09 オスロットの誤算

「ウルカ、流れ者。自称ゲーザー。スコット・ラグ殺害の容疑で逮捕する」


 スコット・ラグ邸を訪問した翌朝――レイン公爵邸に踏み込んだオスロット警部は、得意げに逮捕礼状を掲げた。


「くくく、ようやく尻尾を掴んだぞ」


 オスロット警部の不気味な含み笑いが、静かな食堂に響き渡る


 裁判所が発行した本物の礼状に興奮して身を乗り出す三男を、次女がたしなめた。父の注意が逸れた隙に、苦手な野菜をナプキンに包んで押し潰しているのはヘイゼルだ。ユウリスとウルカは、迷惑そうに顔をしかめている。


 当主セオドア・レイン公爵はナイフとフォークを静かに下ろし、整った口髭を撫でた。


「おはよう、オスロット警部」


「御機嫌麗しゅう、公爵閣下。お見知り頂き光栄です。ブリギット市警察のジェイムズ・オスロットが、悪漢の魔の手から盟主をお守りするため、せ参じました!」


「朝食の最中にかね?」


 当主セオドア、長兄ユウリス、三男、次女、三女ヘイゼル、そして客人のウルカが揃う食堂には、香ばしい腸詰肉ちょうづめにくと、釜から上げたばかりの小麦パン、採れたての緑野菜が並んでいる。


 部下を引き連れたオスロット警部は、テーブルクロスがめくれそうな勢いで鼻息を荒げた。


「はい、決してお邪魔はいたしません。さあ、公爵閣下は存分にお食事を召し上がり、我が勇姿をとくとご覧あれ。しかしなんとも美味しそうなパンですな!」


「事前に訪問の報せがあれば、今度は君の分も用意させよう。それで、スコット・ラグだったか。オスロット警部の管轄なら、市民の殺人事件だな。なぜウルカ殿が容疑者に?」


「おお、公爵閣下、お耳汚しをご容赦ください。簡潔に申し上げる――」


「できればそう願いたい。出来立てのパンが冷めてしまう」


 静穏せいおんな物腰の公爵だが、口調に滲む憤懣ふんまんを家族だけが察する。議会の紛糾で深夜の帰宅が続き、朝食の席に着くのは十日ぶりだ。公爵の機微に気付かぬ警部は、むしろ歓迎されたとばかりに唇の両端を吊り上げた。樹脂液じゅしえきで固めた口髭くちひげが、跳ねるように動く。


「昨晩、スコット・ラグ宅を自称ゲーザーと、そこの忌み――ごほんっ、ご子息のユウリス少年が訪問し、言い争うのを近隣住民が聞いております。そして今朝未明、ラグの家から大きな物音と悲鳴が上がりました。お隣さんが飛び起きて様子を見にいくと、スコットは首の骨を折られて殺されていたという次第です!」


「ウルカ殿、警部の言い分はこのようだが?」


「腸詰肉が冷める、私は食べるぞ」


 ウルカは相手にせず、湯気の消えかけた皿を恨めしそうに眺めていた。


小便垂しょうべんたれの戯言ざれごとに弁明することはない」


 かつてレイン家の庭で粗相をしたことは、オスロットの忘れがたい恥辱だ。皮肉ついでに貶しめられ、彼の顔面が一瞬で茹で上がる。警部が腰の剣を抜くと、ウルカは億劫そうにナイフをちらつかせた。


 見かねたユウリスが、憤然ふんぜんと席を立つ。

 

「父上、スコット・ラグを訪ねたのはメイウェザー神父の依頼です。家鳴やなりの原因を突き止める調査でした。家を出たとき、彼は生きていた。殺す理由も、必要もない!」


 揉め事に辟易へきえきとした三男と次女が、ヘイゼルの手を引いて忍ぶように食堂から立ち去る。それをレイン公爵は見咎みとがめることなく、侍女に目配せして子供たちの食事を部屋へ運ぶように指示した。ヘイゼルがナプキンで潰した野菜は、スープに混ぜて食べさせるようにとも付け加える。


「オスロット警部、我が息子も現場にいた。ウルカ殿が市民を殺める動機はなんだ?」


「失礼ですが、公爵閣下。素晴らしいご子息、ご息女のなかで、ユウリス・レインは特異な例外だ。ゲーザーにたぶらかされているか、あるいは彼が元凶か――もう我慢の限界です、ハッキリと申し上げますが、この少年は忌み子です。公爵閣下もご存知のはず!」


「それは今回の問題に関係あるまいよ、オスロット警部」


「いいえ、忌み子の凶事が絵空事ならば、レイン家の名において声明をお出しになればよろしい。ですが十四年間、貴方が噂を否定したことはない。混乱を承知で妾の子を連れ帰り、禍事まがごとの伝聞を知りながら放置しているのは、全てが真実だという証拠でしょう!」


 警部の指摘は、長く曖昧あいまいだった疑問に風穴を開けた。忌み子の噂に対し、レイン家は態度を示さない。部外者に責められても、レイン公爵は苦渋の表情で唇を引き結んだ。


「父上……」


 ユウリスは父の態度に深い失望を覚えた。爪が食い込むほど握り締めた手を、ウルカの肘が小突く。彼女はつまらなそうに鼻を鳴らし、椅子から腰を上げた。


「ゲーザーじゃない、≪ゲイザー≫だ。お前は毎度、私に何か恨みでもあるのか?」


「怪しいまじない師が公爵家に入り込めば、治安を預かる者として目を光らせるのは当然だ」


 唇の変形も凄まじく、オスロット警部は舞台役者顔負けの身振り手振りで責め立てた。ウルカは飄々とした態度を崩さない。むしろ楽しむように、目を細めて挑発する。


「私が犯人であるという証拠は?」


「昨晩、言い争っていただろう!」


「殺害されたのは今朝未明だろう?」


「お前が朝までそこにいたか、夜明けにこっそり行って犯行に及んだんだ!」


「それでよく警部が務まるな、私のような闇祓いが必要になるわけだ」


公職侮辱罪こうしょくぶじょくざいだ、逮捕しろ!」


 オスロット警部の号令に応え、控えていた警官隊が抜剣する。ウルカは心底呆れ、嘆息した。鬱憤うっぷん晴らしに拳を握るユウリスは頭をはたかれ、目を白黒させる。


「ここで抵抗しなかったら、ウルカが檻に入れられる!」


「冗談。前に話したはずだ、≪ゲイザー≫を国の司法では裁けない。七王国で最も遵守されるべき教会法で、そう定められている。おいアホヒゲ、裁判所に私の身分を明かしたか?」


「あ、アホヒゲだと、貴様! ひげは紳士のたしなみだ、公爵閣下を馬鹿にするのか!」


 怒りで髭を吊り上げる警部を尻目に、公爵は渋い顔で自分の口髭を撫でた。控える警察官たちが苦笑する姿を、ユウリスは半眼で眺める。ウルカは珍しく、頬を引きつらせた。


「公爵、忠告しよう。馬鹿に司法を任せると、国が滅びるぞ」


「闇祓いの特権を知らぬ者は多い。どうか寛大に許してほしい。裁判所には、私が早急に確認を取る。警部、≪ゲイザー≫を逮捕には教会が介入すると知っての振る舞いか?」


「なんですと、まさか公爵閣下はゲーザーの色香に惑わされているのですか!」


 色香と聞いて眉の片方を跳ね上げたウルカが、得意げな表情を浮かべた。反応を求められたユウリスは、良かったね、と口にするも頬をつねられる。女心は鬼門だ。


 師弟漫才と頭の固いオスロット警部に、レイン公爵の胃は悲鳴を上げた。連日の疲労に心労が加わる。


「聞きなさい、オスロット警部。法律だ。教会法が闇祓いの保護を定めている」


 ブリギットを含む七王国では、領内の司法機関よりも神聖国ヌアザの教会法が優先される。≪ゲイザー≫の罪は、ダーナ教会に是非を委ねるほかない。


 しかしオスロット警部は、逮捕さえすればこちらのものだ、と唾を飛ばして、部下に再度の逮捕を命じた。


 さすがのウルカも苦虫を潰したような顔で、油断なくナイフを構えるしかない。


「ユウリス、お前は下がれ。公爵、どうやらこの土地で私の役目は終わったようだ」


「それは困るな。いまウルカ殿が出奔しようものなら、息子は必ず後を追う」


 レイン公爵は先日の意趣返いしゅがえしに軽口を叩き、最前列へ踏み出した。そして背筋をぴんと伸ばし、片腕を力強く薙ぎ払う――ウルカに飛びかかる寸前の警官たちは、その所作ひとつで意気を挫かれた。公爵という権力者の畏怖いふを十分に生かした、威圧感の溢れる演出だ。


「ウルカ殿は当家の客人だ。言動には、私が全責任を負う。警部、嫌疑けんぎに確固たる信念があるのなら私を逮捕したまえ。彼女が殺人を犯したとすれば、それはレイン家の差し金だ」


 唖然とする警部に、レイン公爵は悠々と追い打ちをかける。


「それとも本当に、≪ゲイザー≫憎しの嫌がらせかね?」


 夕焼けのような顔色を夜明けの冷たさに変え、オスロット警部の目が泳ぐ。ここで退けば署内の笑いものどころか、早朝に叩き起こして令状の発行を頼んだ判事にも合わせる顔がない。しかし意地を張り、公爵を逮捕するなどもってのほかだ。板挟みの膠着状態に、膝を震わせる警部。その窮地きゅうちを救ったのは、目の仇にしてきた忌み子の少年――ユウリスが声を上げた。


「オスロット警部、俺は犯人を知っている!」


 ユウリスの発言はもちろんハッタリだ。


 スコット・ラグの殺害を信じ切れず、動揺も収まらない。ウルカが視線で咎め、レイン公爵は思慮深く目を細めた。オスロット警部は憎らしくも背に腹は変えられず、少年の主張に一縷いちるの望みを託す。


「き、聞こうじゃないか、それは誰だ?」


 こっちが聞きたいよ、とユウリスは内心で毒づきながら、強気に返す。


「ここでは教えられない。確信を得るために、現場検証が必要だ。俺とウルカがスコット・ラグの家に行くことを許してくれるなら、すぐに真相を暴いてみせる」


 根拠はなく、綱渡りの戯言だ。実際、事件の解決はウルカを頼るほかない。最悪、この場を乗り切れば、逃亡の機会も得られる心算でユウリスは提案した。冷静に考えれば、支離滅裂しりめつれつな言い逃れだと誰もが理解できる。


 しかし前門ぜんもんとら後門こうもんおおかみという状況で、オスロット警部は喜んで飛びついた。


「いいだろう、ただし≪ゲイザー≫は拘束して連れて行く」


「それは駄目だ、怪物への対処が遅れる」


「警察のやり方に口出しはさせん!」


 オスロット警部が手錠をかけようとウルカに迫り、ユウリスとみ合う。


「は、離さんか、忌み子め!」


「手錠なんかかけようとしたら、警部がウルカに殺されるよ!」


「ええい、黙れ!」


 部下の前で醜態を晒せない警部の腕が、力任せに薙ぎ払われ――その肘が、ユウリスのこめかみを強打した。


 瞬間、レイン公爵が鮮やかな手際で、オスロット警部の腕を捻りあげる。


「オスロット警部!」


 よろけたユウリスを、倒れる寸前でジェシカが支えた。


「ユウリス様!」


「ジェシカ、そのまま馬鹿弟子を支えて動くなよ」


 ナイフを手にしたウルカが、二人を背に庇う。


 床に組み伏せられたオスロット警部が恰幅かっぷくの良い巨体を揺らして抗議した。


「こ、公爵閣下、なにをするのです、いまのはユウリス・レインが勝手に!」


「警部、死にたくなければそのままじっとしていろ!」


 レイン公爵に一喝され、オスロット警部は困惑気味に顔を上げた。そしてすぐに、自身を捉える冷酷な殺意に気づく。


 気配も無く、部屋の隅で残酷な牙が煌いている。地下の氷室ひむろからオスロットの気配をぎつけて現れた“銀閃ぎんせん”の二つ名を持つ魔獣――白狼はくろう


 ……、――――。


 相棒のユウリスに害を成す敵を見据え、氷結の殺気を静かに称える。雪原の狩人がもたらす死に慈悲はない。


 ユウリスは慌てて白狼に駆け寄り、首から腕をまわして宥めた。


 許そうか、殺そうか――。


 赤く腫れた少年の患部を、白狼の舌が舐める。しかし裁定の眼差しは依然として、オスロット警部を捉えて離さない。圧迫感に耐え切れず、白目を剥いて失神した彼のズボンに染みが広がる。


 白狼はあっさりと警部から興味を失くし、ユウリスに覆い被ってじゃれはじめた。ジェシカが、ほら、と口許を綻ばせる。


「やっぱり寂しかったんですよ」

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