02 ブリギットの剣

「そして時は現代、竜と鋼の時代――伝承は繰り返される」


 語り終えたブラムはうやうやしく腰を折るが、無言で聞き入るユウリスの表情は終盤で苦虫を潰したように歪んでいた。


 呻きながら唇の端を下げる少年に、頭を上げた吸血鬼が瞬く。


「まるでペローに出会った我が姫の如き顔をされていらっしゃいますが、何か?」


「リュネット、よっぽどペローが嫌いなんだね。いや、苦労して魔神の呪いから女神を救ったのに、最後は勝手に妊娠させられたんでしょ。なんだかひどくない?」


「ユウリス殿は信心が浅い故、そのように思われるのでしょう。レイン家の始祖たる聖女アメリアは狂信的なダヌ信者なれば、歓喜して勝ち組を自称しておりました」


「え、会ったことあるの?」


「邪竜解放の前後に二度。淑やかな聖女の印象を抱かれておられるなら、ご容赦を。アメリア殿は足蹴で岩を砕き、正拳で滝を割る傑物けつぶつなれば――無論、竜の力をたまわる以前の自力にて」


 言葉を失うユウリスに、ブラムも人間の可能性を垣間見たと回顧する。


 だが実際に同じ時代を生きた吸血鬼の話は、歪に伝わる逸話よりも信憑性が高い。怪物が虚言を弄している可能性も頭を過ぎるが、すぐに否定する。短い付き合いだが、彼は信頼に値する人物であるとユウリスは判断した。


「ブリギットの剣と指環、二つの正式な名前を知ることができた。ヌアザの大剣、それとも不敗の剣ダーインスレイブって呼ぶのがいいのかな。図鑑で読んだのを覚えている。どんな相手にも勝利を治める、最強の剣だって」


「左様。ダーインスレイブは因果を紡ぐ至宝。持ち手が敵意を抱いた対象に、死を紐付ける必殺の刃。さりとて人の欲望と嫉妬を際限なく、感情の昂ぶりを誘惑せし魔剣なれば、真に扱えしは心清らかなる聖人のみと」


 敵意を増幅し、望む相手に死を与える魔剣――以前、ユウリスもブリギットの剣を手にして身に沁みた。柄を握った瞬間に覚えた万能感、全身を支配する憎しみの高揚。いま思い出しても、吐き気がする。


「あんな物が誰の手にも届く場所に保管されていたなんて、ゾッとするよ」


 ミアハの人形事件が解決した直後、教会関係者の立会いでブリギットの剣に対する検分が行われた。まさか宝物庫に眠る儀式用の短剣が女神の至宝とは思いもしなかった、とは司教の弁だ。


 同時にブリギットの剣が発する殺意の誘発は、所有者であるヘイゼルの手を離れない限り、他者に影響を及ぼさないとも判明している。


「たまたまヘイゼルが所有者に相応しかったから良かったけど、もし剣の誘惑に勝てない誰かが手にしていたら、どうなっていたんだろう」


 苦しげに呻くユウリスに、ブラムは首を横に振る。


「否。ダーインスレイブとは形ある武器に非ず、必殺の概念なれば。ユウリス殿は前提を誤解されている。あの短剣は元々、女神の至宝などではありません。おそらく、ただの儀式剣でございました」


 えっ、と声を上げて、ユウリスは目を丸くした。


 意味がわからない。


 いまさらブリギットの剣に偽物疑惑が生じるとは予想外だ。


 狼狽する少年に、ブラムは顎を撫でて頷いた。


「ダーインスレイブは元来、形のない至宝。武器に付与される概念兵装がいねんへいそう。単一の呪術式。ブリギットの剣と呼ばれていた以前の至宝は、大洪水で失われました」


「大洪水って、三十三年前の?」


「仔細は存じ上げませんが、左様にございます。ともあれ素体を失くした不敗の剣という概念の力は、オリバー大森林に封印されました。しかし先頃の異界化現象で加護が薄れ、ダーインスレイブも再び解き放たれた」


 魔術的な概念に疎いユウリスは、頭のなかで必死に情報を咀嚼そしゃくした。大洪水にブリギットの剣が関与していた事実は気になるが、ひとまず思考から追いやる。それよりも興味は、ダーインスレイブに覚える奇妙な違和感を優先した。


「概念……呪術式……つまりブリギットの剣は、武器自体が特別なんじゃなくて、必殺の概念っていうのを宿した剣は、なんでもダーインスレイブになれるってこと?」


「然り。そして重要なのは、ダーインスレイブが選ぶ宿主は武器ではなく、使い手であるという一点」


 ダーインスレイブは武器ありきではなく、使い手ありきの概念だとブラムは語る。女神の至宝を持つに相応しい存在を選定し、その継承者が持つ武器にこそ力は付与されるのだと。


彷徨さまようダーインスレイブに見初められた者こそが、ヘイゼル・レイン嬢。妹君が選ばれた理由は判然としませんが、相性の問題と推測します。聖女殿の子孫という血統、幼くも清廉な魂、あるいは霊的な存在を受け入れ易い体質も関係しているやもしれません」


 ユウリスは呆然と、呼吸も忘れて思考に没頭した。


 歯車の齟齬そごが、かちりと噛み合う感覚。


 オリバー大森林の戦い。


 市庁舎占拠事件。


 ミアハの人形。


 同じ空で輝いていた点と点に、うっすらと線が結ばれる。


「みんな、あの短剣がブリギットの剣だと信じていた。いや、それ自体は間違いじゃない。ずっと昔から剣に秘められていた女神の力を、ヘイゼルが呼び覚ましたっていうのが勘違いなんだ。でもブラムの話では逆。女神の至宝がヘイゼルを選んで、たまたま手にしていた短剣にダーインスレイブの力が宿った。すべての原因は、失われたオリバー大森林の加護」


 逸る気持ちを抑えながら、少年は慎重に頭を働かせた。


 黒騎士≪ジェイド≫の召還に端を発し、オリバー大森林の加護が消失した春の事件。異界化による侵略は未然に防がれた。しかし≪ジェイド≫を呼び出した何者の正体と真意は、未だに暴かれていない。


 そこでユウリスは、ひとつの結論に辿り着いた。


「もしかしたら≪ジェイド≫を召還した目的は、女神の至宝だったんじゃないかな。オリバー大森林の加護を消せば、ダーインスレイブの力が解き放たれる。そしてブリギットの剣と指環を狙ったのが、≪リッチ≫!」


 ブリギットの剣と指環を求めた魔導王――あの邪悪な存在が、≪ジェイド≫の召還者だったのだとしたら?


 その目的は、ダーインスレイブを封印から解き放つための前準備だったのではないだろうか?


 しかし、ここで新たな疑問が生じる。


 結果として、ヘイゼルが女神の至宝を手にしたのは≪リッチ≫が市庁舎占拠事件を起こした二ヵ月後だ。なにか見落としがあるのかと懊悩するユウリスの肩を、ブラムがそっと叩く。


「ユウリス殿。順を追い、推論を整理致しましょう。まずは影の国の到来。ユウリス殿は、黒騎士の召還に意図があると考えておられる様子。誰が、何故?」


 冷静なブラムの声に頷いて、ユウリスは大きく夜気を吸い込んだ。冷たさが肺を満たすと、熱を帯びていた意識が落ち着きを取り戻す。


 誰が、何故。


 脳内で蘇る、師の教え。


 ――まずは事実を前提に、発想力を加えろ。

 ――常識は持ち込むな。

 ――推理が少しくらい飛躍しても、闇祓いの経験が点と点を繋ぐ。


「黒騎士≪ジェイド≫の召還は、オリバー大森林の霊場を乱す目的で仕組まれた。加護が消えれば、封印されていた女神の至宝も解き放たれる。ダーインスレイブを求めた≪リッチ≫が無関係だとは思えない」


 黒騎士≪ジェイド≫は単純に、異界化による現実世界の侵略を果たそうとしていた。影の国から現れた怪物も、≪リッチ≫が用意した手駒のひとつに過ぎなかったのだと仮定する。


 頷いたブラムは、まずはオリバー大森林の戦いを総括した。


「では春先の変事は、ダーインスレイブを解き放とうとした≪リッチ≫の企み、という方向で纏めましょう。して、次なる市庁舎占拠事件ですが?」


「ここで躓いた。ヘイゼルがブリギットの剣を手に入れたのは、≪ゴーレム≫騒ぎの二ヵ月後だ。指輪の所在はわからないけど、少なくとも≪リッチ≫が現れた時点でダーインスレイブは存在していない」


「それもまた、認識の齟齬なれば。ダーインスレイブは動物に非ず、故に放浪癖はございません。放たれてすぐに、相応しい継承者を見出したはず」


「つまり≪リッチ≫が現れた時点で、ダーインスレイブはヘイゼルのなかに宿っていた?」


「ダーインスレイブが武器として顕現するには、きっかけが必要となります。例えば異界の影響下で、命の危険に晒されるような状況であれば、助けを求める精神が女神の至宝を呼び覚ます助けとなりましょう」


「ミアハの、人形」


 病院の異界化が女神の至宝に覚醒を促したというのなら、皮肉な結末だ。結果、ミアハの人形はダーインスレイブに討たれている。


「察するに≪リッチ≫はおそらく、ユウリス殿と真逆の勘違いをしたのでしょう。既にダーインスレイブが誰かの手に握られていると考えた。しかし実際は必要性に迫られず、必殺の概念は妹君の体内で眠りに就いたままでした。公爵を人質としたのも、聖女の末裔であるレイン家を継承者と見定めた末の愚行やもしれません」


 ≪リッチ≫が滅びたいま、真相も闇に消えた。しかし凶事は市庁舎占拠事件で終わらず、現在もブリギットは危機に晒されている。


 ≪リッチ≫には共犯者がいたと考えて間違いない。


 屍人の猛威が振るわれた夏の事件では、初めて人間の関与が疑われた。その有力者を頭に浮かべるたびに、ユウリスの胸は重くなる。


 揺れる少年の瞳を前に、ブラムは心配そうに眉尻を下げた。


「ユウリス殿?」


「いや、ごめん。いずれ突き止めなきゃいけないとはわかっていても、≪リッチ≫の共犯者を探すのは、なんていうか、言葉にならない」


 正直に言えば、気が滅入る。


 バルコニーの手摺に両腕をもたれさせたユウリスは、そこに顔の半分をうずめた。


 封印されていたミアハの人形を野に放った下手人。


 そこに全ての事件が繋がるのであれば、これらは同時に≪リッチ≫の共犯者としても当て嵌まる。候補者はすべて、顔見知りだ。


「父上――セオドア・レイン公爵。エイジス・キャロット市長。キーリィ・ガブリフ議員。シスター・ケーラ。ゲラルト・ミュラー司教。そして、義姉あねのイライザ・レイン。誰が犯人でも、俺は嫌だ」


 運命の悪戯いたずらあえぐ少年に、ブラムは難しい顔で相槌を打った。


 吸血鬼の立場としては、ブリギットの末来に然程の興味はない。都市がひとつ壊滅したとしても、すぐに新たな集落を築くのが人間だ。ブリギットの凶事についても、リュネットの頼みを聞き入れてもらうための交換材料として調査したに過ぎない。


 しかしユウリスには不思議と、力を貸したいと思える魅力も覚えている。それが若人の奮起する姿に対する出来心か、彼自身の資質かを見定めるのは、もう少し先になるのであろうが。


「残念ですが、ユウリス殿の懸念を払拭できる材料は持ち合わせておりません。代わりというわけではありませんが、ひとつ気掛かりを申し上げましょう」


 答えのない疑問。


 いま、ブリギットの変事を振り返るうちに抱いた違和感。


 柵から身体を離したユウリスに、ブラムは怪物の名を連ねた。


 影の国より遣わされた黒騎士≪ジェイド≫。

 恩讐おんしゅうの魔導王≪リッチ≫。

 遥か東国の呪い、ミアハの人形。


「≪リッチ≫に関してはなり損ないの疑惑もありますが、≪ジェイド≫とミアハの人形は異界の担い手。ひとつの都市を滅ぼすに足る怪物のなかの怪物。しかして、が単騎で顕現けんげんを続けているのは、不可解の極みにございます」


 あえて酷薄に切り捨てるブラムに、ユウリスは息を呑んだ。


 ≪ジェイド≫、≪リッチ≫、ミアハの人形――その全てに対峙したユウリスは、身をもって怪物の脅威を味わっている。生き残れたのは偶然と、幸運のおかげだ。ひとつでも歯車が狂えば、命を落としていたのは間違いない。


「その程度って、ブラム。ブリギットは壊滅しかけたんだ!」


「存じ上げております。ですが仮に街が異界の支配下に置かれたとしても、先はございません。数名の闇祓いか、あるいはヌアザの円卓騎士団が動けば、事後にせよ奪還は容易でありましょう。≪ジェイド≫、≪リッチ≫、ミアハの人形、三者とも戦力としては不十分なのです」


 ユウリスは眉間に深い皺を刻んだまま、黙り込んだ。


 怪物側の目論見が達成されたとしても一過性に過ぎず、けっきょくは外部の力で制圧される、そう説明されたのは理解できる。しかし真意は読めない。


 ナゾナゾに悩む子供を見て愉しむような意地の悪い笑みを浮かべたブラムは、曲げた人差し指を唇に添えた。


「わからない――それこそが正答なのです、ユウリス殿。都市ひとつを滅ぼすには力不足、さりとて特定の個人を狙うには粗暴が過ぎる。本気で進攻を目論むのならば、全戦力を傾けるのが道理。≪リッチ≫にしても首尾よく女神の至宝を手に入れたとして、何を成したかったのか?」


「≪リッチ≫はレイン家を恨んでいた」


「ならば殺傷せしめればよろしい。人質にされた公爵然り、他の面々も≪リッチ≫の魔術ならば暗殺は容易でしょう。しかし結果として現在まで、レイン家に人的な被害は皆無」


「じゃあ、やっぱり街を壊したり、人間を殺すのが目的なんじゃないかな。≪ゲイザー≫も数は多くないって聞くし、ヌアザの円卓とかいう騎士団だってブリギットのために動いてくれるかどうかはわからない」


「ご母堂ぼどうはヌアザの姫と聞き及んでおります」


 ああ、とユウリスは呻いた。


 確かにセオドア・レイン公爵の伴侶であるグレース・レインは、神聖国ヌアザの皇族だ。籍を移してからも繋がりは深く、現在も次女と三男を連れて里帰りしている。血縁者の危急となれば、他国といえども助けを期待できるかもしれない。


「つまりブラムは何が言いたいの?」


「端的に申さば――これまでに起きた事件は、怪物たちが討伐されるのも計算の内ではないかと。侵略ではなく、個人の命でもない、未だ見えざる権謀術数けんぼうじゅっすう。闇に隠れたる真意を暴けぬ限り、後手の対応が続くのは勿論、いずれ取り返しのつかない厄災に見舞われるやもしれません」


「なんだよそれ、脅されてるようにしか聞こえない」


 不貞腐れたようにおどけるユウリスだが、内心は今夜の逢瀬に感謝していた。


 突き詰めれば問題は≪リッチ≫とオリバー大森林、そして女神の至宝に集約される。謎めく三つの関連性が明るみになれば、遠く霞んだ答えが見えてくるかもしれない。


「じゃあ、ブラム。次はスクーン石だ。図鑑には運命石リア・ファルの別名になっていたり、王を定める神の石柱なんて書いてあったけど、こっちは実際にどういう効果があるのか、よくわからない」


僭越せんえつながら、スクーン石について語るのはご容赦を。無事に婚姻を為せば、我が姫より語られるでしょう」


「もったいぶるね。いまさらリュネットに協力しないなんて言わないよ」


 ユウリスが食い下がるも、ブラムは大仰な礼をとり回答を拒絶した。


 伝承が真実味を帯びると、心配になるのは義妹いもうとのヘイゼルだ。邪悪な存在が狙うブリギットの剣は未だ、小さな聖女の手に委ねられている。魔剣の誘惑に抗えるのは聖女に選ばれた彼女のみだ。父の計らいで領邦軍が護衛についているが、怪物相手には心許ない。


「ブラム、ダーインスレイブを安全に保管する方法はないの?」


「残念ながら御座いません。仮に剣を溶岩の底に投げ捨てようとも、概念たる女神の至宝が滅する保証は無く。逆に人の手が届かずとも、闇の使者ならば奪取は容易でありましょう。現状は正当な所有者の手に置くが最善かと」


 そっか、と溜息を吐いて、ユウリスはバルコニーの手摺に両腕を乗せた。悶々と思い悩む少年の傍らで、ブラムが片方の眉を上げて頬を緩める。


「いやはや、収穫祭の後にお傍を離れるのが口惜しい。齢千と百を生きる身なれど、貴殿の星廻ほしまわりは稀有けうな宝石の輝き。まるで御伽噺おとぎばなしに迷い込んだが如き心持ちなれば」


「そういえばブラムって、どうしてリュネットに付き従ってるの?」


「語れば千夜を越える冒険譚となりましょうが、端的に申さば家主と店子たなこの関係にて」


 たなこ――店子。聞き覚えのない表現に首を傾げるユウリス。家主という単語がリュネットを示すなら、つまりは借家人かと判断して続きを促すと、ブラムは大仰に片腕を虚空に伸ばし、紫の瞳を輝かせた。


「フィドヘルの森。そこはリュネット姫より預かりし幽玄の秘境。この身を世界の終末まで最奥の棺で休ませ、大陸の行く末を見届けるが我が宿願」


「つまりブラムは普段、リュネットから借りているフィドヘルの森って場所にいて、世界の終わりが来るまで寝ているの?」


「然り。ですが此度のように、求めに応じて眠りから覚めるのも吝かではございません」


 怪物の眠る棺。


 名前も知らない森。


 妖精と吸血鬼の主従。


 世界は広いと感嘆するユウリスに、ブラムは茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせる。


「リュネット姫と婚姻を果たされたならば、ユウリス殿も名実共に我が主。寂しさに耐えられぬ夜はどうぞ、フィドヘルの森へお越し下さい。このブラム・シェリダン、誠心誠意おもてなしいたしましょう」


「フィドヘルなんて森は聞いたことないけど、近いの?」


「ミネルヴァ山脈を越えればすぐ」


「あ、からかってるな!」


 ミネルヴァ山脈は、ブリギット地方の北に連なる連峰だ。


「翼の生えた竜だって飛び越えるのは難しいって聞いたことがある」


「≪ワイヴァーン≫の生息地はゴリアスの封印渓谷なれば、ミネルヴァにはおりませんが?」


「それくらい険しいってことでしょ?」


 そこは雲を衝く険難の地として知られており、およそ人が越える道理はない。大陸南部のブリギットから北部への旅は、基本的に東のオェングスを経由し、ミネルヴァ山脈は回避するのが常だ。


 山越えの旅路は長く、一夜の寂しさを紛らわしに訪ねるには困難な道程といえる。


「じゃあ、収穫祭が終わったらブラムにも会えなくなるのか。リュネットやロディーヌもいっしょだけど、せっかく仲良くなれたのに」


「恐れながら、惜別せきべつの念に浸るは焦燥かと。全ては馬上槍試合の結果次第。日中の催し故に決戦の舞台に参上は叶いませぬが、頭上に栄冠が輝くよう心より祈念致します」


「ああ、そうだね。この屋敷に来てからいろいろとあったけど、長いようで短かったな」


 明日はいよいよ、馬上槍試合の本番だ。


 今日は練習にも顔をだせなかったばかりか、結果的にアルフレドひとりを剣術道場の大会に任せてしまった。一難去ってまた一難、どうか最後くらいは上手く事が運びますようにと女神に祈る少年の背後で、騒がしい足音が二つ響き渡った。


「旦那様!」

「坊や!」

「ユウリス殿!」


 振り向いたユウリスにロディーヌとリュネットが飛びつき、なぜかブラムまで両手を広げた。陰鬱いんうつとした気持ちが、嘘のように晴れる。


 少年は二人の花嫁を力強く胸に抱きとめ、ただいま、と頬笑んだ。

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