三田と相田

 最近俺のことについて噂が飛び交っている。かの氷の美少女相田ふなみと演劇部の渡会が付き合っている。百回もの情熱的なプロポーズをしてついに高嶺の花をつかみ取った。放課後放送室の鍵を閉めて二人だけの逢引き部屋にして激しい責めをしている。などだ。

 しかし噂などというものはまったくどこから湧いて出てきたのかわからないもので、当人からしたらまったく的外れもいいところである。


 付き合っているのは本当のことではある。だが(当初はその予定だったが)百回もプロポーズはしていないし、放送室では逢引きではなく喉と声帯が合挽にされるほど激しい責めにあっているのが正解である。


「ぜーぜー」

「うん。先週と比べてもよく仕上がっているわね」

「そ、そうか」

「うんうん。やっぱり渡会さんは素質があるのよ。じゃあ今日はここまでにしましょうか。今日私声優学校に行かないといけないから」


 それを聞いてやっと放課後休めれると安堵した。付き合い始めてから一週間。演劇部での練習の後、直行で放送室で相田によるスパルタマンツーマン練習を繰り返ししており体力が持たなくなりかけていた。


 スランプの原因をつくったからその責任を感じているとはいえ、声優志望とただの部員との体力の違いを慮ってほしいものだ。

 だがそのスパルタ練習のおかげで日に日に演技力が増しているのは事実である。あまりの変化に部長から「お前まさか将来のことを考えて劇団入りでもする気か」と皮肉られたほどだ。


 喉スプレーで荒れた喉を静めていると、待っている間相田はパイプ椅子に座って脚本を読んでいた。


「にしてもこの脚本ってオリジナルよね。オリジナルにしてはなかなか面白いわ。シリアスだけど暗すぎず温かみがある感じで、少女漫画のような書き方ね」

「三田が少女漫画大好きだからな。あいつの部屋にある本棚端から端まで少女漫画で埋め尽くされているから」

「ああ、あの子ね。渡会さんと一緒についている仲のいい幼馴染さん。やっぱり幼馴染となるといろいろと協力できるものよね」

「まあ、長いこと付き合っているものだから」


 ……あれ、この感じどこかで。もしかしてまたばれていた?


「うすうす感じていたわ。自分自身声優学校に行っていること親にも学校にも隠し事しているから、渡会さんたちも何かこそこそと隠し事しているんじゃないのかなって感覚を感じ取れたわ。幼馴染ってそういう深いところまで共有できる間柄だし」


 ふふんと頬杖をついて見てくる相田の細い眼は『心の目』のようなものですべてを見透かすようだ。これは観念してすべてを暴露するしかない。


「実は、偽カノという形で、相田のことを挑発していたんだ。その、俺のことを振り向いてくれるように頼んで」


 包み隠さず俺たちがしていたことを暴露する。予想するまでもなくガチギレされると身構えていた。だが彼女から怒声が聞こえない、顔を見ると拍子抜けしたようにきょとんとした表情だった。


「そうだったの…………ぜんぜんわからなかった」

「そうなんだって、わからなかった!?」

「だって傍から見たら、ただ仲のいい女友達か親友かと思っていたし」

「お互い下の名前で呼んでいたのに?」

「親友ならそれぐらい普通じゃない?」

「手をつなぐのは?」

「……幼馴染なら普通じゃない?」


 頬杖をしていた手がずれて、ほほに指を添えて首をかしげるポーズに変わったが相田に可愛らしいと思う反面、愕然とした。あと恥ずかしい。必死に三田の家で少女漫画とか読み込んで必死に考えて、ジェラシープロジェクトとか大げさな名前を付けて対策をしていたというのに、全部徒労に終わっていたなんて。

 というか何『心の目』って。勝手に中二病的な発想して暴露したら大外れとか自分の妄想恥ずかしすぎる!!


「…………なんか気づいてあげなくてごめんなさい?」

「いや、うん。もう過ぎたことだしいいよ。あは、あははは」


 あまりの呆気なさと喉がからからで乾いた笑いしか出てこなかった。


 放送室の鍵を閉めると、相田の細い指に鍵をキーホルダーのようにはめながら手を振りバイバイする。


「はい、蜂蜜柚子茶。柚子とハチミツは喉に一番効くからね。特にホットが一番。ゆっくり休んでね」

「あ、ありがとうな」


 ゆっくり休んでねだって。もうすでにマンツーマン指導を短時間でされたというのに矛盾していないだろうか。しかしこう毎日みっちり演劇の内容を本番と同じ感覚でやれらされてついてこれる俺も、部長のこと社畜だなんて言えないよな。

 放送室から出てポケットから相田にもらった蜂蜜柚子茶のペットボトルを流し込む、暑い季節に熱い飲み物とはと思うのだがこれが意外にも荒れた喉を和らげてくれる。声帯がやられるのは演技をする人間にとっては大敵という意識からか、マンツーマン指導の後は必ずといって喉にいいものを送ってくれる。


 一方で相田は俺の前では俺と同じものを口に含んだりしない。意外と肉体派なんだよな。それも特定の部位限定の。今までミステリアスなファン程度に思っていたが、毎日付き合ううちに、違う一面が見えてくる。しかしそれでも声優という職業を馬鹿にされるというのはちょっと理不尽だなと考えてしまう。


 校舎の入り口で手持ちの傘を広げようとしたちょうどその時だった。入口の前で傘を下に持ちながらじっと何かを待っている三田を見つけた。


「三田。今日は降水確率百パーセントだぞ」

「あっ、渡会君。今日はお付き合いじゃないんだ」

「今日は相田が声優学校に行く日だから解放されたんだよ」

「えっと、解放って」

「それが、部活の後毎日放送室で相田に演技指導されて。クタクタなんだよ。声優学校仕込みの発声練習から腹式呼吸法。声の強弱と俺が声優になりそうなぐらいにスパルタで」

「それは…………デートなのかな?」


 絶対違う。


 俺が傘をさして外に出るとようやく三田もつられて外に出た。細雨がパラパラ傘の布に弾かれながら音を奏で、コンビニの近くまで歩くと三田がコンビニに指を指した


「ねえちょっと寄っていかない?」


 俺は三田に誘われるとそのまま足をコンビニに向けた。コンビニの中は五月に三田と入ったときと変わらないが、客と食品をまるごと冷やそうと過剰なほどエアコンの冷気が流れ込み、すぐさぶいぼが立った。

 うう。なんかさっき飲んだ蜂蜜柚子茶が恋しくなってくる。どうしてコンビニってなんでも置いてあるはずなのに、夏に熱いものとかないのだろうか。そうでなくてもこれは寒すぎる。

 腕をさすりながら、目の前にあったスナックチキンをコンビニの店員にお願いして出してもらう。同時に隣のレジで買ってきた三田がポイっとあれを投げて渡してきた。


「はい、飲むヨーグルト」

「サンキュー」


 懐かしの『どろっとのどに刺さるほど超濃厚ヨーグルトバナナ味』。まだ置いてあったのかこの窒息兵器。思えばこのコンビニで第三次お付き合いを始めてから破局までまだたった一ヶ月しか経っていなかったんだよな。今までの第一次、第二次は数年単位だったのに、今回の第三次はこの飲むヨーグルトのように密度が濃い付き合いだったなと懐古する。


 さて、すでに相田からもらった蜂蜜柚子茶ですでに喉は潤っていたが、そのまま持って帰るのは居心地が悪いからすぐストローを指してすぐにすすった。幸いこれとスナックチキンを入れるほどの胃の余裕はある。食欲旺盛な男子高校生なめんじゃねえ。


「それで、お付き合いしているはずなのになんでマンツーマン練習やっているの?」

「スランプになった原因を作ってしまったからそのお詫びにだって」

「もしかして部活が終わってからずっと?」

「うん」

「放送室でなにか密会している噂が流れているなと思ったら、そういうことだったんだ。それで最近みんなから演技うまくなったって褒められていたんだ。さすが声優志望」


 言葉では褒めているようだが、面白くないと言いたげにツンと唇を尖らせて自分が買った飲むヨーグルトをすする。この間演技のことでアドバイスできなかったから、そういう技能の面で演劇に貢献することができないと不満なのだろうか。


「でも、相田は本当にすごいぞ。この前『家庭科室の御厨くん』の演技を目の前でやってくれたんだけど、めっちゃうまかった。本職の声優と思うかほどだった」

「へぇ。そんなに聞きほれるほどなんだ」

「うん。それでもキャラに合ってないからアドバイスをしてくれってぜんぜん満足してなくて。俺の演技が子供のお遊戯に見えてしまうんだ。あっ、よかったら三田も相田の演技見に着たらどうだ」

「考えとくね。でも渡会君が充実してそうでなりよりだよ」


 三田がくすりと笑う。


「私もそういった好きな人現れるといいなぁ」


 俺はその後に「きっと現れるさ」と口にしようとした。けど、遠くを眺めながら雨降る空に溶けて消えそうな三田の顔を前にして、その言葉をかけることができなかった。

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