01 聖女アメリアの真実

 公文書館の屋上で暗殺者と交戦したユウリスは、それから丸一日を病院と警察で過ごした。ハサンの女が用いた短剣には毒が塗られており、検査と治療に要したのが半日。翌日の正午に退院した後はオスロットに連行され、夜まで警察署で取り調べを受けた。


「貴様がブリギットを恨んで暗殺者とやらを雇ったんではないのか!?」


「俺が犯人だとしたら、市長じゃなくて警部――あ、間違えた、警部補を狙うよ」


「な、なにおう⁉」


 そんな不毛なやり取りが続きはしたが、ユウリスは命の恩人であるオスロットに感謝もした。しかし当人は咄嗟とっさに身体が動いた、一生の不覚だと譲らず、仲違いは相変わらずだ。


「勘違いするなよ! 誰が忌み子なんぞ好き好んで助けるものか!」


「まぁ、とにかく感謝しておくよ。俺も守られるべき市民だけどね」


 軽口を叩けるまでに回復したユウリスは、ブラムやリュネットの存在は上手く隠し通し、ハサンの一味と呼ばれる暗殺者集団の情報のみを警察に伝えた。


 しかしオスロットも暗殺者に対峙した経験などなく、口髭を撫でる表情は冴えない。


「南方の暗殺者教団など、にわかには信じられんわい」


「暗殺者の女、身元は?」


「お前に教えるわけがなかろう――と、言いたいが、検死の最中に盗まれた。まだ仲間がいるのは間違いなかろう。これもすべて、なにもかも、忌み子の呪いではないのか!」


「じゃあ全部、俺のせいにして解決した気になってれば?」


 けっきょく、聴取はいがみ合いに終始した。


 暗殺者集団に関する手掛かりに進展はなく、捜査の行き詰まりは部外者のユウリスですら肌で感じるほどだ。


 しかしオスロット警部補は最後に珍しく、歯切れ悪い嫌味を口にした。


「いいか、ユウリス・レイン。武器はな、人殺しの道具だ。他人に向ければ、お前を殺すぞという意思表示をしとるのに等しい。誰だって死ぬのは避けたい、必死で抵抗する。剣を抜いた相手にも言葉が通じると思うのは、甘ったれた考えだ。貴様がどこで死のうと知ったことではないがな、よく覚えておけ!」


 それが彼の忠告なのか、気まぐれなのかは判断できないが――ようやく警察からも解放された帰り道、ユウリスの心は揺れていた。


 たしかにオスロット警部補の助けがなければ、死んでいたかもしれない。


 なぜ自分は、敵である暗殺者を殺せなかったのか。


 他人の死に責任を負う覚悟もなく、闇祓いの力に溺れた結果だろうと自覚はしても、心の底に根付いた黒い感情を晴らす方法は見つからない。


「この道を進めばいつか、本当に人を殺めなきゃいけないときも来るんだろうか」


 トリアス伯の屋敷に帰宅するのと同時に、オリバー大森林から日替わりの鐘が鳴り響いた。収穫祭の五日目が終わり、いよいよ馬上槍試合は翌日だ。


 気を取り直して門を抜けると、すぐにバルコニーで佇む吸血鬼を見つけた。


「ただいま、ブラム」


 声をかけると、彼は人差し指を口元に当てる仕草を返してきた。


 就寝には少し早い時間だが邸内はしんと静まり返ってる。


 リビングのソファではロディーヌとリュネットが一枚の毛布に包まり、静かな寝息を立てていた。


「待っててくれたのかな。ありがとう、ロディーヌ。リュネット」


 囁いたユウリスは、二人の眠りを妨げないよう二階へ慎重に足を向けた。


 待ち構えていたブラムが胸に片手を添え、帰還した少年を恭しく出迎える。


「無事のご帰還、心よりおよろこび申し上げます。お二人も夜をてっしてユウリス殿を案じておられましたが、とうとう睡魔に抗えず、就寝された次第で。今宵は不詳、ブラム・シェリダンの出迎えでご容赦を」


「いや、ちょうど良かったよ。心配かけた二人には悪いけれど、ブラムと二人で話したかったんだ。でもその前に、まずはお礼を言わせて。昨日は手助けしてくれてありがとう。怪我はどう?」


「大見得を切って先陣を切った挙句の醜態しゅうたい、恥じ入るばかり。悔恨と羞恥で硝子がらすの心は皹割ひびわれど、我が血肉は五体満足なれば、どうかご安心を」


 伸びされた彼の青白い腕は傷ひとつなく、魔力に乱れもない。思わず、すごい、と感嘆したユウリスは、バルコニーの手すりに片手を添えた。


「もっと大怪我をしているかと思って、心配したのに」


「真祖たる吸血鬼の体は、大半が魔力で構成されております。生身の姿こそ偽り。多少の欠損は髪が千切れる程度の痛みなれば」


「髪をむしられたら、泣きべそかきそうだけどな」


 夜風は穏やかだが、昨晩と同じく少し肌寒い。


 暖を取るならばと外套を広げるブラムの誘いを、ユウリスは丁重に辞退した。


「戦っているときもそうだけど、ブラムはいつも余裕があるよね。見習いたいよ」


「油断大敵、よもや三下に遅れを取るとは痛恨の極みにございます。ユウリス殿、御身を危険に晒した不手際、お詫び致します。姫が見初められた御仁は主人も同じ。如何様にも処罰下さい」


「大袈裟だよ。あの暗殺者、俺ひとりじゃどうにもならなかったと思う。感謝はしても、恨みなんてひとつもない。それに、死にかけたのも自業自得だから」


 困ったように頬を掻いたユウリスが、重く溜息を吐く。


 他人の命を奪う行為を躊躇して、自分の身を危険に晒してしまった。


 人殺しは良くないと思う反面、昨晩の状況では容赦なく敵を屠ったブラムの判断を正しいと感じる。


「俺は、あのとき他人の命に責任を取るのが怖かったんだ。殺してしまったら取り返しがつかない。実際に何かを考えている余裕はなかったけれど、いまはたくさんの感情が頭に浮かぶ」


 命を奪うのが怖い。


 敵にも事情があるかもしれない。


 相手が死ねば家族は悲しむだろう。


 誰かに恨まれる恐れ。


 自分の手が血に塗れる罪への怯え。


 見る見る間に顔が青ざめるユウリスの肩に手を置いて、ブラムは憂うように眉尻を下げた。


「それは恐怖ではなく、良心の呵責かしゃく。感慨も無く殺戮を為す畜生と、心ある人間の境界なれば。ユウリス殿、闇祓いは怪物の血を焼き、人心の闇を祓う理。世の日陰を踏むは、邪道を往くに等しい。いずれ首をねてしか断てぬ人の業にも巡り合いましょう。いまは心を安んじ、懊悩おうのうも試練を心得るが良いかと」


「ありがとう。でも、わかっていたんだ。誰かと命のやり取りをしなきゃいけない瞬間は、いつか来る。考えてなかったわけじゃないし、いざとなればやれると思ってた」


 慰めの言葉を重ねようとしたブラムに、ユウリスは揺れる眼差しを向けた。


 少年の瞳に宿る混迷の色に、吸血鬼が唸る。


「ユウリス殿、他に気掛かりが?」


「怪物相手には、こんな風に迷わなかった」


 ブラムは絶句して、表情を歪めた。同時に、この少年に闇祓いの素質は薄いと判じる。寂しく笑う幼い≪ゲイザー≫――彼は人間を殺める行為に煩悶としながら、怪物に同じ気持ちを抱けない自分を卑下していた。


 言葉に窮した吸血鬼に、ユウリスは頭を振る。


「ごめん。変だよね、怪物は敵で、同じ人間を殺すのとはわけが違う。それも、頭では理解しているんだ。でも考えると気持ち悪くて、胸が痛い。自分のなかの善悪がわからなくなる。それがとても、恐ろしい」


 ユウリスは大きく息を吸い込んで、肺を冷たい空気で満たした。


「でも、空を見上げているだけじゃ、なにも変わらないのもわかってる」


 頭上を煽げば、大きな蒼白の月と、微かな薄紅の月。星の瞬きは儚く、彼方の霊峰は朧気おぼろげだ。


 深呼吸を繰り返し、時間をかけて動揺した気持ちを落ちつける――視線を田園の稲穂に映して、ユウリスは呟いた。


「考えなきゃ。立ち止まってはいられない」


 かつて火竜の罪禍ざいかを判じる場で、ユウリスは決意した。命の価値と、その罪と罰を、問題に突き当たるたびに向き合い、悩み抜いて答えを見定めると。


「よし、もう大丈夫。ちょっと弱音を吐きたかったんだ。ロディーヌやリュネットには話せないから、ブラムに聞いてもらえて助かった。ありがとう」


「ユウリス殿……いや、何も申し上げますまい。お心には確かな芯が通っておられるご様子。ですがどうか、ご自愛を。魔の手は誠実さにこそ穢れをもたらすもの。時には横暴に振る舞い、鬱憤うっぷんに身を委ねるも肝要なれば」


「お言葉、ありがたく頂戴するよ」


 明るい表情で歯を見せる少年に、ブラムも目尻にしわを刻んで頬笑んだ。


 そこでユウリスも居住まいを正し、話題を変える。


 馬上槍試合も近く、吸血鬼と話せる時間も多くはない。


 いまのうちに、得ておきたい情報があった。


「ついでに、もうひとつ教えてほしい。九百年だか千年だかを生きた先人に、訊きたいことがあるんだ――ブラムは、聖女アメリアと邪竜ブリギットの伝説を知っているの?」


 綺麗な笑みを浮かべ、よわい千二百年なれば、と訂正した吸血鬼が、厳かに首肯する。


「如何にも。そしてユウリス殿が何故、聖女と邪竜の伝承に固執なさるかも存じ上げております。花の咲く季節より、タラの丘を覆いし厄難が一端、死霊の王が渇望かつぼうせし女神の宝物――その起源なる伝承こそ、聖女と邪竜の逸話」


 リュネットから依頼の報酬として在り処を教えると提案されたブリギットの指環と、ユウリスの義妹ヘイゼルが持つブリギットの剣は、女神ダヌが聖女アメリアに与え、邪竜ブリギットを討つのに用いた伝説の至宝だ。


 ユウリスは二つの神器こそ、春先から続く災厄の謎に迫る鍵だと睨んでいる。


「リュネットは邪竜が火の女神と同一人物だと言ったし、ブラムは聖女が邪竜の魂を解放したと言った。どちらの話もレイン家には伝わっていない。剣と指環の言い伝えが、後世に伝わる過程で歪められたのなら、俺は真実を知りたいんだ」


「よろしい。では我が記憶より、後世に伝わらぬ伝承の真実を解き明かしてご覧に入れましょう。此れなるは聖女と邪竜、そしてレイン家と火の女神ブリギットにまつわる物語。時は遡り、しかばねと影の時代――」




 屍と影の時代


 伝承戦争において、魔神バロールは女神ダヌに敗北しました

 しかし魔神は散り際、数多の怨念を世に放ちます

 ダヌの眷属である火の女神ブリギットにも、魔神の呪詛が刻まれました



 時は流れ、水と風の時代の終焉しゅうえんと鉄と火の時代の黎明期


 ブリギットに植え付けられた魔神の悪念あくねんは、長い時間をかけて芽吹きました

 火の女神は呪いに侵され、邪竜ブリギットに姿を変えたのです


 水と森に愛された地は荒み、河は凍てつき、空は暗雲に包まれました

 飢餓きがと荒廃、混沌に支配された人々に希望はありません

 心優しき少女アメリアは困窮する命を憂い、救済を願いました

 女神ダヌより託宣を与えられたアメリアは、旅立ちを決意します


 世の乱れを正すには、かつてダヌが生み出した二つの至宝が必要でした

 ひとつはヌアザの大剣とも呼ばれる不敗の剣、名をダーインスレイブ

 ひとつは運命石リア・ファルからこぼれた欠片、名をスクーン石

 持ち主は妖精の女王モルガン・ル・フェイ

 アメリアは妖精の女王から二つの至宝を得て、旅を続けます


 そして霊峰ミネルヴァの山頂で、邪竜ブリギットと対峙しました

 アメリアは女神の至宝を用いて、勝負を挑みます


 邪竜に貸し与えるのは、ダーインスレイブ

 邪な気持ちで握れば、殺戮さつりくに取り込まれる不敗の剣


 アメリアが指にめるのは、スクーン石

 あらゆる因果を支配する運命の宝玉


 邪竜はダーインスレイブの魔力に身を任せ、アメリアを刺しました

 アメリアはダーンスレイブの力を用いて、スクーン石に願いをかけます

 殺戮のごうは運命石に溶けて聖女の願いを聞き届けました

 邪竜から魔神の呪詛を打ち祓ったのです


 女神の姿を取り戻したブリギットは大いに歓喜し、世に平穏が戻りました


 火の女神はアメリアの善行に報いて、清められた竜の力を与えます

 竜の力は子種となり、処女受胎しょじょじゅたいを果たしたアメリアは聖女となりました

 誕生した子に与えられた名は、エルフ語で恵みを意味するレイン

 レイン家は火の女神が寵愛ちょうあいしたタラの丘を治め、長く栄えました


 これは遥か昔から伝わる、悪竜ブリギットと聖女アメリアの物語です

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