11 スットゥング地下迷宮


 かつて大陸は、三つの人間種族によって支配されていた。


 広大な平地を治めるヒューム。

 森と湖を司るエルフ。

 そして山々と地底を住処にするドワーフ。


 ヒューム以外の二種族はいつの頃からか姿を消し、エルフとドワーフは絶滅したと信じる者も多い。人間という呼び名も、現在ではヒュームを単独で示す名詞として使用されている。


 魔術による隠蔽の施されたエルフの郷と違い、ドワーフ達の居住地は大陸各地で遺跡として発見されている。ブリギット市の地下に存在するスットゥング地下迷宮も、そのひとつだ。ブリギット市役所には、国有地として登記されている。特別に秘匿された地ではないが、立ち入りは基本的に許可されない。怪物の巣窟として封印されたドワーフの遺跡は、人々の記憶から遠ざかって久しい。


「知っているかしら、ユウリス。吟遊詩人の歌によれば、ドワーフの遺跡には山のような金銀財宝が眠っているのよ」


「その吟遊詩人って、昔よく北区の噴水広場に来ていた女の人だよね。よく覚えてる。俺はこんな歌を聴いたよ――ドワーフは金が好きで、この世の財のすべてを手に入れようとした。それが神の怒りに触れ、ドワーフは滅び去った。そんな種族の財宝に手を出したら、きっと天罰が下る」


「夢がないわね。でも、怪物がいるから調査も進んでいないんでしょう。だったら本当に宝物があるかも。どうかしら、ボイド?」


 目を輝かせるカーミラに、ボイドは苦笑して肩を竦めるばかりだった。


「そういう宝を手にした者は、呪われるのがオチですよ」


 ユウリス、白狼、カーミラ、ボイド、占い師の一行は、戦いの経験がある他数名の若い男女を伴い、地下迷宮スットゥングへと向かっていた。いくつもの篝火が道を照らしてくれているおかげで、夜光石の出番はない。


「ちょっと、ユウリス。あの占い師、本当について来るつもりよ。いまはいいけれど、あとで絶対に足手まといになるわ。それになんだか怪しいし」


 カーミラに袖を引っ張られ、ユウリスは困惑顔で背後を振り返った。


 相変わらずの悪路で、全員が遅々とした歩みのなか、脚の悪い占い師だけは飄々とついてくる。皆が凹凸の多い地盤に苦戦しているにも関わらず、彼だけは慣れた足運びだ。


「おい、見えたぞ!」


 先頭を進んでいた若い男が声が上がり、ユウリスが前方へ視線を戻すと、靴底がぴったりと地面に吸いついた。地面が石畳へ変わり、岩壁には雄々しいドラゴンの彫刻が浮かんでいる。ボイドの指示で、集落の者が竜の鉤爪へ松明を近づけた。ボッと音を立てて火が燃え移り、一帯に明かりが満ちていく。


「どうして岩に火が?」


 ユウリスは燃える竜の鉤爪を不思議そうに眺めた。油の臭いが仄かに鼻腔をくすぐる。傍らにいた若い女性が、彫刻の爪部分に特殊な鉱石が使用されているのだと教えてくれた。


「黒焔石っていうのよ。古い断層に見られる鉱物らしいわ。黒ずんだ岩で、触って強い滑り気を感じたら、不用意に火を近づけないように。目に見える火は、放って置いてもすぐに鎮火する。でも火より、鉱石の熱が怖い。ほら、辺りがどんどん蒸し暑くなってきたでしょう。しばらくは熱を持つから、不用意に触らないように」


「冷たい水と魔力を近づけると、爆発もする?」


「あら、知ってたの」


「ちょうど、義姉から教えを受けたばかりで」


 まさかイライザの講義が役立つとは思わなかった。ユウリスのうなじに、しっとりと汗が滲む。地下特有の冷えていた空気が、いまは湿気に満ちた地上よりも蒸し暑い。


「熱がきついようなら、少し離れていたほうがいいわよ?」


 彼女は話しながら、白狼を撫でようと手を伸ばした。どうやら“白狼様”にあやかりたかったようだが、じろりと睨まれて退散してしまう。撫でるくらいいいんじゃないか、とユウリスは窘めるが、白狼は不機嫌そうに首を振った。


「ユウリス、こっち!」


 奥へと進んだカーミラに呼ばれ、ユウリスは圧巻の光景に息を呑んだ。


 石畳と竜の彫刻が導く終着点に待ち構えているのは、石門だ。見上げれば首が痛くなるほどの高さを誇る、巨大な扉。斧を掲げるドワーフと、付き従うような巨人の彫刻。その意匠に触れながら、ボイドが口を開く。


「スットゥングは、ドワーフが使役した巨人の名として伝わっている。彼らは巨人スットゥングによって、広大な地下都市を建設した。そして外敵から、財宝を守護させたそうだ」


 物々しく語るボイドを、ユウリスはなんとはなしに見やる。粗暴な頑固者、というのが彼の第一印象だった。しかし地震に関する知識、地下世界の逸話、どれも人並み以上の博識だ。偏見を承知で思えば、下水道の人間には似つかわしくない。


「ボイドさん、もしかして外で学んだことがあるんですか?」


「ん、ああ、昔の話だ。それより、ここから先のことについて話そう。さっきも話した通り、門の向こうは怪物の巣窟だ。俺たちでは、戦いにも限界がある。心苦しいが、君の闇祓いに頼ることになるだろう。改めて頼めるか、ユウリス・レイン」


「もちろん、任せてください」


「ねえ、ボイド。でもこの扉、びくともしないわよ?」


「いや、カーミラお嬢様。全員で、一斉に押すんです。二人は下がっていてくれ。よし、みんな、石の扉を開けるぞ!」


「ちょっと待ちないよ、サヤがこんな扉を開けて中に入ったっていうの!?」


 少女の指摘に全員が、あっ、と同時に声を揃えた。


 しっかりしてよね、と眉間を指で押さえながら、カーミラが溜め息を吐く。試しにユウリスも力いっぱい扉を押してみたが、開かないどころか、わずかな隙間すら生まれない。サヤが怪物の子供を頼ったとしても、焼け石に水だろう。


「本当にサヤは、ここに来たのかしら?」


 カーミラの不満げな声は、ひとり離れた隅で腰を下ろす占い師へと向けられた。一斉に、彼へと視線が集まる。


「ん、俺?」


 占い師は髭を指で撫で、肩を揺らして陽気な声を響かせた。


「間違いないよ。サヤ嬢ちゃんは、ここへ来たね。ただ痕跡を見つけられないのは、あんたらの落ち度だ。もうちょっとよく探したらどうだい」


 彼の億劫そうな態度に、カーミラは憤慨した。


 しかしほどなくして、若者のひとりが抜け穴を発見したと声を上げる。爪に火を灯した竜の上部に、人が通れそうな空洞があった。彫刻を足場にすれば簡単によじ登れそうで、幼いサヤでも問題はないだろうとボイドが頷いた。


「サヤなら、この程度の高さは問題なく登頂できる。だが、穴の大きさが小さい。俺が入れるか……?」


 無理だろうと、ユウリスは胸中ですぐに答えを出した。目視する限り、穴の直径は二の腕より少し大きい程度だ。問題なく通過できるのは、自分とカーミラ、白狼くらいだろうと思う。


「あまり悠長にはできないよな」


 ユウリスは時間の浪費を恐れて、大人たちに提案した。


「俺とカーミラ、白狼で穴の向こうを見てきます。他の皆さんは、もういちど別の場所を探してきてください。集落までの道は覚えました。サヤを見つけたら、すぐに連れ帰ります」


 時間がないと焦るボイドは、一も二もなく頷いた。先に白狼が跳躍し、空洞に危険が潜んでいないことを確かめる。続いてユウリスが向かおうとするが、占い師に引き止められた。カーミラが先によじ登っていくなか、彼はユウリスに紫の液体が揺れる小瓶を手渡した。


「これは、霊薬?」


「秘密を守ってくれたお礼だ。危険になったら使うといいよ」


「効果は?」


「闇祓いの補助的な役割だ。怪物の口径へ直接流し込めば、破邪の力への耐性を下げることができる。敵が複数であれば、振り撒いてもいい。剣に塗っても構わない。呑ませるよりは効果も薄れるが、十分な助けになるだろう。ただ、引火ですぐに気化するから気をつけて。人間が吸い込むと、しばらくは痺れて動けなくからね」


 ユウリスが礼を告げようとした唇を、占い師の立てた指が塞ぐ。肩を抱かれて、そのままそっと押された。


「気をつけてな、坊や」


「ユウリス・レインです」


「ああ、もう少しマシになったら覚えよう」


 無事に穴に辿り着いたカーミラに呼ばれ、ユウリスも竜の鱗へと足をかけた。洞穴は入り口と同じく、先も狭い。やはり大人が通るには無理がある。


「けっこうきついな。カーミラ、頭をぶつけないようにね」


 白狼を先頭に、夜光石を手にしたユウリスが続く。しんがりはカーミラだ。獰猛な唸り声が響き渡ったのは、それからすぐのことだった。


「ユウリス、いま――」


「大丈夫、クラウが止まっていない」


 邪悪な色を孕む雄叫びが、幾重にも木霊する。先頭の白狼に変化はなく、近々で迫る危機はないとユウリスは判断した。ごつごつとした岩肌が掌や膝に突き刺さり、後方のカーミラは進行にも難儀している。


「もう、なんでこんなに狭いのよ!」


「サヤも通れたんだ、そんなに長い穴じゃないと思うよ。あと少しだ、頑張ろう」


「あの占い師を信じれば、ね……って、ごめんなさい。心配してくれているのよね。ありがとう、ユウリス。変な声も聞こえるし、嫌だわ。クラウ、いつまで続くの?」


 魔獣は応えない。声を発しないのはいつものことだが、人間の大人ほどに体が大きいので、狭い通路は窮屈そうだ。ただ途中で空間に余裕が生まれると、白狼は一刻も早く抜け出そうと先行して――直後、爪で音を立て、ユウリスに合図を送った。


 どうやら穴の終わりは近いらしい。

 二人は顔を見合わせて、暗い穴の行軍を続ける。


「気をつけて、カーミラ。天井がまた低くなっている。これ、下ってるのかな?」


「ほんとう、坂みたいになっているわね。ああ、もう、絶対にどこか破けたわ。お気に入りの服だったのに!」


 こんなときにも、カーミラは服の心配をする。服は汚れるものという男の認識で、ユウリスは笑った。こんなことになるなら、わざわざ着替えなどせずに運動服でくればよかった。帰る頃にはきっと、ひどい有様になっている。義姉に見つかれば、ワオネルと野山を駆けてきたのね、と嫌味を言われるだろう。


「ユウリス、怪物の声が近いわ」


「武器で戦っているような音も聞こえる」


 凶暴な声の応酬に、鉄同士がかち合う衝撃音が混じりはじめた。人ならざる雄叫びを上げ武器を扱う怪物がいるとして、こんな地下で何を争うのだろうかという疑問も湧く。


 ますます低くなる天井に最後は肘と膝を痛めながら、匍匐前進で抜けていく。


「カーミラ、出口だ!」


「でも変よ、ユウリス。明るいわ」


 洞穴の出口は、石壁の一角だった。ちょうど切石一つ分が抜け落ち、穴が通じている。よじ登った入り口とは裏腹に、出口は床に接していた。這い出た先は、人の住処と見紛うほどに整えられた石の回廊。


 表面を丁寧に研磨された石材の床壁、辺りを照らす篝火は銀の蜀台に灯されている。滾るように燃え盛る炎に蝋燭が溶ける気配はなく、ただ炭のように焦げた臭いが仄かに漂う。通路は幅広く、天井も異様に高い。


「すごい。実際のお城ってこんな感じなのかな。カーミラ、手を」


「ありがとう、ユウリス。塵がすごいけれど、ルアド・ロエサのブルーナ・ボイン宮殿はこんな感じよ。地下にこんな建造物があるなんて……これが、ドワーフの遺跡。小柄な種族って印象だけれど、中は随分と広いのね」


「門もすごく大きかったしね。うちの屋敷より立派だ」


 ユウリスが抱く城の印象は、吟遊詩人の歌に影響されている。ここはまさに想像した通りの王の住処、それも細工を得意としたドワーフの遺跡だ。細部にまで施された意匠は、放棄されて長く経ったいまも風化していない。壁には神話の獣や武具の伝承が、物語のように連なっている。


「ユウリス、あれ――」


 カーミラに袖を引かれて、ユウリスは伸びた通路の向こうへと視線を伸ばした。憎しみを滾らせた雄叫び、耳障りな金属の衝突音、それらが先の曲がり角から響き渡る。穴の出口はちょうど袋小路で、先に進むより他に選択肢はない。すでに白狼は曲がり角の影に身を潜め、様子を窺っている。


 ユウリスとカーミラは足音を忍ばせて歩み寄ると、そっと音の正体を覗き込んだ。


「……なんだ、あれ」

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