90 パンツの概念がおかしい

大きな紙袋を片手に帰宅した宗助そうすけは、湯上りのメルを見るなり、言葉を失ってドアの前に立ち尽くしてしまった。

 こみ上げる興奮を押さえつけるように、てのひらを口に押し当てて「ちょっと」と声を詰まらせる。


「美少女が、俺のTシャツを着てるだなんて」

「おい、Tシャツ借りただけだろ。変な気分になるなよ」

「変な気分?」


 状況を飲み込めていなかったメルが胸元を手で覆うと、クラウはすかさずベッドから降りて彼女の前へ出た。

 警戒する俺たちとは対照的に、宗助はいたって真面目な顔で腕を組む。


「ユースケさんは分かってないな。可愛い女子が自分の服を着るだなんてシチュエーション、男のロマンですよ」


 何だか宗助のテンションはヒルドに似ている。


「母親が近所の洋品店で1000円のワゴンから引き抜いてきた、全然好みじゃないTシャツでも、メルちゃんの可愛さとのギャップで悩殺スタイルに見えますよ」


 俺の知ってる宗助なら、俺がそんなこと言いだしたら「兄ちゃん、キモッ」と、これまた母親にチクられてしまう案件だ。

 まぁ、最初にメルのこの姿を見た時、予想はしていた展開だ。けれどこれが『宗助のTシャツ』であるせいか、普段からこっちの世界のエロ事情に馴染んでいないクラウには、今一つ不評だった。

 なんでも、前面にプリントしてある骸骨がいこつのマークが、「呪術にでもかかりそう」ということらしい。


「メルちゃん、その格好も捨て難いけど、とりあえず着替えようか」


 差し出された紙袋を受け取って、メルはもうすっかりサファイア色に戻った目をぱちくりと丸くした。

 何着入ってるんだ? と首を傾げてしまう程パンパンに詰まった袋は、家から少し離れた大通り沿いにある、大手量販店のものだ。


「ついでに二人の下着も買ってきましたよ」


 袋に手を突っ込んで宗助が俺たちに配ったのは、オーソドックスな白い半袖の下着と、青チェックのトランクスだった。

 意外と気が利くんだなと感心して「ありがとう」と礼を言うと、メルが紙袋を覗いて「わぁっ」と歓声を上げた。


「可愛い! ありがとう、ソースケ」


 笑顔を振りまいて喜ぶメルが取り出したのは、黄色いワンピースだった。世界的に有名な黄色い熊のキャラクターが胸元に刺繍されている。

 色や型は若干違うが、カーボ印の水色ワンピースとよく似ていた。


 下心があるだろうと思わせるテンションで買い物に出かけた宗助のことだから、俺はフリフリのロリータ服や、コスプレ的な何かを予想していた。

 スクール水着すら出てくるんじゃないかと覚悟していたのに、あまりにも普通で俺は驚いてしまった。


「ユースケさんは、僕がえっちな服でも買ってくると思ったんですか?」

「あ、いや、そこまでじゃねぇけど」


 気持ちが表情に表れてしまったらしい。

 宗助は預かっていたカーボのお財布をメルに渡した。


「汚れてた方の服にもマークがついてたでしょ? 異世界の動物? 流石に同じのはなかったから、これが似てるかなと思って。気に入って貰えて嬉しいよ」

「これはカーボっていうの。可愛くて美味しいのよ」

「食べれるの? すごいね」

 

 大人げないと思いつつも、宗助とメルが笑いあう姿が俺にはあまり面白くなかった。

 『メルはカーボをさばくんだぞ』と言いたくなったが、この買い物の礼を込めて俺は出かけた言葉を飲み込んだ。


「あら? これは?」


 そしてメルは紙袋の奥に別の何かを見つけて手を伸ばした。

 「あっ」と宗助が顔を赤らめる。

 取り出されたのは、赤白のボーダーに、黄色という対照的な二つの布だった。それだけで俺はそれが女子用のパンツだと分かった。

 メルは何の躊躇ためらいもなく、俺たちの前に広げて見せる。

 縞々パンツのバックには犬、黄色には虎、とそれぞれに可愛くデフォルメされた動物が貼りついている。

 あまりじっと見つめるわけにもいかずにそっと横を振り向くと、クラウが品定めでもするように、顔を乗り出して二枚のパンツを見つめていた。


「服を探してたら、見つけちゃって。一枚でいいかなと思ったんですけど、俺にはどっちかを選ぶなんてできなかったんですよ」

「いや、これって服と違う売り場だよな?」


 どう考えても、わざわざ選びに行ってる。

 けど、メルは今ノーパン状態。状況的には有難い。

 有難いとは思うのに、何だろうこの複雑な気分は。


「あ、ありがとな」

「どういたしまして」


 しかしそんな会話を交わす俺たちの横で、メルが二枚のパンツを手にしながら複雑な表情でうなったのだ。


「すっごく可愛いんだけど、これは何かしら? 水着……とはちょっと違うわよね?」

「ええっ?」


 クラウがやたら興味深げに、恥ずかしげもなく見つめる理由は、そのせいなのか?


「パンツを知らないのか?」


 口にした自分が少し恥ずかしくなってしまう。けれど異世界の二人は本気だ。

 確かにメルが温泉ではいていた水着も、ブラのないパンツだった。

 水着のパンツははいて、下着のパンツをはかないだなんて。


「パンツ? あぁ、もしかしてコレのこと?」


 クラウがメルのパンツの横に、青チェックのトランクスを並べて見せた。


「そうそう。えっ、だってクラウもはいてるだろ?」


 俺も向こうの世界に行ってから、ちゃんと向こうのをはいている。ビキニブリーフのようなものだが、用途は同じだ。

 クラウは困惑した顔で「はいてるけど?」と答えるが、その疑問符の原因は俺の想像を遥かに超えていた。


「これって男がはくものでしょ?」

「ちょっと待て」


 まさかという妄想120%越えで、俺はメルを凝視した。

 メルは顔を耳まで真っ赤にして、パンツを胸元にぎゅうっと抱きしめている。

 そしてクラウはハッと驚愕の表情を浮かべて、真面目な顔で言い放った。


「まさか、こっちの世界の女性は胸が大きいだけじゃなくて、股間も」

「違うから!」


 慌てて俺は叫び声をあげ、その予想を遮った。


「女にはついてないぞ? 当たり前だ!」


 俺が一番恥ずかしい。

 クラウは納得いかない様子で、腕を組んだ。


「だってこれは押さえるものだろう? 女子がはいても意味ないじゃないか」

「意味はあるよ!」


 実際の所は不明だが、俺はそう断言した。

 向こうで会った女子がみんなそうだったのか、とか、ハーレムのみんなもそうしていたのか、頭いっぱいに妄想が広がったところで、視界の隅に宗助が呆然と立ち尽くす姿が入り込んできた。「宗助?」と声を掛けると、ヤツはにやにやと緩んだ口元をぎゅっと結び、


「女の子も、ちゃんとはかないと風邪ひくよ」


 と、メルに訴えた。


「こっちの女の子はみんなはいてるからね」

「そ、そうなの? 確かに、この模様は男の人向けじゃないわよね」


 改めて赤白ボーダーと黄色のパンツを見つめて、メルはようやく納得したように頷いた。


「じゃあ、着替えてくるわ」

「手伝おうか?」

「ううん、一人でできるから」


 宗助の申し出を優しく断って、メルは一人で廊下に出て行ってしまう。

 その隙に、俺とクラウも着替えをした。青い綿のトランクスをはいたクラウは、「落ち着かないな」と不服そうだ。


 あっという間に着替えが済んで、メルがノックの後に部屋へ戻ってくる。

 黄色いワンピース姿で俺たちの前でくるくると回って見せるメルは、年相応の普通の女の子に見えた。

 そして「可愛いよ」と褒めるクラウと宗助を相手に照れながら、はいてきたパンツを何の躊躇ためらいもなく披露ひろうしようとしたメルを俺は全力で阻止する。


 宗助はメルに返された骸骨柄のTシャツを「僕の宝物にするよ」と抱きしめて、もう一つぶら下げていたビニールの袋から三本のコーラのペットボトルを取り出した。


「異世界の人に飲ませてみたいものといえば、これかなと思って」


 俺は思わずクラウと顔を見合わせる。


「これ、セルティオにかけたら、効果あったんだぜ」

「へぇ。水が弱点なのは知ってたけど」

「えっ。コーラを知ってるの?」


 残念そうな宗助に、俺は「向こうにはないけどな」と説明した。


「僕はコーラ大好きだよ。ありがとうね」


 クラウは速攻でキャップを開けると、「メルは初めてだよね」と勧めた。

 こくりと頷くメルの顔は、好奇心よりも不安のほうが強く出ていた。黒い液体に泡が上昇する様子をまじまじと見つめて、「美味しいのかしら?」と宗助が期待したままの反応を示す。

 そして、こくりと飲んだ第一声が「しゅわしゅわね」だった。

 宗助は『大満足』を顔いっぱいに広げる。


「宗助、色々有難うな。お金は大丈夫なのか?」

「このくらい平気ですよ。その代わりと言っちゃなんだけど、もし時間があるなら向こうの世界の話を聞かせてくれませんか?」


 宗助の要望に、俺はもう一度クラウと顔を見合わせた。

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