第九話 人狼の病巣

00 ライカンスロープ

 紅い月が呼び覚ます、その名はライカンスロープ。狼の化生。鶏小屋の血だまりから続く、あの足跡を追いかけよう。恐れることはない。僕には勇気と智恵と、この歌声がある。さあ、追い詰めたぞ、怪物め! しかし、ああ、この家は! いっそ悪夢であったのなら! 愛しい君よ、飼い葉のしとねで愛を紡いだ蜜の乙女、彼女こそがライカンスロープだったとは! ならば僕の血肉を捧げよう。君と一つになれるのであれば、この詩を最後に果てても悔いはない!


 ――イリュア-ズ『吟遊詩人の口伝』(自費出版、刊行日不詳)




 夜の篝火かがりびを恐れよ。それこそは暗黒が覆い隠したる本性を悪戯に暴く欺瞞のしるしである。汝、人の影を見よ。およそ自然に背く異形の時間に警鐘けいしょうを鳴らせ。忌まわしきかな人狼じんろう。人が人ならざりて人を喰らう悪夢の怪物よ。ああ、忌まわしきかな人狼!


 ――エイガン・デュホーン『激昂げっこうの変身』(アーヴェン書房、一七六五年)




 以上の理由から、人狼化した人間が再び人間の姿に戻る過程では非常に稀有な細胞運動が起きていると考えられます。人狼病を魔術ではなく、あくまで一つの感染症として捉えた場合、魔力は生物が変身するために必要な熱量を補っているにすぎません。外部的な要因で変質を遂げながらも、人狼病の細胞は生物を個体として成立させています。また細胞の構造は変質後も人間の枠組みからは外れておらず、種としてのヒュームと大きな違いは認められません。しかし人狼病によって変質した細胞は、遺伝子の伝授を放棄するという特徴とくちょうがあります。この特徴は種の保存及び種の繁栄という概念に反するため、本文中の仮説に対する反証をもって、さらなる研究を期待するものとします。


 ――マライア『魔術と医学』より寄稿文『遺伝学と感染症』(ヌアザ医学会 一八一三年)




 人狼は絶滅した。歴史に淘汰とうたされた存在に怯えるのは愚者である。さりとて人狼が昼は人間に戻るというのであれば、夜はおりに閉じ込め、日中は街に放てばよい。その者が税を納め、余に忠誠を誓うのであれば、すべからく聖王国の民である!


 ――パスカル・モレ『大王の放言 マグナス三世の真実』(アーヴェン書房、一七九〇年)




 俗に怪物病と称される感染症のうち、人間と怪物の境界をもっとも曖昧あいまいにしたのは人狼の病といえるだろう。明るい時間は良き隣人である彼らは、夜になると血肉を求める狼人間、その名もライカンスロープに変身する。ぼくたちは、誰が怪物かと怯えながら暮らさなければならない。畑を耕す男は人狼だろうか。路地で誘う女は人狼だろうか。妻や子すら、人狼かもしれない。暗黒の時代は去り、すでに人狼の病は途絶えたという。だが、それを証明できる者はいない。ぼくやあなたも、ライカンスロープかもしれないのだ。


 ――ジロー・マルコ『闇の呼ぶ声』(アーヴェン書房、一八一二年)




【登場人物】


 ユウリス・レイン:黒髪の少年。公爵家の庶子。本編の主人公。十五歳。

 ジェイムズ・オスロット:口髭の男性。ブリギット市の警部補。三十九歳。


 ドロシー・レイン:金髪の少女。レイン家の次女。双子の姉。十二歳。

 エドガー・レイン:金髪の少年。レイン家の三男。双子の弟。十二歳。

 

 サヤ:下水道に住む幼女。


 サイモン・ウォロウィッツ:神父。別名ジョエル・ヘルバーグ。三十九歳。

 グレース・レイン:公爵の妻。神聖国ヌアザの元王族。四十三歳。

 ウッドロウ・レイン:老齢の男性。先代のブリギット公爵。


 ラポリ・クス:褐色肌の男性。ビッグ一座の俳優。二十四歳。

 ダイアナ:金髪の女性。ビッグ一座の女優。二十二歳。

 チャドェン・リコス:茶毛の男性。宿の管理人。

 ボック・リコス:茶毛の少年。チャドェンの息子。


 ウルカ:亜麻色の髪の女性。怪物狩りの専門家。外見は二十代前半。


 登場人物イラスト(リンク先:近況ノート)

 https://kakuyomu.jp/users/nagarekawa/news/16817330654131674912

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