08 犬猿の同盟

「ふん、ここがユウリスの屋敷か。なかなか立派じゃないか」


「俺のじゃないよ、アルフレド。トリアス伯のだ」


「それはつまりお前のってことだろう、ユウリス・トリアス伯爵?」


 鼻のガーゼが痛々しいアルフレドは夕刻に突然、トリアス伯爵の屋敷を訪ねて来た。


 取り巻きの三人――鍛冶屋かじやの息子で体格の良いランドロフ、薬師くすしの娘でアルフレドに恋するリジィ、そして恰幅かっぷくの良い温和な少年ミックも同行しており、長い卓の端でブラムがれた紅茶を楽しんでいる。


「それで急になんの用だよ、アルフレド」


「お前と結婚する物好きな女の顔を見に来てやったのさ。カーミラを譲ってやったのに、ほかの女を選ぶ恩知らずめ。僕はいまさら、彼女の気持ちに応えられないぞ」


「ナダも君の気持ちには応えられないみたいだけど?」


 色恋沙汰の争いでは目下、ユウリスに分がある。


 テーブルを挟んだ向かいのアルフレドは顔を真っ赤にして席を立つが、振り上げた拳を震わせたのは一瞬で、すぐに椅子に腰を下ろした。普段なら取り巻き三人と示し合わせて殴りかかってくる場面だが、そんな様子もない。


「くそっ!」


 悪態を吐く義弟に、ユウリスは眉をひそめた。


「アルフレド、本当にどうしたんだ?」


 ユウリスは、アルフレドと折り合いが悪い。


 そこには庶子しょしの長兄と、嫡男ちゃくなんの次男という間柄が大いに関係している。


「なぁ、アルフレド……」


「うるさい、黙れ!」


「いきなり訪ねてきておいて、その言い草はないだろ。なにか、父上に言えない相談なのか? アルフレドが俺を頼るなんて、よっぽどのことだ」


 義母ははであるグレースは、ことあるごとに実子のアルフレドを優遇してきた。彼自身も、庶子との違いを見せつけように振る舞ってきたように感じる。それはユウリスにとっても、耐え難い苦痛の日々だった。


「用がないなら帰れば?」


「お前、せっかく僕が来てやったのに!」


「べつに頼んでないよ」


 こうして互いに顔を合わせれば反目し、道が交われば競い合う――最近はいさかいに疲れたユウリスが勝ちを譲る機会も多いが、とにかくレイン家の二人は犬猿の間柄だった。


「旦那様、アルフレドさんは広場の喧嘩について相談があるのではないかしら?」


 なかなか話が進まない二人を見兼ねて、ロディーヌが助け舟をだした。


「そうでしょう、アルフレドさん?」


 アルフレドは気恥ずかしそうに会釈し、見てたのか、と俯き加減に呟いた。


 その目にじわりと、涙が滲む。


 自尊心の強い少年であるが故、義兄あにに失態を目撃された屈辱が感情を揺さぶるのだ。手拭いを用意したブラムが颯爽さっそうと割り入ろうとするが、リュネットに威嚇いかくされて踏み止まる。


 なんなのよこれ、とケット・シーから険しい目つきを向けられても、ユウリスには答える術がない。


 代わりに口を開いたのは、奥に座るリジィだ。


「アーデン家の次男――メディッチが、アルフレドに因縁をつけてきたの!」


 普段は大人しいリジィだが、好意を抱くアルフレドの危急には憤然と声を荒らげる。


 耳に届いた名前にロディーヌが首を傾げると、ユウリスが説明を繋いだ。


神学校しんがっこうの生徒だよ。俺より一学年上で、アルフレドとは同級生」


「旦那様のほうがひとつ年上なのに?」


「期末試験で順当に受けている俺が普通で、アルフレドはわざわざ昇級試験を受けて上の学年に飛び越えたんだよ。早く大学に入りたいみたい」


「お前みたいな雑種と違って、僕はいずれブリギットの爵位を継ぐ男だ。神学校なんかでもたもたしてなんていられるか」


 嫌味っぽく鼻を鳴らすアルフレドに肩を竦め、ユウリスは続ける。


「まあ実際、優秀だと思うよ。イライザが卒業した年よりも、記録を縮めたんだから。それはともかく、いまはメディッチ・アーデンの話だ」


 メディッチ・アーデンは神学校の最上級生だ。


 アルフレドも今年の下半期から最上級生となり、年末の卒業を見据えている。


 成績優秀にしてヌアザの名門大学を志すレイン家の嫡子が、資産家アーデンの次男にとって目障りなのは言うまでもない。学内の小競り合いからはじまった不和は徐々に規模を増し、収穫祭ではとうとう殴りあいに発展にしたというわけだ。


 昼間のやり取りを思い出したユウリスが、呆れたように肩を竦める。


「なにも殴り合わなくてもいいのに」


 ここでアルフレドの用心棒を自任するランドルフが、苛立たしげに舌打ちした。彼はユウリスより一つ上の十五歳だが、未だに最上級生の進級試験には合格していない。


「メディッチの野郎、手下を使ってオレらとアルを分断しやがったんだ。くそ、四人揃えば負けるわけねえのによ。おまけにあいつ、アルに捻挫までさせやがって!」


 拳を振り上げた際にも見えたが、アルフレドの手首には包帯が巻かれている。のんびりとした口調のミックが、今度は自分がしゃべる番だとばかりに訪問の理由を明かした。


「メディッチとアルフレドはね、馬上槍試合で対決するはずだったんだ。でもアルフレドは怪我をしちゃうし、いっしょに出場するはずだったランドルフも登録を消されて、大変なんだよ!」


「オレ、本当は十六歳なんだわ。家の手伝いが忙しくてよ、みんなより神学校に入るのが一年遅れたんだよな。けど、ひとりだけ年上ってガキの頃は小恥ずかしくてよ。黙ってりゃバレねえと思ったんだが、メディッチの野郎が役所の住民名簿で調べて、運営にチクリやがったんだ!」


 馬上槍試合の幼年部は十五歳までしか出場できない。


 ここで三人の取り巻きが、アルフレドに視線を集めた。代表するように、ミックが彼の肩を叩く。


「アルフレド、ちゃんと言わなきゃ」


「わかってるよ!」


 仲間たちに後押しされたアルフレドは、威勢よく立ち上がった。


 唇を震わせた公爵家の跡取り息子が、仇敵を見るような目つきでユウリスを睨みつける。


「僕はレイン家の名に賭けて、メディッチに遅れをとるわけにはいかない。だがランディの他に、馬で戦える奴に宛てがないのも事実だ。本当は嫌だし、こんな頼みごとをするのは血反吐を吐く思いだが……それを曲げて、お前に頼む。ユウリス、僕といっしょに馬上槍試合に出場しろ!」


 半ば予想していた内容ではあるが、ユウリスの胸は衝撃に震えた。


「俺と、アルフレドがいっしょに?」


 どんなときでも自分の立場が上だと公言して憚らず、暴力や陰口で自分を蔑んできた義弟が、まさか助けを求めてくるとは――竜の牙を欲するユウリスからすれば渡りに船だが、同時にアルフレドの並々ならぬ負けん気にも心を動かされた。


 イライザに以前、諦めの悪さはアルフレドのほうが遥かに上だと諭されたのを思い出す。


「なんとかいえ、この僕が恥を忍んでお前に頼んでいるんだぞ!」


 悔しげに表情を歪める義弟おとうとから視線を外して、ユウリスはテーブルで丸くなる白猫に視線を向けた。


 馬上槍試合の相手となるメディッチは、ペローから加護を得ている可能性が高い。リュネットと結婚するため、優勝商品である竜の牙を狙っているのは間違いないだろう。


 仕方ないわね、と声には出さずに嘆息して、ケット・シーは静かに了承した。


「旦那様」


 ロディーヌも小さく頷く。


 アルフレドは雪辱を晴らすため、ユウリスはリュネットを助けるため、馬上槍試合で優勝を果たすという目的は一致した。


「ただアルフレド、条件が二つある」


「な、条件だと、ふざけるな、ユウリス。お前、レイン家の名誉を賭けた戦いに誘ってやっているんだぞ、平身低頭へいしんていとうで感涙してから出直して来い!」


「俺はトリアス家の婿むこになるんだ。レイン家の名誉はアルフレドが守れよ」


 家名を交渉材料にされたロディーヌが、目をつり上げた。


 未だ結婚に後ろ向きな婿が、トリアスの名を騙るとは何事か――そう叱責しっせきしようとするが、前脚を掲げたリュネットに推し留められる。


 言葉に詰まったアルフレドに、ユウリスは畳みかけた。


「ひとつ、やるからには優勝を目指すこと。ふたつ、竜の牙の杖は俺がもらう。いますぐに返事ができないなら、この話は無しだ。出て行けよ、アルフレド。頼みなんて、俺が素直に聞くなんて思ってないよな?」


 優勝して得られる二つの賞品――願いを叶えてもらえる権利と竜の杖は、自分とリュネットの婚約騒動を解消するためにも必要だ。


 前者は双方に与えられる権利だが、後者はひとつしか存在しない。


 表情に苦悶を浮かべたアルフレドだが、最後は毒づきながらも条件を受け入れた。


 しかしユウリスには未だ、懸念が残る。


「でもアルフレド、ひとつだけ問題があるんだ」


「なんだ、まさかいつもの大食い女とバカ犬がいないから力が発揮できないなんていうなよ?」


 奇しくも昨日と同じ食堂で、ユウリスは告白した。


「俺、馬に乗れないんだ」


 アルフレドのみならず、三人の取り巻きまでもが発する非難の声に紛れ、リュネットが呆れたように表情をしかめる。


「まったく、先が思いやられるわ」

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