161 ドラゴンを取り込んだ賢者

 山の向こうに戦闘音がこだました。

 戦況は分からないが、皆の無事を祈るしかない。少なくとも俺がここに居ることで足手まといにはならないと、今ではちゃんと自覚できる。

 敵を仕向けたこの男でさえ、魔法師たちの力を評価しているのだ。


 だから俺はきちんとワイズマンに向き合って、側の岩へヒルドと腰を下ろした。

 柔らかい金のたてがみがフワリとなびく。お世辞にも心地良いとは言えない湿度の高い風に、俺は額の汗を拭いつつ彼の言葉を待った。


 ヒルドの話では、大昔聖剣が盗難に遭ったり、偽りの魔王がその地位を悪用したりで、混乱がしばしばあったらしい。


「私が人のていしていたのは300年程前のことです。前王の病が悪化し、王子への戴冠が囁かれ始めていた。まだ歳は16。他にご兄弟も居なかった彼は、生まれながらの魔王でした」


 名前は『キール』だとワイズマンは懐かしむように口にした。キールは兵学校に行っていたものの、実力は中堅。魔王の力は王位とともに引き継がれるもので、当時の彼はまだ乏しい魔力だったという。


 それを聞いて俺はまた、クラウに見せられた胸の傷を思い出した。


「クラウは、メルの剣を身体で受け止めて魔王の力を得たんでしょう? 世襲制でもそんなことするんですか?」

「方法は色々ありますが、血を交わすことは必須です。魔王の魔力は、魔王本人にとって生命力と同じ。魔力を全て次の王に吸い取られて崩御する王も多いのですよ。だから、メルーシュ様は小さくなってしまわれたのです」


 一度血を交わすと、あとは魔王の思うままに次の王へと魔力を授けることができるという。

 メルがクラウにしたキスは仕様だったのかと疑問に思いながら、俺はワイズマンが次に語った事件に耳を傾けた。


「キール様には、王位に就きたいなんて意思はなかった。本が好きで花が好きな、戦いを好んだ父王とは真逆の人だったんです」

「それでも、世襲だからと押し付けたのか?」

「貴方の世界では、違うのですか? まぁ、グラニカの外では国民から代表を募っている国もないわけではありません。けれど、グラニカの王は魔王なのです。魔王の魔力を引き継ぐ人間なんて、そんな易々と決められるものではないのですよ。血を重んじて何が悪いというのですか?」

「俺の世界……確かに」


 口荒く問いかけたものの、自分の居た世界を思い返すと胸を張って世襲制を否定することもできなかった。『世襲』という言葉があるくらい、日本でもよく耳にする話だからだ。


 「でしょう?」と口角を上げたワイズマンは、俺を見据えて話を続けた。

 「あの日――」と語りだした声が、厳しい音を含む。


 否応にも魔王の力を受け継いだキールは、前王崩御の翌日に戴冠式を迎えようとしていた。


「全ての準備が整い国民が城に集まったところで、その玉座に私たちの知らぬ次王が現れたのです」


 名は『サイファー』。自分が真の王だと言った彼は、奪い取った聖剣を手に力を見せつけた。


「サイファーは口だけじゃなかった。聖剣を持った彼に、キール王は到底敵わなかった。魔王と相応の力と話術で国民を惑わせたのです」


 キール王の気持ちは、国民も薄々と感じていた。だから、それでも良いという人が現れてしまう。


「けれど、血を途絶えさせるわけにはいきません」


 きっぱりとワイズマンは言う。


「かつてこのエルドラの地にはドラゴンが居た。私はその力を得ようと禁忌を犯したんです。ドラゴンは神聖なもの。軽々と触れることすら許されるものではありません」

「それを取り込もうって思ったの?」


 俺の横で黙っていたヒルドが驚愕して口を挟んだ。

 ワイズマンは瞳をジロリとヒルドに向け、「そうじゃない」と否定する。


「そうするつもりはなかった。力を借りることができればと思った。サイファーは前王以上に戦いを好む男。そんな奴に魔王の力を渡すわけにはいかない。私の意見にドラゴンは同意したんです」

「へぇ」

「そして条件を出してきた」


 それはワイズマンがドラゴンを取り込むということだ。

 ドラゴンは不老不死とはいえ、ただ生きているだけの老いた状態だった。自らが自由に動くことのできないドラゴンは、ワイズマンに取り込まれることによって魔力を得て復活しようとした。


「私は悩みもせず、その条件を受け入れたんです。それで得た力で聖剣を奪い返し、キール様は魔王として平穏な国を作り上げた。私が中央廟の底に身を沈めて聖剣を守り300年、この国は安泰でした。サイファーを真似たやからまれに現れましたが、所詮口だけの男たちでしたからね」


 反論できなかった。

 国を守るために、彼は彼自身の存在と命を懸けたのだ。


「僕たちが知ってる歴史は、ほぼ間違いじゃなかったんだね」


 ヒルドが「凄いね」と唸る。


「幻想だと思っていましたか?」

「まぁ、ね」

「過去の話ですからね、風化しても仕方ない。それだけ平和だったという事ですよ。けど10年前にあの男が現れたのです」


 言葉を含ませるように沈黙したワイズマン。

 彼の言う『あの男』が誰なのか、俺はすぐに気付いてその名前を口にしようとした時だ。


 背後にガサリと気配がして、『あの男』が本当に姿を現したのだ。


「僕と貴方は、どうやら似た者同士のようですね」


 女子を魅了する甘い声。

 頬に負った傷に血をにじませて、クラウが手にした聖剣をさやに戻した。




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