最終章 別れ
160 世襲
美緒とチェリーが小走りに山を下りていく。
足音が遠ざかって二人の背が小さくなっていくのを俺は最後まで未練がましく見送った。
「うわぁ、ユースケ。ほっぺが真っ赤だよ」
自分の顔を確認することはできないが、美緒につねり上げられた場所は頬を撫でる風に痛みを響かせている。そっと触れた指先を冷たくて心地よいと思えてしまう程だ。
しかし、ここで痛がっているわけにはいかない。
ワイズマンが俺と話をしたいという。
俺は腹を決めて一歩踏み出した。ドラゴンの身体がズルリと動く。
奴が顔を覗かせる木々の割れ目まで歩いて、俺はその大きな顔を見下ろした。
ワイズマンは、ぎょろりとした青い瞳を持ち上げて、塞いでいた長い口をパカリと開く。
「貴方は、この国を美しいと思いますか?」
唐突にそんなことを聞かれて、俺は「えっ」と声を詰まらせた。
辺りを見回すと山の風景。最初に頭に浮かんだ記憶は、チェリーの家のバルコニーでメルと二人で見た星空だった。
「美しいと思います」
ただ漠然とそう思った。
「この国がどれだけ広いか俺はまだ知らないし、実際見たのだってほんの一部でしかないと思う。けど俺の見た限りでは、この国は美しいです」
地球だって、地域で大差はある。日本だって都会か山で印象も変わるだろう。
「そうか」と呟くワイズマンに、俺は同じ質問を返した。
「貴方は、この国を美しいと思いますか?」
もう俺の気持ちもだいぶ落ち着いている。彼に対する畏怖が和らいだのは、この頬の痛みのせいかもしれない。
ワイズマンは「えぇ」と答えた。淡々とだ。
何を考えているのかと首を傾げて、俺は右手に作ったこぶしを握り締めた。
「美しいと思うなら、どうしてそれを壊すようなことするんですか? どうしてモンスターを町へ向かわせたんですか? 貴方はこの国の為を思って、そんな姿になったんじゃなかったんですか!」
つい荒ぶって感情的な口調になってしまう。
今こうしている間にも、メルやみんなは戦っているのだ。
ワイズマンは悪びれた様子もなく、「どうして?」と
「あれで滅ぶようなら、それまでのこと。あれしきのモンスターに対抗する戦力ぐらい、この国には十分にある。それで負けるようなら士気不足。魔王が力不足という事ですよ」
そんな無駄な戦いで何を得ようというのか。
アホな理由がまかり通るとは思えない。
「それは貴方の道楽じゃないんですか?」
「そう思うなら思えばいい。私は納得したいんです」
ワイズマンは否定しなかった。
「今この国に居る魔法師たちは、貴方のお兄さんを魔王にしたいのでしょう? その覚悟を見たいんですよ。あの男の為に、この国の人間がどれだけの働きをするかをね」
「そんなのわざわざ確かめなくたって、分かり切っていることだよ」
クラウへの忠誠心なんて、おかしいくらいに強いことを俺は知っている。奇襲をかけたハイドでさえ、クラウを認めようとしていたくらいだ。
「貴方は面白い人ですね。実の兄がこの世界の魔王でいることを恨んではいないのですか?」
「恨むって、誰を?」
「この世界をです。この世界が何の関係もない彼を魔王にして、彼は苦しんでいるのでしょう?」
ワイズマンは笑うように目を細める。
「それでも貴方は彼が魔王でいることに賛成なんですか?」
「分からねぇよ。けど、俺にはアイツが仕方なく魔王をやってるようには見えないし、それなら応援してやりたいって思う。第一、貴方が聖剣のことさえ言わなけりゃ何の問題もないんじゃないですか?」
俺は静観するヒルドと顔を見合わせる。ワイズマン相手にヒートアップする気持ちに冷静さを求めたが、彼は俺を止めようとはしない。
むしろ「もっと言っちゃえ」と言わんばかりにニッコリと笑むヒルドに、俺はやけくそになってワイズマンへ声を張り上げた。
「どうして魔王がクラウじゃダメなんだよ!」
感情的な俺とは対照的に、彼は表情一つ変えなかった。こんな態度はハイドと同じだなと思う。
ワイズマンは緑と青の空をチラと見やって、
「ここは、私がこの身体を手に入れた場所なんです」
そう話を始める。
「この国の魔王は世襲制だ。もちろん自らがその地位を望まない王も居た。だから、血に準じた王と国民を守るのに、我々家臣や親衛隊は必死だった。それに異を唱えた国民が、魔王を腑抜けだと言って王の証である聖剣を狙ったんですよ」
それは彼が人として生きた時代の過去だった。
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