商材にしているくらいですから。子供の言うことを真に受けないでください。申し訳ありませんが、ここにお泊めするわけにはいきません。村長の命令なんです。どうかわかってください」


 また怒鳴り散らそうとするオスロットの袖を、サヤが掴んだ。


「けんか、だめ」


 幼い少女に諭されて、オスロットは意気を挫かれた。そんな二人に、ユウリスも静かに頷きかける。


「外に出よう、オスロット。怪物絡みの事件なら、ウルカに相談したほうがいい。チャドェンさんに当たり散らすのも気の毒だ。首長しゅちょうの要請なら仕方ない」


 レイン公爵家の予約をないがしろにしてまで隠したい事情なら、本当に深刻かもしれない。あるいは橋を破壊したのは、自分たちを引き返させるためだったのだろうか――そんなことを考えながら、ユウリスは踵を返した。


 そして宿を出て早々、今度はラポリの怒鳴り声が耳に届く。どうやらビッグ一座が村人と揉めているらしい。


「ウルカ、なにがあったの?」


「あの劇団、村から追い出されそうになっているらしい。一座全員と村人が一触即発だ。どっちが先に殴りかかるか賭けてみるか?」


「遠慮しておくよ。それより、こっちも宿を追い出された。村ぐるみで余所者を入れたくないみたい。人狼のせいだって宿の子供が言っていたけれど、どう思う?」


「それだけでは判断のしようがない。この村に金を払う気があるなら調査はするが、素直に部外者を頼るような雰囲気でもなさそうだ。どうする、双子の要望通りにバレスへ向かうか?」


 バレスと聞いて、馬車の奥から飛び上がる物音が響いた。


 昼寝を終えたドロシーとエドガーの歓声に触発されて、サヤも嬉しそうに跳ねまわる。そんな少女を温かい眼差しで見守るオスロットを一瞥して、ユウリスは手を振った。


「ウルカ。妖精の泉で、闇祓いの作法を取り戻すんじゃないの?」


「そうだな。どうやら村人全員が、私たちを邪魔者扱いしているわけではないらしい。ユウリス、客だぞ」


 ウルカが視線を投げた先に、杖をついた老人が佇んでいる。質素な茶色のローブに身を包んだ、厳しい目つきの男性だ。


 振り向いたユウリスは顔を強張らせ、馬車から首を伸ばしたドロシーとエドガーが青い顔で喉をひきつらせた。


 サヤを庇うように前へ出たオスロットが、緊張気味に来訪者の名を呼ぶ。


「失礼ですが、ウッドロウ・レイン陛下へいかでいらっしゃいますか?」


「ハッ、身内以外にも顔を覚えられているとは光栄じゃな。宿がないなら、うちを貸してやる。ついて来い!」


 現公爵であるセオドアの実父、ユウリスや双子にとっては祖父にあたる先代の公爵――ウッドロウ・レインは、杖を乱雑に振るって一行を促した。


 ビッグ一座を追い出そうとしていた住民たちも、先導者を見れば誰も手出しをしてこない。元公爵の威光は、いまも健在のようだ。途中、村長を名乗る男が現れた。


「ウッドロウ様、これはいったい……余所者よそものは入れるなと貴方がおっしゃったのに!」


「気が変わった。こやつらは、わしが預かる。まさか文句はあるまいな?」


「あ……はい、かしこまりました。お客人、ようこそフォースラヴィルへ」


 すごすごと引き下がる村長には目もくれず、ウッドロウが案内したのはフォースラヴィルの外れ、こぢんまりとした二階建ての木造屋敷だった。国の統治者だった男が住むには地味だが、主人と数人の使用人が暮らすだけならば十分な広さといえるだろう。


「屋敷の部屋は二つしか空いておらん。裏手に小屋があるから、残りはそこで過ごせ。人数割りはそっちで勝手に決めるがよい。それ以上の面倒は見んぞ」


 日も傾き始め、フォースラヴィルの湖が夕焼けを映して茜色に染まる。


 屋敷へ戻ろうとするウッドロウを、ユウリスは思わず呼び止めた。


「おじいさま」


「なんじゃい?」


 レイン家の子供たちは皆、偏屈な祖父が苦手だ。厳しく、孫に優しくない。いつも険しい顔つきで、口の悪い老人という印象だ。


 ただユウリスは、忌み子や庶子という理由で疎まれた覚えもない。


「なんじゃ、ユウリス?」


「声をかけてくださって感謝します、おじいさま。ご挨拶が遅れて、失礼しました」


「はん、そんなのはどうでもいいわい。セオドアが手紙を寄越してきた。おおよその事情は聞いておる。助けはせん。期待されても困る。貸すのは寝床だけじゃ。あとは好きにせい」


 ウッドロウは突き放すような態度で、屋敷に姿を消した。


 湖の畔で雄大な景色に目を輝かせるサヤを、オスロットがそばで見守っている。ウルカは馬車のなかで干した果物をつまみ食いしていた。


 そしてドロシーとエドガーは、驚いたようにユウリスの肩を叩いた。


「あんた、よくおじいさまに話しかけたわね。勇者だわ。闇祓いのナントカを使ったの?」


「僕らはまだ挨拶もしてないよ。お願い、ユウリス。あとでいっしょについてきて!」


「嫌だよ、俺だって二回は無理。それより部屋割りをどうしようか。まあ、あんまり話し合う必要もなさそうだけど」


 ウッドロウと同じ屋根の下で寝泊りするくらいなら、ユウリスたちは野宿を選ぶ。しかしウルカに部屋を避ける理由はなく、子供たちは団結して裏手の小屋を選択した。


 余ったオスロットだけは不満そうな顔をしたが、サヤを前にすれば部屋割りで駄々だだをこねるような真似はしない。


「ウルカおねえちゃん、オスロットおじちゃん、またあしたね!」


 サヤの笑顔が最後の決め手となり、オスロットは晴れやかな表情で屋敷の部屋を受け入れた。


 大人たちと別れたユウリスたちは、裏手の小屋に足を運んだ。ウッドロウの口振りから物置のような想像をしていたが、実物は立派な平屋だった。


 隣り合う鬱蒼うっそうとした森から、影梟かげふくろうの不気味な鳴き声が木霊する。


「おにいちゃん、ここがおうち?」


「そうだよ。しばらくここに泊まることになると思う」


 小屋の中は掃除も行き届いており、ちょうど四つの寝台が用意されていた。都市部のように水道はないが、台所はある。厠は外に出向かなければいけないが、そこまで贅沢はいえない。


 やがて屋敷の使用人が水瓶を運んできてくれた。聞けば、かつて森の管理人一家が住んでいた家だという。馬車からの荷物も下ろし終えると、椅子に座り込んだドロシーが真っ先に項垂うなだれた。


「あー、疲れた。今日からやっと布団で寝られるわ。夕食、どうしようか。今日の当番って警部補だよね。でもあっち、屋敷で普通にご飯出てる気がしない?」


 それならば孫に声をかけてもよさそうなものだが、先ほど水瓶を運んできた使用人から誘いはなかった。そもそもウッドロウ自身から、寝床ねどこ以外の面倒はみないと宣言されている。


 そこに戸を叩く音が響いた。


 寝台から腰を浮かせたユウリスが、扉の向こうに声をかける。


「どなたです?」


「チャドェン・リコス――『風見鶏の丸焼き亭』の主人です。先ほどのお詫びに、食事をお持ちしました。よければ召し上がってくれませんか?」


 思わぬ申し出に、子供たちは一も二もなく飛びついた。チャドェンが用意してくれたのは、野菜と鶏肉を煮込んだスープと固焼きのパンだ。


 付き添いのボックも迎え入れて、ユウリスたちはリコス一家と食卓を囲んだ。


「ユウリス・レイン様、予約の件は申し訳ありませんでした。それに自分たちまで同席を許してくださり、本当に感謝します。フォースラヴィルは他に子供がいないので、ボックも喜んでいます」


「いえ、こちらこそ食事をいただけて助かりました。あの、村に他の子供はいないんですか?」


「ああ、いえ、自分たちは宿もあるのでフォースラヴィルに住んでいるのですが、ほとんどの村人は近くのブレグという集落から通っているんです」


 ブレグ村――ユウリスの胸はざわついた。そこにサイモン・ウォロウィッツ司祭が隠遁している。忌み子の真実を知る男だ。


「ユウリス様、どうかなさいましたか?」


「なんでもありません。それよりチャドェンさん、人狼の話を詳しく聞かせていただけませんか?」


 人狼について言及すると、チャドェンの顔色が変わった。和気藹々と食事を楽しんでいた双子とサヤも、奇妙な空気を察して黙り込む。


 そこで声を上げたのは、前回と同じくボックだ。


「この半月、家畜が何度も襲われているんだ。爪で引っかかれたモームは、そのまま食べられちゃったんだよ。あれは人狼の仕業だよ。だってぼく、聞いたんだ。フォースラヴィルには、人狼の伝説があるんだよ!」


「こら、ボック!」


「なんでだよ、父ちゃんだって見たじゃないか。あんな風にモームが襲われるの、普通じゃないよ!」


「みなさん、気にしないでください。子供の言うことですから!」


 チャドェンは有無を言わさぬ口調で人狼の話題を打ち切り、もう遅いからと息子を連れて早々に小屋を後にした。


 残された子供たちが言い知れぬ不安を抱えたまま食事を終えると、やがて影梟の鳴き声も途切れて、村は深い霧に包まれる。


 不安がるサヤを寝かしつけたあと、ユウリスと双子は夜通し語り明かした――闇に紛れて人を襲うという、人狼の伝承を。

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