題材選び

 六月特有の温かい雨が降る蒸し暑い季節になってきた。俺は梅雨の季節はちょうどいいぐらいの気温になるので嫌いではないのだが、今日だけは嫌いだ。前回の演劇を終え、次回のPTA参観の演劇の脚本を決めるために久々に部室で会議をすることになったからだ。


 小道具などが置ける広い体育館と違い演劇部の部室は会議をするだけとばっさり分けられ、部室の中で一番狭く換気が悪い部屋を割り当てられているため夏場。特に梅雨の季節になると部室内は最悪の状態になり、湿度と熱気でやる気が奪われていく。

 男子ならシャツとパンツ一枚で会議ができるのだがあいにく演劇部は女子もいるため、モラルのためにシャツとズボン二枚我慢しなければならない。


「蒸し暑い」

「しぬ」

「部長これなら廊下でやった方がましじゃないすか」

「前にそれを顧問の先生に話したら却下された。我慢してくれ」


 ただでさえ梅雨の湿気でぐだぐだなのに不満が積もる部員たちに鬼島部長も辟易していた。しかしそれは俺も同じだ、会議なんて長くなると退屈になるしとにかく早く終わってほしいと社畜気分を毎回味わされるのは勘弁してほしい。


「はいはい。なら超高速で会議まわしましょう。早くしないと野郎どもが我慢できずに全員裸になる『モラルハザード・ポストアポカリプス変』が起こらせないようにするのは私の手腕にかかっているのですから」


 相変わらずの口調で安宅がホワイトボードの前に出るものの、この女でさえ湿気地獄の部室の圧には抵抗力が弱いのか、湿気でブラウスが体にはりついてしまい体のラインと下着が薄っすら見えており無防備なところを晒してしまっている。

 普通の女子ならラッキースケベで嬉しいのだが、こいつの場合だと「ああ、こいつでもやばい状況なんだなこの部屋」と部員全員逆に心配になる始末だ。


「では今回の脚本現代劇ですが、こちらの『すめらぎ君み~つけた』を提案します。はい、資料の漫画とおしぼり配布しますから、湿気と汗でぐちゃぐちゃにしないようにね」


 回された資料こと『すめらぎ君み~つけた』という漫画が配られた。手の汗をお絞りでふき取って本に手汗がにじまないように拝読する。なるほど、これはおもしろい。しかも内容が学園ものと共感しやすい内容と来る。しかしこれ有果が好きそうな少女漫画の系統だな。これはあいつの家の本棚にはなかったけど。ファンタジー好きの安宅がよくこの手の作品をこの数日で選び抜いたものだ。

 その感想は他の部員たちも同じようで、俺の心の声を代弁するように珍しく安宅をほめた。


「よくこんな短期間で見つけてこれたな」

「ふっふっふ。また今度の脚本選び担当係は私のものとなりますね。他にも候補としてこちらの漫画も――」


 カバンから別の漫画を安宅が取り出すと、その本の表紙に見覚えがあった。


「それ三田の家にあったのと同じやつだ」

「ぐぇ。まさか知っていたの!」

「何がだ」

「知らない? まさかカマかけられた! 演劇バカの渡会がカマかけるという高等テクニックを使ってくるなんて!」


 よし後でしばいちゃろ。


「三田に題材選び手伝ってもらったんだろ。だいたい予想はついていたが」

「あーえへへ。そうなんですよ、さすがに私も現代劇については門外漢なのでこの手の作品に詳しいアリーに選んでもらったのですよ。えへへ」

「それについては別に問題じゃないからいいが…………これ少女漫画か」

「今の時代少女漫画は馬鹿にできませんよ。アニメはもちろん、映画にドラマと幅広く使われているのですよ。題材が幅広いということは、使える範囲も広いということです」


 自信満々に以前に有果の家で聞いた言葉をほぼそのまま引用というかパクッて説明をする。こいつのことだから有果に無断で手伝いをお願いすることはないだろうけど、俺が指摘しなかったらこいつの手柄独り占めになるところだったのによく承諾してくれたな。

 安宅が回した漫画が鬼島部長の前に回されて読まれていく。だが予想に反して部長の雲行きは外の灰色の雲と同じように怪しいものだった。


「ちょっとこの題材は使いにくいな。そもそもこれ全部で何巻だ?」

「えっと、『すめらぎ君み~つけた』はまだ既刊三巻で、さっき回したのは全三十四巻です」

「帯には短し手拭いには長しだな。まだ全部読破していないが、ちょっとスローテンポな感じがするから脚本をまとめるのに苦労するぞこれ」

「そうなんすか」

「演劇は一時間から二時間内で終わらせるように脚本を書かないといけないからな。十巻以上もあるのだと主要点をきちんとまとめられないし、未完のモノだと区切りがいいところでまとめないと尻切れトンボになる。その埋め合わせのために原作の内容を変えてしまったら、観客を怒らせる可能性がある。ましてや俺たちは素人だ。未完の作品を良い形で着地させる技術はない」


 せっかく決まりそうな題材を部長がばっさりと切り捨ててしまった。しかも気に入らないとかではなく、論理的にかつ観客目線での正論だからか安宅は抗議しようにもできない。


「ぶぅ。行けると思ったのになぁ。やっぱり私は専門畑のファンタジーがお似合いですかね」

「それはお互いな。俺が持ってきた題材もあるのだけど正直時間内にまとめられるか自信がない」


 カバンから取り出したA4用紙の脚本が狭い部室の中央に出されたが、その量は分厚さだけで見れば辞書と変わりないほど分厚い。これは修正が加えられても二時間で収まるか見るまでもなく難しい…………


「もしかして部長これ一人でずっと元の題材を見ながらキーボードパカパカ打ってたのですか」

「そうだが」

「部長が社畜にならないことを祈りますよ」


 それは同意する。しかし安宅の案も部長の案もどちらも纏めることができないとなると、練習の時間が減ってしまうぞこれ。


「他の案として誰か脚本を書ける人間がいないかというのを考えたが」

「その宛てはあるんですか?」

「ないから困ってる。文芸部はほぼ読み専で、書く経験者がいない。漫研も絵は描けるが脚本となるとてんでダメらしい。誰か脚本とか小説を書いた経験のある人や知り合いはいるか」


 部長が部員たち全員に一瞥するものの、誰も手を上げない。そもそも部長と安宅の二人が脚本の作成をしている時点でこの部内に物語を一から書ける人材などいない。そして学校内でも当てがない。ということはちょうどいい分量の題材が見つかるまでこのままだということになる。それまでは練習どころか舞台道具の作成もできないのはかなり痛手だぞこれ。


***


 結局会議では脚本が決まらず質の悪いサウナ室で汗を流しただけで終わってしまった。一応会議では少女漫画だけでなく、文芸部や漫画部などでよさそうな題材を手あたり次第探りを入れるということで決定したのだがそれもいつになることやら。


 じっとりと雨の温もりが肌に重くまとわりつく感触がする。この前の舞台は成功を収めたというのに、練習もしてない時点で躓くのは初めてのことだ。今までの部活動では脚本や道具関連は周りがきちんとやってのけてくれたから、練習に集中できていた。それが脚本が決まらず練習すらできないなんて、しかも俺自身が主役級での演技が上手くいかずスランプに陥っているのに何もできないなんて。


 何か俺にでもできることをしたい。となるとやはり題材選び敷かないのだが俺に脚本を書けるほどの文才があるわけでもない。雨水が溜まるアスファルトの道を歩いて傘を少し上げると目の前には有果の家があった。


 安宅のことを言えないけどやはり有果に聞くしかないよな。俺の知り合いで漫画とか題材に詳しい人間は有果ぐらいしかいないし。

 インターホンを鳴らすと中から有果ではなく有果母の声が返ってきた。


「あら渡会君じゃない。どうしたの部活動終わったの?」

「有果に用があって来たんですが、今いますか」

「ごめんなさいね。今ちょっと出かけているの」


 珍しい、土曜日はたいてい家にいるはずなのに。しかもこんな雨の中何を買いに行っているのだろうか。


「そうですかじゃあ、また改めて来ますので」

「渡会君そんなこと言わずに上がっていきなさいよ。あの子ならすぐ帰ってくるはずだし、それに外雨降っているのだから体も靴も冷えて寒いんじゃないの」

「そんな平気で、へ、へっくしゅ」


 くしゃみが出た。あのクソ蒸し暑い部室から十度ぐらい気温差がある外に出たせいかちょっと寒気がする。しぶきで跳ね返った雨水で靴下が冷たい。練習ができないとはいえ、風邪をひいてしまっては元も子もない。自分の身を案じ、有果母の言葉に甘えて家に入ることにした。


「ほらほら、制服と靴下脱いで。有果の部屋で待っててあとでココアも持ってくるから」


 俺が入るのを予見したのか有果母の手にはふわふわのタオルと替えのシャツがかかっていて、渡してくれた。冷えた足と体をふき取って、雨で濡れてしまった靴下を椅子にひっかけて乾くまでの間、有果の部屋におじゃまする。

 この前来たときと変わらないが、机の上やベッドには有果の漫画が積み上がったままの状態で散乱しており、慌てて出かけて行った跡がある。ちょっとは片づけてから出かけておけよと有果のだらしなさに苦笑いする。


 さてと、あいつが帰ってくるまでに何か脚本の題材となるものはないかな。スランプ状態なのに演劇に何も協力しないのは居心地悪いからな。有果の本棚から前に読めなかった漫画を引き抜こうとした。

 あれ? 何か挟まっている。

 やけにぎちぎちに詰められた漫画の間に何かの用紙が挟まっていた。それを破れないように慎重に引き抜くと、その紙は会議で部長が提出したものと同じ原稿用だった。


「脚本? いや原稿かな」


 有果が何かを題材にして書いたものだろうか。でもこのタイトル聞いたこともないし、漫画の本棚にも同じ名前のものがない。


「ただいま。仁君着ていたんだね…………あ、ああああああああ!! 見ないで!!」


 うわわわ!? なんだ!?

 帰ってきて有果がいつにない剣幕で叫び声を上げて俺に飛び掛かってくる。身長差があるにもかかわらず持っていた原稿を二度三度空をつかんで、原稿を奪い取ると赤ん坊を抱きしめるように胸の中に押し付けた。


「その原稿って有果が書いたのか」

「…………うん。自作だけど」

「自作? もしかして題材とかなくて、一から?」


 有果は何も言わずこくりと首を縦に頷いた。

 有果の意外な一面を始めて知ったが、それよりも題材も何もなく一から原稿を書いたことに驚いていた。


「有果、その作品ちょっと見せてくれないか」

「その、笑わないでよ。趣味で書いているだけだから他の人に見せるように書いてなくて」

「俺がそんな薄情な人間じゃないから安心しろって」


 有果が恐る恐ると震える手で託された原稿を再び手にする。改めて原稿を見ると部長がパソコンで打ったものと違い、有果の可愛らしい丸みを帯びた手書きの字で綴られている。

 有果が書いた原稿はページ数が二十枚もなく書きかけではあったが、脚本以外で文字だけのものを読むのは慣れてなく、漫画を読む時よりもだいぶ時間がかかってしまった。


 内容は現代、自分の夢のために上京した元恋人が上京したのをきっかけに離れていたがある時をきっかけに再会するものの、彼は自分の夢を諦めてしまっていたというストーリーだ。

 そして最後のページを読み終えて感想を伝えた。


「面白い。いや、思っていたより面白かった」

「ほんと? 本当に本当?」

「うん。本当だって、これなら」


 「ウチの演劇に使えるぐらい」と言いかけた寸前口をつぐんだ。待て待て俺、さっき有果はこれを見られたくなかったんじゃないのか。そもそも本棚の隙間にこっそり引き抜かれないように隠していたということは、有果母もふくめて誰にも見せたくないことだろ。


 それを変に期待を上げて勧めるのはどうなんだろう。もしも自信があるのならあんなにおびえるように渡すことはないはず。俺だって演技に自信がないときは親しい人の前だって見せたくない。


「これなら、何?」

「これなら他の誰かに見せてもいいと思えると思う。例えば安宅とか」

「………実は、もうクリちゃんには見せているんだ。その原稿」

「マジ?」

「うん。前々から自分が書いたお話のことで相談したりしててね。クリちゃん脚本手掛けているから私も参考になればと思って。どうしたの何か不機嫌そうだけど」

「別に」


 俺だけが知ってしまったと思ったのに、なんか裏切られた気分だ。というかあいつめ題材のことといい、有果の原稿といい、有果のことを俺よりも一番知っているんじゃないかのか。


「で、話がずれちゃったけど今日なんでうちに来たの?」

「おお、そうだった。今日演劇部で会議があってな」


 今日の昼間の会議のことや安宅が有果に頼っていたことを話すと、有果はくすくすと噴き出した。


「なるほど、仁君もクリちゃんと同じことを後だしで考えたというわけだね」

「後だし言うなよ。俺の知り合いで現代劇で題材になりそうなものを知っているのはお前しか知らないのだから」

「ふ~んじゃあ明日私と一緒に題材になりそうなもの探しに行こうか。ついでにデートも兼ねて」

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