113 消失
耳が痛いくらいの沈黙。自分の呼吸音さえ
ハイドは俺を見据えたまま、長い髭を上から下までゆっくりと撫でる。
ティオナが俺とハイドを二人にした意味なんて、考えている余裕はなかった。
こんな地下で
けれどそんな俺の気持ちを察してか、ハイドは俺に背中を向けてしまう。
黙って出口に向かおうとする大きな背中を、そのまま見送ればいい。彼がこの部屋を出た後に、頃を見計らって動き出せば何の問題もないはずなのに、俺は自分からハイドを呼び止めてしまった。
「あ、あの。クラウはどうなるんですか?」
扉に手を掛けたハイドは足を止め、顔だけを俺に向けた。
「元老院は、クラウ様に国を任せたい。その思いは変わりません」
「本当に……?」
俺が疑いを込めて尋ねると、ハイドは身体を半分だけこっちに回し、溜息を漏らした。
「あんな王はなかなかいない。前にも話したでしょう? 幾つもの国があるこの世界で、グラニカは小国だ。魔法が勢力争いの
この人がクラウを王位から引きずり降ろそうとしてるわけじゃないことは分かる。けれど、どこか腑に落ちない気持ちが抜けず、俺は唇を噛み締めた。
「聖剣は、抜けるんですか?」
「きっと抜けますよ。クラウ様の覚悟を、我々も尊重します」
「覚悟って、どういう……」
「ハヤミエイスケ、でしたね。クラウ様の向こうでの名前は」
ハイドがそっと笑みを浮かべた。
俺は声に出さず、首だけで答える。
「それを捨てねばなりません」
「捨てる、って。それって、俺の兄貴じゃなくなるってことですか?」
「もしくは……」
ハイドは俺の質問に答えようとはせず、会話を一方的に終わらせてしまった。次へ繋げた言葉を切り落として、一人納得したように首を何度も横に振る。
そして、俺から顔を逸らして扉を開けたのだ。
「ちょっと待って下さい。もしくは、って。捨てるって。そこまで言ったなら、ちゃんと話して下さい」
「貴方は私と居ることが苦手のようです。これ以上話せることはありませんよ」
背を向けて
☆
気持ちがスッキリしないまま上に上がると、エントランスにマーテルの姿があった。
再生の儀の後、中央廟の奥で休んでいたと聞いている。
マーテルは疲れた表情を
「こんな所に居たの?」
脇に抱えたヒルドの自画像を
「あのっ、さっきは凄かったです。まさかあんなに一瞬で城が戻るなんて思っていなくて。感動しました」
ボロボロに崩れた城を、10人の修復師があっという間に元通りにしてしまった。
蘇ってきた興奮を伝えると、マーテルは「ありがとう」と微笑む。
「俺、ここにはクラウに会いに来ただけなんですけど。まさかあんなことしてるなんて思わなくて」
「最下層へ行ったのね。――どうだった?」
「抜けなかったみたいです」
マーテルは動揺することもなく、あっさりと「そうなの」と頷く。
「驚かないんですか?」
「そんな気はしていたから」
「親衛隊は、不安じゃないんですか? 本当に、旅に出るつもりなんですか?」
もし抜けなかったら、クラウもゼストも隠居してのんびり暮らす様な話をしていた。マーテルも同意していたのはついさっきの事だ。冗談めいた話のように聞いていたが、何だかじわじわと現実味が増してくる。
「不安じゃないわ」
はっきりと彼女はそう言い切って、細い腰に手を当てる。
「私はね、クラウ様が魔王になった時、彼を否定するような言葉は全部本人に伝えたのよ。だからもう、そんな感情は置いてきてしまったわ。親衛隊に入った今は、あの人の為ならなんだってできると思ってる」
俺にはまだ覚えのない感情だ。一人の異性を好きになる感覚とは全然違う。
「じゃあ、行くわね。もう少し休みたいの」
立ち去ろうとするマーテルに俺は「はい」と答えて、早口にその言葉を繋げた。
「クラウを……兄さんをよろしくお願いします。けど、マーテルさんも死なないで下さい」
驚いた顔のマーテルに、俺は「本当に思っていますから」と加える。
彼女のお婆さんはメルーシュの親衛隊で、前の戦いの時に亡くなっているのだ。
この国に漂う不穏な空気に過去を重ねて、俺はそれだけを彼女に伝えておきたかった。
☆
俺は
クラウを探そうと思ったが、その前にこのヒルドの絵を部屋に置きに行きたかったからだ。
あんなことがあったばかりなのに城の中は落ち着いていて、いつもの様子に戻っているように見えた。
すれ違ったメイド服の侍女が「もう少ししたら夕げのお迎えに参ります」と言う。
俺は「もし部屋に居なかったら、あとでいただきますから」と伝えて別れた。
自分の部屋に入る前に、俺は美緒の部屋の目の前で足を止めた。
みんなと居ると言って城へ戻った彼女が部屋に閉じこもっている可能性は低いのかもしれないが、俺は「美緒?」ともしもの偶然を込めて扉を叩いた。
もちろん返事はなかったけれど、別に深くは考えていなかった。
それなのに。
「ユースケさん!!」
パタパタと足を鳴らして、階段の方から
小さな身体とは不釣り合いの大きな胸が、赤いチャイナ服の奥で揺れている。はぁはぁと息を切らせて美緒の部屋の前で足を止めると、ちさは「あの」と不安げな顔を俺に向けて突き上げた。
「美緒さんは?」
「美緒? ノックしたけど返事はなかったよ」
「ええっ」と声を震わせて、ちさは「ユースケさん」と俺をもう一度呼んだ。
「美緒さんがいないんです!」
その時の俺はまだ、事の重大さを理解してはいなかった。
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