09 ブレイク商会の娘

「俺はユウリス。ブリギットの子供だ。さっきの地震で、友達といっしょにここへ落ちてきた。だから助けてほしい。話し合いはできる?」


「ユウリス――まさか、サヤを助けてくれた男の子か?」


 思いがけず知己の名前を耳にして、ユウリスは目を見開いた。


「え、サヤ?」


 人知れず営みを続けるブリギット旧下水道の集落、そこに住む少女の名だ。怪物に襲われた彼女を助けた縁で、まだ十にも満たない彼女とユウリスは友人関係を築いた。そして松明を持つ男の声にも、聞き覚えがある。


「もしかして、ボイドさん?」


 松明の男――サヤの父親ボイドだ。油で汚れた赤毛に、ぼろぼろの衣類に身を包んだ三十程度の男。彼は仲間達にユウリスの素性を説明し、警戒を解いた。旧下水道に住む彼らからは、浮浪者特有のすえた臭いが漂う。


「ああ、まさか、こんなところで再会するとはな」


 ユウリスも白狼を呼び戻し、夜光石を拾い上げてボイドへ歩み寄った。


「あのときはありがとうございました。無事に市庁舎へ辿り着くことができました」


「武勇伝は地下へも届いているさ。それに、噂の白狼様を目にできるとは光栄だ。後ろの二人は、君の友人――ん、カーミラお嬢様?」


「久しぶりね、ボイド。サヤって、あなたの娘よね。なに、ユウリス、彼らを知っているの?」


「カーミラこそ、なんで?」


 アルフレドの傍から離れたカーミラが、ボイドと握手をする。ユウリスはその光景を不思議そうに眺めた。旧下水道の住人は、ブリギット国の現体制に反発する地下組織だ。街を代表するブレイク商会の娘と、どんな繋がりがあるというのか?


 怪訝そうに首をひねるユウリスに、カーミラが慎重に問いかける。


「ユウリス、彼らがどういう経緯で地下にいるかは知っているの?」


「聞いたよ。大洪水のとき、レイン家の統治に反発した人達の末裔だ。いまも犠牲になった人たちを偲んで、地下に住み続けている」


 かつてブリギットは未曾有の大洪水に見舞われた。


 死者数万、行方不明者数千の大災害だ。被災したボイドたちの親世代は、それを災害ではなく人災だと断じた。糾弾の矛先は、治水対策を怠ったとされる当時のレイン公爵家。しかし主張は認められず、彼らは反抗の同志を募り地下へ身を潜めた。以来、ボイドたちは放棄された旧下水道に住み着いている。


 世代を超えても彼らが地下に潜り続けるのは、大洪水が為政者による人災であったことを忘れないためだというが、ユウリスは正直なところ釈然としていない。


「ブレイク商会は彼らに、食料の斡旋や寄付をしているのよ。反政府組織とはいえ、武力行使するような人達じゃないもの。お父様とお母様に連れられて、わたしも旧下水道へは何度か足を運んでいるのよ。ああ、ボイド、奥様のことを聞いたわ。ずいぶんと遅くなってしまったけれど、お気の毒ね。ダヌ神のご加護がありますように」


「お気遣い痛み入ります。ブレイク商会には本当に良くして頂いて、感謝しかありません。まさか彼が、カーミラお嬢さんのお知り合いだとは思いませんでした。あのとき、そう言ってくれればよかったのに」


「カーミラは隠しごとが多いみたいで」


「あら、ユウリス。それは嫌味かしら。でもよかったわ、ボイド。怪我人がいるの。あなたがここにいるということは、集落へ繋がっているのよね。案内してくださる?」


 カーミラの顔は広く知られているようで、ボイドの仲間達も、「カーミラお嬢さんの頼みなら」と快く承知してくれた。助けを求める彼らに、ブレイク商会の娘としてカーミラも力を尽くしてきた。その真摯な姿勢が、地下の住民達の信頼を得ている。


 彼女が慕われる様子が、なぜだかユウリスにも誇らしく思えた。


「なあに、ユウリス。そんなに見つめちゃって。もしかして惚れ直した?」


「うん、カーミラの好きなところが増えたよ。本当にすごい女の子だと思う」


「え、うそ。ちょっとヤダ、みんなの前で。なんか、信じられないわ。アルフレド、ちょっと叩かせなさい。夢かもしれないもの!」


「な、なんで僕をぶって試すのさ、ユウリスを叩けばいいだろ!」


 少年少女の初々しいやり取りに、地下の住人達が朗らかに声を立てる。しかしボイドだけは浮かない顔で、ユウリスを見下ろした。


「お前――いや、君は向こうから来たんだったな。サヤを見なかったか?」


「サヤ? いや、アフールの群れがいたけれど、他には誰も。クラウは?」


 他に人の気配は感じなかったかと問いかけるが、白狼は首を横に振った。


 そうか、と溜め息を吐くボイドにユウリスが事情を尋ねるが、はぐらかされてしまう。集落の問題に、外の人間に関わらせないというのが彼らの姿勢だ。


 アルフレドは、ボイドの仲間が二人がかりで支えてくれる。お世辞にも衛生的とはいえない男二人の体臭に、公爵家の嫡男が浮かべる表情は苦々しい。それでも大人しくしているのは、見知らぬ人の善意で助けられているという自覚があるからだ。


「つまり、サヤがいなくなったのよね。ボイド、歩きながらでいいから事情を話して。さっきの地震のせい?」


 カーミラが尋ねると、ボイドが沈痛そうな面持ちで首を横に振った。彼女が尋ねれば答えるのは、信頼関係が築かれているからだろう。ユウリスも気になって聞き耳を立てた。サヤが姿を消したのは、昼の少し前くらいだという。ちょうどユウリスが悪夢にうなされていた時分だろうか。


「サヤが隠れて、怪物の子供を飼っていたんです。どこからか迷い込んだのを見つけて、仲良くなったらしい。だが俺は、怪物に慈悲をかけるべきではないと思っています。その場で怪物を取り上げて、始末しようとしました――が、怪物に火を吹かれて、怯んだ隙にサヤと逃げてしまった」


「いくら怪物だからって、子供の目の前で殺そうとするなんて。少し無神経じゃないかしら?」


「面目ない」


 渋面のボイドに、まったくもうとカーミラが頬を膨らませる。


 しかしユウリスは、彼の気持ちを案じた。危険を孕んだ異形の存在と愛娘がいっしょにいるのを見て、咄嗟に駆逐しようとする気持ちは責められるものではない。ボイドの妻は、怪物に殺されたのだ。


「カーミラ、言いすぎだよ」


「いいえ、大人はみんな子供を赤ん坊だと思っているのよ。わたしたちだって、話せばわかるわ。それで言うことを聞かないなら、大人の特権を使えばいいのよ。なんでも乱暴で解決するのを良しとしたら、わたしたちは大人をダヌ神のように崇めなくてはいけないでしょう!」


「乱暴なのはカーミラの意見な気がするけど……」


「なによ! わたし、ユウリスのことを思って言ってあげているのよ!」


 鼻の穴を膨らませて詰め寄ってくるカーミラに、ユウリスは思わず謝罪した。そんな二人のやり取りを、ボイドが朗らかに笑う。


「仲が良いな、ほんとうに」


「ええ、まあ……」


 ユウリスは曖昧に答えながら内心、驚いていた。かつて旧下水道で遭遇したボイドは終始、厳しい姿勢を崩さなかったが、いまこうして人当たりが良い顔を見せるのは、カーミラがいるからだろう。


「なんか俺、ずっと甘えていたのかな」


「急にどうしたの。わたしにはたくさん甘えていいのよ?」


 ユウリスはずっとレイン公爵家に生まれたことを重荷に感じていたが、家督継承権は最下位、実際に公爵家の役目を負う可能性は限りなく低い。けれど目の前にいる赤毛の少女は、ブリギットで一番大きな商会の一人娘だ。背負う重責は、自分とは比べ物にならないのではと思う。


「ありがとう、カーミラ。なんだか最近になって、君のことを見直してばかりだ」


「え、な、なによ、さっきから。素直なユウリスも悪くないけど、調子が狂うわ」


「なるほど、カーミラお嬢さんには恋人がいると聞いていたが、まさかそれが君のことだったとはね――忌み子のユウリス・レイン」


 忌み子。その呼び方に、ユウリスはぎくりとして身を竦ませた。それは反射的なもので、特にどうというものではない。同時に、知っていたのかという警戒心も湧く。反体制派であるボイドも、レインの名には良い感情は持っていないはずだ。


 カーミラがじろりとボイドを睨み、視線で威圧する。


「ボイド、ユウリスを忌み子なんて呼ばないで!」


「いいよ、カーミラ。ボイドさん、俺のことご存知だったんですね」


「いや、謝るよ、申し訳ない。いまのは俺が悪かった。年端もいかない子供をさげすむようなことを口にするべきじゃないな。はじめて会ったときには、まさかと思ったよ。だが市庁舎の一件以来、君のことをよく耳にするようになった。心配しなくても、レインだから君をどうこうしようとは思わない。お父上のセオドア・レイン公爵は人格者だ。我々のことを黙認しながら、根気強く交渉の場を設けようとしてくれている」


「公爵様は援助もなさっているわ。ブレイク商会の支援にも限界はあるもの。傭兵を雇って怪物の駆逐を手配したり、お医者様の斡旋もしているのよ」


「父上が――」


 カーミラから父であるレイン公爵の話しを聞かされるのは、奇妙な気分だ。ボイドは続けて、レイン家との対立に変化が生じていると語った。当代の公爵に代わってからは、少しずつ歩み寄りが始まっているらしい。


「先代のレイン公爵は、最悪だった。地下を永久に封鎖して、二度と出られないように企てるような男だ。早い段階で代替わりしてくれて、正直ほっとしているよ」


「先代のレイン公爵って、まだご存命よね――ユウリスは知っているの?」


「まだお元気だよ。フォースラヴィルのほとりにある屋敷で隠居中。俺も数えるくらいしか顔を合わせたことないけど、確かに怖い顔してる」


 それほど思い出もない祖父の話は、長く続くこともない。


 やがて洞窟の向こうに、篝火の明かりが浮かんだ。辿り着いた旧下水道の集落は、以前にユウリスが訪れたときと変わりなく、木の柵に覆われた入り口を抜けると、煉瓦造りの広い空間に出る。


 いまは使用されていない下水道に、等間隔で掘られた横穴が彼らの住居だ。


「ボイドさん、サヤのことは俺も手伝います。でもまずはカーミラとアルフレドを、地上に帰してあげたい」


「残念だが、地上への道は先ほどの地震で塞がれている。落盤だ。瓦礫は男衆が撤去作業に当たっているが、まだ数時間は掛かるだろう」


「ここの人たちは、大丈夫だったんですか?」


「見ての通り、無事だよ。塵が少し落ちたくらいだ」


 ランプに照らされた集落に、視認できる範囲の人影は少ない。余所者の来訪を警戒しているようで、居住区から窺うような視線を感じるばかりだ。ただカーミラを見つけて身を乗り出す女性の姿は多く、白狼に目を輝かせて飛び出そうとする子供を、親が押し留める光景も何度かあった。


 ボイドは気にする様子もなく、先程の地震について言及した。


「ここらは昔から、地震災害の多い土地だったらしい。ブリギットは旧下水道も含めて、古い建物ほど耐震性がしっかりとしている。その名残で、大洪水の後に建てられた建物も頑丈なはずだ。地上も、それほど被害は受けていないだろう」


「ありがとうございます。それを聞いて、少し安心しました。でも、崩落した部分はどうして?」


「元から老朽化していたんだろうよ。いくら頑強な建築物でも、手入れを怠れば崩れることもある。まあ、ちょうど上が大洪水後に再開発された辺りだ。工事の影響で基盤に亀裂でも入ったのかもな。そうだとしたら、いい迷惑だよ」


 他にもボイドは、地震の要因について理路整然と語った。オリバー大森林北部にそびえる遥かな峻嶺が活火山であること、ブリギット領の地下には滑りやすい断層が重なっていることなど、ユウリスはもちろん、カーミラも持ち合わせていない知識だ。


「でも地震が多いっていうのは初耳です。俺はずっとブリギットで暮らしているけれど、こんな大きな揺れは今までに一度もなかった気が……」


「実を言うと、俺も同じだ。生まれてこの方、あんな悪夢のような揺れは経験したことがない。だがブリギットでは数十年前まで、確かに地震が頻発していた。大洪水以前の記録を調べるといい。この街は戦禍より、地震と洪水で受けた傷の方が多いとわかるだろう」


「大洪水以降って聞くと、なんだか聖オリバーを思い出します」


 かつてブリギット大洪水の折、犠牲者達をたったひとりで埋葬した少年――聖オリバー。ブリギットでは知らぬ者がいない聖人だ。ボイドは肯定した。


「その通り、地震を封じていたのもオリバー大森林だよ。あの聖なる森の加護が、我々をお守りくださっていたのだ」


「それじゃあこの地震は、オリバー大森林の加護が失われたせい……?」


 ユウリスが呟くように口にすると、赤毛の幼馴染は気まずそうに唇を舌で舐めた。二ヶ月前に崩れ去った、オリバー大森林の加護。ブリギットに平穏をもたらすはずの力が失われた原因は春先、カーミラたちが遊びで行使した召喚術だ。


「まさか春の事件が、こんなに尾をひくなんて思わなかったわ」


「いま考えてもしょうがないよ。そういうのはウルカや父上に任せよう。それよりアルフレドの様子を気にしてやらないと。また拗ねられても面倒だから」


 横穴の一つに運び込まれたアルフレドは、妙齢の女性に診察を受けていた。白狼を入り口で待たせ、カーミラ共に中を覗き込んだユウリスが、その姿に思わず、あっ、声を上げる。


「ナダ!」

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