10 もうひとつの殺人

 夏の日差しにかげりはなく、空から降り注ぐ熱には、街路樹がいろじゅさえもぐったりとしている。


 見張りの警官二人を伴い、ユウリスとウルカは再びスコット・ラグ邸に赴いた。


「ユウリス、お前が来いと言えば白狼もついてきただろう。怪物退治なら役に立つ」


「意地悪言わないでよ。玄関まで見送りをしてくれただけで十分。でもアレ、オスロット警部は臭いを覚えられているね」


 暑さに弱い白狼は、ユウリスたちが出発すると氷室へ退散した。オスロット警部が魔獣に怯えて失禁したのは二度目で、後ろを歩く二人の男性警官も苦笑いしている。


 途中、屋台で水分補給の休憩を挟んだ一行が、北区エルウッド通りに着いたのは昼前のことだった。


「ねえ、ウルカ。昨日、スコットを助けていれば――」


「見捨てたのは私の判断だ、お前が気に病むことはない。判断の誤りがあれば、検証した上で次に活かす。結果的に命が失われても、自分の不手際でなければ自責の必要はない」


「それは少し、冷た過ぎない?」


「あくまで私の考え方、理念だ。お前は一人前になったあと、自分の道を見つければいい」


 すべての可能性を考慮して人を助ける――それが不可能なのはユウリスも理解している。それでもスコットを家から遠ざけていれば、死はまぬがれたかもしれない。後悔ばかりが募る。


「せめてボガートから身を守る術を模索するべきだったんじゃないかな」


「ボガートは非力な妖精だ。魔術を使うならまだしも、絞殺こうさつするとは考え難い」


「じゃあ、別の怪物が関わっているのを見逃した?」


「殺害方法だけ聞くと、人が人を手にかける普通の殺人という印象だ。怪物絡みかどうかは、現場を検証すれば判明する――いや、お前は犯人がわかっているんだったか?」


「ああ、もう、ほんと意地が悪い。潔白けっぱくは自分で証明してよ!」


 スコット・ラグ邸に人気はない。


 現場保存を任された警官が、軒先の椅子に座り込んでいた。日差しから逃れたければ室内で留まることもできたのであろうが、死体のけがれを畏れて避けるほうを優先したらしい。


 ユウリスが野次馬のいない静けさに疑問を抱くと、同行した警官が頭上に輝く太陽を指差して舌を出した。


「この暑さだからね。事件が発覚した早朝こそ人が押し寄せていたけれど、日が完全に昇ってからは警官だって引き上げた。この制服も、尋常じゃないくらい蒸すんだよな」


「ご愁傷様です。スコットの遺体は、まだ家に?」


「いや、もう検死医が引き取ったはずだ。さて、僕は立番に話を通してくる。大人しく待っていてくれよ。逃亡なんてされたら、警部が意識を取り戻さないよう祈るはめになる」


 立番――玄関前の椅子で、暑さに項垂れている警官のことだ。片方が離れると同時に、ユウリスは残る警官へ顔を向けた。警察の把握している情報も引き出しておきたい。


「スコット・ラグのことで、わかっていることを教えてもらえますか?」


「なんでそんなことを聞く、忌み子のユウリス。犯人はわかっているって話だろう」


 道中から感じていたが、付き添う二人の警官は性格が正反対だ。最初に話した警官の物腰の柔らく、残った彼は意地が悪い。


 ウルカの助け舟はなく、ユウリスは言い淀んだ。


「ああ、ええと、それはそうなんだけど……」


「馬鹿、からかっただけだ。警部のやり方が良いとは思ってねえよ。何について知りたい?」


 ニヤリと笑う彼に、ユウリスは半眼を向けた。この灼熱地獄で冗談を笑う気力はない。


「じゃあ死因についてもう少し詳しくと、ウルカ以外の犯人候補について教えてください」


 しかし炎天下でりないのはウルカも同様で、早々に茶々が入った。


「私が犯人かもしれないぞ」


「お願いだからウルカは黙ってて!」


「あんたら面白いな。死因は頚椎骨折けいついこっせつによる窒息死。絞殺時に食い込んだ指が首にあざを残しており、大きさからして女性と推察される。死亡推定時刻は今朝未明。他の犯人候補はなし。大の男を絞め殺せる女なんて、それこそゲーザーみたいな戦士じゃねぇのかな」


「≪ゲイザー≫。間違えると首の骨、折られますよ。スコットの女性関係は?」


「賭場の常連だが、娼館通いの情報はない。カードの負けが込んで、金に困っていたようだ。一応は既婚者のはずだが、近所住民の話じゃ、奥さんには逃げられたらしい」


「その、奥さんは?」


「アイータ・ラグ。身寄りはない。現在は行方不明。だが蒸し返すようだが、男の首をへし折るほどの女なんて――って、なんだい、女戦士さん」


 警官の言葉を制するように、ウルカが片手を上げた。思案気にスコット・ラグの邸宅を見据え、なるほど、と小さく頷く。


「正式に離縁はしているのか?」


「いや、役所の記録上はまだ夫婦だ。まあ、離縁は面倒だからな。男に愛想を尽かして失踪するなんてのは、よくある話だ」


 婚姻はダーナ神教の管理下にある新聖な儀式だ。童貞、処女の貞淑ていしゅくを美徳とし、婚姻外の性交渉を不道徳と戒める教義も広く遵守じゅんしゅされている。役所に夫婦として登録するにも、教会の承認が必要だ。同時に離縁も教会が厳しく精査し、認められない事例も多い。


「アイータがスコットのもとを去ってから、実際に彼女の姿を見たという目撃証言は?」


「まだないな。警察も一応、アイータのことは捜しているんだが……」


「わかった、もういい。ユウリス、お前の言う通りだ。現場を見れば、犯人がわかるぞ」


 ユウリスは疑問符を浮かべながら、スコットの家に足を踏み入れた。


 立番の警官が扉を開けた途端、せ返るほどのえた臭いが漂う。あまりの不快さに、喉まで吐瀉物としゃぶつが込みあげる。


「うっ……」


 ユウリスは道中で呑んだレリンの水を、玄関先に吐き出した。


「おえっ、なに、これ……!」


「人が腐った臭いだ。さっさと済ませるぞ」


 眉を寄せながらも迷わず屋内へ足を踏み入れるウルカに、ユウリスも渋々と付き従う。三人の警官は玄関先から距離をとり、動こうとしない。


「あの、誰か来てくれないと、遺体がどこで見つかったのかわからない」


「入って左手のリビングですよ。中は勘弁してください。通行人から苦情が来るせいで、まともに換気もできないんです」


「ああ、最高の環境だね」


 嫌味に反論もせず、警官たちが心底申し訳なさそうな顔をするので、ユウリスも無理強いはできない。


 室内は半日前の比ではなく、荒れ放題だった。転倒した机や椅子、食器棚は開け放たれ、割れた食器が散乱している。かびたチーズとねずみの死骸には害虫が群がりにははえが飛び交っていた。転がり放題の酒瓶は、まだ記憶に新しい。


 目が痛いほどの穢れた空気。


「スコットは、部屋が臭くて死んだんじゃない?」


「当たらずとも遠からずだ。スコット・ラグは、この腐臭の原因に殺されたのだろう――見ろ、ここが発生源だ」


 荒廃した空間で、以前の訪問時とは大きく異なる部分をウルカが示した――ダイニングの床板が一部、がされている。剥き出しの床下には、縦長の大きな木箱が横たわっていた。成人男性が入るには小さいが、子供が入るには大き過ぎる。


「……箱、なんの?」


「お手製のひつぎといったところかな」


 農場の刻印はあるが、既製品ではない。幾つかの箱を繋ぎ合わせた、自作の入れ物だ。傍らには釘が散らかり、蓋が横たわる。木箱の中身は空だが、底にはシミが広がっていた。室内とは比べ物にならないほどに大量の蠅が群がり、蛆虫うじむしが這っている。


「棺って、どういうこと。俺たちが来たときも、足元にこれがあった?」


「ああ、おそらく死体が入っていたはずだ。スコット・ラグが殺した“誰か”の死体」


「ごめん、ちょっと整理させて。今朝、殺害されたのはスコットだよね。でも彼は以前に誰かを殺していて、遺体を床下に隠していたってこと?」


 昨晩、この家を訪れたときにも、足元には死体が埋まっていたのだと気付いて、ぞっとする。部屋を覆う腐臭は、決して発酵した食品のせいばかりではなかったということだ。


 では木箱に隠されていた遺体はどこに消えたのか。


 視線を巡らせるが、消えた亡骸がユウリスの視界に映ることはない。悩む少年の傍らで、ウルカは推理を組みあげた。


「ボガートが咎めていたのは、これだろうな」


「家に相応しくない行い――殺人を犯したスコットを、ボガートが罰した?」


「ボガートは命を奪わない。殺人を犯した妖精は、大きな不利益を被る」


「泡にでもなるの?」


泡沫ほうまつなら幸福だろう。それより死体だ。全ては消えた亡骸なきがらが知っている」


「スコットを殺した犯人が、遺体を持ち去った?」


「それは≪ゲイザー≫の事件じゃないな」


 ≪ゲイザー≫の事件――つまり怪物だ。


 ユウリスは唇を指で撫でながら、想像力を働かせた。渦巻く腐臭も、推理に意識を割けば不思議と緩和されていく。


 弟子の思考を、師が導いた。


「まずは事実を前提に、発想力を加えろ。常識は持ち込むな。推理が少しくらい飛躍しても、闇祓いの経験が点と点を繋ぐ。怪物が常に、都合よく現れてくれるわけじゃない」


「スコットは、尋常じゃない握力の女に殺された。家の床下には、彼が生前に埋めた死体の痕跡がある。箱のちょうど女性が入る大きさだ。関係者として名前が挙がる女性は、行方知れずの妻アイータ・ラグ――スコットは、自分の奥さんを殺した疑いが高い!」


「片方が賭博好きの夫婦では珍しくもない。愛想を尽かした妻に激昂したか、喧嘩の弾みか、ともかくスコットは妻を殺した。離縁の届けはなく、姿を見た者もいない。決まりだ」


「ボガートは家を守る妖精だから、スコットの行為が許せなくて家鳴りを起こした。でも妖精は人を殺さない。スコットを殺す動機があるとしたら、死んだはずのアイータだ」


「よし、上出来だ。アイータはおそらく、≪レヴェナント≫になった」


「≪レヴェナント≫?」


 はじめて聞く名称に、ユウリスは首を傾げた。


 ウルカはベルトのホルスターから霊薬の小瓶を取り、栓を抜いた。木箱に振り撒かれた赤紫の液体は、シミも残さずに忽然と消失する。


 覗き込んだユウリスは眉をひそめて目を擦るが、なにが起こる気配もない。


「ウルカ、いまのはどういう霊薬?」


裏狐うらぎつねの霊薬だ」


 顔を上げたユウリスは目を丸くした。彼女の瞳は色を変え、群青ぐんじょう精彩せいさいを宿している。それは邪悪な存在を見破る眼界がんかい、闇祓いの作法が発現している証だ。ウルカの眼差しは、家の奥へ向けられていた。


「よし、俺も……闇祓いの作法に従い――」


 ユウリスも心を落ち着け、同じように≪ゲイザー≫の力を身に宿す。全身に蒼白の光を帯び、瞳を群青に塗り替える。ウルカは頷き、同時にとがめた。


「ユウリス、いまは破魔の感覚だけを研ぎ澄ませ。霊力の消費を抑えられる」


「眼だけ青くするの、難しい。全身でやらないと上手く出来なく――って、この煙、なに?」


 闇祓いの作法を身に宿したユウリスの目に、木箱から漂う紫煙しえんの筋が映る。平時の瞳では視認できない、裏狐の霊薬による現象だ。怪物の魔力から痕跡を辿る霊薬だ、とウルカは簡潔に説明した。そして紫煙に導かれた先は、母屋の裏口だ。施錠は破壊され、ドアノブが外れかけている。


「≪レヴェナント≫は此処から逃げたようだ。後を追うぞ、見張りの警官を連れて来い」


「あ、ちゃんと連れていくんだ」


「市内の怪物狩りは面倒が多い。あとで難癖をつけられるのは御免だ」


 警官二人を伴い、闇祓いの師弟は怪物の追跡を開始した。紫の煙は裏路地を抜け、大通りに続いる。ユウリスは道中、瞳に破邪の力を集中する術を試みた。


「あ、意外と簡単……」


 体内を循環する霊力の制御は容易く、あっさりと会得を果たすことができた。ただ闇祓いの作法を行使するよりも神経をすり減らすが、慣れの問題だろう。ウルカがつまらなそうに眉を寄せ、憮然と鼻を鳴らした。


「相変わらず霊力の制御は上手いな。生意気だぞ」


「素直に褒めてくれてもいいんじゃない?」


「調子に乗るな。だが、力の扱いは天賦てんぶの才だろう。私が教える前に、身体の強化や武装への流動も体得していた。ひょっとしたらレイン家の血筋に、≪ゲイザー≫がいたのか?」


「じゃあイライザなんかは、すごい闇祓いになりそうだ。あれ、ウルカ、ここは……!」


 霊薬の導く先。


 そこはブリギット市の北に広がる、静謐せいひつの霊場。


 爽やかな風に葉がそよぐ、自然の楽園。オリバー大森林。


 許可のない立ち入りは禁止されており、街と大森林は高い塀で仕切られている。参道の入り口に佇む衛兵えいへい二人の間を通り、紫煙は森の奥へ続いていた。


「ユウリス、オリバー大森林の入り口には寝ずの番がついているはずだな?」


「そうだけど……怪物なら塀を超えることもできたんじゃないかな。いまはもう塞がれたけど、まわる子豚亭の裏には抜け穴もあったし、他の場所から森に入ったのかも」


「いや、裏狐の霊薬が辿るのは怪物の痕跡だ。それは足跡と同じ、通った道を指し示す。私たちが追う魔力は、間違いなく参道を真っ直ぐに抜けている」


「それなら衛兵が気付かないはずはない、よね」


 死体の通行に目を瞑るはずがない。同行の警官が衛兵に確認するが、結果は見事に空振りだ。夜勤の引継ぎに、怪物の目撃証言はない。


「ウルカ、このままオリバー大森林に入るの?」


「ああ、進むしかないだろう。なんだ、怖いのか?」


「そうじゃないけど……いや、そうかな。ちょっと緊張する。でも、行くよ」

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