12 怪物たちの饗宴


「……なんだ、あれ」


 二つの群れが争っている。ユウリスは視覚から死の気配を吸い込み、震えながら目を見開いた。どちらも甲冑に身を包んだ、二足歩行の怪物だ。


 片方は人間の大人より一回り巨大で、髭をたくわえた豚のような怪物――涎まみれの牙で相手を威嚇する≪オーク≫。


 もう一方はユウリスよりも少し小柄な人骨――赤紫の光を全身に迸らせ、身長差をものともせずに渡り合うのは≪スケルトン≫だ。


『ヌオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 先程から響いていたのは、≪オーク≫の雄叫びだ。

 声帯の存在しない≪スケルトン≫は、負けじと下顎骨を揺らす。


 肉体を萎縮させる≪オーク≫の恫喝と、魂を凍えさせる≪スケルトン≫の強圧。


 離れた場所で息を呑んでいるだけでも、ユウリスたちにとっては毒でしかない。


 一行の先にあるのは十字路。左右から≪オーク≫と≪スケルトン≫の群れが押し寄せ、両軍は辻で衝突している。進むとすれば、奥へと続く道だ。どちらにせよ、怪物の戦場を抜ける必要がある。


 カーミラがユウリスの袖を引いて、判断を仰いだ。


「ねえ、どうするの?」


 ユウリスは片手でカーミラを制し、思案気に唇を撫でた。


 そのあいだも、怪物たちの饗宴は続く。


 ≪スケルトン≫の骨を砕くのは、≪オーク≫の槍。歯牙にもかけずに雪崩れ込んだ≪スケルトン≫の剣が、今度は≪オーク≫の体躯を貫いた。退くことなく豚の怪物は牙を剥き、敵の頭蓋を兜ごと噛み砕く。そんな地獄絵図のような光景が繰り広げられ、散らばる死骸は数え切れないほどに多い。


「サヤは、ここをどうやって抜けたんだ……?」


 深手を負った≪オーク≫が仲間の死骸を喰らって血肉を補い、雄々しく鼻を鳴らす。四散した≪スケルトン≫は、砕けた肢体を邪悪な光で繋げた。再生の度に歪さを増す立ち姿は、死を許されぬ悪霊の哀愁すら感じさせる。


 落ちた武器を拾い上げる手に、敵味方の区別はない。


 腐臭を放つ≪オーク≫の死骸と、魔力の枯渇した人骨。


 死屍累々たる同胞を踏み、無常な戦いに明け暮れる二つの種族。絶えることのない篝火だけが、その光景を静かに見守っている。


 壮絶な怪物同士の争いは、もう長く続いているようだ。ちょうど十字路の交差点が境界線であるらしく、互いに退く気配はない。同じ道を辿ってきたサヤも、この場面に辿り着いたはずだ。


 ならばまだ、近くにいるのではないか――ユウリスがそう考えたとき、白狼が鼻先を動かして、斜め向かいの壁を示した。


 …………。


 怪物達の戦場に到る少し手前、石壁の一部分がかれている。先程の穴と同じく、壁に開いた空洞。辿り着くには、通路を横切らなくてはいけない。カーミラが不安そうに、ユウリスの背にすがる。


「ユウリス、どうしたの?」


「クラウがなにか見つけたかもしれない。確認してくるから、ここで待っていて」


「クラウに行ってもらえばいいじゃない!」


「……シッ。静かに。もしサヤがいたら、クラウだと怖がらせてしまう。顔見知りの俺が行くべきだ。大丈夫、すぐに戻ってくる。もし怪物の目に留まっても、穴へ逃げ込めば追ってはこられない」


「……わかったわ。気をつけてね」


 ユウリスは頷くと、深呼吸をして覚悟を決めた。足音を立てるのはもってのほかだが、遅々とした動きでは怪物に発見される危険が高まる。


「大丈夫、やれるはずだ」


 焦らず迅速に、なおかつ気配を殺して進まなければならない。不意に、首をもたげた白狼が、ユウリスの肩に額を擦りつけた。さらに、その場で静かに足踏みをする仕草。


「……お前を見習えって?」


 白い魔獣は静かに首肯する。


 無音の狩人、気配なき魔獣。いつもそばで見て、その呼吸を感じていた。ユウリスは自然と頭を垂れて、白狼と額をあわせた。互いに瞼を閉じて、意識を重ね合わせる。それは特別な技でも、示し合わせた行為でもなかった。ただその瞬間、ふたりの精神が不思議と同期する。


「…………」


 瞼を開いたユウリスの瞳は、どこか虚ろだった。固唾を呑むカーミラには見向きもせず、立ち上がる。少年はそのまま、静謐を纏って歩きだした。


「…………?」


 一瞬の出来事――気づけば、ユウリスは穴の入り口に身を屈めていた。


 どうやって目的の穴へ辿り着いたのか、ユウリス自身も意識が混濁こんだくして判然としない。かすんだような視界、心音は驚くほど静かだ。鼓動は徐々に平時のそれを取り戻し、視野もやがて明瞭になる。


「いまの感覚は――?」


 白狼を振り向くが、表情は読めない。カーミラの安堵に満ちた表情へ、ユウリスは軽く頷きかけた。穴の中に頭を入れ、這うように進む。窮屈さは、先ほど通過した空洞と変わらない。


「――サヤ?」


 夜光石を暗がりに掲げて、密やかに名前を呼ぶ。ボイドに火を吹いた怪物もいっしょにいるはずだから、刺激しないように。すると深くはない暗がりの向こうで、身じろぐ人の輪郭があった。次いで≪オーク≫とは違う、獣の唸り。敵愾心に満ちた気配に、可愛らしい声が被さる。


「おにいちゃん!」


「サヤ!」


 暗闇の向こうから、少女が這い寄ってくる。脂でべたっとした髪、下水道の住人特有のすえた臭い、黒く汚れた肌と、あどけない顔立ち。そこに浮かぶ、くりっとした丸い青の瞳。たどたどしい幼声――サヤ。


 襤褸ぼろを纏う彼女の手には、赤い蜥蜴とかげのような怪物が抱かれていた。夜光石が互いの顔を照らす距離で、少女は動きを止める。そして恥ずかしそうな、少し哀しそうな、曖昧な表情で笑いかけてきた。


「おにいちゃん、げんきだった?」


「元気だよ。なかなか会いにいけなくてごめんね。サヤも変わりなさそうでよかった。そっち、行くよ」


 ユウリスはかつて、彼女を傷つけたことがある。出会い頭、不衛生な身なりをさげすむような態度をとってしまったのだ。そのときにはすぐに謝罪して、サヤは許しを与えてくれた。しかしいま、彼女は必要以上に近づいて来てくれない。


「大丈夫、平気だから」


 かつての傷を思い出させたのではないかと案じながら、ユウリスは柔らかく声を伸ばした。自ら身体を動かし、少女との距離を縮めていく。赤い怪物が威嚇するように喉を鳴らすのを、たしなめるサヤ。


「サヤ」


 ユウリスは怪物ごと彼女の頭を抱えて、強く抱きしめた。


「無事でよかった。心配したよ」


「おにいちゃん、きれいなおようふく、よごれちゃう」


 ユウリスの服が汚れることを、サヤは気にしていた。近づくことを躊躇ためらったのは、地上の人々と自分の衛生状況が違うことを自覚しているからだ。こんな小さな女の子に、そんな気遣いをさせてしまったことが、どうしようもなく胸を痛ませる。


「サヤを抱きしめるほうが大事だ」


 涙脆くはないと自負していたユウリスだが、目頭は自然と熱を帯びた。くるしい、と訴えるサヤの声はどこか弾んでいる。


「ボイドさんに頼まれて、君を迎えに来た。事情は聞いている。その子が、サヤの拾った怪物?」


「かいぶつじゃないよ、チェルフェ!」


 チェルフェ。

 そう呼ばれた赤銅色の怪物を、ユウリスは改めて観察した。


 サヤの両腕にすっぽりと収まるくらいの大きさで、姿は蜥蜴に近い。黒く縁取られた目元を除き、頭から尾の先までを覆う六角形の鱗。腹部まわりには、布がきつく巻かれている。爬虫類特有の縦線が入る瞳孔、金色の瞳。


「まさか、ドラゴン?」


 実際にドラゴンを目にしたことはない。ただ吟遊詩人の歌や本に登場するドラゴンは決まって爬虫類、特に蜥蜴に似た容姿とされる。怪物のなかでも最強の一種だ。ユウリスが緊張気味に凝視していると、サヤが頬を膨らませて抗議する。


「どらごんじゃなくて、チェルフェ!」


「ごめん、チェルフェだね。どうしてその名前にしたの?」


「つえのおじちゃん、このこ、チェルフェだよっておしえてくれたの」


 杖のおじちゃん――下水道の≪ゲイザー≫だと、ユウリスはすぐに察した。≪ゲイザー≫である彼がそう言ったのなら、信憑性がある。この赤い怪物の幼体は、チェルフェという種族なのかもしれない。


「あれ、でも……サヤが、この子の名前を知ったのはいつ?」


「えと、おととい。おじちゃんも、チェルフェに、ごはんあげてた」


「≪ゲイザー≫が、怪物に……そういう≪ゲイザー≫もいるんだな。とにかくサヤ、ここは危険だ。早く帰ろう」


「いや、このこ、おうち、かえしてあげるの!」


「おうち――チェルフェのってこと?」


 ここにサヤがいるのは単純に迷い込んだのではなく、チェルフェを家へ送り届けるためだというのだろうか。怪物の巣食う地下迷宮が、チェルフェの棲み処だというのは納得ができる。ユウリスは唇を撫でて、嘆息した。


「でもサヤ、ここに危険だ。隠れているのは、先に進めないからだろう。怪物同士の戦いだって、すぐには終わらない。ボイドさんには俺からも話すから、いっしょに――」


「ユウリスッ!」


 なんとか説得を試みようとするユウリスの耳に、カーミラの切羽詰せっぱつった叫びが届く。続いて悲鳴と、くぐもったような唸り声。≪オーク≫のものではない、別の怪物だ。ユウリスは肌を粟立あわだたせた。狭い穴では身体を反転できず、尻を出口に向けたまま後退していく。


「サヤ、ここで待っていて!」


「あたしもいく!」


 サヤが聞き分けてくれない歯痒はがゆさに、ユウリスはなんとなくウルカの気持ちを察した。苦笑しながら通路に戻ると、白狼が対峙する異形の姿が目に入る。相手は半人半蜘蛛の怪物だ。


 蜘蛛の下半身から伸びているのは、鋭利な三対の脚。それを小刻みに動かし、石畳を削り鳴らして威嚇している。上半身は女の裸体。鼻根部から額まで、左右に三つずつ並ぶ赤の複眼。伸びきった白髪は風もなくはためき、尖った牙を覗かせてわらう姿は邪悪の体現だ。


『キシュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ』


 カーミラの上半身は、粘ついた糸に絡め取られていた。動けはするようで、不自由そうにユウリスへ駆け寄る。


「もう嫌、なんなのよ、アレ――」


「無事でよかった。あれ、図鑑で見たことがある。≪アラクネ≫だ。クラウが接近に気付かなかったのか?」


「そうよ、急に天井から落ちてきて、あの気持ち悪い口から糸を――」


「動かないで、糸を切るよ」


 ユウリスはカーミラを自由にしようと、腰の短剣を抜いた。彼女を縛る糸を斬ろうとするが、上手くいかない。糸は刃にも粘着し、切れ味が鈍ってしまう。


「おにいちゃん!」


 遅れて穴を出たサヤが、悲鳴じみた声を上げる。ユウリスがハッとして通路の奥へ視線を伸ばすと、死闘を繰り広げていた≪オーク≫と≪スケルトン≫が人間の子供たちを捉えていた。


 対立していた怪物の群れが、新たな獲物を見つけたとばかりに雪崩れ込んでくる。


 それを契機に、睨みあっていた白狼と≪アラクネ≫が同時に動いた。異形の口から放射状に吐きだされるのは白い糸を、白狼が悠然と跳び越える。そのままクラウは一足飛びで蜘蛛女へ肉薄し、鋭い爪を薙ぎ払った。しかし相手も三対の脚を巧みに動かし、巧みに回避してみせる。


「ユウリス、あっちの骨と豚も来るわよ、どうするの!?」


「蜘蛛の糸は熱に弱いんだ、ちょっと待って!」


 とにかくカーミラを自由にしなければ、逃げるのも困難だ。


 ユウリスが壁の篝火で剣を炙ると、刃に絡みついた糸はすぐに燃焼した。


 競い合うように迫る、≪オーク≫と≪スケルトン≫。


 カーミラの悲鳴が、ユウリスを更に焦らせる。


「早く焼き切って、手が自由にならないと魔術も使えないわ。もうそこまで来てる!」


「無理だ、刃が十分に熱くならないと!」


「やけばいいの? チェルフェ!」


 サヤが火竜の子供を、カーミラへ向けて掲げた。ぎょっとしたユウリスが制止の声を上げる前に、チェルフェの喉で炎が渦巻く。放出された熱が渦を巻いて、カーミラを包み込んだ。


『ぎゃうううううううううううううう!』


 ユウリスは刃の先を赤い怪物へ向けようとするが、その火はすぐに途絶える。服を僅かに焦がしたカーミラが、蜘蛛の糸から解き放たれて呆然と瞬いた。


「すごい。その子、クラウより優秀だわ。ありがとう、あなたがサヤね。はじめまして、じゃないんだけど。会ったのは随分と前だし、覚えてないわよね。わたし、カーミラ。よろしくね、サヤ」


「へへへ、すごいでしょ。カーミラおねえちゃん、おにいちゃんのともだち?」


「友達じゃなくて、末来のお嫁さん」


「カーミラ、話はあと! サヤを頼んだ!」


 ≪オーク≫が突き放った槍の矛先を、ユウリスの短剣が力強く弾いた。さらに真横から振るわれた≪スケルトン≫の剣を掻い潜るように回避して、逆に体当たりを仕掛けて転倒させる。


 ≪ゲイザー≫の力を使えば、何体かは倒せるだろう。しかし怪物の大群と対峙できるほど、ユウリスの闇祓いに持続力はない。すぐに力尽きてしまっては元も子もなく、破邪の力は使いどころを見極める必要があった。


 まずは突破を試みる。


 しかしサヤを連れて逃げようとしたカーミラの足が、すぐに止まった。行く手に、別の≪オーク≫と≪スケルトン≫が回りこんでいる。


「ユウリス、囲まれたわ!」


「サヤを守ってこっちに! クラウは!?」


 白狼は混戦のなか、上手く立ち回っていた。そこに≪オーク≫と≪スケルトン≫が牙を剥き、クラウと≪アラクネ≫の両方へ襲いかかる。迷宮の通路に響き渡るのは、誰から零れたとも知れない怪物の雄叫び。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』


 壁によじ登って逃げようとする≪アラクネ≫に、白狼が飛びかった。鋭い爪を蜘蛛女の複眼に突き立て、勢いのまま怪物達の群れへと蹴り落とす。


 ―――—!


 ≪オーク≫の槍と≪スケルトン≫の剣に貫かれ、≪アラクネ≫の断末魔が木霊する。刹那、通路の奥で闇が蠢いた。天井を逆さまに駆けてくるのは、同族を無惨に殺された≪アラクネ≫の群れ。


 それを見たユウリスが、このままでは数に押し切られると判断して声を上げた。


「カーミラ、魔術で退路を!」


「無理よ、こんな状況で集中なんかできないわ!」


 カーミラとサヤを背中に庇うユウリスは、壁際に追い詰められていた。次々と繰り出される怪物たちの刃を必死に捌きながら、隙を探る。サヤが隠れていた穴への避難も考えたが、すでに≪オーク≫の巨体が立ち塞がっていた。


「ユウリス、血が!」


「おにいちゃん!」


「大丈夫、まだまだやれる!」


 肩や頬、腹部に傷が増えはじめ、出血が多くなるたび、ユウリスの集中力は散漫になる。


 白狼もなんとか駆けつけようとするが、≪オーク≫と≪スケルトン≫の標的にされて叶わない。牙で豚の喉元を食いちぎり、骨に宿った邪悪な魂を爪で切り裂くも、圧倒的な物量に苦戦を強いられていた。白い毛並みに、傷が増えていく。


 ≪オーク≫と≪スケルトン≫同士も変わらずに争っているが、決してユウリスたちを見逃そうとはしない。むしろ、どちらが人間の子供を仕留めるかを競い合っているようにも見える。


「ユウリス、上、上っ!」


「くも、きらい!」


 ≪アラクネ≫の群れが、天井から強襲する。尖った足先で串刺しにせんと、落下してくる蜘蛛女。ユウリスは今度こそ迷うことなく、闇祓いの力を発現させた。


「闇祓いの作法に従い――」

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