有る果実は未練なり


「うぅう~ん。ちょっと休憩」


 腕を伸ばして伸びをするとぽきぽきと背中の骨が鳴る音が聞こえて、自分の小さい身長がちょっと伸びた感じがあってお得感があるように思える。けどそれは一時の幸福。また元の形に戻る一時だけの幸福。


「有果、勉強しているの? ちょっと休憩したら、クッキーあるよ」

「後で食べる」


 開きっぱなしになっていたドアからお母さんの甘言を払いのけた。なんで机に向かっているだけで勉強していると思うのだろう。そんなに私不真面目なのかな。演技で不真面目気取っているクリちゃんじゃあるまいし。

 裏返しにしている自分の小説を元に戻し、再びペンを手に取る。


 もう自分の妄想作品を書き終えたものの、机の前に座ると書き終えたはずの原稿のコピーに目を通して赤ペンで補足をつけている。最初の舞台の通しで演劇部の一人に「自分の演技におかしなところがないか」と問われてから自分が自分の作品を理解しきれていないことを痛感した。

 ただ自分の妄想を消化して、楽しいと思えたらそれでいいと思っていたのと違い。この作業はテストの自己採点してしょうもないミスとかを見つけてしまった時のと同じぐらいすごく大変だ。読み返したら、部長にちょっと指摘された文法間違いや言葉の使い方が大事な高得点問題を落としたぐらいに重く落ち込んでしまう。

 なんでこの部分堂々と出しちゃったのだろうと反省と落ち込みでベッドにダイブ、少し頭が冷えたら原稿に視線を合わせないよう修正して、人物の気持ちを補足する。書いていた自分はどうしてこれに気付かなかったのかな。


 相田さんなんかその点立派だ。そのことを自分で気づいているのだから。


 カリカリと自分の作品に修正と補足をするなんて、今まで自己満足で書いていたことを考えるとすごくあり得ないだろうな。

 あのデートの日、渡会君に背中を押されて勇気が出たのか自信がついたのか、私は演劇部に自分の小説を渡す暴挙に出た。今思い出しても自分何やってたのだろうと頭がうわああってなりかける。でも褒められるというのはすごいもので、羞恥心よりも私ってすごいんじゃないのというい感情がかき消してくれる。


 今までクリちゃんだけに見せていた自分の小説、クリちゃんは「うまい。うまいよ」とほめてはくれていた。でもその褒めがちょっと疑心暗鬼にもなりかけていた。クリちゃんは自分を演じられる。誰かを傷つけないように自分が道化になっても、周りが明るくなればいい人間で、本当に私の小説を心の底から褒めているのかうすうす疑っていた。

 でも直接そのことを伝えることはできない。この前原稿を持って行ったときに聞こえた喧嘩腰になりかけていたクリちゃんは素の自分をさらけ出しかけていた。自分でもその難儀な性格を危うさをわかっているんじゃないのかなと、結局言えずじまいだった。


 けど渡会君にばれたとき、よかったと思った。渡会君なら忖度なく感想を伝えてくれると。事実彼は純粋に面白いと言ってくれた。演劇に使えるとまで言ってくれた。その応援と鬼島部長の二徹のおかげで私の原稿はPTA観覧演劇の脚本に変身した。


「PTA観覧か。何人来るんだろう。ちょっと怖い」


 自分でつぶやいておいて矛盾している。

 別に私は演じることなどない。やるのは渡会君やクリちゃんたち演劇部だ。一番目立つ場所で、矢面に立つのは彼ら。だけど私の中では演劇部のみんなや舞台含めて全部の私を見られてしまうようだ。

 後悔後悔。後悔先ただずなのに、いっつも後悔ばかりだ。ぜんぜんなおらない私の性格。


 その一方で渡会君はすごい。

 後悔もせず、前に前につっこむ。私の作品に出てくる夢をあきらめてくじける桐谷とは違う。私の思う『カッコイイ』が彼には詰め込まれている。私のわがままに付き合わせても嫌な顔せず、受け止めてくれる彼を私が持っていても宝の持ち腐れになる。相田さんは渡会君とはお似合いのカップルになるだろう。


 ふと原稿を見るとペンが止まっている。いけないいけない。今日はこの場面のところ書かないと。


 ピコン。LINEが鳴った。クリちゃんからだ。


『おっす。今空いてる?』

『原稿の補足を書きながらだけどOKだよ』

『おお、熱心だね。最初はグダグダになりかけていたけど、アリーのおかげで全部うまく回るようになって嬉しいよ。ああ、神様仏様偉大なるアッリーよ。我が演劇部に加護をあらんことを』


 おふざけ混じりにクリちゃんが神様のスタンプを送信してくると、私は諭吉さんのスタンプを送り返した。


『お布施要求かい!』

『今度何かおごってほしいな』

『ではまたドーナツを』


 やった。ラッキー。


『話戻すけど、今日繁華街で渡会と相田がデートしているの見かけた』


 クリちゃんから来たメッセージに秒で返した手が止まった。


『マジ?』

『ありゃ知らなかったんだ。渡会はいつもアリーと一緒に出かけるから、珍しくて。もしかしてアリー知っているのかなと』

『知らなかった』

『そうか。でももうお付き合いしているから二人だけの秘密というのもあるからしかたないか』


 二人はもう付き合っているから。そうだよね。付き合っているのだからしょうがないし、誰にだって秘密がある。私だって休みの日はこっそり小説書いていたのを渡会君に黙っていたのだし。

 グリグリとペン先が出ていない赤ペンを原稿に押し付けながら、スマホの画面が暗くなるまでメッセージを眺めていた。


『そのこと報告にだけ、原稿がんばってね』

『バイバイ』


 LINEを閉じて再びペンをコリコリと走らせるが、手中出来ない。途中途中で頭に浮かぶのは作品の情景ではなく渡会君と相田さんとが仲良く手をつなぐ情景。それも幸せそうに。それを木の陰からそっと眺める私。……このはどんな顔しているの。


 うれしい。よかったね。しくしく。

 違う、違う。じゃなくて原稿! 手を止めるな三田有果。


 しかし一度考えてしまったことに手は止まり、脳はまたさっきの映像を流しだす。

 この間コンビニで相田さんのこと話してくれた時の渡会君すごく楽しそうだったな。ちゃんと好きな人とくっついてくれたのだからそれでいいはずなのに、心の奥からもやっとしてくる。


 なんでこんなにいら立つのだろうか。それを消すことができない自分に腹立ってくる。二人はめでたく付き合って幸せになりました。それでいい、どんな恋愛漫画だって最後は二人が付き合ってハッピーエンドじゃない。それ以降の話は蛇足、不要だ。


 渡会君が他の女の子の前で笑っている様子を想起すると、許せなくなる自分がいる。喜ぶべきことなのに、どうして。

 そしてペンが完全に止まった。


 ああ、そうか。まただ。これもまた後悔だ。

 なんでなおらないの。


 だってもう彼には付き合っている人がいて、憧れの人がいて、躓いた彼を前に向けさせてくれる人がいる。漫然と幼馴染という時間だけを共有した私と違う、立派な彼女がいる。


 なのに、なのに、なのに。

 いまさらになって、私。


 第一次でも第二次でも第三次でもいくらでも機会があった。告白できる時間も猶予もあったのに。なにがジェラシープロジェクトだ。自分が発案しておいて、自分がその網にかかったら意味ないじゃない。


 持つ手が重くなり始め、原稿の上にペンを転がしてベッドの上に臥せった。

 本当に私は後悔まみれで、自分勝手な人間だ。

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