02 野営地

「いや、こわい!」


 差し出された包丁を前にして、サヤは青い顔で屈みこんだ。


「やっぱり、むり……」


 手にした予備の包丁をまな板の上に置いたユウリスは、困ったようにほおいた。


 すでに日は暮れて、宝石のように眩い星と、蒼白と薄紅の色をたたえた二つの月が夜を照らしている。


 野営地は暖色の光を放つ夜光石やこうせきと呼ばれる鉱石に照らされており、そばには火もかれているので明るさは十分だ。


「ボイドから聞いたよ。サヤ、少し前に料理をしようとして手を切っちゃったんだよね?」


「すごく、いたかった」


 目を潤ませた少女の髪を、ユウリスは柔らかな手つきで撫でた。


 そばの川原ではエドガーとドロシーのはしゃぐ声が木霊しており、オスロットは車体と馬の手入れに努めている。ウルカは荷台で熟睡したまま起きてくる気配はない。


「でもサヤ、がんばって夕飯をつくらないと、みんなお腹を空かせてしまうよ?」


「でも、こわいもん」


 少女の恐怖は根深く、父親であるボイドから聞かされていたよりも重症だ。


 肩を竦めたユウリスは、根気よく説得を続けた。


 旅立ちの初日に宿場町を避け、野営地を選択したのはサヤと料理をするためだ。誰に頼まれたわけでもないが、苦手意識を克服する手伝いをしたいと思っている。


「じゃあ、俺といっしょに包丁を握ってみるのはどうかな。サヤは柄を握っているだけでいいよ。動かすのは俺がやるから、まずは皮むきからはじめてみない?」


「おにいちゃんといっしょ?」


 それでもサヤは大いに逡巡しゅんじゅんしたが、やがて根負けするように頷いた。


「おにいちゃんが、どうしてもっていうなら」


「ありがとう、サヤ。よかった、じゃあ早速はじめようか」


 食材は屋敷から持参した根菜と肉だ。すでに野菜の泥は落とされており、肉の下処理も済んでいる。ま


 な板を置いた切り株の前にサヤを座らせると、その背後からユウリスが腕を伸ばした。まずは彼女に包丁を握らせ、自分の手を上から覆い被せる。


「ゆっくり、落ち着いてやろうね、サヤ」


 想像していたよりも抵抗はなく、ユウリスは彼女に根菜を手渡した。


「じゃあ、最初は野菜の皮をくよ。硬いからつい力を入れてしまいそうになるけど、そんなに強くしなくて大丈夫」


「まえ、これでゆびきった……」


「そっか、痛かったよね。でも、今度は大丈夫。ちゃんと俺が見ているよ。まずは皮にほんの少し、切れ目を入れるんだ」


 ユウリスが知る限り、サヤは手先が不器用なわけではない。たまたま最初の失敗を引きずっているだけで、成功の経験さえ積めば必ず上達するはずだ。


 そんな直感は、すぐに的中した。


「あ、サヤ、上手!」


 慎重を期した教えが功を奏し、ひとつめの皮むきはあっさりと完了した。包丁を手放す指は少しだけ震えていたが、少女の目はきらきらと星のように輝いている。


「おにいちゃん、できた。すごい!」


「すごいのはサヤだよ。ほら、次もやってみよう。うまくできても、焦らなくていいからね。ゆっくりと、安全にやろう。痛みの怖さを知っていれば、もう失敗はしない」


 痛み、と聞いてサヤの表情が曇ったのも一瞬だ。初回の挑戦と同じようにユウリスが補助にまわると、次の野菜は一度目よりも手際よく丸裸にされた。


 一度コツを掴んでしまえば、子供の成長は早い。途中からは、ひとりでやりたい、という彼女の主張を尊重して、ユウリスは見守り役に徹した。


「サヤ、上手だね。帰ったら、ボイドにも見てもらう。きっと驚くよ」


「あたし、いつかおにいちゃんにごはんつくってあげるね!」


「やった、すごく楽しみ。でもウルカには内緒にしたほうがいいかも。彼女は大食らいだから、きっとみんなのぶんまで食べちゃ――痛っ!」


 そこまで口にしたユウリスは、不意に背後から後頭部を叩かれた。振り向くまでもなく、怒気をはらんだウルカの気配を感じ取る。心配そうに眉を下げたサヤが、無邪気な言葉で火に油を注いだ。


「ウルカおねえちゃん、おなかすいたの? あたしのぶん、すこしあげる。だから、おにいちゃんをたたかないで」


「いや、私は他人の食事に手をだすほど無作法じゃない。代わりに弟子を鍋に落とせば、食材が増えて問題解決だ」


「ちょっとウルカ、冗談きついよ。その、いまのは場を和ませようと思って口にした冗談だから!」


 おそるおそる背後に向き直ったユウリスの目に映るのは、威圧感たっぷりに腕を組んでいる師の姿だ。ウルカは不機嫌そうに鼻を鳴らし、メシはまだか、と弟子を睨みつけた。食事の準備が整ってから起こすようにと言われていたが、どうやら空腹が我慢できなくなったらしい。


「こっちは炒めるだけだから、もう少し待っていて。暇ならスープでも作ってよ。オスロットは料理できないって言うし、エドガーとドロシーは川で遊んでばかりなんだ」


「ああ、ついてきたのは双子だったのか」


「ウルカ、気づいていたの?」


「何かが馬車の下に潜り込んだのはわかっていた。てっきりクラウかと思ったが、まさか双子とはな。お前は私のことより、自分が見落としたことを問題にしたほうがいい。ミアハの力を使えるようになった恩恵で、気配察知は私より優れていたはずだ。失われたのは、闇祓やみばらいの作法だけではないらしいな」


 ユウリスは師に向き直り、野営地に着いてからの出来事を語り聞かせた。


 エドガーとドロシーは滑車かっしゃつきの板に乗り、馬車の底にしがみついていたらしい。隠れてついてきた理由は、母との仲違いによる家出だ。二人の意思は固く、帰るつもりはないという。


 すぐにブリギットへ送り返すべきだと主張したオスロットも、最後は諦めて旅の同行を許可した。


「家に連れ帰ろうとしたら、このまま行方をくらませるって言うんだ。仕方ないから、フォースラヴィルに連れて行くことになった」


「双子が急に消えて、いまごろ屋敷は大騒ぎじゃないか?」


「エドガーが置手紙を残してきたらしい。夕食を済ませたら、念のためにオスロットがひとりでブリギットに戻るよ。事情を話して、父上と義母はは上に許可をもらうってさ。それか軍隊を率いて連れ戻しにくるか、どっちだろうね」


小便垂しょうべんたれも意外と役に立つじゃないか。それで肝心の食事は、いつできる?」


「ウルカがスープを作ってくれたらすぐ。そうでないなら、まだ鐘ひとつ分はかかるよ」


 やれやれと肩を竦めて、ウルカは料理の手伝いをはじめた。


 不調の話題を避けた弟子に何度か視線を送るが、必要以上の追求はしない。いまは成り行きに任せるほうがいいというのが、師としての判断だ。そこでふと、食材のなかに小さな鉄の筒を見つける。持ち上げてみると、ずっしりと重い。


「ユウリス、この鉄の塊はなんだ?」


「ああ、缶詰っていうらしいよ。カーミラが持たせてくれた、ダグザのお土産。中に肉が詰まっているってさ」


「肉だと⁉︎」


 師が鉄の箱と格闘している間に、ユウリスとサヤは鍋で食材を炒めはじめた。刃物を怖がっていた少女も、火に恐怖心はないらしい。芳ばしい臭いに目を輝かせている。


 缶詰から無事に中身を取り出したウルカは、焚き火で肉をあぶるのに夢中だ。


「ウルカってさ、旅の間は食事どうしてたの?」


「携帯食だ。だが料理はできる、しないだけだ」


「それ、マライアの墓前に誓える?」


「…………お前、嫌な奴に育ったな」


 けっきょくスープも、ユウリスとサヤが用意した。


 ちょうど夕食の準備を終えたところで、河原から近づいてくる影がある。着替えを済ませた双子、ドロシーとエドガーだ。


「わあ、いい匂いね。これ、サヤちゃんが作ったの?」


「本当だ、すごく美味しそう。手伝わなくてごめんね。片付けは僕とドロシーでやるよ。サヤちゃん、ユウリスも、ありがとう」


 サヤは照れ臭そうにはにかんだ。


 ひざをのばしたユウリスが、天幕の設営に勤しむオスロットを呼びつける。ひとり労いの言葉を受けなかったウルカは一瞬だけ不満そうな顔をしたが、つまみ食いしかしていないという自覚もあって口を噤んだ。


 一同が焚き火を囲んで、それぞれの作法で食前の祈りを捧げる。いち早く皿を取ったドロシーの勢いに、エドガーが可笑しそうに肩を揺らした。


「そういえば僕ら、昼も食べていなかったよね。ユウリスたちはどうしていたの?」


「俺たちは馬車のなかでパンを食べたよ。なんとオスロット警部補からの差し入れ」


 それを聞いたウルカが、自分は食べていない、と眉間に皺を寄せた。寝ていたからだよ、と困ったように返すユウリスに続いて、スープを頬張っていたオスロットが怪訝そうに顔をしかめる。


「いやいや、待て。お前はうちのカミさんに誘われて、焼きたてのパンを五つも平らげたではないか。あのパンだ! こんな忌み子なんぞに差し入れなど、私は断固反対をしたがな!」


 いつもの調子で吐かれたオスロットの悪態に、サヤが悲しそうに眉を下げた。ドロシーとエドガーが心配そうに声をかけ、隣に座っているユウリスも目を瞬かせて覗きこむ。


「どうしたの、肉が固かった?」


「ちがうの」


 サヤは幼いながらも、ユウリスが街で蔑まれていることを知っていた。大好きな彼が、楽しい食事の席でも罵倒ばとうされている――そう思うだけで、どうしようもなく胸が痛い。


 顔を上げた少女は、揺れる瞳をオスロットに向けた。


「オスロットおじさんは、おにいちゃんをいじめるの?」


「ぬうっ、いや、お前はなにも知らんから、そう言うのだ。ここにいるユウリス・レインは、忌み子だ。教会をけがした呪われた子供なのだ」


「おじさんは、おにいちゃんにいじめられたの?」


「いや、いじめとか、そういう問題ではない!」


 そこでウルカが、皮肉気に唇の端をつりあげた。


「小便垂れをいじめたのはユウリスじゃない、クラウだ」


 ユウリス、エドガー、ドロシーが一斉に吹きだす。顔を真っ赤にしていきり立つオスロットの袖を、サヤが控えめに引いた。事情は知らなくとも、今度は彼が笑い者にされたのは理解できる。


 他の面々を見回した少女は、震える声を響かせた。


「みんな、わるぐちはだめ!」


 少女の勇気に対して、真っ先に反応したのはドロシーとエドガーだった。


「たしかに、サヤちゃんの言う通りね」

「僕も、悪口はよくないと思う」


 顔を見合わせた双子は、両手を合わせてオスロットに謝罪した。


 続いてユウリスも、笑うべきじゃなかったと非を認める。悪びれた様子もなく軽口を叩こうとしたウルカも、弟子に諌められては口を閉ざすしかない。


 最後にサヤは、怖い口髭の警部補に視線を戻した。


「ナダがいったの。じぶんがされていやなことは、ひとにしたらいけないんだって。ナダはね、おともだちなんだよ。すごくおねえさんなの!」


 必死で訴えるサヤに、オスロットは返答に窮した。


 忌み子の糾弾きゅうだんを続けて十五年になるが、ここまで面と向かって咎められたのは初めてだ。そして幼い少女は、友人の忌み子を庇うばかりではない。ウルカの軽口を非難し、公平に正しさを説いた。


 この幼くも純粋な心を前にして、オスロットに為す術はない。彼は渋々と、ユウリスに片手を差し出した。


「そういえばスージィさんと、もう忌み子とは呼ばんと約束をしたのを忘れておった。いまのは私が悪かったと認めよう。一時休戦だ、ユウリス・レイン」


「いつも通りスージィおばちゃんって呼べばいいのに」


 軽口を叩くユウリスと、こめかみをひくつかせるオスロット――二人は固い握手を交わした。ドロシーとエドガーが歓声を上げて拍手をする。ウルカは気にも留めず、鍋に残った料理をおかわりしていた。


 仲直りを喜んだサヤが、大きな肉を匙に乗せる。


「あやまったら、いいこなんだよ。はい、オスロットおじさん。おにく、あげる」


「いや、べつにそんなのは要らん。お前が食べなさい、子供なのだから!」


「あたし、だいじょうぶ。おじさん、おおきいからおなかすくでしょ。はい、あーん」


 サヤが大きく口を開いて、肉を差し出した。無邪気な少女の善意に、オスロットは狼狽した。唇を震わせて、低い声で呻く。


「いや、ま、待ちなさい。子供の食べ物を、大人がもらうわけにはいかんのだ!」


「でも、オスロットおじさん、いいこだよ。ほめてあげなきゃ」


「いい子、私がいい子だと⁉︎」


 ジェイムズ・オスロット警部補。三十九歳。妻と娘三人の五人家族。しかし子供たちは仕事ばかりの父親を見限り、最近は口も利いてくれない。そんな彼にとって、差し出されたさじは女神からのほどこしに思えた。


「おじさん、サヤのこときらい?」


「そんなわけはない! では、いただこう。あ、あーん……」


「はい、あーん!」


 オスロットが大きな口を開けた瞬間、双子と闇祓いの師弟は一斉に俯いて肩を震わせた。必死で笑いを堪えているのは、ここで吹きだせばサヤを傷つけてしまうからだ。


 やがて焚き火の弾ける音に、中年男の咀嚼そしゃく音が混じる。ごくん、と飲み込む音まで響かせて、すっかりほだされた警部補が朗らかに表情を和ませた。


「おお、これは美味い。こんなに美味い肉は食べたことがないぞ。誰が作ったのだろうか!」


「サヤとおにいちゃん、あとウルカおねえちゃん!」


 オスロットはサヤ以外の名前を聞いて唇を歪めかけたが、すぐに笑顔をつくった。ユウリスが得意げに片方の眉を動かし、エドガーとドロシーも料理の出来栄えを褒め称える。


 缶詰の肉を食べていただけのウルカは、無垢な少女の発言に珍しく罪悪感を覚えたらしく、そっと目を逸らした。


「おにいちゃん。みんなでごはん、たのしいね!」


「そうだね。明日からは宿場町に泊まるから料理はしないけど、食事はみんなでいっしょだよ」


「おりょうり、もっとしたい!」


「じゃあ、オスロットおじさんとウルカお姉さんに聞いてみるといいよ。フォースラヴィルまでは半月以上かかるから、途中で野営地に泊まってくれるかも」


 ユウリスにおじさん呼ばわりされたオスロットは、苦虫を潰したような顔で歯軋はぎしりをした。しかしサヤの喜ぶ顔が見られると思えば、内心は満更でもない。


 ウルカは三杯目を皿に盛りながら、野宿は嫌だと顔をしかめていた。


 そこでドロシーが、はい、と元気よく手を上げる。


「行き先について質問。ユウリスがいろいろあったのは聞いているけどさ、なんでフォースラヴィルなの?」


 たしかに、と同意したのはエドガーだ。彼は鍋から残りの野菜と肉をすくいあげると、サヤの器に移した。いつもの柔和な表情で、料理をがんばったご褒美だよ、と笑いかける。


「ドロシーの言う通り、僕も理由を知りたいな。療養地なのはわかるけど、ちょっと遠いよね。地理的には、ほとんどヌアザだ。なんなら整備された街道を進めるぶん、ノドンスのほうが行きやすいまである。心の治療ができるかどうかは知らないけど、療養なら医療技術の整った聖都に行くほうがいいんじゃないかな。ダグザとエーディンの和解も成立したから、いまなら国境を越えるのに手間はないよね。街もグィネヴァ王女とアクトルス王の婚姻で盛り上がっているだろうし、賑やかでいいと思うけど」


 双子の疑念に答えようとしたユウリスだが、先に師へ伺いを立てた。事情を闇祓い以外の者に明かしてよいのか、判断がつかない。フォースラヴィルを推薦したのはグレースだが、療養地として適としていると太鼓判を押したのはウルカだ。


 弟子の視線を受けた彼女は、飲み干したスープの皿を傍らに置いた。


「フォースラヴィルには、泉の乙女に関する伝説がある。ユウリス、話してやれ。これは闇祓いの秘匿ひとくに含まれていない」


 師に促されたユウリスは、フォースラヴィルに古くから伝わる逸話を語りはじめた。


「こんな話があるんだ。かつてフォースラヴィルの地に、悪魔が舞い降りた――」


 かつてフォースラヴィルの地に悪魔が舞い降りた。


 邪悪な存在が吹く笛の音に操られた村人たちは悪魔の手先に成り下がり、隣人を傷つけるようになってしまう。そこに女神ダヌよりつかわされた妖精が現れ、穢れを祓うことができる聖なる加護を森の湖に与えた。


 湖の水を飲んだ人々は邪悪な意思から解き放たれ、大いに喜んだ。しかし紅い満月の夜だけは、悪魔の力が妖精を凌駕してしまう。やがて悪魔はいずこかへと姿を消したが、いまでもフォースラヴィルの民は紅い輝きに支配される夜を恐れているという。


「これがフォースラヴィルの御伽噺。で、お話に登場とした妖精の湖は実在するらしいんだ。ウルカが言うには、その水に≪ゲイザー≫を助ける効能があるって」


 ユウリスの言葉を継いだウルカは、そっと頷いた。≪ゲイザー≫の聖地であるディアン・ケヒトの城には、聖なる泉に関する文献が数多く残っている。彼女自身も妖精の加護を頼った経験があり、その効果は折り紙つきだ。


「大陸各地には、闇祓いを癒す泉が存在する。おそらくフォースラヴィルの湖も、そのひとつだ。失われた力を取り戻すのに、これ以上の適所はない」


「そういうわけで、行き先はフォースラヴィルから変更なし。二人ともおじいさまに会うのが嫌なんだろうけど、ついてきたからには一蓮托生だ。エドガーとドロシーも、ちゃんと挨拶に行くんだよ」


 双子が同時に、悲鳴じみた声をあげた。


 フォースラヴィルには、ユウリスたちの祖父にあたるウッドロウ・レインが隠居している。レイン家の子供は、総じて先代の公爵が苦手だ。態度が威圧的で、とにかく口が悪い。


 オスロットですら口髭を撫でて呻く始末だ。


「前公爵閣下か。大洪水に見舞われた当事、ブリギットを捨ててノドンスへ逃げたお方だ。私たちの世代も、あまり良い印象はない」


 やがて食事も終わると、サヤは慣れない馬車旅の疲れから船を漕ぎはじめた。片づけを手伝う気のないウルカが、率先して少女の面倒を見る。


 オスロットは双子の無事を報せるため、ブリギットにとんぼ返りした。夜通しで往復を済ませ、夜明け前には戻る算段だ。


 夕食の片づけを終えたユウリスとエドガー、ドロシーの三人は天幕で毛布に包まった。


 ひとつだけ聞こえる虫の鳴き声に、冬の終わりを感じる。


「ドロシーとエドガーは、本当に義母上が嫌で家出なんかしたの?」


 居心地の悪さを紛らわすように、ユウリスは脈絡もなく訪ねた。地面は固く、毛布に身を包んでも背中は痛い。ただ両脇を双子に挟まれており、どちらに寝返りを打つのも妙な感じがした。


 二人に同じ問いかけをした場合、決まって先に答えるのはドロシーだ。


「そりゃ、お母様がわからず屋なんだもん。こうでもしないと、なんでも言いなりになるって勘違いされちゃうじゃん。あたし、収穫祭の馬上槍試合でユウリスを少し見直したのよ」


「たしかにかっこよかったよね。俺に自由を――君の言葉を聞いてから、僕らも母さんに主張するようになった」


「それは嬉しいけど、けっきょく俺が義母上に嫌われるだけじゃない?」


 げんなりと舌を伸ばすユウリスに、双子が同時に肩を揺らした。仰向けに寝ていたドロシーが、ごろんと半回転して真ん中の義兄あにに身を寄せる。


「なんかこうしてユウリスと話すのって、ちょっと不思議。あんたに関わるとお母様の機嫌が悪くなる気がして、適当に避けていたもんね。エドガーも同じでしょ?」


「まあ、実際には母さんになにか言われたりするわけじゃないけどね。アルフレドは露骨だったな。でもウルカさんと白狼が居候するようになってから、家の雰囲気ちょっと変わったね。逆にユウリスが僕らに冷たくなった」


「まさか、俺は態度を変えたつもりなんてないよ」


「ああ、その感じじゃ、僕らへの仕打ちを覚えてないんだね。どう思う、ドロシー?」


「女神様の天罰が下るでしょう!」


 エドガーまで寝返りを打って近づいてくると、双子に挟まれたユウリスは身動きが取れない。


 なんとも居心地の悪そうなレイン家の長兄に、目をつり上げたドロシーが思いっきり尻を突き出した。腰に強烈な衝撃を受けて、ユウリスが目を白黒させる。


「痛っ。なんか二人とも感じ悪いな。俺がなにしたっていうの?」


「あんた、ほんとに覚えてないわけ? 自分でイライザに火をつけておいて、あたしとエドガーを見捨てたじゃん!」


「イライザ?」


「エドガー、教えてあげて」


「ほら、いつだったか≪ゲイザー≫の留置がどうのこうのとか、僕らには何の関係もない講義をイライザにされていたじゃないか。あのときユウリス、当事者なのに僕とドロシーを見捨てて逃げたよね」


「あっ! ああ、ああ……あったね」


 そんなこともあった、とユウリスの声が上擦る。あれは半年ほど前、夏の出来事だったはずだ。まだ根に持っていたのかと顔をしかめる長兄に、次女と三男が首を伸ばしてにじり寄る。


「いつの出来事だろうと、貸しは貸しよ。イライザも言ってるじゃん、貴族は貸し借りをないがしろにしちゃいけない世界なんだって」


「忌み子だかなんだか知らないけど、レインを名乗るならユウリスも礼儀は守るべきだよね。つまり、借りは返さなきゃいけない」


 ユウリスは身体を揺らして双子を蹴散らすと、毛布に包まったままうつ伏せになった。同じ姿勢のドロシーとエドガーを交互に見やり、諦めたように溜息を吐く。


「わかったよ。ちゃんとフォースラヴィルに連れて行く。それでいいだろう?」


「いやいやいや、それはあたしたちが自分で勝ち取った権利じゃん。ユウリスにはもっと、べつのことをしてもらわないとダメ!」


「僕らはこの旅で、少しでも夢に近づきたいんだ。ドロシーは役者、僕は画家。学べる機会があれば、無駄にしたくない。でもウルカさんは寄り道を許してくれない感じだし、オスロット警部……警部補は、きっと母さんに言われて僕らを見張ると思うんだ」


「つまり、俺にどうしろって?」


「そんなの自分で考えてよ。とにかくあたしが大女優になるために、道を切り開いてほしいの!」


「僕らは密航者だけど、ユウリスは船長だ。僕らの意見が潰されそうなときには、助けてほしい。三人揃えばイライザだって倒せる、そうだろう?」


 珍しく強気な姿勢をみせるエドガーだが、ユウリスとドロシーは呻くばかりで頷けない。例え三人で力を合わせても、レイン家の絶対的な長姉であるイライザに勝てる気はしなかった。


 そんな微妙も空気も、気がつけば笑いに変わる。


「ま、血の繋がりが半分だろうと、あたしたちは兄妹なんだから助け合おうってこと。ユウリスだって、馬上槍試合じゃアルフレドと良い感じだったじゃない」


「あれ、僕もビックリした。まさかアルフレドがユウリスと組むなんてね。それでも最近は、また輪をかけて仲悪くなっているみたいだけど。アルフレドは母さんとも揉めているから、家の空気も最悪だ」


「ほんとマジでやめてほしいよね。あ、でもでも、あたしは他に気になることがあるな。ユウリスとカーミラ、最近イチャイチャしすぎじゃない?」


 肩で義兄を小突いたドロシーが、ニヤリと唇を歪ませた。エドガーも察したように、興味津々といった様子で首を伸ばす。双子も年頃、色恋沙汰に敏感だ。


 頬を引きつらせたユウリスが話題を転換しようしても、左右の圧力からは逃げられない。


「ええと、ドロシーは女の子なんだから馬車で寝たら?」


「急になに。腹違いだって兄妹なんだからいいじゃん。それより付き合っての? どこまでいった? ねぇ、教えてよ!」


「どっちから告白した? やっぱりカーミラかな? ちなみにいつから? ロディーヌってはどうなったの?」


 影梟の鳴き声が眠気を誘うまで、三人の喧騒は続いた。


 天幕の土は固く、居心地は最悪だが、しゃべり疲れたレイン家の子供たちには関係ない。しかし静かな寝息を立てていた双子は朝方、思わぬ音に叩き起こされた。


 原因はユウリスだ。


 悪夢にうなされる彼の声は、苦悶と焦燥に満ちていた。


 ドロシーとエドガーが、両脇から彼の手を握る。


「まったく、世話のかかるアニキって感じ!」


「僕らで役に立てること、なにかあるかな?」


「いつも通りでいいじゃん」


「そうだね、いつも通りに」


 その日、ユウリスの目覚めは普段より少しだけ晴れやかだった。

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