18 吸血鬼は夜に遊ぶ

 収穫祭、四日目の昼。


 晴れ渡る空の下、ブリギット市西区のバルトロエル記念公園には人山が築かれていた。


 勇者の像によじ登ったロディーヌとユウリス、リュネットが固唾を呑んで中央に並ぶ数台の馬車を眺める。


 即席の壇上に上がったキャロット市長が、こほん、と咳払いして声を響かせた。


「愛すべきブリギット市民、そして諸外国から訪れてくれた観光客の皆様に、まずは今日まで無事に収穫祭を続けられていることを感謝します。収穫祭も今日を含め、まだ七日を残しておりますが――」


 朗々と演説をはじめた市長に、早くしろ、話が長いぞ、早く早く、と群集から矢継ぎ早に野次が飛ぶ。


 顔をしかめる市長に対し、控えていた副市長が手拍子で急かしはじめると一気に笑いが溢れた。


 キャロット市長が、愛嬌たっぷりに自分の広い額をぺちりと叩く。


「ええ、身内からも裏切り者が出たので、観念して長話は終わりにしましょう。ではお待ちかね、幸福の鳥ガフィのお披露目です。皆様に女神の加護がありますように!」


 市長が号令をかけ、職員たちが一斉に荷台の戸を開いた――途端、中から飛び出したのは愛くるしい千羽の鳥だ。黄色の羽根、短い足、白い嘴のガフィが飛べない翼をはためかせ、集まった群衆の間を抜けて市街地へと走りだす。


 盛大な拍手に耳を塞ぎながら、リュネットがぺろりと舌をまわした。


「ねぇ、坊や。あの鳥、美味しそうね」


「捕まえて食べていいのは最終日だよ。それまでは自由にさせて、食べ物をあげるんだ。目にした分だけ幸せになれるし、太らせた分だけ美味しくなる」


「旦那様、ガフィって食べられるの?」


 ガッフィには、幸せを呼ぶ鳥という言い伝えのある。


「なんだか罰当たりじゃないかしら」


 しかし同じ豊穣国ブリギットの領土内でも、キルデアを含む南方ではガッフィを食文化に含まない地域も多い。七王国でもガフィを食用に養殖しているのはブリギットのみで、聖書で神の使いとして描かれる鳥を食べるのは野蛮だと諸外国からは非難を受けている。


「うーん、普通の鶏肉かな。俺は揚げたガフィが好きだけど、衣と香辛料が美味しいだけかもしれない。ロディーヌは今日も野外病院で手伝いだよね。リュネットはどうするの?」


「坊やに付き合うわよ。馬上槍試合の練習でしょう、ペローが邪魔をしに来ないとも限らないし。ああ、でも二人とも、夜に少し時間をもらえないかしら――ブラムがいじけてるのよ」


 顔を見合わせるユウリスとロディーヌに、リュネットは憂鬱な気持ちを重い溜息で示した。


 日中は屋敷で大人しく眠り、夜には屋敷の家事に精をだすブラムが昨晩、突然の抗議をはじめたのだ。自分だけが収穫祭を楽しめていない、いっしょに遊びたいと嘆く吸血鬼に辟易へきえきとしたケット・シーは、一日くらいであれば夜の街に付き合うと承諾しょうだくした――それが間違いの元になるとも知らずに。


「なんだかあいつ、坊やとお嬢ちゃんまでいっしょに来ると思っているみたいで勝手に舞い上がってるのよ。嫌なら断るけれど、どう?」


「俺は構わないよ。どうせ日が暮れたら練習はできないし、屋敷で汗を流してから四人で出かけよう」


「もちろん私も同行します。ブラムさんには毎晩、美味しい夕餉ゆうげをご馳走して頂いているんですもの、ご恩返しをしなきゃ。それに夜遊びって、なんだか胸が躍るわ!」


 ロディーヌを野外病院に送り届け、ユウリスとリュネットは東地区の国営乗馬公園に足を向けた。すでに待ち構えていたアルフレドは溢れんばかりの闘志で馬を操っており、怪我の治りも良好だ。


 義弟は珍しく同情心を露にして、到着が遅れた義兄の肩を叩いた。


「ユウリス、昨日は大変だったな」


「え、ああ、そうか、アルフレドは逃げおおせたんだな」


 レイン家の義兄弟は同じ剣術道場に籍を置いている。


 三高弟さんこうていと名高い師範代、兄弟子、姉弟子の実力は嫌というほど身体に刻み込まれており、収穫祭では如何に武術大会から逃れるかというのが門弟たち共通の命題だ。


 敗北の記憶と共に痛みを思い出したユウリスは、頬を引きつらせて苦笑した。


「姉弟子と当たれて運が良かったよ。師範代と兄弟子は簡単に気絶なんて許してくれないから」


「で、ユウリス。今年の優勝は?」


「姉弟子」


「じゃあ来年は姉弟子が師範代か」


「意識のある奴が貧乏くじを引く年だな」


「実は僕、道場は今年で辞めるんだ」


「はっ、なんでアルフレドだけ――!?」


「じゅ、受験勉強があるんだよ。僕はイライザと同じヌアザの大学に進学するんだ。お前みたいにのんびり神学校に籍を置いてる奴といっしょにするな!」


「いや、父上は文武両道の方針だろう!」


「母上にはもう話を通してある。ざ、残念だったな、ユウリス。せいぜいコブが出来ない倒れ方でも上達させるがいい!」


 それから口喧嘩で半刻ほどを無駄にした後、悲劇が起きた。


「あれぇ、ユウちゃんとアルちゃんじゃん!」


 たまたま通りかかった姉弟子に脅され――建前上は懇願され、レイン家の義兄弟きょうだいは揃って明日の剣術大会に参加するハメになった。


「この広いブリギットで連日、姉弟子に会うなんて……」


「せっかく逃げられたと思ったのに!」


 意気消沈のまま馬上槍試合の訓練をはじめた二人だが、ユウリスが扱う馬上槍の腕前は確実に上達していた。アルフレドも怪我を感じさせない鮮やかな手綱捌たづなさばきを見せ、義兄弟の練度は確実に上がっている。


「アルフレド、このまま俺が槍持ちでいいのか?」


「残念ながら、仕方がない。僕の手首じゃ、鎧を突けるのはせいぜい一度が限界だ」


 馬上槍試合は一試合の内に同じ相手と三度、繰り返し戦う競技だ。


 互いに鎧を着込んで騎乗し、武器は先端をもろくした槍を用いる。


 成人の試合は一対一だが、幼年の場合は騎手と槍持ちの二人一組で出場しなければならない。


 障害物を挟んだ走路に対角から馬を走らせ、交差する瞬間に相手へ槍を突き出す。


 槍の先端が相手に当たって砕ければ旗が一枚上がり、一点先取だ。


 槍が当たらず、あるいは直撃しても槍が壊れなければ旗は上がらない。


 最終的には旗の合計数を競うが、同点は両者敗北。


 落馬、もしくは槍を相手側の騎手に当てた場合、その時点で失格となる。


「そういえばお前、僕になにを要求するつもりだ?」


 会話の切れ目を狙ったように、アルフレドが控えめな声を挟んだ。視線は明後日の方向へ向き、あからさまに動揺している。


 それでも避けたい話題に自ら踏み込んでくるぶん、義弟も丸くなったものだとユウリスは苦笑した。


「ああ、二日以内に馬に乗れたらってやつか」


 騎手はアルフレドだが、槍持ちで同乗するユウリスにも乗馬の技術は必要だ。


 二日前、二人は賭けをした。


 騎乗が不得手なユウリスが、二日以内に馬を乗りこなせるか否か――負けたほうは、勝者の願いをひとつ聞き届けるという内容だ。


 そしてユウリスは先ほど、アルフレドの前で見事に馬を御してみせた。


「じゃあ、ひとつ」


「まさかお前、明日の武術大会に自分の分まで出場しろなんていうつもりじゃ……」


「それも悪くないけれど、違うよ。試合で優勝したら、その場で父上に願いを言える権利があるよな。その役目、俺が代役を立てたいって申し出たら、素直に聞き届けてくれ」


「なんだそれ、どういう意味だ?」


 公爵に願いを叶えてもらえるという優勝の副賞は、二人一組の幼年部ではそれぞれに一つずつ与えられる。


 ユウリスは自分の権利を、他人に譲る心算だと明言した。


「俺が急に別の誰かへ権利を譲ったら、アルフレドは駄々をこねるだろ。そういうの無しで、素直に受け入れてほしい。もちろん、アルフレドのぶんは自分で使えばいいさ」


「お前――!」


 アルフレドは怒りに目をつり上げるが、ユウリスの視線は彼方に向いていた。ブルックウェル医師が働く野外病院で、夢を諦めずに邁進する婚約者へ想いを馳せる。


 馬上槍試合は収穫祭の目玉だ。レイン公爵と共に、モルゴ・トリアス伯爵の同席も見込まれる。


 ロディーヌが秘めた想いを伝えるには、そこが絶好の機会になるだろう――そうユウリスは考えていた。優勝の願いで婚約の取り消しを企みもしたが、いまは健気な少女の背中を応援したい。


「頼むぞ、アルフレド」


「知るか馬鹿、もう帰る!」


 急に機嫌を損ねたアルフレドは、手綱を義兄あにに預けて馬を下りた。肩を怒らせながら厩舎に向かう義弟おとうとを、ユウリスは呆然と見送る。


「なんだ、あいつ?」


 首をかしげたユウリスの肩に、リュネットが軽やかに飛び乗った。耳元で囁かれる声は、どこか呆れ気味だ。


「坊やって女心だけじゃなくて、男心もわからないのね」


「どういう意味? 願いの権利は騎手と槍持ち、二人にそれぞれ与えられるんだ。アルフレドはなにも損をしないのに」


「教えてあげないわ。さあ、あたしたちも帰りましょう」


 練習を終えたユウリスとリュネットはロディーヌを迎えに行くと、日が暮れる前に帰宅した。


 少年少女が湯を浴び、衣装を着替える頃、ブラムも目覚める。


 普段の燕尾服えんびふくと黒い外套に蝙蝠こうもりの仮面を加えた吸血鬼を連れ、ユウリスたちは夜のブリギットに繰りだした。


 篝火が焚かれ、日中の明るい喧騒とは異なる大人たちの野生的な熱気が市街地を包みこんでいる。


「旦那様、なんだかすごくお酒臭い!」


「夜はしょうがないよ。ブラムもお酒を飲むなら、自己管理ができる範囲でよろしく。酔っ払いを担いで戻れるほど、屋敷までの距離は近くないからね」


「ご安心召されよ、浅酌低唱せんしゃくていしょうたしなむ程度なれば。しかして之、筆舌ひつぜつに尽くしがたき幸甚こうじんかな。姫、奥方様、そしてユウリス殿、今宵は我が乾きに癒しの手を差し伸べて下さり、感謝の念に堪えません。さあ、いざ、いざやブリギット!」


「旦那様、私は学がないのかしら。ブラムさんとまともに会話が成立した記憶がないの」


「安心して、ロディーヌ。俺もブラムの言ってること、半分くらいしか理解してないから。リュネットは?」


「バカね、適当に聞き流しときゃいいのよ」


「無慈悲! されど喋々喃々ちょうちょうなんなんも愉快かな!」


 トリアス邸の最寄りとなるブリギット市の東地区は、酒盛りの掛け声と弦楽器の調べに沸いていた。子供の姿は少ないが、路上で踊る大人たちは楽しむのに夢中でユウリスたちを気に留めはしない。


 服を脱ぎ捨てる酔漢すいかんから、ロディーヌは慌てて目を逸らした。


「なにあれ、破廉恥だわ!」


 リュネットはつんと鼻先を上げて屋台の香りを嗅ぎ分け、ユウリスは夜の催しに想いを馳せる。


 健全な少年少女と猫を尻目に、大興奮のブラムは両手を広げて美声を震わせた。


「稲穂揺れ、運河流るるは、タラの丘に築かれし豊穣の都。火の女神と邪竜が鎮めたる、破壊と再生の大地。スクーン石の緑樹はみだれど、清廉なる霊脈在れば、清涼なる水と風の加護の絶える兆し無く! おお、ブリギットよ!」


 人目をはばからず往来で吟唱する様は平素ならば変人扱いだが、祭りでは重宝される。酒飲みや楽団が瞬く間にブラムを取り囲み、即興の演奏会が幕をあげた。


 気ままに街を散策していたガフィたちも歌声に惹かれたように続々と姿をみせ、ガゥガゥ、と合唱を響かせる。


「旦那様、ガッフィがたくさん!」


「噛まれないようにね」


「平気よ!」


 幸福の鳥に触ろうと、ロディーヌはおそるおそる手を伸ばした。しかし低い鳴き声に驚いて、思わず身を竦ませてしまう。そんな少女の姿に、ユウリスとリュネットが同時に吹きだした。


「ロディーヌって意外と怖がりなんだね。ガフィはすばしっこいけど、ぜんぜん怖くないよ。視野が広いから、本当に真後ろから行かないと逃げられてしまうけれど」


「ひょこっと伸びてるお嬢ちゃんの前髪、いまクルクル回っていたわよ。ああ、可笑しい」


「もう、二人とも笑うなんてひどいわ!」


 顔を真っ赤にするロディーヌの尻に、跳躍したガフィがくちばしを突き刺した。悶絶して体勢を崩す少女を受け止めたユウリスの肩で、リュネットが目に涙を浮かべて腹をよじる。


 自慢の歌唱力を思う存分に披露したブラムが戻る頃には、花嫁二人は互いの仮面を掴んでいがみあっていた。


「ユウリス殿。よもや正妻戦争せいさいせんそうが勃発を?」


「変な争いを勝手に作らないで。ほらリュネット、ロディーヌもそこまで。次はどこに行こうか。せっかくだから、お祭りらしい催しを見せてあげたいけれど夜は討論会くらいしかやってないしな」


「討論会とは?」


「市長選挙の候補者が集まって、夜通し議論するんだよ。でも自由参加だから、誰が出るのかはわからない。日中の演説より距離が近くて、市民とも対話をするんだ。人間の選挙だし、ブラムには退屈だよね。うーん、港に行けば何かやってるかな」


 しかし吸血鬼は、是非に、と人間の政治に興味を示した。


 選挙の関心の薄いロディーヌとリュネットは抗議の声を上げるが、今夜の主導権はブラムが握っている。


 ユウリスが花嫁二人を宥め、一行は討論会の会場である中央区のセント・アメリア広場を目指した。


 吸血鬼の足取りは軽く、今にも駆けだしてしまいそうだ。


「ユウリス殿はノスフェラトゥが人界の政治に興味を抱くのを奇妙に思われているようですが、逆の立場でお考え下さい。例えば我が姫は紛れもなくケット・シーの王女なれど、父母が王位を得ているわけではございません」


「え、どういうこと?」


「そういうことでございます。貴殿が疑問を好奇心で染めるように、我が知欲もまた人界じんかいことわりに魅了されて然り。時にセント・アメリアと申さば、邪竜の呪いを祓いしレイン家の始祖たる聖女の名では?」


「よく知ってるね。そう、聖女アメリア――え、待って、ブラムは邪竜ブリギットを知っているの?」


 目を丸くするユウリスに、ブラムは鮮やかに首肯した。


 背後で言い争いを続けていたロディーヌとリュネットも何事かと首を伸ばす。


「旦那様、邪竜ブリギットってなに?」


「あら、古い名前ね。あたしは産まれる前だけれど、確かブリギットがバロールの呪いを受けたのよね?」


 セント・アメリア広場も間近に迫り、登壇する候補者の舌戦と聴衆の喧騒が耳に届く。候補者の半数が集まっており、キーリィ・ガブリフやキャロット市長の姿も見受けられるが、ユウリスは選挙の論争からすっかり興味を失っていた。


 邪竜ブリギットを巡る逸話は、ブリギットで頻発する不可解な事件にも大きく関与している。未だに解決をみない禍事まがごとの手掛かりを掴み、前のめりになる少年をブラムが片手を掲げて制した。


「ユウリス殿。伝承の行方を彩りたいのは山々なれど、屋上に妙な気配が」

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